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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第七章 地下の英雄

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第六十八話 外縁防衛線

旧関越連絡路は、終わらなかった。

水没区間を抜けても、崩落補修区間を抜けても、また暗い道が続く。

青白い誘導灯だけが、規則正しく前へ前へと並んでいた。

装甲輸送車は速度を上げない。

後方には、作業艇を積んだ貨物輸送車が続いている。

康生は窓の外を見ていた。

コンクリートの壁と、補強された天井が続く。

時々、古い標識や、読めない文字に、剥がれた矢印が目に入る。

路肩には、ところどころに錆びた非常電話の箱が放置されていた。

知っているようで、知らない場所だった。


「まだ関越ですか」


康生が聞くと、前方席の相馬が振り返った。


「正確には、旧関越道、旧保守路、防衛隊補修路、東京圏地下連絡路の複合区間です」

「長い名前だな」

「現場では、関越連絡路と呼んでいます」

「最初からそれでいいですよ」

「正式名称を説明しました」


アオイが言う。


「お前、シラヌイみたいになってきたな」

「影響を受けた可能性があります」

「嫌な学習だな」


シラヌイの通信は、さっきより遠くなっていた。

途切れはしないが、時々声の端が崩れる。


「…こちらシラヌイ。地上輸送班、進路上の大型反応なし。小型反応は側方旧排水路に二。追尾傾向なし」

「了解」


相馬が答える。


「追尾なし、助かります」


康生が言うと、アオイが見た。


「康生は戦闘回避を好む傾向があります」

「普通だろ」

「はい。人間一般に近い反応です」

「それ、最近ちょっと嬉しくなってきた」


麻生が小さく笑った。


「康生殿は、人であることを確認されたいのですな」


康生は少しだけ口を閉じた。

言われると、困る。


「まあ…そうかもしれません」

「悪いことではないと思います」


麻生は前を見る。


「人であろうとする方が、人を救おうとしているなら、我々としてはありがたい」

「救おうとしてるっていうか、後始末してるだけですけどね」

「後始末をする者も、救う者です」

「言葉が重くなるなあ」

「軽いままでは、失礼かと」


康生は返事に困った。

麻生は、信仰の言葉を使わないように努力している。

だが、言葉から重さが消えるわけではない。

神ではなくても、何かを背負わされることはある。

それが厄介だった。

車両が大きく揺れた。


「うわ」


康生は手すりを掴む。


「路面段差です」


アオイが言う。


「説明が早い」

「揺動予測から準備していました」

「俺にも準備させてくれ」

「次回から予告します」

「あるのか、次回」

「あります」

「あるんだ」


千田は相変わらず平然としていた。

膝の上に槍を固定し、濡れていない靴を少しだけ見ている。


「千田さん、靴下確認してません?」

「確認は大事です」

「本当に基準なんですね」

「はい」


相馬が前方で言った。


「外縁防衛線まで、あと二十分ほどです」


その言葉で、車内の空気が少し変わった。

外縁防衛線。

地図上では見ていた。

旧東京圏地下生存圏を守る外側の線。

害獣の侵入を防ぎ、地下区画への接続を制限する場所。

だが、名前だけでは分からない。

そこに人がいる。

守っている人がいる。

負傷しながら戦っている人がいる。

篠宮燈子。

地下生存圏の英雄。

康生は表示板を見る。


「その外縁防衛線って、壁みたいなものですか」


相馬が答える。


「壁でもあり、門でもあり、通路でもあります。旧高速道路、地下鉄、共同溝、送電路、避難区画をつなぎ直して、いくつもの防衛区画を作っています」

「東京の地下って、そんなに広いんですか」

「広いです。広すぎます」

「嫌な広さですね」

「はい」


相馬は淡々と言った。


「広いほど、守る場所も増えます」


アオイが表示を出した。

旧東京圏地下生存圏。

外縁防衛線。

中間居住区。

練馬地下核融合施設。

送電母線。

旧地下鉄連絡網。

外縁閉鎖区画。

いくつもの線が絡み合っている。


「うわ、ぐちゃぐちゃ」


康生が言う。


「旧都市インフラを流用しているため、構造が複雑です」

「昔の東京も分かりにくかったけど、解りにくさが進化してるな」

「地下鉄網、共同溝、高速道路、避難施設、商業地下街、軍事転用施設が複合しています」

「絶対迷う」

「迷います」


相馬が即答した。


「即答しないでほしかった」

「現地案内なしでは危険です」

「分かりました。勝手に歩きません」

「その記録は重要です」


アオイが言う。


「記録しました」

「はいはい」


康生は右手を見た。

まだ少し遅い。

だが、朝よりはいい。

この連絡路に入ってから、右手の輪郭はわずかに安定している気がした。

気のせいかもしれない。

けれど、掌の奥に、細かな粒が馴染んでいくような感覚がある。


「アオイ、ここ、何か濃い?」

「はい」


アオイはすぐに答えた。


「旧東京圏に近づくにつれて、環境中ピコマシン濃度が上昇しています。ただし、防人村旧施設周辺とは分布が異なります」

「俺にはいいの? 悪いの?」

「一概には判断できません」

「良くも悪くもあるやつか」

「はい」


康生は右手を軽く握った。

少しだけ動きやすい。

それが安心なのか、不安なのかは分からなかった。


前方の誘導灯が増えた。

今までは一本ずつだった光が、二本、三本と並び始める。

壁の補強も新しい。

監視機器らしきものが天井に増える。

表示板に文字が出た。


――旧東京圏外縁防衛線、接近。

――第七西北連絡門、識別圏内。

――全車両、速度低下。


装甲輸送車がゆっくり減速した。

後方の貨物輸送車も続く。

前方に、巨大な門が見えた。

トンネルを塞ぐように、三重の隔壁が立っている。

外側は鋼鉄とコンクリートの複合壁。

中央には車両用の開口部。

左右には人員用通路。

壁面には無数の補修跡があった。

傷、へこみ、焦げ、何かに引っかかれたような深い溝。

それらは、古いものも新しいものも混在していた。

康生は息を呑んだ。


「これ、全部…」


相馬が答える。


「侵入痕です」

「こんなのが何度も?」

「はい」


門の上部には、砲塔のようなものがある。

だが、その半分は動いていないように見えた。

配線がむき出しになり、一部は手作業で固定されている。

アオイが解析表示を出す。


――外縁門防衛機構。

――自動砲塔、稼働率三十一パーセント。

――近接防壁、稼働率五十二パーセント。

――電力供給、不安定。

――手動操作系、稼働中。


康生は表示を見た。


「三十一パーセント」

「低いです」


アオイが言う。


「練馬が動いてないから?」

「主因の一つと推定されます」


相馬が頷いた。


「外縁防衛線は、今ほとんど人力で保っています。自動砲塔も、蓄電が足りない時は撃てません」

「門を開けるのも?」

「一部手動です」

「地下都市の門を、人力で」

「はい」


康生は、門の前で動く人影を見た。

防衛隊員だけではなく、作業服の人間もいる。

肩に工具をかけた男。

腕に包帯を巻いた女。

若い人間も、年配の人間もいる。

彼らが金属のハンドルを回し、油圧補助装置を動かし、隔壁のロックを解除していた。

東京地下生存圏。

それは、想像していたよりずっと泥臭かった。


「都市っていうから、もっと…」

「綺麗なものを想像しましたか」


相馬が言った。


「少し」

「内側には、居住区もあります。市場も、学校も、診療所もあります。ただ、外縁は壁です」

「壁」

「はい。汚れていて、壊れていて、いつも足りない場所です」


康生は頷いた。

それは分かる気がした。

守る場所は、いつも綺麗ではない。

通信が入る。


「こちら第七西北連絡門。新潟地上輸送班、識別確認。同行者四名、貨物一、登録と一致。外部保守端末の方ですか」


相馬が答える。


「こちら相馬。同行者、石田康生殿、A.O.I.、防人村代表麻生殿、護衛千田殿。貨物は旧文明小型長距離作業艇。練馬作戦用機材として搬入」


少し間があった。


「了解。外部保守端末、および作業艇搬入を許可。門内で再検査を実施します。現在、手動開門中。待機してください」


康生はぼそっと言った。


「端末扱い、久しぶりだな」

「康生の登録種別です」


アオイが言う。


「人間登録は?」

「ありません」

「だよな」


麻生が少しだけ康生を見る。

何か言いかけて、やめた。

たぶん、今は言わない方がいいと思ったのだろう。

それが少しありがたかった。

外側の門が動き始める。

重い金属音と共に、低い振動が響く。

人の声と警告灯の点滅が混じりあう。

隔壁が、ゆっくり横へずれていく。

隙間から、暖かく湿った空気が流れてきた。

その空気には様々な匂いが含まれていた。

人、油、消毒液、調理された何か、古い電気設備の焼けた匂い。

康生はその空気を吸い込んだ。


「人がいる匂いだ」

「はい」


アオイが言う。


「多数の人間反応を検出」

「数字にしなくていい」

「了解しました」


門の内側へ、車両がゆっくり入る。

そこは、巨大な防衛区画だった。

元は高速道路のトンネルか、地下施設か。

天井は高く、左右に作業用の足場が組まれている。

壁には配管とケーブルが走り、その下に仮設の部屋が並んでいた。

様々な人の営みが、そこにあった。

防衛隊員、整備員、担架を運ぶ人、配給らしき箱を並べる人。

子どもの姿は見えない。

ここは外縁だからだろう。

代わりに、疲れた顔の大人たちがいた。

彼らは車両を見る。

康生を見る。

アオイを見る。

荷台の作業艇を見る。

ざわめきはある。

だが、手を合わせる人はいない。

康生は、それだけで少し息がしやすくなった。


「人間を見る目だ」

「本区画では、康生を外部保守端末として識別しています」


アオイが言う。


「端末扱いでも、マシな気がする」

「記録しました」

「そろそろ、記録しないでも覚えて」

「努力します」


装甲輸送車は、門内の検査位置で止まった。

後方の貨物輸送車も停止する。

作業艇を固定した支持架が、検査用の光を浴びる。


――貨物確認。

――旧文明小型長距離作業艇。

――外装補修履歴あり。

――給電端子、封鎖状態。

――搬入許可、条件付き。


検査員が作業艇を見上げた。


「これ、本当に飛ぶんですか」


康生は降りながら答えた。


「飛びます」

「トゥクトゥクみたいな形ですね」


アオイが言う。


「形状評価として妥当です」

「妥当なのが嫌なんだよ」


検査員は少しだけ笑った。


「すみません。正式には作業艇ですね」

「いえ、だいたい合ってます」

「だいたい合ってるんですね」

「そこが困るんです」


麻生が後ろで真剣に頷いていた。


「御車であり、作業艇であり、トゥクトゥクなのですな」

「まとめないでください」


その時、区画の奥で警報が短く鳴った。

全員が一瞬で動きを変えた。

検査員が振り返る。

防衛隊員が武器を取る。

作業員が壁際へ退く。

相馬が通信を開く。


「状況」


壁面表示に赤い文字が出る。


――外縁六番枝路、侵入反応。

――中型害獣、一。

――接触戦闘中。

――防衛協力者、交戦中。


康生の背筋が冷えた。


「来てるのか」


アオイが即座に康生の前へ出る。


「康生、高出力運用は禁止です」

「分かってる」

「確認です」

「でも、何かできることは」


相馬が短く言った。


「待機してください。ここは外縁防衛線です。まず現地戦力が対応します」

「でも」

「現地判断です」


康生は口を閉じた。

その言葉は、強かった。

現地にいる者が判断する。

ここでは、相馬たちの言葉だ。

壁面表示の赤い点が一つ、通路の奥で動く。

それとは別に、青い点が一つ、高速で接近していた。

アオイの目が細くなる。


「高密度ピコマシン反応」

「何だ?」

「不明です。ただし、赤い反応に進路を合わせています 」


通路の奥で、金属がぶつかる音がした。

低い咆哮。

何かが床を引っ掻く音。

次に、重い衝撃。

防衛隊員たちは動かない。

数秒後、咆哮が止まった。

壁面表示の赤い点が消える。


――中型害獣反応、消失。

――外縁六番枝路、封鎖継続。

――負傷者、確認中。


静まり返った区画に、足音が聞こえた。

通路の奥から、一人の女性が歩いてきた。

そこまで高くない身長で、髪を後ろで1つに束ねていた。

防衛隊の正式装備ではなく、補修を重ねた防護服を着ている。

肩を保護する装甲板は割れており、右腕には包帯を巻いている。

そして、左足を少し引きずっている。

手には、刃の半分が欠けた短い槍のような武器を持っていた。

その先から、黒い液体が落ちている。

顔は若く見えたが、目の下の濃い影が疲れを隠せていない。

それでも、表情は穏やかだった。

周囲の人間が、少しだけ息を吐く。


「燈子さん」


誰かがそう呼んだ。

女性は片手を軽く上げた。


「大丈夫です。六番枝路、閉じたままでお願いします。奥にもう一匹いるかもしれません」


声は、思ったより柔らかかった。

相馬が姿勢を正す。


「篠宮さん。新潟地上輸送班、相馬です。外部保守端末を搬送しました」


女性がこちらを見る。

康生と目が合った。

その目は、警戒していた。

同時に、申し訳なさそうでもあった。

彼女は黒い液体のついた武器を下げ、浅く頭を下げた。


「篠宮燈子です。お迎えが遅れて、すみません」


康生は一瞬、何を言えばいいか分からなかった。


英雄。


シラヌイの資料にあった言葉が、頭に浮かぶ。

地下生存圏の中核戦力。

身体強化型ピコマシン適応個体。

そんな冷たい分類の言葉が、目の前の女性とすぐには結びつかなかった。

傷だらけで、疲れていて、それでも人に気を遣う女性。

それが、篠宮燈子だった。

康生は少し遅れて頭を下げる。


「石田康生です。えっと、こちらこそ」


言葉が変になる。

燈子は少しだけ笑った。


「遠かったですよね」

「まあ、だいぶ」

「すみません。練馬が動いていれば、もう少し楽に迎えに行けたんですけど」


その一言で、康生はこの場所の現実を理解した気がした。

門が手動で開くこと。

砲塔が三割しか動かないこと。

人が外縁で疲れていること。

英雄と呼ばれる人が、傷を増やしながら枝路を塞いでいること。

全部、練馬につながっている。


「動かしましょう」


康生は言った。

思ったより、声が硬くなった。

アオイが横を見る。


「康生」

「高出力は使わない」


康生は先に言った。


「でも、動かす」


燈子は康生の右手を一瞬見た。

そして、見なかったことにしたように、すぐ目を戻した。


「お願いします」


その声は、英雄の命令ではなかった。

ただ、人が人に頼む声だった。

康生は頷いた。

外縁防衛線の奥では、警告灯がまだ赤く回っている。

門の向こうでは、何かが壁を叩くような低い音がした。

それでも、人は動いていた。

配線を直す人。

負傷者を運ぶ人。

門を閉じる人。

武器を構える人。

そして、傷だらけの英雄が、静かに立っている。

康生は思った。

天輪様よりは、人間っぽい。

けれど、人間に背負わせるには、少し重すぎる。

だから、練馬を動かす。

そのために、ここまで来たのだ。


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