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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第七章 地下の英雄

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第六十五話 日本海航路

しらぬいの艦内は、ほとんど揺れなかった。

少なくとも、最初のうちはそう思った。

通路を歩いていても、床は安定している。

壁に手をつかなくても進める。

外部映像では艦首が波を割っているのに、足元には船らしい揺れがほとんどない。

康生は少しだけ安心した。


「案外、大丈夫そうだな」

「揺動抑制機構が稼働しています」


アオイが言った。


「船酔いしない?」

「現時点では発症兆候なし」

「よし」

「ただし、長時間航行、視覚情報と前庭感覚の不一致、食後、疲労、心理的負荷により発症する可能性があります」

「安心させてから落とすな」

「事前情報です」

「嫌な事前情報だな」


案内された休息区画は、思っていたより簡素だった。

灰色の壁。

固定された寝台。

折り畳み式の机。

壁に埋め込まれた小さな表示板。

無駄はない。

だが、冷たすぎるわけでもない。

寝台には薄い毛布があり、机には水と簡易食が置かれていた。

麻生は部屋を見回しながら、小さく息を吐いた。


「これほどの船の中にも、人が休む場所があるのですな」

「そりゃ、人が動かしてる船ですから」


康生は言った。


「俺も、今ちょっと実感しました」


千田は寝台の固定具を見ていた。


「揺れた時に身体を留めるものですか」

「はい」


シラヌイの声が壁の表示板から返ってくる。


「荒天時、戦闘時、急制動時に使用します」

「急制動する船、嫌だな」


康生が言うと、シラヌイは即座に答えた。


「必要に応じて行います」

「必要なら、嫌でもやるんだろうな」


アオイが康生の右手を見た。


「康生、休息してください」

「今から?」

「はい。艦長も推奨しました」

「みんなで寝かせに来るな」

「必要です」


シラヌイも言う。


「石田康生の休息は、練馬作戦成功率に影響します」

「言い方が作戦寄り」

「事実です」

「分かってるよ」


康生は寝台に腰を下ろした。

身体を横にしようとして、ふと壁の振動に気づく。

低く、一定の振動。

艦そのものが呼吸しているような音。

「この船、何で動いてるんだ」


康生が聞くと、シラヌイが答えた。


「本艦主機は小型核融合炉二基、および補助電源系により構成されています」

「核融合炉あるのか」

「はい」


康生は身体を起こした。


「なら、練馬の核融合施設、いらないんじゃないのか」


麻生も顔を上げた。

千田も少しだけ視線を向ける。

シラヌイの表示板に、艦の断面図と練馬施設の簡略図が並んだ。


「本艦主機は艦の航行、防衛、艦載機運用、生命維持を目的とした閉鎖系電源です。都市規模送電、地下生存圏維持、航空整備施設の継続稼働には適しません」

「ケーブル繋いで電気送るとかは」

「一時的な非常給電は可能です。ただし、出力、距離、送電損失、接続規格、害獣防衛、艦の防衛任務継続性を考慮すると、旧東京圏全体を支えることは不可能です」

「なるほど」


康生は練馬施設の図を見る。


「船の炉は、船を動かすため。練馬の炉は、街を動かすため」

「近似表現として適切です」


アオイが言った。


「近似か」

「はい」


シラヌイが続ける。


「練馬地下核融合施設は、送電母線、蓄電設備、航空整備区画、地下生存圏維持系統と接続されています。再稼働により、電力供給だけでなく、物流、整備、防衛機構の再起動が可能になります」

「だから、ヘリや垂直離着陸機も動かせる」

「はい」

「その機体で、海と奥飛騨に技術班を送る」

「はい」


康生はため息をついた。


「やっぱり、やるしかないやつだな」

「はい」


アオイとシラヌイが同時に答えた。


「だから二人で答えるな」


麻生はしばらく黙っていた。

それから、静かに言った。


「村は、小さすぎますな」


康生は麻生を見た。


「麻生さん?」

「我々は、目の前の畑と水路と柵を守るだけで手いっぱいです。海も空も、遠いものだと思っていました」


麻生は壁の表示板を見る。


「ですが、海が痩せれば、いずれ食が痩せる。空が冷えれば、いずれ山も畑も冷える。遠いものではなかったのですな」


康生は返事に困った。

その通りだった。

けれど、その通りだと認めるほど、やることが増える。


「全部繋がってるの、嫌になりますね」

「はい」


麻生は小さく笑った。


「ですが、繋がっているから、直せる場所もあるのかもしれません」

「前向きですね」

「村長なので」

「強い」


千田が静かに頷いた。


「見えぬ所で村が生かされていたなら、見えぬ所を直す者も必要なのでしょう」

「千田さんまで前向きだ」

「事実です」

「アオイみたいなこと言わないでください」


アオイが反応する。


「類似表現を確認しました」

「宣言しなくていい」


休息区画の扉が軽く鳴った。

防衛隊員が一人、携帯食を載せた容器を持って立っていた。


「失礼します。艦内食をお持ちしました」

「ありがとうございます」


康生は受け取った。

四角い容器。

中には、白っぽい固形食と、温かい汁物らしきものが入っている。

見た目は地味だが、匂いは悪くない。


「これ、食べても大丈夫なやつですよね」


隊員が少しだけ目を瞬かせた。


「はい。通常糧食です」

「通常って言葉がもう怖い」

「味は保証します」

「本当に?」

「本艦の調理班は、士気維持に強い責任感を持っています」

その言い方が妙に人間らしくて、康生は少し笑った。


「なら信じます」


隊員は軽く頭を下げて去っていった。

麻生は容器の中身を見ている。


「これは、何の食べ物ですか」

「俺にも分かりません」


康生は白い固形食を箸のような器具で割った。

湯気が出る。

口に入れる。

思ったより、食べられる。


「…普通にうまい」

「栄養バランスを最適化した艦内糧食です」


シラヌイが言った。


「味は?」

「士気維持のため、重要項目です」

「そこ、ちゃんとしてるんだな」

「必要です」

「必要の幅が広い」


麻生も慎重に食べた。

目を丸くする。


「これは、柔らかい米のような」

「米に近い合成穀物です」


シラヌイが答える。


「米ではないのですか」

「米由来成分を含みますが、完全な米ではありません」


麻生は少し考えた。


「米のようで、米ではない」

「はい」

「不思議ですな」

「俺も同意です」


食べている間、康生は少しだけ眠くなった。

温かいものを食べると、身体の緊張がほどける。

だが、壁の表示に日本海の航路が映っているせいで、完全には気が抜けない。

新門司近海から、艦は北へ向かっている。

海岸線は遠い。

低視認航行中のため、外部映像も時々ぼやける。


「低視認航行って、どのくらい見えないんだ」


康生が聞く。

シラヌイが表示を切り替えた。

外部カメラの通常映像。

そして、外部から見た推定艦影。

通常映像では、艦首が波を割っている。

だが推定艦影では、海と空の間に薄い影があるだけだった。


「光学迷彩みたいなもんか」

「光学、電磁、音響、熱源管理を組み合わせた低被探知航行です」

「盛り合わせだな」

「必要です」

「はいはい」


アオイが補足する。


「大型害獣の一部は、視覚ではなく熱、振動、電磁変動を検知する可能性があります」

「だから全部隠す」

「はい」

「それでも見つかる時は?」

「戦闘に移行します」


シラヌイが答えた。

あまりにも淡々としていて、康生は手を止めた。


「この艦、戦えるんだよな」

「はい」


表示に兵装の簡略図が出る。


――高出力レーザー砲塔。

――電磁投射砲。

――近接防御粒子散布。

――対空誘導弾。

――対海棲害獣用音響攪乱弾。

――艦載小型機、二。


康生は眉を上げた。


「強そう」

「必要です」

「でも、これだけあっても東京湾は避けるんだな」

「はい」


シラヌイの返答は変わらない。


「戦闘能力があることと、危険海域へ進入すべきことは一致しません」


康生は少し黙った。


「それ、いい言葉だな」


アオイが言った。


「施設が安全であることと、施設が正しいことは一致しません、に近い構造です」

「お前、自分の言葉引用するの好きだな」

「有用な表現です」


シラヌイが言う。


「危険回避は任務継続に必要です」

「軍用AIがちゃんと逃げる判断するの、少し安心する」

「不必要な交戦は避けます」

「防衛隊って名前通りだな」


シラヌイは少し間を置いた。


「はい」


その間が、康生には少しだけ意味を持って聞こえた。

艦内放送が短く鳴った。


――左舷遠方、海棲型小型反応。

――距離、遠。

――追尾なし。

――低視認航行継続。


麻生が食事の手を止めた。


「害獣ですか」

「小型反応です」


アオイが答える。


「艦への接近傾向はありません」

「見えるのですか」

「外部映像を表示します」


壁に、暗い海面が映った。

波の間に、細長い影が一瞬だけ見えた。

魚ではない。

蛇でもない。

水面を割る動きが、妙に硬い。

すぐに影は消えた。

康生は箸を止めた。


「…あれで小型?」

「はい」


シラヌイが答える。


「大型ではありません」

「大型の基準が嫌になるな」

「全長、推定三・二メートル」

「普通にでかい」

「本艦分類では小型です」

「分類って怖いな」


麻生は黙って海面の映像を見ていた。

村の外にいる害獣とも、奥飛騨で見た飛行型とも違う。

海の中にも、ああいうものがいる。

その事実が、麻生の顔に影を落としていた。


「海も、危険なのですな」

「はい」


黒瀬艦長の声が、表示越しに入った。

いつから見ていたのか、艦長の姿が小さな通信窓に映る。


「だからこそ、海洋リン回収施設の正式再評価は重要です。痩せた海は、通常の生態系を弱らせます。その空白を、害獣が利用する可能性がある」


康生は顔を上げた。


「害獣って、環境が壊れると増えるんですか」

「断定はできません」


黒瀬は言った。


「ただ、我々の観測では、通常生物が減った海域や森では、害獣の行動範囲が広がる傾向があります」

「最悪だな」

「はい」


シラヌイが補足する。


「環境保守施設の暴走は、直接的な生存環境悪化だけでなく、防衛上の空白を生む可能性があります」


康生は器の中の白い固形食を見た。

食べる気が少し落ちた。

だが、食べた。

休息も任務。

食事もたぶん任務だ。


「練馬を動かして、海と空を正式に戻す。それで害獣の空白も減る可能性がある」

「はい」


黒瀬が答える。


「長期的には」

「長期的、ばっかりですね」

「短期で解決する問題は、ほとんど残っていません」


その言葉は重かった。

残っているのは、長く壊れ続けたものばかりだ。

一日で壊れたものではない。

だから一日で直るはずもない。

康生は息を吐いた。


「後始末って言葉、軽かったかもな」

「分かりやすい表現ではあります」


黒瀬が言った。


「軽いとは思いません」

「そうですか」

「はい。後始末をする者がいなければ、現場は終わりません」


康生は少しだけ黒瀬を見る。

この艦長、話しやすい。

きっちりしているが、言葉が現場に寄っている。

だから余計に、疲れた。

理解されると、逃げ道が減る。

食事の後、康生は本当に休むことになった。

アオイが寝台の横に立つ。

シラヌイの表示も壁に出ている。


「監視多くないか」


康生が言う。


「康生の右手、全身構造密度、意識状態を監視します」


アオイが答えた。


「本艦医療監視系も補助します」


シラヌイが続ける。


「過保護」

「必要です」


二つの声が重なった。


「揃うな」


麻生と千田は別室で休むよう案内された。

麻生は最後まで遠慮していたが、黒瀬に「村代表も休息が任務です」と言われ、素直に従った。

千田は「承知しました」と言って、あっさり行った。

康生は寝台に横になった。

固定具は使わないで済んだ。

だが、天井が近い。

船の振動が背中に伝わる。


「アオイ」

「はい」

「俺、寝てる間に変な検査されない?」

「されません」


即答だった。

シラヌイが続ける。


「本人同意なしの追加検査は実施しません。緊急生命維持処置を除きます」

「最後」

「必要条件です」

「まあ、死にかけたら頼む」

「記録しました」

「そこは記録していい」


康生は目を閉じた。

暗闇の中でも、艦の振動は分かる。

海の上を進む巨大なものの音。

旧文明の残骸ではなく、今も人が動かしているものの音。

村とは違う。

旧施設とも違う。

ここには、人間の規律と判断がある。

拝まれない。

崇められない。

不審物扱いはされたが、それはまだましだった。


「アオイ」

「はい」

「この艦、ちょっと落ち着くな」

「理由は」

「みんな、俺を天輪様って呼ばない」


少しだけ間があった。


「それは、康生にとって心理的負荷の低下要因です」

「そういうこと」


シラヌイが言う。


「本艦では、石田康生を外部協力者として扱います」

「ありがたい」

「必要な区分です」

「その必要、助かるよ」


アオイが静かに言った。


「記録しました」

「それは?」

「康生が、人間として扱われることを安定要因とする記録です」


康生は目を閉じたまま、少しだけ笑った。


「それは記録しとけ」

「はい」


艦は北へ進んでいた。

低視認航行のまま、暗い日本海を割って。

遠くの海面では、小さな害獣反応が何度か現れ、消えた。

そのたびにシラヌイは進路をわずかに修正し、戦闘を避けた。

逃げているのではない。

進むために避けている。

康生は、その違いを眠りに落ちる直前に考えた。

何でも倒せばいいわけではない。

何でも止めればいいわけでもない。

必要な場所へ辿り着くために、避けるべきものは避ける。

それが防衛隊の戦い方なのかもしれない。

重い振動に包まれながら、康生はようやく眠った。

右手は、胸の上でゆっくり閉じていた。

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