第五十三話 空の御車はまだ早い
タイヤのないトゥクトゥクは、森の中を滑っていた。
車輪はない。
エンジン音もない。
地面を蹴る感覚もない。
ただ、空気の上に薄く乗っているような、妙な浮遊感だけがある。
康生は給電アームにつながれたまま、前方の縁を掴んでいた。
「…これ、ちゃんと移動できてるんだよな」
「はい」
操縦席のアオイが答える。
「高度、地表から八十センチ。速度、時速十二キロメートル。姿勢制御、安定」
「数字だけ聞くと安全そうだけど、体感は全然安全じゃない」
後部の工具荷台では、亮太、千田、真衣が身を低くしてしがみついていた。
荷台といっても、ちゃんとした客席ではない。
工具や資材を置くための小さな平台だ。
そこへ三人が無理やり乗っている。
かなり雑だった。
亮太が顔をしかめる。
「これ、乗り物の乗り方じゃないだろ」
「緊急搬出モードです」
「それ、何でも許される言葉か?」
「許可範囲は限定されています」
「今の状態が限定内なのか」
「ぎりぎりです」
「ぎりぎりって言うな」
千田が荷台の縁を掴みながら、真顔で言った。
「しかし、徒歩よりは速い」
「確かに速いですけどね」
真衣は弓を抱えたまま、周囲の森を見ている。
「音も少ない。敵に気づかれにくいかもしれません」
「その代わり、見られたら終わる」
康生は即答した。
「村人に見られたら終わる」
亮太が頷いた。
「村長に見られたら、もっと終わる」
「だから、村には直接帰らない」
康生は森の先を見た。
旧施設から村までの道は、多少曲がっている。
このまま低空で滑っていけば、村の近くまで行けるだろう。
だが、そんなことをすれば、見張り台から確実に見える。
天輪様が空の御車に乗って帰還した。
麻生なら言う。
絶対言う。
「アオイ、村から見えない場所に降ろせるか」
「可能です。旧資材置き場跡があります」
「近い?」
「村から北東へ約一・二キロ。現在位置から二分三十秒」
「そこに隠す」
「了解しました」
作業艇は、木々の間をゆっくり進んだ。
高くは飛ばない。
枝にぶつかるからだ。
地面から一メートルにも満たない高さを、ふわふわと滑る。
それでも、徒歩よりはずっと速い。
倒木も、崩れた舗装も、ぬかるんだ地面も、ほとんど関係ない。
康生は少しだけ感心した。
「便利だな、これ」
「はい」
「便利だけど、俺につながってるのが嫌だな」
「外部給電なしでは、現状の補助電源だけでは長時間稼働できません」
「俺が燃料扱い」
「近似表現としては不正確です。あなたは外部給電源です」
「言い方変えただけだろ」
亮太が後ろから言う。
「でも、康生さんがいないと動かないなら、盗まれにくいんじゃないか」
康生は少し考えた。
「それは、まあ、そうか」
「村長が勝手に使うこともできない」
「麻生さんをなんだと思ってるんだ」
「使わないとは言い切れない」
「言い切れないのが怖いな」
アオイが淡々と言う。
「麻生守は、村の生存率向上に有効と判断した場合、使用を提案する可能性があります」
「提案で済む?」
「康生が拒否した場合、説得を試みる可能性があります」
「だろうな」
「信仰的理由を併用する可能性もあります」
「だろうな!」
作業艇が、森の中の少し開けた場所へ出た。
そこには、古い資材置き場の跡があった。
錆びた鉄骨。
倒れたフェンス。
半分崩れた屋根。
コンクリートの床。
周囲は木に囲まれていて、村の見張り台からは見えにくそうだった。
「ここなら隠せそうだな」
「はい。屋根の下に収容可能です」
アオイが操縦桿を動かす。
作業艇は、ふわりと資材置き場の中へ滑り込んだ。
康生は給電を少しずつ弱める。
作業艇がゆっくり高度を下げた。
底面の制御板が、床すれすれで止まる。
完全に地面へ落ちるわけではない。
待機するように、わずかに浮いたままだ。
「これ、電源切ったらどうなる」
「待機浮上を終了すると、補助脚が展開します」
「脚あるのか」
「あります」
「タイヤはないのに」
「タイヤは不要です」
「トゥクトゥク形状なのに?」
「外観設計と走行機構は別です」
「設計者の癖が強い」
アオイが操作すると、底面から短い脚のような支柱が四本降りた。
作業艇は、静かにその上へ乗った。
康生の手首から接続アームが外れる。
ふっと、身体の奥の違和感が消えた。
「…やっと外れた」
「給電終了。中核特異点炉負荷、低。構成体損耗、なし」
「心理的負荷は?」
「高めです」
「知ってた」
亮太たちが荷台から降りる。
亮太は左腕を庇いながらも、少し興奮した顔で作業艇を見ていた。
「本当に飛んだな」
「飛んだというか、浮いたというか」
「空の船だろ」
「その言い方、村で流行らせるなよ」
「俺は言わない」
「本当に?」
「たぶん」
「信用しきれない」
千田が作業艇の周りを見て回った。
「この大きさなら、村の荷も運べそうですな」
「やっぱりそう考えますよね」
「当然です。食料、薬、怪我人、資材。運べるものは多い」
「便利になるのは分かるんですけど」
康生は作業艇を見た。
便利だ。
本当に便利だ。
だが、この便利さは目立ちすぎる。
昨日は指先のプラズマだけで大騒ぎになった。
今度は空を滑る作業艇だ。
神格化が悪化しないわけがない。
真衣が少し遠慮がちに言う。
「でも、隠し続けるのは無理だと思います」
「分かってます」
「村に持ち込まなくても、出入りするところを誰かが見ます」
「分かってます」
「防衛隊にも報告する必要があるのでは」
「それも分かってます」
分かっている。
分かっているから嫌なのだ。
康生は頭を掻いた。
「せめて、説明の順番を考えたい」
「まず麻生守へ報告」
アオイが言う。
「その後、防衛隊へ正式報告を推奨します」
「シラヌイにも?」
「はい」
「また危険視されそう」
「高確率です」
「でも、神扱いよりは」
「心理的負荷は低いと推定します」
「俺のこと分かってきたな」
「監視対象ですので」
「そうだった」
アオイは作業艇の端末から、細い光を引き出していた。
「何してる」
「機体ログを確認しています。起動時に一部記録が復元されました」
「なんか分かった?」
「来歴情報の一部」
康生は少し身構えた。
「来歴?」
「はい。この作業艇の中核ユニットは、当施設で新規開発されたものではありません」
「え」
「反重力ユニットは、損傷状態で外部から搬入されています。旧日本側が復元、衛星保守補助艇へ試験搭載した記録があります」
「外部って、どこから」
アオイは少しだけ沈黙した。
「旧米軍関連施設跡、という記録断片があります」
康生は作業艇を見た。
急に、目の前のトゥクトゥクが別のものに見えた。
いや、形は相変わらずトゥクトゥクだ。
だが、その中身の一部は、別の国の、別の施設から来たものらしい。
「米軍?」
「はい」
「なんで米軍の反重力ユニットが、日本の企業ラボにあるんだよ」
「詳細は不明です。報復合戦後、旧日本側が回収した可能性があります」
「報復合戦後ってことは、世界が壊れた後か」
「はい」
「壊れた世界で、米軍の謎ユニットを拾って、復元して、トゥクトゥクに載せた」
「外観設計は別工程です」
「そこはどうでもいいんだよ。いや、どうでもよくはないけど」
亮太が話についていけない顔をしていた。
「米軍というのは?」
「旧文明の大きな国の軍隊だ」
康生が答える。
「強かったのか」
「強かった。たぶん、めちゃくちゃ」
「その軍のものが、ここにある」
「らしい」
亮太は作業艇を見る。
「じゃあ、危ないものなのか」
「便利なものはだいたい危ない」
康生は言った。
「この世界に来てから、だいぶ学んだ」
アオイが頷く。
「適切な学習です」
「褒められても嬉しくない」
千田が低く言う。
「防衛隊は、この情報を知るべきでしょう」
「ですよね」
康生はため息をついた。
「報告したら、絶対調べに来るよな」
「はい」
アオイが答える。
「作業艇、旧中枢、再構成区画、反重力ユニット。すべて防衛隊にとって重要情報です」
「俺自身も含まれる?」
「はい」
「だよな」
真衣が心配そうに康生を見る。
「康生殿を、連れていこうとしますか」
「可能性はあります」
アオイが答える。
「ただし、防衛隊は現状、康生の協力を必要としています。即時拘束の可能性は低いと推定」
「低い」
康生は苦笑した。
「ゼロじゃないんだな」
「はい」
「でも、危険視されるのは慣れてきた」
亮太が呆れたように言う。
「慣れるなよ」
「神扱いより、だいぶ落ち着くんだよ」
「本当に基準が変だな」
「この世界が変なんだよ」
「それはそうだ」
資材置き場の外では、森が静かに揺れていた。
旧施設の方からは、もう金属を叩く音は聞こえない。
距離が離れたせいか、施設の壁に遮られたせいか。
それでも、康生の耳にはまだ残っている気がした。
ごん。
ごん。
あの施設には、まだ害獣がいる。
アオイの旧中枢も、再構成区画も、格納庫もある。
今回は作業艇を持ち出せた。
だが、施設全体を安全にしたわけではない。
「アオイ」
「はい」
「あの施設、また行くことになるよな」
「はい」
「完全に安全にはできてない」
「はい」
「格納区画は使えたけど、害獣はまだ残ってる」
「はい」
「…仕事が増えたな」
「増えています」
「人生第二部、作業計画ばっかりだな」
「生存率向上に有効です」
「俺の心には有害だよ」
アオイは少しだけ沈黙した。
「心理的負荷を軽減するため、作業艇の秘匿案を提示します」
「あるのか」
「はい。この旧資材置き場を仮置き場とし、村には一度、徒歩で帰還します」
「おお」
「その後、麻生守に限定報告。村人全体への公開は、搬入手順と説明方針を決定してから行います」
「いいじゃん」
「ただし、藤倉亮太、千田、真衣の口外抑制が必要です」
三人が少し気まずそうにした。
康生は亮太を見る。
「言わないよな」
「言わない」
「たぶん?」
「今度は断言する。言わない」
「助かる」
千田も頷く。
「村長への報告までは伏せます」
真衣も言った。
「私も言いません」
康生は少し安心した。
これで、少なくとも今日中に村中へ広がることはない。
たぶん。
「じゃあ、隠そう」
「偽装を行います」
アオイが作業艇の外装へ触れた。
周囲の錆びた鉄板や古い布を使い、目立つ部分を覆っていく。
千田と真衣も手伝った。
康生も手伝おうとしたが、アオイに止められた。
「康生は構成体負荷があります。休息を推奨」
「少しは手伝う」
「作業効率は低下します」
「手伝う気を削るな」
亮太が笑った。
「じゃあ、座ってろ」
「普通枠まで」
「今の康生さんが変に動くと、逆にみんな気を使う」
「それはそうかもしれない」
康生は仕方なく、資材置き場の端に腰を下ろした。
タイヤのない作業艇が、錆びた鉄板と古い布で少しずつ隠されていく。
隠しきれてはいない。
だが、遠目にはただの資材の山に見えるかもしれない。
「これ、絶対あとで見つかるよな」
「はい」
アオイが即答した。
「少しは希望を持たせろ」
「短期秘匿としては有効です」
「短期か」
「はい」
「まあ、今はそれでいい」
やがて、作業艇は資材置き場の奥に紛れた。
完全ではない。
でも、今日のところはこれで十分だ。
康生は立ち上がった。
「村に戻るか」
「はい」
亮太が測量杭を持ち直す。
「村長に、どう言う?」
康生は少し考えた。
「旧施設で移動用作業艇を見つけた。危険だから、今は森に隠した。詳細は後で説明する」
亮太が頷く。
「神格化しそうな単語は?」
「空、御車、天輪、浄火、奇跡」
「全部禁止だな」
「あと、ぷらずまも禁止」
「それはもう手遅れだろ」
「言うな」
アオイが補足する。
「反重力という単語も、説明の仕方によっては神秘解釈を招きます」
「じゃあ何て言えばいい」
「浮く旧文明作業艇」
「それでも十分まずいな」
「はい」
康生は頭を抱えた。
隠せる時間は短い。
説明しないわけにもいかない。
しかも、米軍由来のログまで出てきた。
ただの移動手段発見では済まなくなっている。
「…まず麻生さんだけに話す」
「それが妥当です」
「防衛隊への報告は、その後」
「はい」
「シラヌイ、怒るかな」
「危険評価は行うでしょう」
「怒るとは言わないんだな」
「軍用AIの応答は、怒りではなく規律違反およびリスク評価として表現されます」
「それ、実質怒ってるやつだろ」
「近似表現としては正しいです」
康生はため息をついた。
村の方角を見る。
森の向こうに、防人村がある。
麻生がいる。
村人がいる。
たぶん、子供たちはまだぷらずまごっこをしている。
その村へ、空を滑る旧文明作業艇の話を持って帰る。
気が重い。
でも、歩き出さないわけにはいかない。
「行くぞ」
康生は言った。
「今日は、徒歩で帰る」
亮太が少し笑った。
「作業艇より安心するな」
「俺もだよ」
アオイが最後に資材置き場を振り返る。
「作業艇、待機状態。短期秘匿、開始」
「勝手に動くなよ」
康生が言うと、隠された作業艇の端末が、布の隙間からかすかに光った。
――待機中。
「また返事した?」
「待機表示です」
「本当に?」
「おそらく」
「おそらくって言うな」
康生は苦笑しながら、森の道へ踏み出した。
背後では、錆びた鉄板と古い布に隠されたタイヤのない作業艇が、静かに眠っている。
康生とアオイの始まりの場所から持ち出されたそれは、次に目を覚ます時、きっと村を、そして康生の行き先を変える。
そう思うと、康生は今から少しだけ胃が痛かった。




