第五十二話 タイヤのない作業艇
格納庫の中央に、タイヤのないトゥクトゥクが眠っていた。
いや、正確には違うのだろう。
旧文明の作業艇。
反重力ユニット搭載試験機。
衛星保守補助用途。
アオイはそう説明した。
だが、康生にはどう見てもトゥクトゥクにしか見えなかった。
三輪タクシーから車輪を取り外し、底面に妙な金属板を貼りつけ、屋根と座席と操縦席を未来っぽく整えたもの。
それが、薄暗い格納庫の中で静かに鎮座している。
「旧文明小型長距離作業艇。反重力ユニット搭載試験機。衛星保守補助用途」
康生は作業艇を見つめた。
どう見ても、タイヤのないトゥクトゥクだった。
「なんで、トゥクトゥク形状なんだ」
「外観設計に個人の趣向が反映されている可能性があります」
「つまり、設計者の趣味」
「はい」
「設計者の癖が強い」
亮太が横から覗き込む。
「とぅくとぅくって、何なんだ」
「俺の時代にあった乗り物。小さいタクシーみたいなやつ」
「これが?」
「形だけは」
「車輪、ないぞ」
「だから余計に変なんだよ」
搬送路の方で、ごん、と鈍い音がした。
さっき封じ込めた中型個体だ。
康生は肩をすくめる。
「長居はしたくないな」
「同意します」
アオイが作業艇の側面へ歩いた。
「状態確認を行います」
「勝手に飛んだりしないよな」
「主電源は低下しています。自律起動する可能性は低いです」
「低い、か」
「ゼロではありません」
「旧文明機械、毎回その言い方だな」
作業艇の外装は、思ったより綺麗だった。
塗装はくすみ、ところどころに傷はある。
屋根の縁には小さなへこみがあり、側面の金属板には細かな擦り傷も残っている。
だが、三百年以上前の機械にしては、あり得ないほど形を保っていた。
底面には、円形の金属板が四つ並んでいる。
中央には黒い箱のような構造物。
その周囲を、細い配線が走っていた。
アオイが作業艇の小さなパネルへ触れる。
――衛星保守補助艇一号機。
――主電源、低下。
――補助電源、残量二パーセント。
――反重力ユニット、封止状態。
――外部給電を要求。
「二パーセントって、ほぼ死んでるだろ」
「はい」
「外部給電」
アオイが康生を見る。
康生は顔をしかめた。
「俺を見るな」
「あなたの中核特異点炉から一時供給すれば、起動確認は可能です」
「絶対そう言うと思った」
「予測できていたなら説明効率が上がります」
「嫌な効率だな」
亮太が康生を見る。
「危ないのか」
「分からん」
康生はアオイを見た。
「危ない?」
「低出力の起動確認であれば、危険は限定的です」
「限定的」
「ただし、姿勢制御異常により格納庫内で浮上し、天井へ接触する可能性があります」
「天井にぶつかるって言え」
「天井にぶつかる可能性があります」
「それはそれで嫌だな」
千田が格納庫の天井を見る。
「ぶつかった場合は?」
「機体損傷、天井損傷、落下の可能性があります」
「全部嫌だ」
康生は作業艇を見た。
ここで起動確認をしなければ、これが本当に使えるのか分からない。
だが、起動確認をすれば、何かが起きるかもしれない。
旧文明の機械は、だいたいそうだ。
やらないと進まない。
やると面倒が起きる。
「…試すしかないか」
亮太が嫌そうな顔をする。
「ここで?」
「ここで」
「村長に見られないだけ、ここがましだ」
「それはそう」
作業艇の側面に、丸い接続口があった。
周囲に古い警告文字が残っている。
――高出力給電端子。
――認証外給電禁止。
――異常時、即時切断。
康生はその文字を見た。
「認証外給電禁止」
「はい」
「俺、認証されてるの?」
「されていません」
「駄目じゃねえか」
「ただし、再構成体識別による例外承認を取得可能です」
「例外ばっかりだな、俺」
「はい」
「否定してくれ」
アオイが端末へ触れる。
――外部給電要求。
――給電源識別。
――登録外。
――再構成体識別、暫定承認。
――中核特異点炉出力、制限付き接続。
――安全閾値、設定。
――異常時、強制切断。
「勝手に全部吸われるとかない?」
「ありません」
「本当に?」
「強制切断を設定しています」
「お前が切るの?」
「はい」
「信用していい?」
「はい」
康生は少し黙った。
信用するしかない。
そういう場面が、最近多すぎる。
「…分かった」
康生は右手を給電端子へ近づけた。
すると、作業艇の側面から細いアームが伸びてきた。
「うわ」
康生は反射的に引く。
「何これ」
「接続補助アームです」
「急に出るなよ」
「機体側の自動動作です」
細いアームの先端が、康生の手首近くで止まる。
冷たい金属が触れた。
痛みはない。
だが、自分の身体が機械に接続されている感覚は、かなり嫌だった。
「康生、出力を抑えてください。私は制御します」
「抑えるってどうやって」
「少しだけ電気を分けるつもりで」
「最初から分かりやすい」
康生は深く息を吐いた。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
そう思う。
手首に触れた接続アームが、淡く光った。
作業艇の中から、低い音がした。
ん、と眠っていた機械が息を吸ったような音。
操縦席の計器が一つ、また一つと点灯していく。
青。
緑。
白。
古い画面に文字が浮かぶ。
――外部給電、確認。
――補助電源、回復中。
――姿勢制御板、起動準備。
――反重力ユニット、封止解除準備。
――外部給電モードで起動します。
亮太が目を丸くした。
「本当に動いた」
「俺もびっくりしてる」
「びっくりしながら動かすな」
「俺は給電してるだけ!」
アオイが操縦席へ乗り込んだ。
自然な動きだった。
まるで、最初からそこに座ることを想定していたみたいに。
康生は嫌な顔をする。
「お前、操作できるのか」
「制御系は旧日本規格に近いです。解析可能です」
「免許は?」
「免許制度は失効しています」
「そういう問題じゃない」
「操作支援モードで起動します」
作業艇の底面から、低い振動が広がった。
円形の制御板が淡く光る。
床に積もった銀色の粉が、わずかに浮いた。
「え、浮いてる?」
亮太が一歩下がる。
千田と真衣も距離を取った。
作業艇の影が、床からわずかに離れる。
ほんの数センチ。
だが、確かに浮いた。
車輪のないトゥクトゥクが、床から浮いている。
康生は息を呑んだ。
「…浮いた」
「反重力ユニット、最低出力で安定」
アオイが操縦席から言う。
「浮いています」
「見れば分かる!」
亮太は口を開けたまま作業艇を見ていた。
「これが、空を飛ぶ船」
「船ではありません。小型長距離作業艇です」
「浮いてるなら、船でいいだろ」
「近似表現として許容します」
「許容された」
作業艇は、格納庫の中でふわりと揺れた。
康生の手首には、まだ接続アームがつながっている。
エネルギーが外へ流れている感覚がある。
痛くはない。
だが、少し気持ち悪い。
自分の中の何かを、機械に分けているような感じがする。
「康生、出力安定。構成体損耗、なし」
「それはよかった」
「心理的負荷は高めです」
「測るな」
「確認です」
その時、搬送路側から音がした。
ごん。
封じ込めた中型個体の音だった。
全員が振り返る。
ごん。
もう一度。
さっきより近い。
アオイが操縦席から顔を上げる。
「封じ込め箇所に負荷上昇」
「まずい?」
「このまま放置した場合、搬送路および格納区画の再利用リスクが上昇します」
「つまり?」
「駆除または恒久隔離を推奨します」
「作業艇見つけて終わりじゃないのかよ」
アオイは淡々と答える。
「施設全体の害獣駆除は未完了です。ただし、搬送路の対象は格納区画利用の障害です」
「そいつだけでも処理しとけってことか」
「はい」
康生は搬送路の方を見た。
あの奥に、さっき封じ込めた中型個体がいる。
金属をまとった虫のようなやつ。
施設の残骸を取り込んだクリーチャー。
このまま帰れば、次に来た時また同じ問題になる。
いや、悪化しているかもしれない。
康生は嫌な顔をした。
「ここ、俺とお前の始まりの場所なんだろ」
「はい」
「だったら、変な虫の巣にしたまま帰るのは嫌だ」
「了解しました。作業計画に未排除対象の駆除を追加します」
「勝手に仕事を増やすな」
「康生が要求しました」
「したけどさ」
亮太が測量杭を握り直す。
「俺は?」
「前に出るな」
「まだ何も言ってない」
「言いそうだった」
千田が槍を構える。
「私が足止めを」
「足止めも最小限でお願いします」
アオイが作業艇の表示を操作する。
「対象を搬送溝へ再誘導し、隔離区画へ落とします。その後、旧施設の駆除処理を起動します」
「駆除処理って何」
「高温蒸気、圧縮隔壁、酸化処理の複合です」
「聞かなきゃよかった」
「直接視認は不要です」
「それは助かる」
ごん。
搬送路で、さらに大きな音がした。
アオイが短く言う。
「封じ込め、三十秒以内に破断する可能性」
「急に時間制限!」
「作業艇を使います。音と振動で誘導します」
「初起動で害獣駆除?」
「緊急時運用です」
「便利な言葉だな、緊急時!」
アオイが操縦席のレバーに触れた。
作業艇が、ふわりと横へ滑る。
床を擦る音はない。
車輪もない。
タイヤのないトゥクトゥクが、格納庫の中を静かに動いた。
「動くのは分かったけど、俺、つながったままなんだが」
「給電継続が必要です」
「俺も一緒に動くってこと?」
「はい」
「先に言え!」
作業艇がゆっくり搬送路側へ向かう。
康生は接続アームにつながったまま、作業艇の横を歩かされる形になった。
「これ、散歩じゃねえか」
「外部給電歩行です」
「変な名前をつけるな」
搬送路の封じ込め箇所が、目の前で揺れた。
ごん。
隔壁が歪む。
次の瞬間、金属板の隙間から細い脚が突き出た。
「来た!」
真衣が弓を構える。
アオイが作業艇の底面制御板を一瞬だけ強く光らせた。
低い振動が搬送路に響く。
ぶん、と空気が鳴った。
中型個体の触角が、一斉に作業艇の方を向く。
「反応しました」
「寄せてどうする」
「搬送溝へ落とします」
作業艇が後ろへ滑る。
中型個体が隔壁を押し破り、搬送路へ這い出した。
黒い甲殻。
金属片をまとった胴体。
銀色の粉をかぶった脚。
相変わらず気持ち悪い。
「できれば見たくなかった」
康生は呟いた。
「康生、右側固定ピンを切断してください」
「また俺の指か」
「はい」
「分かったよ」
アオイが黄色い線を表示する。
搬送路脇の古い隔離板。
その固定ピンが淡く光った。
康生は接続アームにつながったまま右手を伸ばした。
「給電しながらプラズマって、大丈夫なのか」
「出力制限内です」
「本当に?」
「はい」
「そのはいが怖い」
指先に青白い光が灯る。
じゅ、と固定ピンが焼ける。
中型個体が作業艇へ向かって走る。
速い。
だが、作業艇は床から浮いたまま、すっと横へ滑った。
車輪がないから、方向転換が早い。
「うわ、動きが気持ち悪いくらい滑らか」
「姿勢制御板、正常」
「褒めてるわけじゃない!」
真衣の矢が飛び、中型個体の触角を一本切った。
千田が槍で前脚を払う。
中型個体の姿勢が崩れた。
その瞬間、康生の焼いた固定ピンが切れる。
隔離板が落ちた。
ごん、と重い音。
中型個体は横へ押され、搬送路脇の溝へ落ちた。
ぎちぎちと脚を暴れさせる。
「落ちた!」
「隔離処理を実行します」
アオイが作業艇から旧施設端末へ信号を送る。
――搬送溝、閉鎖。
――隔離区画、接続。
――害獣駆除処理、起動。
――点検補助対象は離れてください。
「離れろって!」
全員が後退する。
重い隔壁が落ちる。
搬送溝の奥で、低い蒸気音が響いた。
しゅう、と嫌な音。
それから、金属を叩く音が数度。
ごん。
ごん。
ごん。
最後に、静かになった。
康生は息を止めていたことに気づいた。
「…駆除完了?」
「対象反応、消失」
「つまり?」
「少なくとも、この搬送路には戻れません」
「そういう曖昧な勝利、多いな」
「安全確認を継続します」
康生は肩の力を抜きかけた。
その瞬間、施設のさらに奥で、ばきん、と金属が割れる音がした。
全員が固まる。
アオイが顔を上げる。
「別個体反応。接近中」
「まだいるのかよ!」
「施設全体の害獣駆除は未完了です」
「今日全部やるのは?」
「推奨しません」
「だよな!」
搬送路の奥で、何かが走る音がした。
一体ではない。
複数かもしれない。
康生は作業艇を見る。
アオイが言った。
「徒歩撤退より、作業艇による搬出口脱出を推奨します」
「初運転で脱出?」
「緊急時運用です」
「便利な言葉だな、緊急時!」
亮太が作業艇を見る。
「乗れるのか」
「標準定員は三名です」
「今、五人いるぞ」
「緊急搬出モードで短距離低速移動なら可能です」
「可能と推奨は違うやつだろ」
「はい」
「はいじゃない!」
千田が即座に判断した。
「徒歩よりはましです」
真衣も頷く。
「後ろに掴まれます」
亮太は康生を見た。
「乗るしかないな」
康生は顔をしかめた。
「これ、絶対あとで神格化するやつだろ」
「今は生きて帰る方が先です」
亮太の返しは正しかった。
正しすぎた。
「乗れ!」
康生は叫んだ。
アオイが操縦席。
康生は給電アームにつながったまま前の縁を掴む。
亮太、千田、真衣は後部の工具荷台に乗り込んだ。
というより、しがみついた。
「これ、乗り物の乗り方じゃないだろ!」
「緊急搬出モードです」
「便利すぎる!」
アオイが操縦席の端末へ触れる。
――格納庫搬出口、開放要求。
――電力不足。
――外部給電継続により開放可能。
――開放します。
格納庫の奥の大扉が、重い音を立てて開き始めた。
外の光が細く差し込む。
夕方の森の色だった。
背後から、搬送路を走る音が近づいてくる。
かさかさ。
がりがり。
金属を引っ掻く音。
「アオイ!」
「搬出口開放率、六十二パーセント」
「通れる?」
「機体幅、ぎりぎりです」
「ぎりぎりって言うな!」
作業艇が浮き上がる。
さっきより高い。
だが、まだ床から一メートルもない。
低空で、ゆっくり前へ滑り出す。
「頭下げて!」
真衣が叫ぶ。
全員が身を低くした。
搬出口の上部を、屋根の骨組みがかすめる。
ぎ、と嫌な音がした。
「当たった!?」
「軽微接触」
「当たってるじゃねえか!」
次の瞬間、作業艇は格納庫の外へ抜けた。
車輪はない。
エンジン音もない。
ただ、空気を押し分けるように、古い森の中へ浮かび出る。
康生は給電アームにつながれたまま、片手で縁を掴んでいた。
「…これ、脱出できてるのか?」
「はい」
「初運転で脱出って、おかしくない?」
「緊急時運用です」
「便利な言葉だな、本当に!」
背後で、旧施設の奥から金属を叩く音が響いた。
ごん。
ごん。
だが、その音は少しずつ遠ざかっていく。
作業艇は、夕方の森へ出た。
タイヤのないトゥクトゥクは、低い高度でふわりと滑りながら、旧施設の影を離れていった。




