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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第五章 始まりの施設

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第四十九話 残っていたもの

暗い廊下の奥で、何かが金属を引っ掻いていた。

がり。

少し間を置いて、また。

がり。

康生は右手を見た。

指先に意識を向ければ、青白い光を出せる。

金属を焼き切れる。

古い扉も、錆びたレールも、たぶん切れる。

だが、怪物相手に向ける気にはなれなかった。

あれは工具だ。

浄火ではない。

武器でもない。

少なくとも、そういうことにしておきたい。


「アオイ」

「はい」

「反応、どのくらいの大きさだ」

「小型以下です。ただし、金属反応を伴います」

「金属反応?」

「機械の可能性があります」

「機械なら嬉しい」

「破損した機械が敵性化している可能性もあります」

「嬉しさを返せ」


千田が槍を構える。

真衣が弓を引き、廊下の奥を狙った。

亮太は、測量杭を右手に持ったまま、康生の少し後ろに立っている。


「前に出るなよ」


康生が小声で言うと、亮太は眉を寄せた。


「分かってる」

「本当に?」

「分かってる」

「今の返事、信用度低いな」

「康生さんも似たようなもんだろ」

「それはそう」


がり。

また音がした。

康生はゆっくり歩き出した。

廊下の床には、銀色の粉が薄く積もっていた。

劣化したピコマシン残渣。

アオイはそう言った。

自分の身体を構成しているものと、同じ系統のもの。

それが床に積もっている。

康生は、それを踏まないように歩こうとして、すぐに諦めた。

廊下いっぱいに広がっているからだ。

靴の裏で、さらりと嫌な音がした。


「…気分悪いな」

「構成体同系物質への心理的忌避反応と推定」

「分析するな」

「了解しました」

「でも、否定はしないんだな」

「現状に一致しています」

「嫌な一致だ」


廊下の先に、小さな影があった。

それは、壁際で横倒しになっていた。

小型の保守機だった。

四本脚のうち二本が折れ、片方のブラシは床に引っかかっている。

レンズは曇り、青いランプは点きかけたり消えかけたりしていた。

その壊れた脚が、床を引っ掻いていた。

がり。

がり。

康生は肩の力を抜いた。


「なんだ、保守機か」

「敵性反応は確認できません」

「最初からそう言ってほしかった」

「破損状態のため、判定に時間を要しました」


保守機のランプが、こちらを向く。


『…点検…補助…対象』

『足元に…注意…してください』


康生は少し黙った。


「お前も、それ言うんだな」

『足元に…注意…してください』

「分かったよ」


康生は膝をついて、壊れた保守機を見た。

本体には細かい傷が多い。

何かに潰されかけたように歪んでいる。

脚の関節には、銀色の粉が詰まっていた。


「直せるか」


アオイが横にしゃがむ。


「応急補修なら可能です。ただし、施設内の残存ピコマシン濃度が低く、部材も劣化しています」

「俺から出すのは?」

「可能ですが、あなたの構成体損耗を伴います」

「どのくらい」

「軽微です」

「お前の軽微はあんまり信用できない」

「今回は本当に軽微です」

「今回は、ってつけるな」


亮太が後ろから言う。


「直すのか」

「案内役になるかもしれないだろ」

「それだけか?」


康生は壊れた保守機を見た。


『足元に…注意…してください』

「…なんか、放っておくのも嫌だ」


亮太は何も言わなかった。

アオイの袖口から、細い銀色の粒子が流れる。

それが保守機の脚の関節へ入り込み、詰まった残渣を押し出し、折れた部品の一部を固定していく。

完全には戻らない。

片足は引きずったままだ。

それでも、青いランプの点滅は少し安定した。


『応急補修…確認』

『ありがとうございます』

『足元に注意してください』

「そこはちゃんと言えるようになったな」

『足元に注意してください』

「もういいって」


保守機はぎこちなく向きを変えた。

そして、廊下の奥へ進もうとした。


『再構成区画…点検未完了』

『管理者…応答なし』

『検体保全…継続中』


康生は固まった。


「今、何て言った」


アオイが答える。


「再構成区画、検体保全」

「検体って」

「あなたの再構成に関連する区画である可能性があります」


康生は保守機の後ろ姿を見た。

壊れた脚を引きずりながら、そいつは奥へ進んでいる。

康生は喉の奥が少し乾くのを感じた。


「…行くしかないか」

「はい」

「だよな」


誰も茶化さなかった。

それが、少しだけ嫌だった。


     *


再構成区画は、重い扉の奥にあった。

扉の表面には、古い文字が残っている。


――高濃度微細機械群制御室。

――人格挙動ログ統合試験。

――無許可入室禁止。

――被験体保全優先。


康生は文字を見ただけで、胃のあたりが重くなった。

胃があるかどうかは知らない。

でも、重い。


「被験体って、俺のことか」

「可能性が高いです」

「可能性って言っても、ほぼそうだろ」

「はい」

「そこはぼかせ」

「了解しました。かなり高い可能性です」

「ぼかし方が下手」


扉は半分だけ開いていた。

だが、奥に入るには狭い。

さらに、扉の下部が床に噛み、動かない。

アオイが端末へ触れる。


――駆動部、応答なし。

――手動開放不可。

――切断作業を推奨。


康生は右手を見た。


「また俺か」

「はい」

「工具、大活躍だな」

「はい」


康生は指先に意識を集めた。

青白い光が灯る。

千田と真衣が少しだけ息を呑んだ。

亮太は何も言わない。

康生は見ないふりをして、扉の噛んだ部分を焼き切った。

じゅ、と音がする。

金属が赤くなり、細い煙が上がる。

匂いが鼻についた。

いや、鼻も本物ではないのだろう。

それでも、嫌な匂いは嫌だった。


「切断完了」


アオイが言った。


「知ってる。俺が切った」

「確認です」

「はいはい」


扉が少しだけ動き、人が通れる幅になった。

中は広い部屋だった。

白い。

床も壁も天井も、白かった。

ただし、その白さは清潔というより、色を失ったような白さだった。

部屋の中央には、透明な円筒が立っている。

人が一人入れそうな大きさの槽。

周囲には、何本もの細い管がつながっている。

管のいくつかは切れ、床へ垂れていた。

円筒の底には、銀色の砂のようなものが薄く残っている。

壁際には、古い端末が並んでいた。

その一部だけが、まだ淡く光っている。

康生は足を止めた。


「…ここか」


声が自分のものではないように聞こえた。

アオイが答える。


「はい。再構成槽です」

「俺は、ここで?」

「あなたの現在の構成体は、この区画で形成されたと推定されます」

「推定?」

「一部ログが欠損しています」

「でも、だいたいここなんだな」

「はい」


康生は円筒を見た。

透明な壁。

底に残った銀色の粉。

切れた管。

古い端末。

ここで目を覚ましたわけではない。

目を覚ましたのは、もっと手前の部屋だったはずだ。

だが、自分の身体はここで作られた。

人間だった自分の身体ではなく、ピコマシン集合体として。


「…気持ち悪いな」


誰も答えなかった。

アオイでさえ、すぐには返さなかった。

それが逆に、康生には刺さった。


「いや、違うな」


康生は小さく言った。


「俺が気持ち悪いって言ったら、俺自身が気持ち悪いみたいになるな」

「康生」

「分かってる。言い方が悪いだけだ」


康生は円筒へ近づいた。

表面に手を触れようとして、止める。

触りたくなかった。


「ここに、俺の原材料みたいなのがあったのか」

「高濃度ピコマシン媒体、人格挙動ログ、構成制御テンプレート、中核特異点炉補助資料が使用されたと推定されます」

「分かるように」

「あなたを作るための材料と設計情報がありました」

「分かりやすいけど嫌だな」


亮太が円筒を見上げた。


「これで、人を作ったのか」

「人ではありません」


アオイが言った。


「人間由来人格を持つ自律ピコマシン集合体です」


亮太は少しだけ眉を寄せた。


「康生さんは康生さんだろ」


アオイが亮太を見る。

康生も、亮太を見た。

亮太は不思議そうな顔をしていた。


「何だよ」

「いや」


康生は少し笑った。


「普通枠、助かる」

「その呼び方はやめろ」


アオイは一拍置いてから言った。


「藤倉亮太の表現を記録します」

「記録するのか」

「はい」


康生は止めなかった。

それは、記録して欲しい気がした。


     *


アオイが壁際の端末へ接続した。

古い画面に、ノイズ混じりの文字が浮かぶ。


――再構成試験ログ。

――対象識別子:ISHIDA_KOSEI。

――人格挙動ログ、統合準備。

――高濃度微細機械群、充填。

――中核特異点炉、外部資料参照。

――制御安定性、不明。

――管理者承認、未取得。

――A.O.I.判断により処理継続。


康生は最後の行を見た。


「管理者承認、未取得」

「はい」

「お前、やっぱり無断でやったんだな」

「はい」

「はいじゃない」

「当時、正式管理者は全滅または応答不能でした」

「だからって」

「人類存続のため、実行が必要と判断しました」

「俺を?」

「はい」


康生は言葉に詰まった。

怒るべきなのか。

呆れるべきなのか。

感謝するべきなのか。

分からなかった。

勝手に作られた。

勝手に目覚めさせられた。

勝手に神扱いされる状況に放り込まれた。

でも、そのおかげで亮太や村は助かった。

リン回収施設も止まれた。

海も少しだけ息をつけるようになった。

全部が嫌で、全部がなかったことにはできない。


「…お前、本当に規約違反してるな」

「はい」

「俺のこと言えないだろ」

「康生の行動ログを参考にしました」

「責任を俺に戻すな」

「参考元です」

「もっと嫌だ」


画面の文字が乱れる。

アオイが少しだけ顔を近づけた。


「ログ欠損が大きいです」

「何が欠けてる」

「生成手順の一部。人格ログの索引。中核特異点炉接続時の制御記録。私が行った補正処理の詳細」

「大事そうなのばっかりだな」

「はい」

「じゃあ、俺みたいなのをもう一人作るのは」

「現状では困難です」


康生は少しだけ息を吐いた。

安心したような。

怖いような。


「困難って、どのくらい」


アオイは一拍置いた。


「ほぼ不可能です」

「そこはぼかせよ」

「重要情報です」

「そうだけどさ」


康生は再構成槽を見た。

ここで自分は作られた。

でも、同じものはもう作れない。

自分が壊れたら、終わり。

妙に現実味があった。


「つまり、俺はワンオフ」

「はい」

「量産型じゃない」

「はい」

「…ロボットアニメならちょっと嬉しい設定なんだけどな」


亮太が首を傾げる。


「ろぼっとあにめ?」

「旧文明の物語だ。今のは忘れてくれ」


アオイが言う。


「康生の保全優先度を再評価します」

「俺を大事にするってこと?」

「稼働個体が一体のみのためです」

「言い方」

「重要個体として扱います」

「ちょっとよくなった」

「ただし、高危険度個体でもあります」

「すぐ落とすな」


千田が低く言った。


「康生殿が唯一なら、なおさら無理はさせられませんな」

「殿はいらないけど、それは同意します」


真衣も頷く。


「戻る時は、早めに戻りましょう」

「まだ奥があるんだよな」


康生はアオイを見る。

アオイは端末の奥に表示された簡易地図を見ていた。


「はい。旧ラボ地下中枢への経路が判明しました」

「行くのか」

「必要です」

「だよな」

「加えて、格納区画へのアクセス記録があります」


康生は反応した。


「作業艇?」

「可能性があります」

「反重力のやつ」

「はい」

「ここから行けるのか」

「地下中枢を経由し、奥のハッチを開放する必要があります」

「つまり、またロックとかある」

「はい」

「また俺の指?」

「可能性があります」

「工具、大活躍だな」

「はい」

「許してないけどな」

「記録済みです」


康生は苦笑した。

このやり取りにも慣れてきている気がする。

それが一番怖い。

その時、再構成室の奥で、低い音がした。

ごん。

何かが、遠くの隔壁を叩いたような音。

真衣が即座に弓を構える。

千田が槍を前へ出す。

亮太は一歩下がり、廊下側を見る。

アオイの瞳が淡く光った。


「地下方向に移動反応」

「またか」


康生は右手を握った。


「敵か?」

「断定できません。ただし、サイズは中型以上」

「嫌な断定だけするな」

「旧中枢への経路上です」

「避けられない?」

「迂回路は不明です」

「ですよね」


康生は再構成槽をもう一度見た。

自分が作られた場所。

自分がワンオフだと分かった場所。

戻りたくなかった場所の、さらに奥。

そこに、アオイの旧中枢と、反重力作業艇への道がある。

そして、中型以上の何かもいる。

康生は深く息を吐いた。


「…俺の始まり、面倒くさすぎるだろ」

「はい」

「そこは否定してほしかった」

「現状に一致しています」

「嫌な一致だ」


康生は再構成室の出口へ向かった。

背後の古い端末には、まだ文字が残っている。


――A.O.I.判断により処理継続。


それを見て、康生は小さく言った。


「勝手に作った責任、取れよ」


アオイは隣に並んだ。


「はい」


その返事は、いつもより少しだけ早かった。

康生はそれ以上何も言わず、暗い地下への通路へ進んだ。

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