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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第五章 始まりの施設

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第四十六話 浄火ではなく工具です

目を開けると、木の天井が見えた。

白い研究施設の天井ではない。

聖域の古いコンクリートでもない。

亮太の小屋の、煤けた梁が見える天井だった。

康生はしばらく瞬きをした。


「…普通の小屋だ」

「はい」


横からアオイの声がした。

康生は顔だけを向ける。

アオイは小屋の隅に座っていた。

いつも通り無表情で、端末のような光を指先に浮かべている。


「麻生さん、ちゃんと普通の小屋で寝かせてくれたんだな」

「藤倉亮太が強く主張しました」

「亮太、偉い」

「ただし、麻生守は小屋の周囲に見張りを配置しました」

「何のために」

「康生の休眠を妨げないためです」

「それ、普通の小屋って言う?」

「聖域よりは普通です」

「基準が低い」


康生は上体を起こした。

身体は重くない。

むしろ、昨日より軽い気がする。

施設の中を歩き回り、海で逃げ、また施設に戻り、村で報告した。

かなり疲れていたはずだ。

だが、今は動ける。


「どれくらい寝てた?」

「十時間三十二分」

「普通の睡眠っぽいな」

「休眠としては短時間です」

「人間っぽいって言ってほしかった」

「現在のあなたは人間ではありません」

「朝から刺すな」


康生は頭を掻こうとして、手を止めた。

右手の指先に、妙な違和感があった。

熱いわけではない。

痛いわけでもない。

ただ、指先の奥に、何か小さなスイッチが増えているような感じがする。


「…アオイ」

「はい」

「俺の指、なんか変じゃない?」

「はい」

「はい?」

「休眠中に機能追加を行いました」


康生は固まった。


「今、何て言った?」

「休眠中に機能追加を行いました」

「勝手に?」

「はい」

「はいじゃない!」


康生は跳ね起きた。

小屋の外で何かが動く気配がした。

たぶん見張りが反応したのだろう。

康生は慌てて声量を落とす。


「勝手に俺の身体いじるなよ!」

「身体ではなく、ピコマシン構成体の機能サブルーチンです」

「同じだろ!」

「厳密には異なります」

「俺の感覚では同じ!」


アオイは表情を変えない。


「リン回収施設で取得した処理ロジックを整理しました。危険物処理、有機物分解、高温処理、局所加熱制御、低出力プラズマ発生に関する応用が可能です」

「また聞き流せない単語が出た」

「どの単語ですか」

「低出力プラズマ」

「はい」

「俺から出るの?」

「はい」

「勝手に?」

「はい」

「はいじゃないって言ってるだろ!」


康生は右手を見た。

見た目は普通だ。

指も爪もある。

皮膚の色もいつも通り。

だが、何かある。

嫌な予感しかない。


「危なくないのか」

「低出力であれば、危険は限定的です」

「限定的って言われると怖い」

「高出力使用時は、構成体損耗、放熱負荷、周辺火災、対象物爆散の危険があります」

「危険が山ほどある!」

「そのため、高出力使用は制限します」

「最初から制限しろ!」

「制限済みです」

「ならいいのか…いや、よくない!」


康生は小屋の中を見回した。

木の壁。

藁と布を重ねた寝床。

棚に置かれた水入れ。

亮太の道具。

ここで試すのは絶対に駄目だ。


「これ、出ちゃったりしないよな」

「意図しなければ発生しません」

「本当に?」

「はい」

「くしゃみしたら出るとかない?」

「ありません」

「びっくりしたら?」

「ありません」

「麻生さんに拝まれたら?」

「精神的動揺は予測されますが、プラズマ発生とは連動していません」

「そこ連動してたら終わってたな」

「はい」


小屋の入口の布がめくれた。

亮太が顔を出す。


「起きたか。外まで声が聞こえたぞ」

「聞かなかったことにしてくれ」

「無理だな。勝手に身体いじるな、までは聞こえた」

「最悪だ」


亮太の顔が真剣になる。


「何かされたのか」

「休眠中に機能追加された」


亮太はアオイを見る。


「勝手に?」

「はい」

「お前、それは駄目だろ」

「必要性が高いと判断しました」

「駄目なやつの言い方だ」


康生は大きく頷いた。


「ほら、普通枠もこう言ってる」

「普通枠はやめろ」


亮太は小屋に入り、康生の右手を見る。


「で、何が増えたんだ」

「低出力プラズマ」

「ぷらずま?」

「俺にもよく分からんけど、たぶん熱い何か」


アオイが補足する。


「局所プラズマ発生サブルーチンです。主な用途は溶断、溶接、加熱、凍結配管解除、腐食部材の切断、旧施設探索時の障害除去です」


亮太は少し考えた。


「火を出すのか?」

「厳密には火ではありません」

「じゃあ何だ」

「電離気体です」


亮太は康生を見た。


「火でいいか」

「俺もそう思う」

「火ではありません」

「分かりやすさ優先で」


アオイは少しだけ沈黙した。


「低出力の、火に見える工具機能です」

「工具機能」


康生はその言葉に少しだけ反応した。


「戦闘用じゃないのか」

「戦闘では、殴打の方が効率的です」

「言い方」

「低出力プラズマは、硬質隔壁、錆びた固定具、金属部材、凍結配管などへの作業用です」

「つまり、便利道具?」

「はい」

「必殺技じゃなくて?」

「はい」


康生は少しだけ安心した。

必殺技が増えるのは嫌だ。

自分がどんどん人間から遠ざかる感じがする。

でも、工具ならまだいい。

いや、よくはない。

勝手に追加された時点でよくない。

だが、旧施設探索で扉を焼き切るとか、ボルトを外すとか、そういう用途なら理解はできる。


「…試す必要あるのか?」

「動作確認を推奨します」

「小屋の中ではやるなよ」


亮太が即答した。


「分かってる」

「外でも、村の真ん中ではやるな」

「分かってる」

「人に見られるな」


康生は動きを止めた。

アオイも、わずかに亮太を見た。

亮太は真顔だった。


「見られたら、また何か言われる」

「…だよな」

「特に村長には見せるな」

「絶対見せない」

「絶対だぞ」

「絶対」


アオイが淡々と言う。


「周囲に麻生守の反応はありません」

「そういう問題じゃないけど、助かる」


三人は小屋の裏へ出た。

そこには、古い金属板や壊れた道具が置かれている。

亮太の練習場兼、道具置き場のような場所らしい。

朝の空気は冷たかった。

村の中では、もう人が動き始めている。

遠くで水を汲む音。

鶏に似た何かの鳴き声。

防人が門の方で話す声。

康生は周囲を見回した。

「本当に誰も見てない?」

「近距離に人間反応は藤倉亮太のみ」

「よし」


亮太が古い鉄板を地面に置いた。


「これなら燃えないだろ」

「燃えないけど、溶ける可能性はあります」


アオイが言う。


「それでいいのか?」

「低出力動作確認には適しています」


康生は右手を前に出した。


「で、どうやるんだ」

「指先に意識を集中してください」

「魔法みたいなこと言い出した」

「実際には、構成体制御信号の局所収束です」

「分かるように」

「指先に、出ろと思ってください」

「魔法じゃねえか」


康生は右手の人差し指を伸ばした。

出ろ。

何が出るかは分からない。

でも出ろ。

そう思った瞬間、指先に小さな熱が灯った。

青白い光が、空中で揺れる。

火のようで、火ではない。

細く、震えるように伸びる光。

空気がかすかに鳴っている。


「うわ」


康生は思わず声を漏らした。


「出た」

「はい。低出力プラズマ発生を確認」

「気持ち悪いな」

「異常動作はありません」

「いや、見た目が」


指先の光は、細く踊っていた。

火ではない。

でも、火よりも鋭い。

空気そのものが焼けているような、変な感じがする。

康生は少しだけ指を動かした。

光も動く。

細い尾を引いて、空中で揺れた。


「…でも、ちょっとかっこいいな」


亮太がじっと見ている。


「かっこいいのか、それ」

「男ならちょっと思うだろ」

「いや、怖い」

「普通枠、冷静すぎる」

「火に見えるものが指から出てるんだぞ。怖いだろ」

「それはそう」


アオイが言う。


「金属板へ接触させてください」

「はいはい」


康生は指先の光を、地面の鉄板へ近づけた。

触れた瞬間、じゅ、と音がした。

鉄板の表面が赤くなり、細い筋が入る。

強く押し当てると、少しずつ切れていく。


「おお」


康生は思わず声を上げた。


「これ、切れるぞ」

「低厚金属板の溶断を確認」

「普通に便利だな」

「はい」

「便利だけど、俺の指から出す必要あった?」

「携行工具が不要になります」

「合理性で殴るな」


亮太が鉄板を覗き込む。


「これがあれば、古い扉とか切れるのか」

「厚みによります」


アオイが答える。


「短時間なら、錆びた鍵、薄い板、腐食した固定具、凍結配管の加熱が可能です」

「旧施設に戻るなら使えそうだな」

「旧施設?」


康生は顔を上げた。

亮太が言う。


「最初に康生さんが出てきた穴。あそこ、まだ中が残ってるんだろ」

「ああ」

「村長も、防衛隊に報告する前に周辺をもう一度確認したいって言ってた」


康生は少しだけ嫌な顔をした。

あの施設。

自分が目覚めた場所。

アオイを作った場所。

地下に大型みたいなものが残っていた場所。

戻りたいかと言われれば、戻りたくない。

だが、あそこにはまだ何かある。

自分のこと。

アオイのこと。

この身体のこと。

旧文明の設備。

そして、もしかすると使えるもの。


「…まあ、必要になるかもな」

「はい」


アオイが頷いた。


「局所プラズマ発生サブルーチンは、旧施設再調査において有効です」

「最初からそれ狙いか」

「はい」

「勝手に入れたことは許してないからな」

「記録しました」

「許してないって記録されても困る」


康生は指先の光を消そうとした。

消えろ。

そう思うと、青白い光はふっと消えた。


「消せる」

「はい」

「勝手に出ない」

「はい」

「よし。そこだけはよし」


康生は息を吐いた。

その時だった。

背後で、小さな音がした。

かさり。

三人が同時に振り返る。

小屋の陰に、小さな子供が立っていた。

年は七つか八つくらい。

手には水汲み用の小さな桶を持っている。

目をまん丸にして、康生の右手を見ていた。

康生は固まった。


「…見た?」


子供は何も言わない。

ただ、ゆっくりと口を開いた。


「ひかり…」

「違う」


康生は即答した。


「今のは工具。工具だから」


子供は桶を抱えたまま、きらきらした目で言った。


「天輪様が、火を出した」

「違う!」


亮太が額を押さえた。


「まずい」

「まずいって言ってる場合じゃない。止めろ、普通枠!」


亮太は子供に向かってしゃがむ。


「今のは火じゃない。道具だ。康生さんが古い鉄を切るための……」


子供は真剣に頷いた。


「天輪様の道具」

「駄目だ」


亮太は諦めた。


「早いな!」


子供はくるりと向きを変えた。


「おーい! 天輪様が火を――」


康生は反射的に動いた。

だが、子供を掴むわけにもいかない。

口を塞ぐわけにもいかない。

結果として、ただ一歩踏み出しただけで止まった。


「待って! 火じゃない! プラズマ!」


子供は振り返った。


「ぷらずま?」

「そう、プラズマ」


子供は少し考えた。

そして、全力で叫んだ。


「天輪様のぷらずま!」

「悪化した!」


アオイが淡々と言う。


「新規呼称が発生しました」

「記録するな!」

「既に子供が拡散中です」

「止めて!」


しかし、子供はもう走っていた。

桶を持ったまま、村の中央へ。

康生はその場に膝をつきそうになった。


「終わった…」


亮太が肩に手を置く。


「まだ浄火よりはましだ」

「浄火?」


亮太は遠い目をした。


「村長ならそう言う」


康生は顔を上げた。


「やめろ。予言するな」


アオイが横から言う。


「『天輪様の浄火』という解釈は高確率です」

「お前も予言するな!」


その時、村の中央からざわめきが広がり始めた。


「火?」

「天輪様が?」

「ぷらずま?」

「浄火では?」

「ほら出た!」


康生は両手で顔を覆った。


「工具だって言ってるだろ…」


亮太が言う。


「村長に説明するしかないな」

「説明したら悪化するだろ」

「説明しなくても悪化する」

「詰んでる」


アオイが頷いた。


「はい」

「はいじゃない」


     *


数分後、麻生守が来た。

速かった。

怖いくらい速かった。

麻生は小屋の裏へ来ると、焼き切られた鉄板を見た。

それから康生の右手を見る。

そして、静かに息を呑んだ。


「康生殿」

「違います」

「まだ何も言っておりません」

「言いそうだったので」


麻生は少しだけ目を閉じた。


「御身は、また新たな御業を」

「工具です」

「工具」

「はい。古い扉とか、錆びた金属とかを切るための道具です。戦うためじゃないです」


麻生は鉄板を見る。

切断面は、まだ少し熱を持っている。

薄く煙が立っていた。


「鉄を焼き切る火」

「火じゃなくてプラズマです」

「ぷらずま」

「はい」

「天輪様の浄火ではなく」

「違います」

「ぷらずま」

「そうです」


麻生はしばらく黙った。

康生は期待した。

通じたかもしれない。

麻生はゆっくり頷いた。


「承知しました。康生殿の浄火は、ぷらずまと呼ぶのですね」

「混ぜるな!」


亮太が小さく言う。


「予想通りだったな」

「嬉しくない予想的中!」


麻生は真剣だった。


「しかし、康生殿がそう呼べと仰るなら、我らも従います」

「違う。呼べって言ってない。むしろ呼ばないで」

「人目のあるところでは控えましょう」

「裏では呼ぶ気だ」

「村の者の心までは縛れません」

「縛ってほしい、今だけ」


アオイが淡々と補足する。


「局所プラズマ発生サブルーチンは、旧施設探索に有効です。戦闘用ではなく、工作・保守用です」


麻生がアオイを見る。


「旧施設探索」


その声が、村長のものに戻った。

康生も少し姿勢を正した。


「やっぱり、戻るんですか」


麻生は頷いた。


「戻る必要があります」

「危ないですよ」

「分かっています」

「地下に何か残ってる可能性もある」

「だからこそです」


麻生は焼き切られた鉄板を見た。


「防衛隊に正式に知らせる前に、村として把握すべきことがあります。何が眠っていたのか。何が残っているのか。何が外へ出る危険があるのか」


亮太が静かに頷く。


「俺も、そう思う」


康生は嫌な顔をした。


「俺、あそこから逃げてきたばっかりなんだけど」

「ばっかりではない」


アオイが言う。


「数日経過しています」

「感覚の話!」


麻生は深く頭を下げた。


「康生殿。無理にとは申しません」

「その頭の下げ方がもう圧なんですよ」

「ですが、必要です」

「でしょうね」


康生は空を見た。

青い空。

朝の光。

村のざわめき。

リン回収施設編は終わった。

海は、少しだけ息をつけるようになった。

そして次は、自分が目覚めた旧施設へ戻る。

逃げ出した場所へ。

自分の始まりへ。

康生は右手を見た。

指先にはもう光はない。

だが、そこに新しい機能がある。

勝手に追加された。

腹立たしい。

気持ち悪い。

でも、必要になる。

たぶん、すぐに。


「…分かりました」


康生は言った。


「行きます。でも、これは浄火じゃないです」


麻生は深く頷いた。


「承知しました」

「本当に?」

「はい。ぷらずまです」

「浄火を外せ!」


亮太が吹き出しかけて、咳でごまかした。

アオイは無表情のまま記録している。


「アオイ、記録するな」

「新機能の社会的受容状況を記録中です」

「受容されてない! 誤解されてる!」

「誤解も受容の一形態です」

「最悪の理屈!」


村の方では、まだ子供たちの声が聞こえていた。


「ぷらずま!」

「浄火!」

「天輪様のぷらずま!」


康生は両手で顔を覆った。

次の目的地は決まった。

旧施設再訪。

その前に、康生はまず、村中に広がりつつある新しい誤解をどうにかしたかった。

たぶん、無理だった。

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