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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第四章 痩せた海

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第四十話 できるだけ正式っぽく

赤い警告灯が、解析室の白い壁を染めていた。


――中和槽圧力変動。

――隔壁負荷、危険域。

――酸性処理液区画、異物反応。

――害獣駆除処理、管理者判断待機中。


康生は画面を見つめたまま、しばらく黙った。

管理者判断待機中。

嫌な言葉だった。

この施設に管理者はいない。

いない相手の判断を待つということは、要するに何もしないということだ。

何もしないまま隔壁の向こうで何かが暴れ、酸性処理液とやらが漏れ、サンプル解析区画が閉鎖される。

そうなれば、リン回収目標の再評価も止まる。

施設はまた「環境保守目標、達成中」と言いながら、水をきれいにし続ける。


「…駄目だな」

「はい」

「これ、放置したら詰むやつだ」

「はい」

「でも危険物には触らない」

「はい」

「アオイも食うなよ」

「酸性処理液および反応性濃縮物は、素材としての利用優先度が低いです」

「その答え、ほんと嫌い」


康生は深く息を吐いた。

解析室の隅で、保守機が青いランプを点滅させている。

さっきまで案内していた綺麗な機体だ。

声も明るい。

だから余計に怖い。


『点検補助対象は、危険物に触れないでください』

『危険物区画への接近は非推奨です』

『しかし、異物反応の解消が必要です』

『管理者判断待機中です』


「お前、言ってること矛盾してる自覚ある?」

『管理者判断待機中です』

「ないな」


アオイが端末に手を置いた。


「危険物区画への直接侵入は推奨しません」

「俺も推奨しない」

「遠隔作業系統を検索します」

「あるのか」

「通常、この種の区画には保守用の遠隔作業アーム、排液遮断弁、緊急希釈ライン、中和槽隔離シャッターが存在します」

「名前だけで怖い」

「危険物を人が直接扱わないための設備です」

「それは偉い」

「ただし、経年劣化しています」

「そんなに偉くなかった」


アオイの前に、施設図が浮かぶ。

赤く点滅している危険物区画。

その周囲に、いくつもの細い経路が伸びていた。

遠隔操作室。

観測窓。

保守アーム室。

緊急排出ライン。

隔離制御盤。


「これ、遠隔操作室から何とかできる?」

「可能性があります」

「管理者権限は?」

「必要です」

「またか」

「ただし」

「ただし?」

「危険物漏出予兆がある場合、管理者不在時の緊急封じ込め操作は、点検補助対象にも限定開放されます」

「おお」

「ただし、封じ込めのみです。駆除、殺傷、処理液濃度変更は不可」

「十分だろ。閉じ込めて終わりにできるなら」

「異物反応が隔壁を破壊する場合、封じ込めだけでは不十分です」

「つまり?」

「動きを止める必要があります」

「結局駆除じゃねえか」


アオイは首を横に振った。


「駆除ではなく、区画内異物の移動抑制です」

「言い方を変えただけでは」

「正式っぽくなります」

「採用」


康生は端末へ向き直った。


「じゃあ、危険物漏出予兆に伴う緊急封じ込め操作。目的は区画内異物の移動抑制。殺傷じゃなくて隔離。これで通るか」

「試行します」


アオイが申請文を作成する。


「酸性処理液区画にて異物反応および隔壁負荷上昇を確認。危険物漏出予兆あり。点検補助対象は、危険物に接触せず、遠隔作業系統を用いた区画内異物の移動抑制および漏出防止を申請します」


端末が沈黙した。

赤い警告灯。

ポンプ音。

遠くで鳴る、低い隔壁の音。

ごん。

康生は肩を跳ねさせた。


「急げよ、旧文明」

「処理中です」


画面に文字が流れる。


――申請内容、受理。

――管理者認証、確認不能。

――危険物漏出予兆、該当。

――遠隔封じ込め操作、限定開放。

――殺傷処理、不可。

――処理液濃度変更、不可。

――隔壁操作、保守アーム操作、観測系統、限定許可。


康生は小さく拳を握った。


「通った」

「はい」

「正式っぽく通った」

「はい」

「俺、だんだんこの世界で申請上手くなってない?」

「規約違反者の経験が活用されています」

「褒め方が悪い」


解析室の奥の扉が開いた。

青い誘導灯が、赤い警告灯に混じって点く。


『遠隔封じ込め操作室へ案内します』

『危険物に触れないでください』

『走らないでください』

『転倒に注意してください』


「この状況で走るなって言う?」

「安全規定です」

「安全規定、空気読めねえ」


     *


遠隔封じ込め操作室は、危険物区画の隣にあった。

厚い壁。

分厚い観測窓。

古い操作卓。

何本ものレバー。

割れたモニター。

天井には、まだ生きている小さなカメラがいくつも並んでいる。

観測窓の向こう側は、薄い黄色の照明に照らされていた。

そこに、中和槽があった。

大きな円筒形の槽。

周囲を配管が囲み、上部から太い腕のような装置が何本も伸びている。

槽の中には、濁った液体が半分ほど溜まっていた。

どろりとしている。

泡立っている。

ときどき、白い蒸気のようなものが上がる。

康生は思わず一歩下がった。


「見ただけで嫌だ」

「接触は非推奨です」

「言われなくても絶対触らない」


その槽の縁に、何かがいた。

白い。

細長い。

先ほどの中型個体とは違う。

もっと平べったく、湿った外殻を持っている。

脚は短いが、多い。

槽の壁面に張りつき、細い口のような器官を配管の隙間へ差し込んでいる。

さらに、もう一体。

槽の下部、配管の陰にいる。


「二体か?」

「最低二体」

「最低って言うな」

「熱源反応が複数あります」

「増えるなよ…」


画面に警告が出る。


――異物反応、三。

――中和槽壁面、損傷。

――隔壁負荷、上昇。

――処理液漏出リスク、増加。


「三体だった」

「はい」

「増えたというより見えてなかっただけ?」

「はい」

「それでも嫌だ」


保守機が操作室の隅で音声を流す。


『遠隔封じ込め操作を開始してください』

『危険物に触れないでください』

『操作不明時は管理者へ連絡してください』


「管理者いないって」

『操作不明時は管理者へ連絡してください』

「いないんだってば」


康生は操作卓を見た。

ボタンが多い。

古い。

一部は読めない。

何かを押すと、何かが動くのだろう。

その何かが、危険物区画の中で。


「触りたくない」

「遠隔操作です」

「だからこそ怖いんだよ。間違えたら何が起きるか分からないだろ」

「そのための支援端末です」

「頼むぞ、支援端末」


アオイの瞳が光る。

操作卓の表示が、康生の視界に重なる。


ARM_A

ARM_B

SPRAY_NEUTRAL

DRAIN_LOCK

BARRIER_SLIDE

PRESSURE_RELEASE


康生はすぐに眉をひそめた。


「なんか不穏な英字になった」

「あなたの理解しやすい表示へ置換しました」

「黒歴史UIよりはマシだけど、やっぱり怖い」

「今回は不正補助アプリ由来ではありません」

「それはよかった」


観測窓の向こうで、異物の一体が動いた。

配管に口を差し込んでいる。

ぎち、と音がした。

モニターの警告が増える。


――排圧配管、損傷率上昇。

――圧力変動、危険域接近。


「アオイ、あれ止めたい」

「はい」

「どうする」

「遠隔アームで引き剥がし、隔離シャッター側へ誘導します」

「殺さないで?」

「移動抑制です」

「正式っぽい」

「はい」


康生は操作卓に手を置いた。


「まずアーム」

「右手側のレバーです」

「これ?」

「それは圧力開放です」

「怖っ」

「左です」

「最初から左って言え」


左のレバーを掴む。

重い。

だが動く。

観測窓の向こうで、天井から伸びたアームがぎこちなく動いた。

三百年物の動きだ。

滑らかではない。

関節がひっかかるように、少しずつ進む。


「遅いな」

「安全運転です」

「またか」

「危険物区画では妥当です」

「今回は分かる」


アームの先端が、異物の近くへ伸びる。

掴む。

…はずだった。

異物が、ぬるりと動いて避けた。


「避けた!」

「視覚または振動反応あり」

「賢い害獣、嫌いだよ!」

「処理負荷が高い対象です」

「それ前にも聞いた!」


異物は配管から離れ、槽の壁を這った。

湿った外殻が光る。

短い脚が、気持ち悪いほど静かに動く。

康生はアームを追わせようとする。

だが、操作が難しい。

右へ動かしたつもりが、少し上へ行く。

掴もうとすると、アームが遅れて閉じる。


「ゲームのラグみたいで嫌だな!」

「遠隔制御遅延があります」

「先に言え!」

「今、確認しました」

「なら許す!」


異物が床へ落ちる。

そのまま、操作室側の隔壁へ向かってきた。

康生は観測窓越しに、その動きを見た。

近い。

壁を隔てているとはいえ、近い。


「こっち来てない?」

「はい」

「この壁、大丈夫?」

「現時点では」

「現時点を外せ!」

「長期的には損傷リスクがあります」

「外せてない!」


アオイが別の表示を指差した。


「噴霧系統を使用してください」

「何を噴くの」

「中和用の安全霧です。危険物そのものではありません」

「安全?」

「人間が吸入することは非推奨」

「安全って何だろうな」


康生はボタンを見る。


SPRAY_NEUTRAL


「これ?」

「はい」

「押すぞ」

「はい」


観測窓の向こうで、天井ノズルから白い霧が噴き出した。

異物の進路を覆う。

異物が大きく身をよじった。


「効いてる?」

「表面反応あり。移動速度低下」

「よし」


だが、別の一体が槽の下から出てきた。

そいつは霧を避けるように、配管の裏を這う。

そして、排水ラインへ向かった。


「二体目、排液ラインへ移動」

「そっち行かれると?」

「詰まり、漏出、汚染拡大の可能性」

「駄目じゃん」


康生は二本目のアームを動かす。

今度は少し慣れた。

遅れを見越して、早めに動かす。

オンラインゲームのラグ読みと似ている。

相手の位置ではなく、少し先を狙う。


「…あ、これ」

「何ですか」

「昔、ラグい海外サーバーで対人してた時の感じだ」

「規約違反記録に類似の操作ログがあります」

「掘り返すな!」


康生はアームを先回りさせた。

二体目が配管の陰から出た瞬間、アームを閉じる。

掴んだ。


「取った!」

「捕捉確認」

「よし!」


だが、異物は暴れた。

アームがきしむ。

古い関節が悲鳴を上げる。


「これ、握り潰せる?」

「殺傷処理は許可されていません」

「今それ言う!?」

「施設規定です」

「じゃあ、移動抑制! 隔離!」

「隔離シャッター側へ移送してください」


康生はレバーをゆっくり動かす。

アームが異物を持ち上げる。

床から引き剥がされた異物が、びちびちと動く。

できれば見たくない。


「うわ、気持ち悪い」

「見ないと操作精度が低下します」

「見たくないけど見る!」


隔離シャッターは、区画の端にあった。

小さな箱のような保管室。

そこへ異物を放り込めばいい。

アームを動かす。

遅い。

重い。

異物が暴れる。


「こいつ、元気すぎる」

「処理液環境に適応しています」

「嫌な適応力!」


あと少し。

隔離箱の前。

アームを開く。

異物が落ちる。

箱の中へ。


「閉めろ!」

「閉鎖します」


隔離箱の扉が閉じる。

がしゃん、と金属音がした。


――異物反応、一、隔離。


「一匹目!」

「はい」


喜ぶ暇はなかった。

最初に霧を浴びた一体が、今度は天井近くへ逃げていた。

三体目は槽の裏に回り、視界から消えている。

康生は歯を食いしばる。


「三体は多いって」

「はい」

「こっち二人だぞ」

「保守機もいます」

「操作室の外だろ!」

『点検補助対象、危険物に触れないでください』

「つれない応援だな!」


アオイが画面を切り替える。


「三体目の位置を推定します」

「頼む」

「中和槽下部、排圧配管裏」

「見えない」

「観測カメラ三番が生存しています」

「出して」


モニターの一つに、別角度の映像が映る。

粗い。

ノイズが多い。

だが、確かにいた。


三体目は配管に張りつき、何かを削っている。

口のような器官が、小刻みに動いていた。


――排圧配管、損傷率六十二パーセント。

――圧力変動、危険域。


「一番まずいやつだな」

「はい」

「どう止める」

「直接アームは届きません」

「霧は」

「配管裏まで届きにくいです」

「じゃあ」

「圧力開放を使えば、配管から引き剥がせる可能性があります」

「圧力開放って、さっき俺が触りかけた怖いやつ?」

「はい」

「安全?」

「制御できれば」

「制御できなかったら?」

「処理液飛散、隔壁負荷増加、区画閉鎖」

「駄目じゃん」

「ですが、現状放置でも同様のリスクがあります」

「最悪の二択だな」


康生は操作卓を見る。


PRESSURE_RELEASE


触りたくない。

絶対に触りたくない。

でも、放置したら配管が壊れる。


「どれくらい開ける」

「瞬間的に、低出力で」

「間違えたら?」

「危険です」

「だよな」

「私が制御補正を行います」

「頼む」

「あなたは合図に合わせてレバーを一段階だけ倒してください」

「一段階」

「はい」

「二段階いったら?」

「危険です」

「怖い!」


アオイがカウントする。


「三」

康生はレバーに手をかける。


「二」

手が汗ばむ。

汗が本当に出ているのかは知らない。


「一」

康生は奥歯を噛んだ。


「実行」


レバーを一段階だけ倒した。


次の瞬間、区画内で低い音がした。

ごう、と空気が動く。

配管の一部から白い蒸気が横へ抜ける。

三体目が、反射的に身を離した。


「今!」

「アームB、右下へ!」


康生はもう一本のレバーを動かす。

遅延を見越して、先回りする。

霧で弱らせた一体ではない。

配管裏の三体目を、床へ落とす。

アームの先端が、三体目の胴体を押した。

掴めない。

だが、押せる。

三体目が配管から剥がれ、床へ落ちた。


「落とした!」

「隔離シャッターへ誘導」

「どうやって!」

「霧で進路を制限します」


アオイが噴霧系統を操作する。

白い霧が区画の左側へ広がる。

三体目はそれを嫌がり、右へ逃げる。

そこには隔離箱がある。


「行け行け行け…!」


三体目が箱の前まで来た。

しかし、直前で止まる。

学習している。

嫌な賢さだ。


「止まった!」

「警戒行動」

「じゃあ押す!」


康生はアームを動かした。

古い関節が軋む。

アームが三体目の背後へ伸びる。

あと少し。


その時、天井にいた二体目――いや、最初に霧を浴びた個体が落ちてきた。

アームの上に。


「うわ、邪魔!」

「一体目、アームAに接触」

「一体目は隔離しただろ!?」

「訂正。未隔離個体二体目」

「番号ややこしい!」


アームAが重みに耐えきれず、下がる。

その先にあるのは、中和槽。


「落ちる!」

「アームA損傷」

「落とすな落とすな!」


康生は反射的にアームAを戻そうとした。

だが、操作が遅れる。

異物が暴れ、アームが大きく揺れる。

観測窓の向こうで、アームが槽の縁にぶつかった。

金属音。

火花。

中和槽の液面が揺れる。


「やばいやばいやばい!」

「中和槽液面変動」

「見れば分かる!」


アオイが素早く操作する。


「アームAを放棄します」

「放棄?」

「損傷したアームを隔離床へ落とし、異物ごと封じ込めます」

「アーム壊れるぞ」

「既に損傷しています」

「ならやれ!」


アオイが操作を走らせる。

アームAの基部が切り離された。

重い音を立てて、アームと異物が床へ落ちる。

その衝撃で、異物が一瞬動きを止めた。

康生はアームBを動かす。

残る一体、配管から落とした個体を押し込む。

今度は迷わなかった。


「入れ!」


アームBが異物を隔離箱へ押し込む。

扉が閉じる。


――異物反応、二、隔離。


床に落ちたアームAの上で、最後の一体が動く。

潰れてはいない。

だが、動きは鈍い。


「最後!」

「移動抑制を継続」

「どうする」

「床面隔離シャッターを使用します」

「そんなのあるのか」

「今見つけました」

「なら許す!」


床に黄色い線が走った。

最後の一体の周囲で、床の一部が沈む。

箱のように区切られた床面が、ゆっくり下がり始めた。

異物が逃げようとする。

だが、落ちたアームAが邪魔になって動きが遅い。


「閉じろ閉じろ閉じろ…!」


床面が沈みきる。

上から分厚い蓋が滑り込む。

がしゃん。


――異物反応、三、隔離。

――中和槽圧力、低下。

――隔壁負荷、安定域へ移行。

――危険物漏出リスク、低下。


康生は、操作卓にもたれかかった。


「…終わった?」

「はい。危険物区画内異物の移動抑制に成功」

「駆除じゃなくて?」

「移動抑制です」

「正式っぽいな」

「はい」


保守機が、操作室のスピーカー経由で明るく告げる。


『緊急封じ込め操作へのご協力、ありがとうございます』

『危険物漏出リスクは低下しました』

『点検補助対象は、危険物に触れませんでした』


康生は苦笑した。


「そこ大事だよな」

「はい」

「本当に触ってないよな」

「はい」

「俺、今回わりと偉くない?」

「規定内行動が多かったです」

「多かった」

「一部、解釈に幅があります」

「そこは言わなくていい」


アオイが中和槽のログを確認する。


「配管損傷は残っています。長期的には修理が必要です」

「今すぐ?」

「応急隔離で数日は保ちます」

「じゃあ後回し」

「妥当です」

「保守アームも壊したけど」

「既に損傷していました」

「そういうことにしとこう」

「記録上もそうします」

「お前、今ちょっと柔軟だったな」

「あなたの行動傾向を参考にしています」

「悪い方向に学ぶな」


赤い警告灯が、少しずつ消えていく。

白い壁が、元の白さを取り戻した。

遠くで鳴っていた隔壁の音も止まっている。

康生は観測窓の向こうを見た。

危険物区画は、相変わらず見ただけで嫌な場所だった。

濁った槽。

白い蒸気。

太い配管。

閉じ込められた異物反応。

壊れたアーム。

触れなかった。

倒しきったわけでもない。

綺麗に解決したわけでもない。

それでも、漏れなかった。

止めた。

少しだけ、先に進める。


「…これでサンプル解析、続けられるか」

「はい」

「再評価申請は?」

「危険物区画の安定確認により、再開可能です」

「よし」

「ただし、人的被害評価データは不足しています」

「そこは村に戻ってからだな」

「はい」


康生は操作卓から手を離した。


「戻るか」

「はい」


扉が開く。

操作室の外で、保守機が待っていた。


『点検補助対象、危険物に触れないでください』

「もう触ってないって」

『今後も触れないでください』

「分かったよ」


康生は歩き出した。

少しだけ足が重い。

でも、さっきより気分は軽かった。

できるだけ正式っぽく、できるだけ壊さず、できるだけ触れずに乗り切った。

規約違反者としては、かなり上出来だ。


「なあ、アオイ」

「はい」

「今の、シラヌイに報告したら怒られるかな」

「評価は分かれます」

「褒められる可能性は?」

「低いです」

「だよな」

「ただし、危険物漏出を防いだ点は評価対象です」

「じゃあ、それだけ強めに報告しよう」

「了解しました。都合の良い要約を作成します」

「言い方!」


解析室へ戻る通路で、青い誘導灯が静かに灯っていた。

施設はまだ止まっていない。

海はまだ痩せている。

虫もまだ完全には消えていない。

それでも、康生は一つだけ危険を先送りにした。

世界を救ったわけではない。

ただ、今日はまだ漏らさなかった。

それだけで十分だと思うことにした。

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