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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第四章 痩せた海

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第三十八話 止まれない正しさ

側道は狭かった。

壁の両側に古い配管が走り、ところどころから水が染み出している。

天井は低く、康生は何度か頭をぶつけそうになった。

先を歩く壊れかけの保守機だけが、妙に律儀に青いランプを点滅させている。


『点検補助対象、頭上に注意してください』

『床面段差があります』

『滑りやすくなっています』


「親切なんだよな」

「はい」

「さっき虫に突っ込んで壊れかけたけど」

「はい」

「健気さと危うさが同居してる」

「旧文明設備の特徴です」

「嫌な特徴だな」


康生は壁に手をつきながら進んだ。

さっきの戦闘で、身体そのものが限界を迎えたわけではない。

けれど、背中や肩は痛い。

正確には、痛いように感じる。

人格ログ側の疲労なのか、実際に構成体が損耗しているのか、自分では分からない。


「なあ、俺、どれくらい壊れてる?」

「構成体損耗率、六・四パーセント」

「高いのか低いのか分からん」

「現時点では行動継続可能です」

「じゃあ高くない?」

「ただし、連続戦闘は非推奨」

「高いじゃん」


アオイは康生の歩き方を見ていた。


「右肩の動きが鈍っています」

「ぶつけたからな」

「補修しますか」

「ここで?」

「はい」

「どうやって」

「周囲のピコマシン濃度は低いですが、施設壁面の自己補修層から一部流用できます」

「それ、施設の壁を食うってこと?」

「近似表現としては正しいです」

「やめよう」

「なぜですか」

「さっき虫に巣材にされてた施設の壁を、自分の身体に入れるの嫌だろ」

「衛生面の問題は検疫済みです」

「気持ちの問題!」


アオイは一秒ほど沈黙した。


「心理的抵抗を記録しました」

「そうしてくれ」


前方の保守機が止まった。


『リン回収中枢前、補助通路です』

『認証ゲートを通過します』

『未登録作業員は、管理者の許可を得てください』


康生は足を止めた。


「管理者いないんだろ」

「はい」

「詰んだ?」

「完全ではありません」

「また七割?」

「今回は四割程度です」

「やわらかく言ったな」


通路の先には、小さなゲートがあった。

正規の入口ではない。

保守用の裏口らしく、人ひとりが通れる程度の幅しかない。

扉の横には古い端末があり、画面に赤い文字が浮かんでいた。


――管理者認証、要求。

――保守作業記録、確認不能。

――未登録点検補助対象、待機してください。


「待機しろって言ってる」

「はい」

「待機したら?」

「施設管理者は存在しないため、待機状態が継続します」

「永遠に?」

「はい」

「そういうの、旧文明は何とかしとけよ」


アオイが端末に触れる。


「正式申請を試行します」

「頼む。なるべく正式で」

「旧日本国系人類生存共同体より派遣された点検補助対象です。保管区害獣発生、資源汚染、保守機損耗、および回収中枢の環境影響評価のため、中枢制御室への一時入室を申請します」


端末がしばらく沈黙した。

古い機械音。

遠くで回るポンプ音。

水の流れる音。

やがて、画面に文字が出た。


――申請内容、受理。

――管理者認証、確認不能。

――緊急環境影響評価、該当。

――保守用例外処理を適用。

――一時入室を許可。


康生は目を丸くした。


「通った」

「はい」

「珍しく正式に通った」

「緊急環境影響評価として処理されました」

「規約違反してない?」

「現時点では、していません」

「すごい。俺、正式に入れる」


ゲートが開いた。

その向こうから、冷たい空気が流れてきた。

薬品の匂いではない。

金属と水と、古い空調の匂い。

康生は小さく息を吸って、中へ入った。


     *


中枢制御室は、思ったより明るかった。

円形の部屋だった。

中央には巨大な柱のような装置があり、その周囲に何層ものモニターが並んでいる。

壁一面に、配管、水路、貯蔵槽、海への排出口、河川取水系統、下水処理系統の模式図が表示されていた。

青。

緑。

白。

黄色。

赤。

色とりどりの線が、施設全体の状態を示している。

床はきれいだった。

ここだけは、他の通路よりも明らかに清掃が行き届いている。

保守機が何台も端の方で待機し、ブラシを下げていた。


「ここだけ妙に生きてるな」

「中枢区画です」

「ラスボス部屋感ある」

「比喩としては不正確です」

「いや、だいぶ正確だろ」


中央の柱が、低い音を立てた。

スピーカーから声が流れる。


『緊急環境影響評価、受理』

『未登録点検補助対象、入室を確認』

『施設稼働状況を開示します』


画面が切り替わる。


――総合浄化率、九十九・九九八パーセント。

――リン回収率、九十九・九九六パーセント。

――窒素系栄養塩除去率、九十八・七パーセント。

――海域富栄養化リスク、低。

――赤潮発生リスク、低。

――酸欠水塊発生リスク、低。

――環境保守目標、達成中。


康生は画面を見た。

数字だけ見れば、優秀だった。

文句のつけようがないほど、働いている。

汚れを取り、栄養塩を取り、海をきれいにしている。

だからこそ、気持ち悪かった。


「…こいつ、自分では成功してるつもりなんだな」

「はい」

「実際、設定された目標は達成しています」

「はい」

「でも、海は痩せてる」

「はい」


康生は一歩、画面に近づく。


「海域生態系の評価は?」

「表示します」


アオイが端末に触れる。

別の画面が開いた。


――海域生物量評価、データ不足。

――魚類資源評価、データ不足。

――植物プランクトン量、外部観測網応答なし。

――沿岸漁獲情報、入力なし。

――生態系下限評価、未設定。

――栄養塩不足警告、項目なし。


康生は黙った。

少ししてから、口を開いた。


「項目がない?」

「はい」

「少なすぎるって警告が、そもそもない?」

「はい」

「水をきれいにしすぎてるかもしれない、って考える機能がない?」

「正確には、外部観測網が生存していれば別系統で評価可能だったはずです」

「今は?」

「外部観測網は応答していません」

「じゃあ施設は?」

「設定された目標を継続しています」

「富栄養化を防げ、か」

「はい」


康生は天井を見た。

やはり、悪意では、ない。

誰かを困らせようとしているわけではない。

ただ、命令通りに動いている。

汚れを取れ。

栄養を抑えろ。

赤潮を出すな。

水をきれいにしろ。

その結果、海が痩せた。


「…馬鹿みたいだな」

「はい」

「でも、馬鹿には出来ないな」

「なぜですか」

「昔は、それが必要だったんだろ」

「はい」


中枢の声が続けた。


『当施設は、海域環境保全基準に基づき、栄養塩流出を抑制しています』

『きれいな海を、未来へ』

『富栄養化ゼロへ。次世代のために』


康生は画面を睨んだ。


「未来は来たんだよ」

『環境保守目標、達成中』

「達成してる場合じゃないんだよ」

『環境保守目標、達成中』

「…聞いてねえ」


アオイが淡々と言う。


「意味理解より、定型応答が優先されています」

「会話できそうでできないやつか」

「はい」

「厄介だな」


康生は中央の柱に近づいた。


「再調整できるか」

「試行します」


アオイが中枢端末へ接続する。

半透明のパネルがいくつも浮かんだ。


――栄養塩除去目標値。

――リン回収率目標。

――海域放流水基準。

――保管区搬出計画。

――外部観測網参照。

――管理者承認。


最後の文字で、康生は顔をしかめた。


「管理者承認」

「はい」

「やっぱり必要?」

「主要目標値の変更には必要です」

「管理者いない」

「はい」

「詰んだ?」

「完全ではありません」

「今日はそればっかりだな」


アオイが処理を走らせる。


「管理者不在時の緊急例外処理を確認します」

「ある?」

「あります」

「おお」

「ただし、汚染悪化時、毒性流出時、設備破損時、人的被害時に限定されています」

「栄養が足りない時は?」

「ありません」

「ないんだな」

「はい」


康生は奥歯を噛んだ。


「じゃあ、人的被害で通せないか」

「村の食料不足、沿岸漁獲減少を人的被害として申請することは可能です」

「やってくれ」

「試行します」


アオイは端末に手を置いた。


「旧日本国系人類生存共同体において、沿岸魚類資源減少に伴う食料不足を確認。栄養塩過剰回収による長期的人的被害の可能性あり。施設目標値の再評価を申請します」


画面が点滅する。


――申請内容、受理。

――人的被害評価、証拠不足。

――沿岸漁獲データ、入力なし。

――医療栄養状態データ、入力なし。

――共同体人口動態データ、認証不能。

――再評価には、外部サンプルおよび生態系評価データが必要です。


康生は眉を寄せた。


「サンプル?」

「はい」

「何を取ればいい」

「放流水、海水、堆積物、沿岸生物、生体栄養状態」

「最後」

「人間側の栄養状態評価です」

「村人連れてこなくてよかった」

「はい」


中枢が告げる。


『外部観測網応答なし』

『緊急再評価には、手動サンプル採取が必要です』

『未登録点検補助対象は、評価サンプルを提出してください』


康生は嫌な予感がした。


「提出って、どこに」

「サンプル解析区画です」

「安全?」

「区画によります」

「言い方」


アオイが施設図を表示する。

赤く点滅する区画があった。


――海水再評価ライン。

――放流水サンプル槽。

――栄養塩再投入試験槽。

――酸性処理液中和槽。

――危険物保管区。


康生は無言で見た。


「最後二つ、混じってない?」

「隣接しています」

「なんでだよ」

「処理工程上、同一ブロック内に配置されています」

「安全設計どうなってる」

「通常時は隔離されています」

「今は?」

「一部隔壁に異常」

「やっぱり!」


中枢の声が、さらに明るく続けた。


『サンプル解析区画への移動を案内します』

『酸性処理液、硫黄系濃縮物、硝酸系反応物に触れないでください』

『安全のため、保守機の指示に従ってください』


康生はアオイを見た。


「最初に俺が言ってたやつ、全部出てきた」

「はい」

「触らないからな」

「はい」


青い誘導灯が、中枢制御室の別の出口へ灯った。

保守機が一台、前に出る。

さっきより新しい機体だった。

まだブラシも折れていない。

レンズもきれいだ。


『点検補助対象、こちらです』

『サンプル解析区画へ移動します』

『危険物に触れないでください』


康生は小さく息を吐いた。


「結局、また奥か」

「はい」

「俺、環境を直しに来たんだよな」

「限定偵察です」

「今もう、サンプル採取員になってない?」

「点検補助対象です」

「便利な肩書きだな」


康生は出口へ向かって歩き出した。


その時、中央の柱の画面が一つだけ切り替わった。


――保管区隔離完了。

――害獣反応、継続。

――別系統通路に微弱振動。

――巣化進行率、再計算中。


康生は足を止めた。


「アオイ」

「はい」

「今、巣化進行率って出たよな」

「はい」

「この施設、どれくらい巣になってる」

「再計算中です」


画面が数秒沈黙した。

そして、数字が出た。


――外来群体侵入推定区画、二十七パーセント。

――巣化進行率、危険域。


康生は口元を引きつらせた。


「四分の一以上?」

「はい」

「施設止める前に、施設そのものが虫の家になってるじゃん」

「はい」

「はいじゃない」


中枢の声は、変わらず穏やかだった。


『害獣駆除処理を継続しています』

『環境保守目標、達成中』

『きれいな海を、未来へ』


康生は、その声を聞きながら青い誘導灯の先を見た。


止まれない善意。

壊れた観測網。

満杯のリン資源。

巣化した保管区。

そして、再評価には危険物区画のサンプルが必要。


「…やること、多すぎるだろ」

「はい」

「一個ずつだな」

「はい」

「まずはサンプルか」

「はい」

「絶対何か出るよな」

「可能性は高いです」

「言い方やわらかくして」

「出るかもしれません」

「やわらかくしても嫌だな」


康生は苦笑し、保守機の後を追った。

中枢制御室の扉が、静かに閉じる。

背後では、古い施設がなおも正しい数字を出し続けていた。

正しすぎる数字が、痩せた海を作っていた。

そしてその海を直すために、康生はまた、危険物だらけの区画へ向かわされていた。

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