第三十七話 駆除処理を支援してください
白い中型個体が、粉塵の中で脚を沈めた。
床に散ったリン固定ブロックの欠片が、ぎち、と嫌な音を立てる。
その外殻は、粉を纏っているせいで、甲殻犬より白い。
まるでこの倉庫そのものから生まれたようだった。
康生は、手に持ったブロック片を見た。
重い。
固い。
そして、全然武器っぽくない。
「なあ、アオイ」
「はい」
「これ投げたら効く?」
「命中部位によります」
「いつものやつだ」
「甲殻の継ぎ目、腹部下側、脚部関節であれば効果を期待できます」
「狙えないところばっかりだな!」
「はい」
中型個体が前脚を持ち上げた。
康生は反射的に横へ跳ぶ。
白い脚が床に刺さり、金属床がへこんだ。
「うわっ!」
砕けたブロック片が跳ねる。
粉塵が舞う。
康生の視界が白くなる。
保守機が、壊れた音声で繰り返していた。
『保管区内害獣を確認』
『資源汚染リスク』
『駆除処理を開始します』
『点検補助対象は、駆除処理を支援してください』
「支援しろって言われても!」
「敵性個体、二体目の移動を確認」
「増やすな!」
倉庫の奥で、白いブロックの山が崩れる。
その隙間から、もう一体が這い出してきた。
一体目より少し小さい。
だが、動きは速そうだった。
康生は後ずさる。
背後には閉じた扉。
横にはリン固定ブロックの山。
前には中型個体。
床は白い粉で滑る。
「詰んでない?」
「完全ではありません」
「じゃあ半分くらい詰んでる?」
「七割程度です」
「やわらかく言ってほしかった!」
一体目が跳んだ。
康生は手にしていたブロック片を投げる。
狙いは関節。
のはずだった。
ブロック片は、白い外殻に当たって砕けた。
「効いてない!」
「表面甲殻です」
「知ってる!」
康生は転がるように避けた。
中型個体の脚が床を叩く。
金属床が歪む。
その衝撃で、近くにいた保守機がひっくり返った。
保守機は足をばたつかせながらも、律儀に音声を流す。
『安全距離を確保してください』
『安全距離を確保してください』
「お前が一番安全じゃない!」
アオイが保守機を見た。
「保守機群の駆除機能は不足しています」
「見れば分かる」
「ただし、保守機群は施設内安全規定への接続権限を保持しています」
「つまり?」
「保守機に命令を通せば、保管区の設備を動かせます」
「最初からそれ言え!」
康生の視界に、黒い背景の画面が浮かんだ。
緑色の文字。
見慣れすぎて嫌になる、黒歴史UI。
MAINTENANCE_UNIT_GROUP
TASK:PEST_CONTROL
AUTH:LOW
FACILITY_SAFETY_LINK:ACTIVE
「これ、保守機経由でクレーンとか扉とか動かせるってことか」
「はい」
「正式に?」
「害獣駆除処理の範囲内なら可能です」
「規約違反じゃない?」
「解釈次第です」
「じゃあ、多分正式だな!」
二体目が、ブロックの山を越えて近づいてくる。
一体目は康生を挟むように移動していた。
挟まれている。
康生は喉を鳴らした。
「アオイ、あいつら何で白いんだ」
「外殻表面にリン酸カルシウム系の固定物が付着しています」
「それ、硬い?」
「硬いですが、脆性があります」
「脆性」
「強い衝撃ではなく、曲げやねじれに弱い可能性があります」
「つまり、叩き割るより、転ばせる?」
「はい」
康生は床を見る。
白い粉。
砕けたブロック。
濡れた部分。
保守機から漏れた透明な液体。
滑る。
さっき自分も滑った。
なら、あいつらも滑るかもしれない。
「床、もっと濡らせるか」
「可能です。清掃用散水系統が生存しています」
「やれ」
「保管区内の水分増加は資源品質を低下させます」
「今、品質気にしてる場合か!」
「施設規定上は重要です」
「施設規定を黙らせろ!」
アオイが保守機へ指示を飛ばす。
「害獣駆除補助。床面清掃処理を要求」
『床面清掃処理』
『資源保管区内散水は非推奨です』
『汚染拡大防止処理を優先します』
康生が画面を睨む。
「汚染拡大防止…」
「はい」
「だったら、汚染個体を隔離するために床を洗う、で通せるか?」
「可能性があります」
「よし」
康生は黒歴史UIを操作する。
TASK:PEST_CONTROL
SUBTASK:CONTAMINATION_SUPPRESSION
FLOOR_WASH:REQUEST
実行。
――保管区汚染リスク、上昇。
――床面洗浄処理、承認。
――散水系統、再起動。
天井の配管が鳴った。
次の瞬間、倉庫の上部から水が降った。
細い霧ではない。
まとまった水だ。
古いスプリンクラーのように、白い粉塵を叩き落としながら降り注ぐ。
「うおっ、冷たっ!」
「床面摩擦係数、さらに低下」
「俺も滑るんだよな、それ!」
「はい」
「そりゃあそうだよな!」
白い中型個体が踏み込んだ。
前脚が滑る。
巨体が横へずれる。
「効いた!」
一体目が姿勢を崩した。
だが、倒れない。
脚が多いせいで、すぐに体勢を戻そうとする。
「足、多いやつ嫌い!」
「同意します」
「お前にも嫌いとかあるのか」
「処理負荷が高い対象です」
「それは好き嫌いじゃない!」
康生は足元に気をつけながら走った。
いや、走ったというより滑った。
濡れた床の上を、ほとんど制御できずに横へ流れる。
「うわ、止まらん!」
「右足を前方へ」
「どっちの右だよ!」
「あなたの右です」
「了解だ!」
アオイの指示通りに足を出す。
何とか体勢を立て直した。
その背後で、一体目がまた跳ぶ。
康生は振り返りながら、近くの保守機を掴んだ。
「借りるぞ!」
『点検補助対象、保守機を乱暴に扱わないでください』
「今だけ我慢しろ!」
康生は保守機を押した。
保守機は床を滑り、中型個体の脚元へ突っ込んだ。
ブラシが高速回転したまま、白い脚に絡む。
中型個体の脚が引っかかった。
巨体が大きく傾く。
「今!」
アオイが指を向ける。
「腹部下側、露出」
「見えてる!」
康生は近くのリン固定ブロック片を両手で持ち上げた。
重い。
だが、持てる。
濡れた床を蹴る。
滑る勢いを利用して、そのまま中型個体の腹の下へ突っ込んだ。
「うおおおっ!」
情けない声が出た。
だが、構わずブロック片を叩きつける。
鈍い音。
白い外殻の下、柔らかい部分に当たった。
中型個体が甲高い声を上げる。
脚が跳ねる。
康生は慌てて転がって離れた。
「効いた!?」
「有効打。移動能力、二十八パーセント低下」
「まだ三割かよ!」
「ただし、姿勢制御に乱れ」
「つまり転ばせられる?」
「はい」
二体目が迫る。
今度は速い。
床の水にも慣れたのか、低い姿勢で滑るように近づいてくる。
「学習してる?」
「はい。敵性個体の適応行動を確認」
「賢い害獣は嫌いだよ!」
康生は周囲を見る。
天井クレーン。
ブロックの山。
散水。
保守機。
閉じた扉。
青い誘導灯。
「アオイ、クレーン動かせるか」
「危険です」
「知ってる」
「天井走行クレーンは老朽化しています」
「知ってる」
「落下する可能性があります」
「落としたいんだよ!」
「対象に?」
「そう!」
アオイは一秒だけ沈黙した。
「駆除処理支援として、重量物移送を要求します」
「いける?」
「試行します」
康生は画面を操作する。
CRANE_UNIT_02
TASK:RESOURCE_TRANSFER
LOAD:PHOSPHORUS_BLOCK
ROUTE:PEST_AREA
施設が一瞬止まった。
――通常搬送経路、異常。
――害獣汚染区画。
――資源回収不能リスク。
――害獣駆除支援処理へ移行。
天井クレーンが、ぎぎぎ、と動き始めた。
「動いた!」
「落下危険あり」
「だから落とすんだって!」
二体目が康生へ跳ぶ。
康生はぎりぎりで横へ転がる。
その瞬間、クレーンが白いブロックを持ち上げた。
だが、あまりにも遅い。
三百年物のクレーンは、老人のような速度でレールを進む。
「遅っ!」
「安全運転です」
「今だけ急げ!」
「速度制限解除には管理者権限が必要です」
「またか!」
康生はUIを見る。
速度制限。
安全距離。
搬送経路。
管理者権限なし。
だが、保守用例外がある。
「…安全運転って、害獣がいる場所でも守るのか?」
「はい」
「じゃあ、害獣から資源を遠ざけるための緊急退避なら?」
「速度上昇の可能性があります」
「やる」
康生は文字列を書き換える。
TASK:RESOURCE_EMERGENCY_RELOCATION
PEST_CONTACT_RISK:HIGH
SPEED_LIMIT:SAFETY_EXCEPTION
実行。
クレーンの警告灯が黄色に変わった。
――害獣接触リスク高。
――資源緊急退避。
――速度制限、一時緩和。
クレーンの動きが速くなる。
「よし!」
「上昇率、二・三倍」
「微妙!」
「老朽化しています」
「頑張れ老人!」
一体目が起き上がろうとしている。
二体目が康生へ向きを変える。
クレーンのブロックは、まだ真上には来ていない。
康生は息を吸った。
「俺が誘導する」
「危険です」
「知ってる」
「あなたの構成体損耗はまだ回復途上です」
「知ってる」
「推奨しません」
「他に手は?」
「少ないです」
「じゃあやる!」
康生は二体目へ向かって叫んだ。
「こっちだ、白い害獣!」
中型個体が反応する。
目に相当する青白い器官が、康生へ向いた。
「今の挑発、通じた?」
「音と動きには反応しています」
「言葉は?」
「不明」
「じゃあ気持ちの問題だ!」
康生は走った。
いや、また滑った。
濡れた床を斜めに進み、クレーンの下へ向かう。
二体目が追ってくる。
速い。
白い脚が床を叩き、水を跳ね上げる。
「近い近い近い!」
「背後二・一メートル」
「距離言うな怖い!」
「一・七メートル」
「もっと怖い!」
クレーンの真下に入る。
康生は直前で横へ飛んだ。
床が滑る。
身体が流れる。
止まらない。
「うわああっ!」
康生はブロックの山に突っ込んだ。
背中を打つ。
痛い。
だが、生きている。
二体目は止まれなかった。
クレーンの下へ滑り込む。
「アオイ!」
「落下処理、実行」
クレーンのアームが開いた。
巨大なリン固定ブロックが落ちた。
轟音。
白い粉塵。
床が揺れる。
二体目の身体が、ブロックの下に押し潰された。
脚だけがばたつく。
外殻が軋む。
「やったか」
「活動低下。完全停止ではありません」
「完全に潰れてないのかよ!」
一体目が再び立とうとしていた。
腹部を傷つけられ、脚も一本動きが鈍い。
だが、まだ来る。
康生は歯を食いしばる。
「もう一個落とせるか」
「クレーンアームに異常。連続使用は危険です」
「危険なのは知ってる!」
「クレーン崩落により、保管区全体が崩れる可能性」
「それは駄目だ!」
アオイが倉庫の奥を見る。
「別案があります」
「早く」
「保管区隔離シャッターを下ろし、敵性個体を中に閉じ込めます」
「俺たちは?」
「シャッター外へ退避する必要があります」
「出口は閉じてるんじゃ」
「保守用側道があります」
「先に教えろ!」
「今、検出しました」
「なら許す!」
アオイが右手を向ける。
ブロックの山の裏。
そこに、人ひとり通れるほどの狭い通路があった。
半分、白い粉に埋もれている。
「そこか」
「はい」
「中型も通れる?」
「困難です」
「よし!」
康生は走った。
一体目が追ってくる。
足を引きずっている。
それでも速い。
保守機が二台、康生と中型個体の間に割り込んだ。
『害獣進路妨害』
『害獣進路妨害』
一台が即座に跳ね飛ばされた。
もう一台は脚に絡みつき、数秒だけ動きを止める。
「保守機!」
「使い捨てではありませんが、損耗を許容しています」
「健気だな、お前ら!」
康生は側道へ滑り込んだ。
アオイも続く。
通路は狭い。
壁には古いケーブルと配管。
床はさらに濡れている。
「シャッター!」
「実行します」
背後で警報が鳴った。
『保管区汚染拡大防止』
『隔離シャッターを閉鎖します』
『作業員は退避してください』
『作業員は退避してください』
「俺たち作業員扱いなのか?」
「点検補助対象です」
「似たようなもんか!」
背後で、巨大な金属シャッターが降り始めた。
一体目がそこへ突っ込む。
半分まで閉じたシャッターに、白い脚が挟まった。
金属が軋む。
「閉じきらない!」
「敵性個体が挟まっています」
「見れば分かる!」
康生は周囲を見る。
側道の壁に、小さな制御盤がある。
黄色いレバー。
赤いボタン。
旧文明文字。
「これは?」
「緊急閉鎖補助」
「押せば閉まる?」
「高圧駆動に切り替わります」
「中型も潰れる?」
「可能性あり」
「よし」
「ただし、近接しているため衝撃波と破片が発生する可能性」
「じゃあ下がってから押す!」
康生は制御盤へ手を伸ばし、赤いボタンを押した。
そして即座にアオイの腕を掴んで後ろへ跳んだ。
「退避!」
背後で、シャッターの駆動音が変わった。
ぎぎぎ、という老朽化した音から、低く重い圧力音へ。
次の瞬間。
がん、と金属が落ちた。
中型個体の脚が潰れ、白い外殻が砕ける。
粉塵が吹き込み、康生の頬を叩いた。
シャッターは閉じた。
倉庫側から、しばらく甲高い音が聞こえた。
やがて、それも遠くなっていく。
康生は壁にもたれた。
「…倒した?」
「一体は圧潰。二体目は閉じ込め状態。活動停止は未確認」
「十分だ」
「完全駆除ではありません」
「十分だって言ってるだろ」
康生はその場に座り込んだ。
息が荒い。
身体は疲れないはずなのに、疲れた。
たぶんまた、人格ログ側の疲労だ。
いや、今回は普通に痛い。
「俺、環境施設に来たんだよな」
「はい」
「何で倉庫で虫と鬼ごっこしてるんだ」
「施設の巣化が進行していたためです」
「正論やめろ」
壊れかけた保守機が、一台だけ側道の入口まで歩いてきた。
前面のレンズにひびが入っている。
ブラシは片方なくなっていた。
それでも、音声を流す。
『駆除処理へのご協力、ありがとうございます』
『点検補助対象の安全を確認します』
『怪我はありませんか』
康生は、思わず黙った。
さっきまで拘束しようとした。
駆除支援を押しつけた。
状況判断もおかしい。
それでも、この機械は本気で安全確認をしている。
康生は苦い顔で笑った。
「…怪我は、まあ、たぶんない」
『異常時は管理者へ報告してください』
「その管理者がいないんだよ」
保守機は答えなかった。
ただ、青いランプを点滅させた。
アオイが側道の奥を見た。
「この通路は、リン回収中枢側へ接続しています」
「結局、奥へ行くのか」
「はい」
「戻れない?」
「保管区は隔離中です。戻る場合、再開放手続きが必要です」
「戻りたくないからいい」
康生は立ち上がった。
壁に手をつく。
少しだけふらつく。
アオイが支えようとしたが、康生は片手で制した。
「大丈夫」
「歩行に乱れがあります」
「大丈夫」
「記録します」
「記録しなくていい」
康生は側道の奥を見た。
薄暗い通路。
水の音。
機械の低い唸り。
その奥に、施設の心臓がある。
善意の施設。
止まれない施設。
そして、もう外来群体に巣として使われ始めている施設。
「早めに何とかしないと、まずいな」
「はい」
「リンの回収も、虫の巣化も」
「はい」
「やること増えてない?」
「増えています」
「やっぱり?」
康生は深く息を吐いた。
「行くか」
「はい」
壊れかけの保守機が、前を歩き始めた。
足取りはぎこちない。
それでも、まだ案内しようとしている。
『点検補助対象、こちらです』
『足元に注意してください』
康生は、その小さな背中を見ながら歩き出した。
三百年以上前に作られた善意は、壊れてもまだ人を案内しようとしていた。
その善意が世界を痩せさせているのだと思うと、康生は少しだけ胸が苦しくなった。
「なあ、アオイ」
「はい」
「あの保守機、直せる?」
「可能性はあります」
「後で直そう」
「優先度は低いです」
「分かってる。だから、後でだ」
「記録しました」
康生は苦笑した。
「それは記録しといてくれ」
側道の奥で、青い誘導灯がひとつ、またひとつと点いた。
リン回収中枢まで、もう遠くはなかった。




