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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐


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第三十五話 検疫ゲート

白い霧が、錆びた門の奥からゆっくり漏れていた。

海沿いの風に流され、足元へ薄く広がってくる。

匂いはない。

少なくとも、康生の知っている消毒液の匂いではなかった。

それが余計に怖かった。


「アオイ」

「はい」

「これ、吸って大丈夫なやつ?」

「成分解析中です」

「解析中の霧に入れって言われてるの?」

「はい」

「返事が潔すぎる」


正門の横に付いた赤いランプが、規則正しく点滅している。

その下で、古いスピーカーがざりざりと音を立てた。


『未登録作業員は、所定の検疫ゲートへ移動してください』

『繰り返します。未登録作業員は、所定の検疫ゲートへ移動してください』


康生は、開いた扉の奥を覗いた。

狭い通路がある。

床は金属製。

壁には古い配管が走り、天井にはいくつもの噴霧ノズルが並んでいた。

奥にはもう一枚、分厚い扉がある。

見た目は完全に、入ったら閉じ込められるやつだった。


「これ、ホラーゲームなら絶対入っちゃ駄目な場所だよな」

「現実です」

「現実の方が嫌なんだよ」


アオイは正門横の端末に近づいた。

端末の表示は割れていて、文字の半分は読めない。

それでも、青白い光がまだ生きていた。


「施設応答を確認」

「話せそう?」

「限定的に」


アオイが手をかざす。

端末の画面に、古い文字列が流れた。


――環境保守区域。

――下水浄化・リン回収・栄養塩固定統合施設。

――管理者認証、失敗。

――作業員登録、該当なし。

――検疫手順へ移行。


康生は画面を覗き込んだ。


「管理者認証、失敗してるけど」

「はい」

「だよな。俺たち管理者じゃないしな」

「ですが、検疫手順には入れます」

「入れていいのか、それ」

「未登録作業員を排除するのではなく、まず検疫する設計です」

「優しい」

「はい」

「優しいけど怖い」


施設の奥で、低い機械音がした。

何かが回っている。

水を汲み上げるような音。

巨大なポンプが、海と施設の間でまだ動いているのだろう。

三百年以上、ずっと。


「この施設、本当に生きてるんだな」

「はい」

「誰もいないのに」

「はい」

「…怖いな」


康生の声は、思ったより小さかった。

アオイがこちらを見る。


「停止しますか」

「まだ。見てからだろ」

「合理的判断です」

「怖いからって止めたら、それはそれで何が起きるか分からんしな」

「はい。急停止により処理中廃液、濃縮リン化合物、酸性処理液、海水取水系統に異常が発生する可能性があります」

「怖い単語を一気に並べるな」

「事前確認は重要です」

「分かるけどさ」


康生はもう一度、白い霧を見た。


「で、霧は?」

「主成分は水分、微量の殺菌性ナノ粒子、表面付着物分解酵素、旧規格の検疫用ピコマシンです」

「安全?」

「通常生体には皮膚刺激、粘膜刺激の可能性があります」

「俺は?」

「通常生体ではありません」

「そういう答え方やめろ」

「あなたの構成体には致命的影響なし」

「言い換えても傷つくな」

「ただし、藤倉亮太が同行していた場合は非推奨でした」

「残してきてよかった……」


康生は少しだけ息を吐いた。

亮太がいなくて寂しいと思っていたが、ここに連れてきていたら、今ごろ霧の前で揉めていた。

いや、もっとひどい。

麻生が来ていたら、霧を神聖な白き息吹とか言い出していた可能性がある。


「…やっぱり二人でよかったな」

「はい」

「今、何を想定したか聞かないのか」

「麻生守が同行した場合の宗教的誤認リスクは、私も想定しています」

「想定するな。いや、しててくれ」


スピーカーがまた鳴った。


『未登録作業員は、検疫ゲートへ移動してください』

『移動しない場合、環境保守安全規定に基づき、誘導処置を開始します』


康生はぴたりと止まった。


「誘導処置って何」

「不明です」

「絶対ろくなやつじゃない」

「同意します」

「同意しないで安心させて」


アオイが正門奥を見た。


「入場を推奨します。現状では、施設が敵対判断へ移行する前に検疫手順に従う方が安全です」

「本当に?」

「比較上は」

「その言い方嫌いだわ」


康生は白い霧の中へ一歩踏み込んだ。


     *


扉は、康生とアオイが入った直後に閉まった。

重い音。

背後で金属が噛み合う。

康生は即座に振り返った。


「閉まった!」

「検疫ゲートですので」

「閉まる前に言え!」

「予測可能でした」

「俺にはできてなかった!」


天井のノズルから、白い霧が一気に噴き出した。

全身が包まれる。

視界が白く染まる。


「うわっ、冷たっ」

「表面洗浄です」

「口に入った!」

「発声を控えてください」

「先に言え!」


霧は肌に触れると、細かく弾けるような感覚を残した。

痛みではない。

だが、何かに撫で回されているようで気持ち悪い。

服の隙間にも入り込む。

髪の中にも入る。

耳の裏まで探られているような感覚に、康生は身震いした。


「これ、絶対人間が浴びたら嫌なやつだろ」

「旧文明の作業員は防護服着用を前提としていました」

「俺、着てないんだけど」

「あなたは防護服相当以上の耐性があります」

「そういう問題じゃない」


アオイは平然と立っている。

白い霧の中でも、表情ひとつ変えない。

黒髪に細かな水滴がついているが、それすらすぐに表面から滑り落ちた。


「ずるいな」

「何がですか」

「濡れても平然としてるところ」

「表面撥水処理を行っています」

「俺にもやって」

「可能です」

「じゃあ」

「ただし、皮膚感覚の一部が低下します」

「やめる」

「了解しました」


霧が止まった。

床の排水溝へ、水が流れていく。

濁ってはいない。

透明なまま、静かに吸い込まれていく。

壁の端末に文字が出た。


――表面付着物、除去。

――未知ピコマシン反応、確認。

――高密度人工構成体、確認。

――未登録支援端末、確認。

――安全規定照合中。


康生は嫌な予感がした。


「未知って出てるけど」

「はい」

「俺たちのことだよな」

「はい」

「安全規定照合って、良い結果になる?」

「不明です」

「さっきから不明ばっかりだな」


端末が鳴った。


『警告。作業員データベースに該当なし』

『警告。支援端末データベースに該当なし』

『警告。外部人工構成体の施設内侵入を確認』


康生はアオイを見た。


「これ、だいぶ駄目じゃない?」

「はい」

「はいじゃない」


アオイが端末に近づいた。


「正式手順で申請します」

「頼む。規約違反じゃない方向で頼む」

「努力します」

「努力じゃ不安なんだけど」


アオイは端末に手をかざした。


「こちらは、旧日本国系人類生存共同体より派遣された調査個体です。施設稼働状況確認、過剰リン回収状態の評価、および管理権限不在時の安全停止条件確認を目的とします」


康生は少し驚いた。


「おお、まとも」

「正式文です」


端末の文字が流れる。


――申請内容、受理。

――旧日本国系人類生存共同体、認証不能。

――派遣記録、該当なし。

――管理者権限、確認不能。

――施設保守規定、第十二条を適用。


スピーカーが鳴った。


『管理者不在時、環境保守継続を最優先します』

『未登録個体による施設停止、再調整、資源搬出は許可されません』

『検疫終了後、未登録作業員を一時待機区画へ誘導します』


康生は首を傾げた。


「一時待機区画?」

「拘束区域の可能性があります」

「だよな」

「または作業員休憩室」

「希望的観測すぎる」

「否定はできません」

「できるだろ」


奥の扉のランプが青に変わった。

ゆっくりと開く。

その向こうには、白い廊下が続いていた。

壁は汚れている。

床には水が薄く張っている。

天井の蛍光灯らしきものが、ところどころ点滅している。

そして廊下の奥で、何かが動いた。

小さな機械だった。

丸い胴体。

四本の細い脚。

前面にはブラシのようなもの。

背中には小さなタンク。

それが、ぎこちなくこちらへ歩いてくる。

康生は身構えた。


「敵?」

「施設内保守機です」

「安全?」

「本来は」

「今は?」

「経年劣化しています」

「嫌な予感しかしない」


保守機は康生たちの前で止まった。

前面のレンズが、じじ、と音を立てる。


『未登録作業員を確認』

『一時待機区画へ誘導します』

『安全確保のため、抵抗しないでください』


康生は少しだけ安心した。


「誘導してくれるだけっぽいな」

「はい」

「よかった。じゃあついて行けば――」


保守機の側面が開いた。

細いアームが二本出てくる。

その先端には、輪っか状の拘束具が付いていた。

康生は一歩下がった。


「待て」

『安全確保のため、抵抗しないでください』

「待て待て待て」

『抵抗しないでください』

「それ拘束する気だろ!」


保守機が一歩近づく。

康生も一歩下がる。

アオイが冷静に言った。


「一時待機区画への強制誘導と推定」

「つまり捕まるやつだろ!」

「はい」

「はいじゃない!」


保守機の後ろから、もう一台現れた。

さらにその奥から、三台目。

四台目。

廊下の奥で、同じ形の保守機が次々に起動していく。

ブラシを震わせ、タンクを揺らし、拘束具を開閉しながら、ぞろぞろとこちらへ向かってくる。


『未登録作業員を確認』

『未登録作業員を確認』

『未登録作業員を確認』

『安全確保のため、抵抗しないでください』


康生の顔が引きつった。


「アオイ」

「はい」

「正式手順、失敗してない?」

「一部成功しています」

「どの辺が!?」

「施設は敵対ではなく、保護手順を選択しています」

「拘束は保護じゃない!」


アオイは端末を見た。


「保守機群の制御権限にアクセスできれば、誘導先を変更可能です」

「正式に?」

「困難です」

「じゃあ」

「保守用デバッグ経路が残存している可能性があります」

「またそれか!」


康生の視界に、半透明の画面が浮かび上がる。

黒い背景。

緑色の文字。

見覚えのありすぎる、嫌な画面。


SCAN

BYPASS

DEBUGROUTE

LOGSPOOF


康生は天井を仰いだ。


「この施設でも出るのかよ、俺の黒歴史UI」

「あなたの操作効率向上のためです」

「精神効率は下がってるぞ!」


保守機の一台が、拘束具を開いて突っ込んできた。


康生は横へ避ける。

思ったより速い。

床が濡れていて、足が滑る。


「うわっ!」


転びかけたところを、アオイが袖を掴んで引いた。


「歩行姿勢が乱れています」

「見れば分かる!」

「床面摩擦係数が低下しています」

「濡れてるからだろ!」

「正解です」

「クイズにするな!」


康生は画面に目を戻す。

保守機の識別情報が並んでいた。


MAINTENANCE_UNIT_04

MAINTENANCE_UNIT_07

MAINTENANCE_UNIT_11

MAINTENANCE_UNIT_12


その下に、共通制御項目。


TASK:UNREGISTERED_WORKER_SECURE

ROUTE:TEMPORARY_HOLDING

AUTH:LOCAL_FACILITY


「タスクが未登録作業員確保になってる」

「はい」

「このタスク、上書きできるか」

「可能性あり」

「何に変える」

「環境異常点検へ誘導」

「それ、施設の奥へ行ける?」

「はい」

「よし」


康生は指を動かす。


「待機区画へ連行じゃなくて、環境異常点検の案内役にする」

「規約違反行為です」

「この状況で言うな!」

「記録します」

「記録するな!」


保守機がまた迫る。

康生は一台の拘束具を避け、濡れた床を滑りながら端末へ手を伸ばした。


「アオイ、穴は」

「保守用巡回ルート更新権限に未修正の例外処理があります」

「分かるように」

「点検対象を追加できます」

「最初からそう言え」


康生は画面を操作した。


ROUTE:TEMPORARY_HOLDING


その文字列を選択する。

そして、別の項目へ差し替える。


ROUTE:PHOSPHORUS_RECOVERY_CORE_INSPECTION


実行。

画面が一瞬止まる。


――権限照合。

――管理者権限なし。

――保守用例外処理。

――環境異常点検要求を受理。

――未登録作業員、点検補助対象へ変更。


保守機たちの動きが止まった。

康生は息を呑む。

一秒。

二秒。

三秒。


保守機の拘束具が、ゆっくり閉じた。

代わりに、胴体の上のランプが青く変わる。


『点検補助対象を確認』

『環境異常点検ルートへ誘導します』

『足元に注意してください』


康生は深く息を吐いた。


「勝った……」

「施設規定を迂回しました」

「勝ったって言わせろ」

「規約違反者の行動傾向と一致します」

「うるさい」


保守機が一列に並び、廊下の奥へ進み始めた。

さっきまで拘束しようとしていた機械が、今度は案内役になっている。

背中のタンクが、ぽこぽこと音を立てていた。

康生は額を押さえた。


「…正式手順で入りたかった」

「試行しました」

「そうだな」

「失敗しました」

「そこは言わなくていい」


アオイは淡々と歩き出す。


「行きましょう。リン回収中枢へのルートが開きました」

「中枢って、もうそんな深いところ行くの?」

「点検ルートです」

「絶対ろくなことにならない」


康生は濡れた廊下を見た。

赤いランプは消えた。

代わりに、青い誘導灯が奥へ続いている。

その先から、水音が聞こえる。

低く、重く、途切れない音。

三百年以上止まらなかった善意の心臓が、施設の奥でまだ動いている。

康生は小さく息を吐いた。


「なあ、アオイ」

「はい」

「俺、また規約違反した?」

「施設規定上は、はい」

「現実でも規約違反者かよ」

「適応しています」

「褒めるな」


保守機が振り返るように、レンズを一度光らせた。


『点検補助対象、遅れています』

『足元に注意してください』


康生は苦笑した。


「はいはい、行きますよ」


濡れた床を踏み、康生は施設の奥へ歩き出した。

目の前には、青い誘導灯。

背後には、閉じた検疫ゲート。

そして横には、相変わらず自分の違反行為を淡々と記録する監視AI。

リン回収施設は、まだ康生たちを敵とは見なしていなかった。

ただし、味方とも見なしていなかった。

旧文明の善意は、笑うことも怒ることもなく、ただ規定通りに二人を奥へ招き入れていった。

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