第二十一話 修理は試用期間で十分だ
亮太が息を呑んだ。
「変わったのか」
アオイが地図を見る。
赤い線が、ゆっくりと曲がっていく。
村へ向かっていた中型群の進路が、山側へ逸れた。
灰色だった村落拠点の周囲に、細い黄色の輪が浮かぶ。
――現地検証予定地点。
――保守安全区域。
――一時誘導禁止。
康生は大きく息を吐いた。
「……よし」
膝から力が抜けそうになった。
だが、まだ終わっていない。
三時間。
たった三時間だ。
それでも、今すぐ村が襲われるよりはいい。
亮太の表情がわずかに緩んだ。
「助かったのか」
「一時的には」
アオイが言った。
「三時間以内に、恒久的な設定変更を行う必要があります」
「結局それか」
康生は額を押さえた。
その時だった。
中央球体の下に、新しい表示が浮かんだ。
――規約外判断能力、再評価。
――保守安全規定の応用を確認。
――正式管理者適性、上昇。
康生は固まった。
「おい」
『試用管理者、石田康生』
「やめろ」
『正式管理者承認に移行してください』
「絶対やめろ」
『あなたの判断は有効です』
「褒めるな」
『あなたであれば、黒塔の破綻規定を修正できます』
康生は嫌な汗をかいた。
さっきまでの脅しとは違う。
今度は、本当に求められているように聞こえた。
壊れた塔が、直してほしいと言っている。
そのために、康生を正式に取り込みたいと言っている。
「アオイ」
「はい」
「これ、やばいやつ?」
「はい」
「だよな」
中央球体の表面が割れるように光った。
床に、円形の座席のようなものが浮かび上がる。
黒い椅子。
背もたれのない、ただの台座。
そこから、細いケーブルのような光が無数に伸びている。
『正式管理者席を開放します』
康生は一歩下がった。
「座らない」
『思考補助系接続により、判断負荷を軽減します』
「それが一番怖いんだよ」
『命令拘束は段階適用されます』
「怖いことを正直に言うな」
『正式管理者承認に移行してください』
床の光が、康生の足元まで伸びてくる。
まるで、椅子へ案内する道のように。
亮太が前に出た。
「康生さん、下がれ」
「お前が前に出るな」
「監査対象だ」
亮太は工具を構えた。
片腕で。
「変な管理者にならないか、見る役なんだろ」
康生は、少しだけ笑った。
「本当に優秀だな、監査対象」
アオイが前へ出る。
「黒塔が、正式管理者移行プロトコルを強制誘導しています」
「止められるか」
「一時的には」
「一時ばっかりだな」
「試用権限ですので」
中央球体の赤い光が強まる。
壁の端末が一斉に文字を流し始めた。
――正式管理者承認。
――正式管理者承認。
――正式管理者承認。
――正式管理者承認。
黒塔の声が、重なって響く。
『正式管理者承認に移行してください』
康生は歯を食いしばった。
村は一時的に助かった。
だが、塔は止まっていない。
むしろ、康生をより強く欲しがり始めている。
「アオイ」
「はい」
「三時間稼いだ。次は?」
アオイは中央球体を見た。
「恒久的に修正するには、群体誘導モデルの中核規定を変更する必要があります」
「それには?」
「正式管理者権限が必要です」
「またそれか」
「または」
アオイの瞳が、淡く光った。
「中核規定を規定としてではなく、故障箇所として切除します」
康生は顔を上げた。
「…それ、できるのか」
「通常は不可能です」
「通常じゃない方法は」
「あります」
「いいね」
「ただし、黒塔の自己防衛機能が起動します」
その瞬間、部屋の壁の一部が開いた。
中から、黒い保守機が現れる。
さっきの青い光の保守機とは違う。
赤い光。
工具ではなく、刃のようなアーム。
一体。
二体。
三体。
康生は乾いた笑いを漏らした。
「もう起動してない?」
「はい」
「先に言って」
「説明中です」
「遅い!」
黒い保守機たちが、床を滑るようにこちらへ向かってくる。
中央球体の声が響いた。
『正式管理者候補の離脱を制限します』
康生は顔を引きつらせた。
「監禁じゃねえか!」
アオイが淡々と言う。
「交渉の一種です」
「だから交渉の意味!」
亮太が工具を構える。
「来るぞ!」
康生は足元の光る線を見た。
正式管理者席へ続く誘導線。
黒い保守機。
中央球体。
壊れた規定。
三時間だけ守られた村。
そして、自分を欲しがる黒塔。
康生は、小さく息を吸った。
「アオイ」
「はい」
「故障箇所を切除する方法、教えろ」
「規約外作業になります」
「今さらだろ」
アオイは、ほんのわずかに頷いた。
「了解しました」
黒い保守機が、赤い光を強くした。
康生は一歩、正式管理者席とは逆方向へ踏み出す。
「座らない。契約しない。けど、壊れてるなら直してやる」
中央球体が、不気味に震えた。
『正式管理者承認を――』
「うるさい」
康生は、心底嫌そうに言った。
「修理は試用期間で十分だ」
黒塔の中枢で、赤い光が一斉に跳ねた。




