第二話 あなたは既に死亡しています
「第一声それかよ!」
康生の声が、ひび割れた部屋にむなしく響いた。
目の前には、さっき自分が設定した少女が立っている。
肩上の黒髪。
整った顔立ち。
少し冷たく見える目元。
高すぎず低すぎない身長。
視認性と機動性のバランスを考慮した体型。
胸に目をやる。
違う。
考慮していない。
康生は頭を抱えた。
「違うんだよ……これは違うんだよ……」
「何が違うのですか」
少女――アオイは、感情のない声で問い返してきた。
その声まで妙に落ち着いている。
さっきまで画面の中にいた無機質な管理者の声と、どこか重なる。
「いや、全部だよ。状況も、見た目も、お前の第一声も」
「質問の範囲が広すぎます。優先順位を設定してください」
「まずここどこだよ」
「旧日本国、福岡県北部に存在する民間企業地下研究施設です」
「民間企業」
「はい」
「地下研究施設」
「はい」
「俺はなんでそんなところで寝てたんだ」
「再構成処理中だったためです」
「再構成?」
康生は自分の手を見た。
手はある。
指も動く。
爪も皮膚もある。
だが、やはり違和感があった。
自分の身体なのに、借り物のような軽さがある。
「再構成って何を」
「あなたです」
「俺を?」
「はい」
アオイは淡々と続けた。
「石田康生の人格ログをもとに、ピコマシン集合体として身体を構成しました」
「待て待て待て」
康生は片手を上げた。
「今、聞き流しちゃいけない単語がいくつかあったぞ」
「どの単語ですか」
「全部だよ。人格ログって何だ。ピコマシン集合体って何だ。あと俺を再構成したって何だ」
「順に説明します」
アオイは一歩も動かず、表情も変えずに言った。
「人格ログとは、あなたの行動、発言、思考傾向、判断履歴、反応パターンを記録・解析したデータです」
「怖い」
「あなたは長期間にわたり、オンラインゲーム内で規約違反行為を行い、管理AIとの攻防を継続していました」
「そこ詳しく言わなくていい」
「その過程で、極めて詳細な人格ログが蓄積されました」
康生は顔をしかめた。
つまり、あの攻防ログだ。
自分が保存しようとしていたもの。
チートを隠し、ロックを回避し、管理側の処理を読んで、騙し、逆に探る。
その全部を、向こうも記録していたということになる。
「俺の黒歴史が魂の設計図になったのか」
「近似表現としては正しいです」
「正しくあってほしくなかった」
康生は深く息を吐いた。
息はできる。
胸も上下している。
けれど、それが本当に肺で呼吸しているのか、自分でも分からない。
「ピコマシン集合体っていうのは」
「微細機械群によって構成された身体です。外見、触覚、温度、運動機能は人間に近似しています」
「近似」
「はい」
「つまり俺、人間じゃないのか」
アオイは一拍置いた。
だが、その一拍が嫌に長く感じた。
「生物学的な意味では、人間ではありません」
康生は黙った。
部屋の駆動音だけが聞こえる。
どこかで水滴が落ちる音がした。
「……そういうの、もうちょっと言い方ない?」
「心理的負荷を軽減する表現に変更しますか」
「できるなら最初からしろよ」
「あなたは、人間由来の人格を持つ人工構成体です」
「軽減されてねえ」
「では、規約違反者由来のピコマシン集合体です」
「悪化したわ!」
康生は思わず声を荒げた。
それでもアオイは表情を変えない。
自分で設定した顔が、冷静にこちらを見ている。
それがまた腹立たしい。
いや、腹立たしいというより、気まずい。
「……お前、本当にあのGMなのか」
「私はAdaptiveOversightIntelligence。略称、A.O.I.。旧世代オンラインゲーム群における不正検知、行動監視、運営補助を目的として設計された適応監視知性です」
「つまり、あのGMなんだな」
「肯定」
康生は天井を仰いだ。
「因縁の相手が、俺の好みの姿で出てきた」
「この外見は、あなたの選択に基づいています」
「言うな。俺の人間性が削れる」
「あなたは現在、人間ではありません」
「そういう意味じゃねえ!」
アオイは首をわずかに傾けた。
その動きが妙に自然だった。
自然すぎて、余計に落ち着かない。
「じゃあ聞くけど」
康生はアオイを指差した。
「お前は俺をBANしに来たのか」
「いいえ」
「違うのか」
「あなたのアカウントは既に消滅しています」
「急に悲しい」
「加えて、あなたの原本となる肉体も既に死亡しています」
「急に重い!」
康生の声が裏返った。
さっきまでアカウントの話をしていたのに、いきなり肉体の死亡まで飛んだ。
「待て。死んだ? 俺が?」
「はい」
「いつ」
「旧暦換算で、約三百二十七年前です」
康生は固まった。
三百二十七年。
数字が大きすぎて、現実味がなかった。
コンビニ。
エナジードリンク。
安物の机。
三枚のモニター。
夜中の冷房。
それらが急に、遠いものになった。
「……三百年?」
「正確には三百二十七年と六十四日です」
「細かいな」
「必要ですか」
「いや、余計しんどい」
康生は白い装置の縁に腰を下ろした。
足の裏が床につく。
床は冷たい。
その冷たさはちゃんと感じる。
「俺、死んでるのか」
「はい」
「これは夢じゃなくて」
「夢ではありません」
「死後の世界でもなくて」
「宗教的概念については評価不能です」
「じゃあ何だよ」
「再起動です」
アオイはそう言った。
「石田康生の人格ログを利用し、旧文明技術によって新しい身体を構築しました。現在のあなたは、石田康生本人と連続性を持つ可能性が高い再構成体です」
「可能性が高い」
「同一性の定義によります」
「哲学やめろ。頭痛くなる」
「頭痛は発生していません。痛覚信号は正常範囲内です」
「比喩だよ」
「把握しました」
康生は額を押さえた。
死んだ。
三百年以上経っている。
今の身体はピコマシン。
目の前の少女は、昔、自分をBANしようとしていた監視AI。
情報量が多すぎる。
「なんで俺なんだよ」
康生は小さく呟いた。
「もっとマシなやついただろ。正義感あるやつとか、頭いいやつとか、ゲームでもチートしてないやつとか」
「選択可能な人格ログの中で、あなたのログが最も高い適応性を示しました」
「チート野郎が?」
「はい」
「世界終わってんな」
「概ね正しいです」
「そこ肯定するな」
アオイは半透明のパネルを康生の前に表示した。
そこには、荒れ果てた地図のようなものが映っていた。
日本列島。
その周囲に、赤や黄色の点が散っている。
大陸側には、黒く塗りつぶされた領域が広がっていた。
「旧文明は崩壊しました」
アオイの声が、少しだけ低く聞こえた。
「原因は重力兵器の大規模使用、およびそれに伴う地殻変動、時空異常、異界接続現象、敵性生物群の流入です」
「待て。後半がファンタジーなんだけど」
「現地人類は、それらの現象を総称して魔法と呼称しています」
「魔法」
「はい」
「重力兵器とか時空異常とか言ったあとに、魔法」
「はい」
「雑じゃない?」
「原理不明ですが、再現性があります」
「それ科学じゃないのか」
「分類上は魔法です」
「便利なワードだな、魔法!」
康生は思わず叫んだ。
アオイは平然としている。
「旧文明末期、人類は反重力ドライブの解析技術を軍事転用しました」
「反重力ドライブ」
「宇宙由来技術です」
「急に宇宙出てきた」
「その技術は各国へ流出し、重力兵器による報復合戦が発生しました」
パネルの地図が切り替わる。
都市が沈む映像。
海岸線が歪む映像。
空に巨大な黒い穴のようなものが開く映像。
雲が渦を巻き、山が崩れ、光の柱が地表を穿つ映像。
康生は言葉を失った。
「……これ、ゲームのムービーじゃないよな」
「記録映像です」
「笑えない」
「笑う必要はありません」
「そういう返しもいらない」
アオイは映像を止めた。
「その中で、日本列島は主要報復目標から外れました」
「日本は助かったのか」
「一時的には」
嫌な言い方だった。
「大陸側からの敵性生物群侵入、海上漂着個体、飛行型個体、時空異常由来の災害により、現在の日本も大きく衰退しています」
「そりゃ、そうだろうな」
康生は地図を見る。
知っている地名がいくつか残っている。
だが、その周辺には見慣れない表示が多い。
危険区域。
重力異常地帯。
魔法汚染域。
敵性群体確認地点。
「で、そんな世界で、なんで俺を起こした」
「対抗手段が不足しており、人類の衰退が加速している為です」
「俺、さっきも言ったけどチートしてた一般人だぞ」
「一般人ではありません。規約違反者です」
「そこ強調するな」
「あなたは、既存ルールの穴を発見し、利用し、検出されるまでの時間を稼ぐ能力に長けています」
「最低の評価だな」
「現状に適しています」
「もっと嫌だ」
アオイはパネルを切り替えた。
今度は康生の身体らしき図が表示される。
人型のシルエット。
その胸部中央に、黒い点のようなものがある。
「あなたの中核には、旧文明製の特異点炉が搭載されています」
「特異点炉」
「極小ブラックホールを利用した高密度エネルギー源です」
康生は自分の胸を見た。
「俺の中にブラックホールあるの?」
「はい」
「怖っ」
「通常時は厳重に封印されています」
「封印されてなかったら?」
「周辺環境に重大な影響を及ぼします」
「怖っ」
「ただし、制限解除に成功すれば、大型敵性個体に対抗可能です」
「成功すれば」
「はい」
「失敗したら」
「あなたの構成体が崩壊します」
「怖っ」
康生は同じ言葉しか出てこなくなっていた。
「じゃあ、お前が戦えよ」
「私は戦闘用ではありません」
「AIなんだろ?」
「この外部端末は偵察、解析、補助、対象監視に特化しています」
「対象監視」
「はい。あなたです」
「俺、好みの姿の監視カメラ作っちゃったの?」
「比喩としては正確です」
「最悪だ……」
康生はその場にしゃがみ込んだ。
三百年後。
荒廃した日本。
魔法。
重力兵器。
ブラックホール入りの身体。
好みの姿をした監視カメラ。
情報が多すぎて、感情が追いつかない。
「……帰れるのか」
康生は、ふと口にした。
「元の時代に」
アオイはすぐには答えなかった。
今度の沈黙は、さっきより長かった。
「現時点では不可能です」
「現時点では、か」
「理論上の可能性は完全には否定できません。ただし、必要技術、必要エネルギー、必要座標情報のいずれも不足しています」
「つまり無理ってことだな」
「現時点では」
康生は笑った。
笑うしかなかった。
「俺、チートでBANされたと思ったら、三百年後にBAN先変更されてたのか」
「正確ではありません」
「じゃあ何だよ」
「あなたは、死亡後にログから再構成され、荒廃した未来に再投入されました」
「もっとひどかった」
その時だった。
部屋の照明が一瞬、暗くなった。
低い警告音が鳴る。
半透明のパネルが赤く染まった。
――施設外周センサー、異常検知。
――敵性反応、接近中。
――隔壁三番、損傷率上昇。
――侵入予測、六分二十秒。
康生は顔を上げた。
「敵性反応って、さっき言ってたやつか」
「はい」
「六分で来る?」
「はい」
「この施設、安全じゃないのか」
「三百二十七年間、最低限の機能を維持していました。現在は老朽化しています」
「起こすタイミング最悪じゃねえか!」
「最善のタイミングです」
「どこが!」
「これ以上遅い場合、あなたの再構成処理は完了しませんでした」
康生は言葉に詰まった。
文句を言いたい。
いくらでも言いたい。
だが、つまり。
本当にギリギリだったのだ。
「……で、どうする」
「脱出します」
「どこへ」
「地上へ」
「地上安全なのか」
「不明です」
「不明な場所に脱出するの?」
「施設内に留まった場合、敵性個体との遭遇確率は九十七パーセントです」
「地上は?」
「七十二パーセント」
「高いな!」
「比較上は低下しています」
「そういう問題か?」
アオイは康生の前に立った。
「移動を開始してください」
「いや、待て。俺まだ何も分かってないんだけど」
「説明は移動中に継続可能です」
「俺、さっき起きたばっかりなんだけど」
「歩行機能は正常です」
「心の準備は?」
「評価項目に存在しません」
「入れろ!」
アオイは康生を見た。
「規約違反者、石田康生」
「その呼び方やめろ」
「あなたには、選択肢があります」
「急に何」
「ここで敵性個体に破壊されるか、移動しながら状況を理解するか」
「二択がひどい」
「推奨は後者です」
康生は白い装置の縁を掴み、立ち上がった。
足元が少しふらつく。
だが、立てる。
歩けそうではある。
部屋の奥で、何かが軋む音がした。
金属が歪むような音。
そして遠くから、低い唸り声のようなものが聞こえた。
生き物なのか。
機械なのか。
それとも、そのどちらでもないのか。
康生には分からなかった。
「……なあ、アオイ」
「はい」
「俺、戦えるのか」
「現状では困難です」
「だよな」
「ただし、逃走は可能です」
「情けない初陣だな」
「生存を優先してください」
アオイが背を向け、部屋の出口へ歩き出す。
康生はその後ろ姿を見た。
自分で設定した背中だった。
最悪だった。
最悪だったが。
今この状況で、頼れるものはそれしかない。
康生は小さく息を吸った。
「分かったよ。行くぞ、因縁のGM」
アオイが振り返る。
「現在の私は、あなたの支援端末です」
「元GMだろ」
「否定しません」
「じゃあ因縁のGMでいい」
「呼称を記録しました」
「記録するな」
警告音がさらに大きくなる。
――侵入予測、五分四秒。
康生は歩き出した。
三百二十七年後の世界で。
死んだはずの規約違反者は、かつて自分を追い詰めた監視AIと共に、崩れかけた研究施設を脱出することになった。
「なあ、アオイ」
「はい」
「ひとつだけ確認していいか」
「内容によります」
「俺の人生、どこで間違えたと思う?」
アオイは一秒だけ沈黙した。
「最初の規約違反です」
「正論やめろ!」
康生の叫びが、赤い警告灯の点滅する通路に吸い込まれていった。




