第百七話 深層格納庫
練馬航空整備区画の下には、さらに別の区画があった。
航空整備区画という名前から、康生は勝手に飛行機の格納庫だけを想像していた。
高高度輸送機。
作業艇。
古い整備架。
補修材。
燃料系。
それくらいだと思っていた。
だが、中央表示に出た構造図は、その想像より深かった。
――練馬航空整備区画、下層構造。
――第一層、高高度輸送機整備区画。
――第二層、軌道輸送補助設備。
――第三層、深層格納庫。
――保管記録、旧軌道作業艇。
――状態、不明。
――電源、低下。
――開放、要確認。
康生は表示を見て、少しだけ眉を上げた。
「地下、まだあるのか」
「はい」
アオイが答える。
「練馬は旧時代の重要施設です」
「便利すぎない?」
「利用可能なものが残っているだけです」
「それを便利って言うんだよ」
森川は構造図を見ながら、少し困ったような顔をしていた。
「存在は記録上知っていました。ただ、出力三パーセント維持では下層を開ける余裕がありませんでした」
「今は開ける余裕があるんですか」
康生が聞く。
森川は首を横に振る。
「余裕はありません。だから、開け方を間違えると困ります」
「ですよね」
アオイがすぐに条件を表示する。
――深層格納庫確認条件。
――練馬出力三パーセント維持。
――冷却循環、維持。
――送電母線、維持。
――居住区供給、低下禁止。
――格納庫主電源、起動禁止。
――補助照明、必要最小限。
――格納対象、起動禁止。
――調査目的、状態確認のみ。
康生は最後の行を読んだ。
「状態確認のみ」
「はい」
アオイが答える。
「起動しません」
「また、見るだけ」
「はい」
「最近、本当に見るだけだな」
「重要です」
相馬が頷く。
「まずは確認です。機体が使えるかどうか、使ってよいかどうかも分からない」
「宇宙船、見つけたから飛ぼう、じゃないんですね」
「そういう判断が一番危険です」
アオイが即答する。
「ですよね」
康生は苦笑した。
エリア51で見たものを思い出す。
外から来た鉄パイプを拾い、使えるから使った。
受電光環を、別の目的に使った。
場所の傷を容器に入れ、試した。
見つけたから使う。
使えるから使う。
それが一番危ない。
だから、今度は見る。
深層格納庫への通路は、航空整備区画の奥にあった。
普段は厚い隔壁で隠されていたらしい。
森川が古い手動遮断盤を開き、アオイが三沢参照コードと練馬管制権限を合わせて送る。
隔壁の横の表示が起動した。
――練馬航空整備区画、深層アクセス。
――管理者、不在。
――保守権限、照合中。
――三沢観測防衛基地参照コード、確認。
――練馬管制権限、確認。
――開放目的、状態確認。
――格納対象起動、禁止。
――主電源接続、禁止。
――補助照明、許可。
康生は表示を見る。
「禁止が多いと安心するようになってきた」
「良い傾向です」
アオイが言った。
「それ、良いのか?」
「はい」
「そうか」
隔壁が動き始めた。
音は重い。
七百年分の埃と、練馬の細い電力を引きずるような音だった。
隙間から、冷たい空気が流れてくる。
エリア51の地下のような、ぬるい嫌な空気ではない。
三沢の地下に近い。
機械だけが長く眠っていた場所の空気だ。
康生は少しだけ肩の力を抜いた。
「こっちは、まだましかも」
「油断しないでください」
アオイが言う。
「はい」
相馬が防衛隊員を先行させる。
森川と技術班が続く。
康生、アオイ、麻生、千田もその後に入る。
通路は下へ続いていた。
幅は広い。
大型部品を運ぶためのレールが床に残っている。
壁面には古い警告表示。
――VACUUM SYSTEM.
――ORBITAL MAINTENANCE EQUIPMENT.
――RADIATOR PACK STORAGE.
――THERMAL MASS BAY.
――DO NOT ACTIVATE MAIN DRIVE IN HANGAR.
康生は最後の行を見た。
「格納庫内でメインドライブ起動禁止」
「はい」
アオイが答える。
「当然です」
「当然なんだけど、書いてあると何かあったのかなって思う」
「旧時代にも、手順違反は存在しました」
「現場だな」
「はい」
千田が別の表示を読んでいる。
「THERMAL MASS BAY……熱質量庫ですか」
「はい」
アオイが答える。
「水、氷、岩石、金属ブロックなどを熱容量および投棄用質量として保管していた区画です」
康生は思わず言った。
「宇宙で石を投げるの?」
「場合によっては」
「ほんとに?」
「はい。熱を持った質量を投棄することで、熱を捨てます」
「宇宙でも泥臭いな」
「宇宙でも現場です」
康生はその言葉に、少しだけ笑った。
三沢。
エリア51。
白い海。
空間位相傷。
火星級かもしれない外部質量体。
話はどんどん大きくなっている。
だが、下へ降りるほど出てくるのは、レール、遮断盤、補助照明、熱質量庫。
現場だった。
通路の先に、二つ目の隔壁があった。
表示が古い。
――深層格納庫。
――軌道作業艇保管区画。
――保管数、一。
――状態、長期休眠。
――最終整備記録、崩壊期初期。
――主機、停止。
――中核特異点炉補助制御系、封鎖。
――位相同期装置、封鎖。
――放熱膜、保管。
――外部作業工具、保管。
――開放、要注意。
康生は「中核特異点炉補助制御系」という文字を見た。
「ブラックホールエンジンって、これ?」
アオイが答える。
「同系統です。ただし、この艇のものは主推進用の大型炉ではなく、軌道作業用の小型中核特異点炉補助制御系です」
「小型ブラックホールエンジン?」
「俗称としては」
「怖いな」
「はい」
「これで歪みを作る?」
「いいえ」
アオイの返答は早かった。
「この作戦では、歪み生成には使用しません。位相同期、姿勢制御、航路維持、干渉点保持に限定します」
「波を作るんじゃなくて、波に乗る板の向きを保つ」
「はい」
「しつこく確認して悪いけど」
「必要です」
相馬が確認する。
「主機は起動しない。まずは外観、保管状態、放熱系、工具系、通信系の確認」
「了解」
森川が補助照明を開く。
隔壁がゆっくり開いた。
その先に、深層格納庫があった。
暗い。
広い。
航空整備区画よりも低い天井だが、奥行きがある。
床には分厚い固定架が並び、壁面には折り畳まれた放熱膜のカートリッジ、金属放熱板、圧力容器、外部作業用工具が保管されている。
中央に、それはあった。
旧軌道作業艇。
康生は、しばらく黙って見ていた。
思っていた宇宙船とは違った。
細長い戦闘機のような形ではない。
流線型でもない。
格好いい翼もない。
砲塔もない。
ずんぐりした胴体。
四方に折り畳まれた作業アーム。
側面に大量の固定具。
黒ずんだ耐熱外装。
後部に姿勢制御ノズル。
腹部に熱質量投棄口。
背面に、折り畳まれた巨大な放熱膜の収納部。
船というより、工具箱にエンジンを付けたものに見える。
康生は言った。
「かっこよくないな」
「軌道作業艇です」
アオイが答える。
「作業機械に美観は必須ではありません」
「エリア51の鉄パイプと同じ方向性?」
「違います」
「そこは違うんだ」
「これは人間の現場設計です」
康生はもう一度見た。
たしかに、鉄パイプとは違う。
威圧感はない。
神秘性もない。
だが、意味はある。
作業アーム。
固定具。
放熱膜。
工具収納。
補修材。
熱質量庫への接続。
何のためにあるかが分かる。
これは、壊すための機械ではない。
直すため、取り付くため、測るため、作業するための機械だ。
「いいな」
康生が言った。
「何がですか」
アオイが聞く。
「武器じゃない」
「はい」
「工具箱だ」
「近い表現です」
「こういうので宇宙行くの、嫌いじゃない」
「快適性は低いです」
「そこは言わなくていい」
「必要です」
森川たち技術班が外装確認を始める。
防衛隊員が周辺警戒。
千田が記録端末を構える。
麻生は少し離れた位置で、船全体を見ていた。
「人の手の形をしておりますな」
麻生が言った。
「神の乗り物ではない」
康生は頷いた。
「作業車ですね」
「ええ」
それが妙にしっくりきた。
宇宙へ行くための神話の船ではない。
現場へ向かう作業車だ。
森川が外装を叩くように確認しながら報告する。
「外装劣化、あり。ただし、主要骨格は生きています。気密は未確認。作業アーム固定状態、良好とは言えません。放熱膜カートリッジ、三基。うち一基は破損疑い」
アオイが補足する。
「艇内補助電源、微弱応答。主電源は接続しません」
「了解」
森川が外部端子に診断線を繋ぐ。
端末が起動する。
――旧軌道作業艇。
――機体識別、欠損。
――保守モード、低電力起動。
――乗員登録、失効。
――任務記録、欠損。
――最終指示、受電光環第三外縁補修待機。
――補修対象、応答なし。
――主機、停止。
――位相同期装置、封鎖。
――中核特異点炉補助制御系、封鎖。
――起動要求、不可。
康生は表示を読んだ。
「第三外縁補修待機」
「はい」
アオイが答える。
「この艇は、受電光環第三外縁の補修用に待機していた可能性があります」
「事故った場所を直すための船?」
「はい」
「結局、飛ばなかった?」
「記録上は、不明です」
「待ってるうちに世界が壊れたのか」
アオイは少しだけ沈黙した。
「可能性があります」
康生は旧軌道作業艇を見た。
七百年前。
第三外縁が壊れ、Sample-09が流出し、三沢が警告を出し、エリア51が記録を隠した。
そのどこかで、この作業艇は補修を待っていた。
飛べなかったのか。
飛ばされなかったのか。
命令が来なかったのか。
分からない。
だが、今はここにある。
七百年遅れで、空の傷を見るために。
端末が次の表示を出す。
――保守モード、質問。
――現在任務を確認。
――補修対象は第三外縁ですか。
アオイがすぐに応答する。
――現在任務、観測および接近同期確認。
――補修対象、未定。
――第三外縁補修任務、保留。
――照射系、使用禁止。
――受電光環再接続、禁止。
艇の端末が沈黙する。
それから、返す。
――第三外縁補修任務、未完了。
――補修資材不足。
――乗員不足。
――軌道状況、不明。
――任務継続不可。
――代替任務、照合中。
康生は小声で言った。
「律儀だな」
「旧作業機械です」
アオイが答える。
「任務を保持しています」
「七百年も?」
「はい」
「つらいな」
アオイは答えなかった。
艇の表示が変わる。
――代替任務候補。
――軌道観測補助。
――外部作業支援。
――放熱膜展開。
――質量投棄。
――位相同期補助。
――航路維持。
――主機起動、要承認。
アオイが即座に送る。
――主機起動、禁止。
――位相同期装置、診断のみ。
――放熱膜、外観確認のみ。
――質量投棄系、診断のみ。
――航路維持系、診断のみ。
――艇内立入、気密確認後。
「主機起動禁止、三回くらい言ってるな」
康生が言う。
「足りません」
アオイが答える。
「好きになってきたよ、その慎重さ」
「記録します」
「しなくていい」
森川が外部診断を続ける。
「気密系、診断できます。外部から微圧試験を行います。内部加圧は最小」
「許可します」
相馬が答える。
技術班が配管を接続する。
古い気密ラインに、低圧ガスが送られる。
艇の外装から小さな音がした。
表示が更新される。
――気密試験。
――区画一、保持。
――区画二、微漏洩。
――区画三、保持。
――接続ハッチ、シール劣化。
――補修必要。
――艇内生命維持、未確認。
――乗員搭乗、不可。
康生は少し安心した。
「搭乗不可」
「現時点では」
アオイが答える。
「今すぐ飛べって言われなくてよかった」
「飛べません」
「そこは安心した」
「ただし、補修可能性があります」
「だろうな」
森川が端末を見ながら言う。
「シール材は残っているかもしれません。問題は放熱系です」
「放熱膜?」
「はい。宇宙空間では、熱が逃げません。機体を動かすより、熱を捨てる方が難しい場合があります」
アオイが中央表示に放熱系を出す。
――放熱系確認。
――カーボン放熱膜、三基中二基応答。
――一基、展開機構固着疑い。
――金属放熱板、四枚。
――熱質量投棄口、動作未確認。
――熱容量材、水系タンク、凍結劣化疑い。
――岩石質量ブロック、残量あり。
――空間制御排熱、使用禁止。緊急時のみ。
康生は表示を見て言う。
「宇宙行く前から、排熱で詰まりそう」
「はい」
アオイが答える。
「放熱計画なしに接近同期観測はできません」
「エンジンよりラジエーター」
「状況によっては」
「現場だな」
「はい」
森川が少しだけ笑う。
「本当に現場ですね。まず漏れを直して、固着を見て、放熱膜を広げられるか確認して、水タンクと熱質量を数える」
「宇宙感ないなあ」
康生が言う。
「そこがいいです」
森川は端末を見ながら、真面目に答えた。
相馬が状況をまとめる。
「旧軌道作業艇は、現時点で飛行不可。ただし、主要骨格、補助電源、観測補助、放熱系の一部は生存。補修すれば、限定運用の可能性あり」
アオイが補足する。
「変異位相航路に入るための機体としては不足多数です。ただし、通常宇宙船としてではなく、接近同期観測用の作業艇として改修する余地があります」
「改修」
康生が言う。
「また作業が増えたな」
「はい」
「でも、武器を探すよりはいいか」
「はい」
艇の端末が、また表示を出した。
――代替任務、観測補助。
――受領可能。
――必要、補修。
――必要、乗員登録。
――必要、航路情報。
――必要、放熱計画。
――必要、位相同期許可。
康生は表示を見る。
「受領可能だって」
「はい」
アオイが答える。
「この艇は、まだ働く意思があります」
「意思って言っていいのか」
「比喩です」
「でも、そう見えるな」
七百年眠っていた作業艇。
第三外縁補修を待ち続け、飛ばなかった船。
今は、別の任務を受けようとしている。
撃つためではない。
壊すためでもない。
空の傷を見るために。
康生は旧軌道作業艇に近づきすぎない位置で、外装を見る。
傷だらけだ。
古い。
格好よくない。
快適そうでもない。
でも、頼もしいような気がした。
「名前、あるのか」
康生が聞く。
アオイが端末を照合する。
――機体識別、欠損。
――整備記録断片。
――呼称、軌道作業艇八号。
――作業班内呼称、ハチ。
康生は少しだけ笑った。
「ハチ」
「はい」
「犬みたいだな」
「作業班内呼称です」
麻生が穏やかに言う。
「よい名ですな」
千田も頷く。
「呼びやすいです」
森川が艇を見上げる。
「では、ハチを起こす準備ですね」
アオイがすぐに訂正する。
「起こすのではなく、補修可能性を確認します」
「はい」
森川は苦笑した。
「補修可能性を確認します」
康生はそのやり取りを見て、少しだけ心が軽くなった。
ハチ。
火星級かもしれない何かへ向かう船が、ハチ。
神話の船ではない。
最終兵器でもない。
七百年前の作業艇八号。
いい。
そのくらいがいい。
中央表示が次工程をまとめる。
――深層格納庫確認結果。
――旧軌道作業艇八号、通称ハチ。
――状態、休眠。
――飛行不可。
――補修可能性、あり。
――気密シール、補修必要。
――放熱膜、点検必要。
――熱質量、確認必要。
――位相同期装置、診断必要。
――中核特異点炉補助制御系、封鎖維持。
――主機起動、禁止。
――次工程、補修計画および変異位相航路検討。
康生はその表示を見て、息を吐いた。
まだ飛べない。
まだ宇宙へは行けない。
まだ空の傷には近づけない。
だが、道具は見つかった。
武器ではなく。
作業艇。
「宇宙でも現場だな」
康生が言う。
アオイが答える。
「はい」
「ハチで行くのか」
「まだ決定ではありません」
「行くことになりそう?」
「可能性は高いです」
「正直」
「必要です」
康生は旧軌道作業艇を見上げる。
七百年前の傷を、七百年前の作業艇で見に行く。
三沢が見張り、エリア51が試し、白い海で自分たちが禁忌を破り、天輪の残骸が目を開け、練馬の地下から作業艇が見つかった。
全部、繋がっている。
良い繋がりばかりではない。
むしろ、失敗と後悔と傷の繋がりだ。
でも、今度はその繋がりを隠さない。
康生は言った。
「じゃあ、直そう」
アオイが見る。
「乗るために、ですか」
「見るために」
「はい」
「壊すためじゃなく」
「はい」
「逸らすために」
アオイは少しだけ頷いた。
「良い方針です」
「良い回答じゃなく?」
「今回は、方針です」
「厳密だな」
「必要です」
深層格納庫の補助照明が、旧軌道作業艇ハチの外装を淡く照らしている。
傷だらけの工具箱。
眠っていた作業艇。
神ではなく、人が使うための船。
空の傷を見るための、最初の足場がそこにあった。




