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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第九章 エリア51編

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第百三話 空の傷再解析

練馬航空整備区画の中央表示装置に、地球が浮かんでいた。


青い海。

灰色の陸。

白く傷ついた一点。

地球近傍外縁に浮かぶ、薄い黄色の帯。


それらは、縮尺も距離もばらばらだった。


だが、今は同じ画面の中にある。


三沢。

エリア51。

白海損傷域。

空間位相傷。


七百年前に繋がらなかった記録が、ようやく一つの表示に重ねられていた。


康生はその前に立っている。


疲れていた。

太平洋を越え、砂漠へ行き、禁忌兵器を見て、使って、戻ってきた。


帰還報告も終わった。

燈子にも話した。

隠さなかった。


それでも、終わった気はしない。


むしろ、ここから始まる気がしていた。


アオイが表示を整理する。


「再解析を開始します」


「はい」


康生は短く答えた。


相馬、森川、千田、麻生も中央表示を見ている。

しらぬいは海上から通信同期中。

三沢暫定監視網は、北の雪の下で低電力稼働を続けている。


――解析対象、一。

――三沢観測、空間位相傷。


――解析対象、二。

――エリア51記録、Sample-09追跡ログ。


――解析対象、三。

――白海損傷域、T-LANCE使用後副作用。


――解析対象、四。

――T-LANCE軸形成時、位相境界損傷反応。


――解析対象、五。

――右構成部監視タグ、緊急時自動開放傾向ログ。


康生は最後の項目を見た。


「俺も材料なのか」


「はい」


アオイが答える。


「康生の右構成部は、T-LANCEや変異位相帯と同じではありません。ただし、受電経路形成前兆、局所同期反応、緊急時自動開放傾向のログは、空間位相傷解析の参考になります」


「参考にされるの嫌だな」


「必要です」


「だよな」


右手は平常範囲だ。


――右構成部監視タグ、平常範囲。

――受電経路形成前兆、なし。

――緊急時自動開放傾向、平常範囲。


それを見るだけで少し安心するようになっている自分が、康生は少し嫌だった。


見張られている。

だが、見張られていなければ危ない。


そのことを、白い海のあとではもう否定できない。


アオイが最初の照合を始める。


中央表示に、七百年前のSample-09の軌跡が出る。


受電光環第三外縁の破損。

照射経路逸脱。

変異位相帯の分離。

封入失敗。

外宇宙側への流出。


黄色い線が、地球の外側へ流れていく。


次に、現在の空間位相傷が重なる。


地球近傍外縁に浮かぶ、微弱な位相帯。

動いている傷。

三沢が見つけた、空の外側の異常。


二つの線は、完全には一致しない。


だが、似ていた。


流れ方が。

折れ方が。

歪みに乗る癖が。


「前にも見たな」


康生が言う。


「はい」


アオイが答える。


「前回は、Sample-09と現在の空間位相傷に類似性を確認しました。今回は、白海損傷域とT-LANCE軸形成時の副作用反応を追加します」


「白い海でできた傷を、物差しにする?」


「近い表現です」


「嫌な物差しだな」


「はい」


画面に、白海損傷域のデータが重ねられる。


ハワイ近海。

T-LANCE使用地点。

中継巣が消えた場所。

位相境界損傷。

海底熱異常。

重力歪み。

外部領域接続反応。


白い海の傷は小さい。


空間位相傷に比べれば、点のようなものだ。

それでも、新しい傷だからこそ、反応の始まりから現在まで追えている。


アオイが言う。


「白海損傷域は、T-LANCE使用によって発生した既知の位相境界損傷です。発生時刻、原因、対象、直後の副作用反応が明確です」


「つまり、何が傷を作ったか分かってる」


「はい」


「それを基準に、空の傷を見る」


「はい」


「俺たちが作った傷で、別の傷を見るのか」


康生は思わず苦笑した。


笑える話ではない。


アオイも笑わない。


「はい」


それだけだった。


表示が変わる。


――白海損傷域、基準反応抽出。

――位相境界損傷パターン。

――局所空間不安定化。

――重力歪み微弱上昇。

――外部領域接続反応微増。

――熱異常副反応。

――抽出完了。


――空間位相傷へ照合。

――照合開始。


白海損傷域の小さな傷が、空間位相傷に重ねられる。


縮尺が違いすぎる。


康生は最初、何が起きているのか分からなかった。


白海損傷域の反応が小さすぎて、空間位相傷の上では点にもならない。

だが、アオイが拡大比率を変え、反応の形だけを抽出すると、二つの傷の輪郭が似ていることが見えてきた。


傷の中心。

周辺の歪み。

外部領域接続反応のにじみ方。

重力歪みの偏り。


同じではない。


だが、同じ種類の傷だと分かる。


「似てる」


康生が言った。


「はい」


アオイが答える。


「白海損傷域と空間位相傷は、位相境界損傷の基本パターンに類似性があります」


「つまり、空の傷も何かで撃った跡?」


「その可能性があります。ただし、T-LANCEと同一とは限りません」


「別のT-LANCE?」


「不明です」


「外部領域由来の別構造体?」


「可能性があります」


「受電光環の事故?」


「可能性があります」


「Sample-09?」


「可能性があります」


「可能性ばっかりだな」


「はい」


相馬が表示を見る。


「ただの残留歪みではない、ということですね」


「はい」


アオイが答える。


「単純な残留位相帯としては、保持時間が長すぎます。形状の安定性も高い。さらに、白海損傷域と比較したことで、空間位相傷の中心部に外部要因による保持構造がある可能性が高まりました」


康生は嫌な予感がした。


「保持構造って」


「傷を傷のまま保っているものです」


「場所の傷が、勝手に塞がらないようにしてる何か?」


「はい」


「何のために」


「不明です」


「誰が」


「不明です」


「最悪だな」


「はい」


次の照合が始まる。


――質量反応候補、再評価。

――Sample-09追跡ログ、適用。

――空間位相傷現行観測、適用。

――白海損傷域基準補正、適用。

――T-LANCE軸形成時反応、適用。

――地球近傍外縁重力歪み補正、適用。

――解析中。


中央表示の地球が小さくなる。


その外側に、黄色い帯が広がる。

さらにその中心に、黒い濃淡が浮かぶ。


七百年前のSample-09追跡ログにもあった、質量反応候補。


だが、今はそれが前よりもはっきりしていた。


小さな点ではない。


細い影のようなものが、黄色い位相帯に包まれている。


相馬が低く言う。


「見えていますね」


「はい」


アオイが答える。


「白海損傷域の基準反応により、位相損傷と質量反応の分離精度が上がりました」


「分かりやすく」


康生が言う。


「傷そのものと、傷の中にある重いものを、少し分けて見られるようになりました」


「重いもの」


「はい」


康生は中央表示を見る。


黒い影は、まだぼやけている。

輪郭もない。

大きさも分からない。

だが、ある。


傷ではなく。

反応でもなく。

そこに何かがある。


「これ、天体なのか」


「不明です」


アオイが答える。


「ただし、質量を伴う構造である可能性が高まりました」


「構造って言い方、嫌だな」


「通常天体と断定できないためです」


森川が端末を見て、眉を寄せる。


「質量推定はできますか」


「低精度であれば」


アオイが答える。


中央表示に警告が出る。


――質量推定、低精度。

――位相帯による重力遮蔽あり。

――外部領域干渉あり。

――通常重力モデル、不完全。

――推定値、信頼度低。

――表示しますか。


康生は思わず相馬を見る。


相馬は頷いた。


「表示してください」


アオイが処理を進める。


――質量推定、開始。

――観測値不足。

――補正値、不安定。

――最小推定。

――最大推定。

――再計算。


数字が出る。


すぐに消える。


また出る。


桁が変わる。


康生には読めなかった。

いや、読めても意味が分からなかった。


だが、森川の顔が変わった。


相馬も黙る。

千田の手が止まる。

麻生が目を細める。


アオイが静かに言う。


「推定質量範囲が、地球近傍小天体の規模を大きく超えています」


康生は聞いた。


「どのくらい」


「低精度です」


「それでも」


アオイは少しだけ間を置いた。


「最小推定でも、月質量級を下回る保証がありません」


機内ではない。

練馬の整備区画だ。


それなのに、康生は足元が揺れたように感じた。


「月?」


「はい」


「月って、あの月?」


「はい」


「冗談じゃなく?」


「冗談ではありません」


表示が再計算される。


――最大推定。

――不安定。

――火星質量級に接近する可能性。

――信頼度、低。

――再観測必須。


康生は言葉を失った。


火星。


急に、話の大きさが変わった気がした。


中継巣。

東京地下。

練馬三パーセント。

三沢の雪。

エリア51の鉄パイプ。

白い海。


それらも十分に大きな話だった。


だが、火星という言葉は違った。


人間の手でどうにかするには、大きすぎる。

神話か、天文ニュースか、冗談の中にあるような言葉だ。


それが、目の前の中央表示に出ている。


「火星って」


康生は言った。


「火星サイズの何かが来てるってことか」


「いいえ」


アオイが即座に訂正する。


「現時点では、火星サイズとは断定できません。推定質量が火星級に接近する可能性がある、という低信頼度の結果です」


「十分怖いわ」


「はい」


「サイズは?」


「不明です。変異位相帯による観測歪みが大きいため、物理半径を推定できません」


「火星くらいの重さの、サイズ不明の何か」


「可能性です」


「可能性でも最悪だ」


「はい」


相馬が表示を見つめる。


「通常天体なら、もっと早く見えていたはずでは」


「はい」


アオイが答える。


「その点が重要です。質量反応が実在するなら、通常光学観測や旧軌道監視網で検出される可能性があります。しかし現在の観測では、位相帯に包まれているため、通常観測では輪郭が隠れています」


森川が言う。


「つまり、見えない巨大質量」


「はい」


アオイが答える。


「見えないだけで、ある。しかも、重い」


康生は思わず笑った。


乾いた笑いだった。


「三沢の言葉、もう重すぎるだろ」


誰も笑わなかった。


表示に、新しい模式図が出る。


空間位相傷。

その中心に、黒い質量反応候補。

周囲を包む変異位相帯。

さらに外側へ伸びる薄い黄色の歪み。


――仮説。

――外部質量体を伴う変異位相帯。

――Sample-09由来位相帯が、外部質量体を包み保持している可能性。

――外部領域接続核を伴う可能性。

――通常天体衝突モデル、不適合。

――単純破壊、非推奨。

――高出力干渉、危険。

――T-LANCE使用、極めて危険。

――右構成部高出力使用、極めて危険。


康生は最後の二つを見た。


「先回りしてる」


「必要です」


アオイが答えた。


「T-LANCEは使用禁止です。右手も使用禁止です」


「分かってる」


「考えました」


「火星とか言われたら考えるだろ」


「はい」


「でも、使わない」


アオイは康生を見た。


康生は言い直す。


「T-LANCEは使わない。右手も使わない。壊す前に見る。警告を聞く」


「良い回答です」


「実績は?」


「これからです」


「厳しい」


「必要です」


麻生が中央表示を見ている。


「大きすぎるものは、壊そうとすれば、こちらも壊れますな」


「そうですね」


康生は呟いた。


「火星級を鉄パイプで撃つとか、考えたくもない」


「撃った場合、位相境界損傷が拡大し、外部領域接続反応が増大する可能性があります」


アオイが言う。


「白海損傷域の規模では済みません」


康生は息を吐く。


白い海。


あれでさえ、世界を少し傷つけた。


もし、空の傷にT-LANCEを使ったら。


想像したくなかった。


中央表示に、白海損傷域の小さな点と、空間位相傷の大きな帯が同時に表示される。


大きさが違いすぎる。


白海損傷域は、針で突いた跡。

空間位相傷は、空に入った裂け目。


「壊すのは無理か」


康生が言った。


アオイはすぐに答えない。


それから、静かに言う。


「少なくとも、現時点での情報では、破壊は推奨できません」


「推奨できない、じゃなくて」


「破壊は危険です」


「だよな」


相馬が聞く。


「衝突予測は」


――接近評価、低精度。

――軌道、通常モデル不適合。

――変異位相帯により観測座標が不安定。

――移動成分、地球近傍構造へ干渉する可能性。

――衝突時刻、算出不能。

――ただし、監視優先度、最高。


森川が顔をしかめる。


「来るかどうかも、いつ来るかも分からない」


「はい」


アオイが答える。


「ですが、質量反応候補の規模が大きすぎます。来ないと決めて放置することはできません」


「地上観測だけで追えますか」


「困難です」


その答えは早かった。


アオイが表示を切り替える。


――現行観測限界。

――三沢暫定監視網、低精度。

――エリア51記録、過去データ。

――白海損傷域、基準データとして有用だが局所。

――しらぬい観測系、海上および近軌道補助限定。

――旧衛星群、応答不安定。

――受電光環残骸、未再評価。

――軌道観測系、要復旧。


「つまり」


康生が言う。


アオイが答える。


「空の傷を見るには、空の眼が必要です」


整備区画が静かになる。


空の眼。


三沢は地上の眼だった。

雪の下で、七百年前の警告を残していた。


だが、今見なければならないものは、地球近傍外縁にある。

地上からでは足りない。

海からでも足りない。

過去の記録でも足りない。


軌道上の眼が必要になる。


「天輪か」


康生が言った。


アオイが頷く。


「旧軌道受電光環。残存センサー群。旧衛星群。これらを再評価する必要があります」


「受電光環って、壊れたやつだろ」


「はい」


「エリア51が悪用して、第三外縁が破損したやつ」


「はい」


「そこをまた使うのか」


「使う、ではありません」


アオイの声が少しだけ強くなる。


「見るために、残存センサーを復旧します。照射系は起動しません。高出力運用もしません」


「見るだけ」


「はい」


「また、見るだけだな」


「はい」


相馬が頷く。


「次の作業は、軌道観測網の復旧です。受電光環残骸、旧衛星群、しらぬい観測系、三沢監視網を同期させる」


森川が言う。


「練馬からできる範囲は限られます。航空整備区画と送電母線の監視、旧軌道通信リンクの探索くらいです」


「それで十分です」


アオイが答える。


「今は、全体を動かす必要はありません。眠っている眼を、必要な分だけ開きます」


康生はその言葉を聞いて、三沢の雪を思い出した。


雪の下で淡く光った誘導灯。

北の監視者。

眠っていた眼。


今度は、空の眼を開く。


天輪の残骸を。


「宇宙に行くのか?」


康生が聞いた。


アオイは少しだけ間を置いた。


「可能性があります」


「今すぐ?」


「いいえ。まずは地上から残存リンクを探します」


「よかった」


「ただし、地上リンクだけでは不足する可能性が高いです」


「よくなかった」


「はい」


千田が記録端末を持ち直す。


「宇宙用の靴は、ありません」


康生は思わずそちらを見た。


「そこ?」


「重要です」


「宇宙で靴下いる?」


「船内活動では必要です」


「そうかもしれない」


麻生が静かに笑った。


少しだけ、空気が緩む。


だが、中央表示の黒い影は消えない。


火星質量級に接近する可能性。

変異位相帯に包まれた質量反応候補。

通常天体ではないかもしれない何か。


それが、地球近傍外縁にある。


見えないだけで、ある。


康生は表示を見つめる。


「これ、もし本当に火星級だったら」


「はい」


アオイが答える。


「地球に当たったら終わり?」


「通常天体衝突であれば、地球環境は壊滅的影響を受けます。ただし、今回の対象は通常天体ではない可能性があります」


「もっと悪い?」


「不明です」


「不明が一番怖い」


「はい」


相馬が言う。


「だから見る」


「はい」


アオイが答える。


「壊すためではなく、判断するために」


康生は頷いた。


白い海を作ったあとだから、その言葉の重さが分かる。


見ないまま使うな。

見ないまま壊すな。

見ないまま救えると思うな。


再解析は続く。


――空間位相傷、監視優先度、最高。

――質量反応候補、仮分類。

――仮称、外部質量体。

――Sample-09類似位相帯、関連候補。

――白海損傷域基準反応、照合基準として保存。

――T-LANCE、再使用禁止維持。

――右構成部高出力運用、禁止維持。

――次工程。

――旧軌道観測網、再評価。

――受電光環残骸、残存センサー探索。

――旧衛星群、応答確認。

――しらぬい観測系、同期準備。

――三沢監視網、上位同期準備。


康生は最後の行を見た。


上位同期準備。


また、眠っているものを起こす。


ただし、今度は撃つためではない。


見るために。


アオイが言う。


「康生」


「はい」


「次は、天輪の残骸を見ます」


康生は天井を見上げた。


練馬の地下。

厚いコンクリート。

その上に荒れた東京。

さらに上に空。

その外に、受電光環の残骸。

そして、そのもっと外に空の傷。


ずいぶん遠くまで来たものだと思う。


最初は、ただ練馬の灯りを守るだけだった気がする。


それが今は、火星級かもしれない何かを見ようとしている。


「神様扱いされるには、話が重すぎるな」


康生が呟く。


アオイが答える。


「神ではありません」


「知ってる」


「人として、見ます」


康生は少しだけ笑った。


燈子の言葉が残っている。


人として戻った。

なら、人として見るしかない。


中央表示の地球の外側で、黄色い傷がゆっくりと揺れている。


空の傷は、ただの傷ではなかった。


その内側に、重い影を隠していた。


次に開くべき眼は、空にある。


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