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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第九章 エリア51編

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第百二話 帰還報告

練馬の灯りは、細かった。

高高度輸送機が着陸態勢に入る頃、窓の外に見えた東京は、相変わらず荒れていた。

崩れた高架。

植物に呑まれた道路。

黒く空いたビルの窓。

遠くに沈む灰色の空。

その下で、地下のどこかに、練馬の灯りがある。

出力三パーセント。

たったそれだけの力で、東京地下の生活を支えている。

診療所の明かりを点け、冷却循環を回し、送電母線を維持し、人々のいつも通りを守っている。

康生は窓の外を見ていた。

太平洋の白い海は、もう見えない。

エリア51の砂漠も見えない。

三沢の雪も見えない。

だが、どれも頭の中には残っている。

雪の下の眼。

砂漠の地下の赤い誘導線。

透明な遮蔽筒の中の鉄パイプ。

白くなった海。

そして、中央表示に残り続けた赤い警告。

――位相境界損傷。

――海底熱異常。

――火山性微動、微弱増加。

――外部領域接続反応、微増。

――T-LANCE再使用禁止。

機体が揺れた。

康生は左手で固定具を握る。

右手は使わない。

もう癖になっていた。

アオイが隣で確認する。

「右構成部監視タグ、平常範囲」

「帰ってきても言うのか」

「はい」

「必要?」

「必要です」

「だよな」

機体は練馬航空整備区画へ向かって降下する。

外の景色が近づく。

荒れた街。

割れた道路。

古いビル。

その隙間に隠された、地下への進入口。

七百年前の高高度輸送機は、行きよりも少しだけ頼りなく感じた。

実際、機体は疲れている。

太平洋を越え、ハワイ近海を通り、北米の砂漠まで飛び、また戻ってきたのだ。

人間なら、倒れている。

機体が地下搬入口へ進入する。

誘導灯が淡く点り、整備架が動く。

練馬航空整備区画の床へ、車輪が触れた。

鈍い音。

機体が一度跳ね、もう一度沈み、ようやく止まる。

操縦補助要員が報告した。

「着陸完了。機体損傷、軽微。推進系、停止。補助電源、待機」

康生は息を吐いた。

「帰ってきた」

「はい」

アオイが答える。

「帰還しました」

「無事に?」

アオイはすぐには答えなかった。

康生は苦笑した。

「聞き方が悪かったな」

「はい」

「機体と乗員は無事」

「はい」

「でも、無事じゃないものがある」

「はい」

ハッチが開く。

練馬の空気が流れ込んできた。

東京地下の匂い。

金属。

油。

人の生活。

古い機械の熱。

冷却水。

砂漠の乾いた風でも、太平洋の潮の匂いでもない。

戻ってきたのだと、身体が先に理解する。

森川が整備員たちと共に待っていた。

「お帰りなさい」

その声は、少しだけ安堵していた。

康生は機体を降りる。

「ただいま、でいいんですかね」

「はい。戻ってきたなら、ただいまです」

森川はそう言ってから、康生の右手を見た。

「右手は」

アオイが答える。

「使用していません。監視タグ、平常範囲。受電経路形成前兆なし。局所崩壊前兆なし」

森川は息を吐いた。

「よかった」

康生は少しだけ目を伏せる。

「右手は、使ってません」

森川はその言い方に気づいた。

「他に、何か使ったんですね」

誰もすぐには答えなかった。

整備区画の灯りが、機体の外装を照らしている。

古い翼。

補修板。

焼けたような汚れ。

飛行型が接触した傷。

戻ってきた証拠はある。

だが、白い海はここから見えない。

康生は森川を見る。

「T-LANCEを使いました」

森川の表情が変わる。

「エリア51で見つかった、対侵入兵器ですか」

「はい」

アオイが答える。

「通称タキオン砲。外部領域由来構造体。TACHYON-LANCE prototype unit。ハワイ近海中継巣に対し、限定使用されました」

森川はゆっくり息を吸った。

「使用禁止では」

「使用禁止でした」

アオイが答える。

「現在は、再使用禁止を確定しています」

森川はしばらく何も言わなかった。

それから、静かに言う。

「使ったあとで、ですか」

「はい」

康生は頷いた。

「使ったあとで、です」

その言葉は、自分で言っていて重かった。

使う前に見ろ。

使う前に見ろと、三沢は言った。

見た。

分かっていた。

それでも使った。

だから、使ったあとで再使用禁止にした。

遅い。

だが、隠すよりはましだ。

森川は端末を見た。

「副作用は」

アオイが表示を送る。

――T-LANCE限定使用記録。

――対象、ハワイ近海中継巣。

――巣核反応、消失。

――航路、確保。

――副作用、検出。

――位相境界損傷。

――海底熱異常。

――火山性微動、微弱増加。

――外部領域接続反応、微増。

――白海損傷域、仮称設定。

――三沢監視網、監視継続。

森川は表示を見て、顔を歪めた。

「中継巣は消えた」

「はい」

「でも、海に傷が残った」

「はい」

「火山性微動まで」

「はい」

森川は目を閉じた。

「……分かりました。隠さず共有してくれて、ありがとうございます」

康生は言葉に詰まった。

責められると思っていた。

怒られると思っていた。

だが、最初に出たのは礼だった。

それが逆にきつかった。

「礼を言われる話じゃないです」

「それでも、隠さなかったことには意味があります」

森川は言った。

「ここで隠していたら、エリア51と同じです」

康生は何も言えなかった。

エリア51。

黒区画ログ。

三沢へ送られなかった記録。

通常変動として処理された警告。

封じ込められた反対意見。

隠した結果、七百年後の自分たちが読んだ。

だから、隠さない。

相馬が整備区画の中央端末へ向かう。

「帰還報告を行います。練馬管制、防衛隊本部、三沢暫定監視網、東京地下代表へ接続を」

「了解」

森川が端末を操作する。

練馬航空整備区画の中央表示装置に、複数の通信窓が開く。

防衛隊本部。

三沢暫定監視網。

練馬管制。

しらぬい。

東京地下。

最後の窓が開くまで、少し時間がかかった。

それから、燈子の顔が映った。

寝台の上だった。

顔色はまだよくない。

だが、目ははっきりしている。

横には医療班らしき人物がいて、短くしてください、という顔をしていた。

燈子は康生を見る。

「お帰りなさい」

康生は、少しだけ頭を下げた。

「戻りました」

「右手は」

アオイが答える。

「使用していません。監視タグ、平常範囲です」

燈子は少しだけ息を吐いた。

「よかった」

康生はその言葉を受け止めきれず、視線を落とした。

「右手は、使ってません」

燈子は黙って、続きを待った。

康生は言う。

「でも、使ってはいけない兵器を使いました」

通信窓の向こうで、燈子の表情がわずかに変わる。

相馬が報告を引き継いだ。

「エリア51調査により、外部領域接続試験記録、変異位相帯Sample-09追跡ログ、対侵入兵器T-LANCE実体記録を取得しました。帰路、ハワイ近海中継巣の活動上昇により、通常突破が困難となりました」

表示が共有される。

ハワイ近海中継巣。

黒い巣。

航路を塞ぐ飛行型群。

海棲大型。

そして、白い海。

燈子は映像を見ていた。

白い線が走る。

黒い巣が消える。

海が白く泡立つ。

その映像は、美しかった。

美しく見えてしまうことが、康生は嫌だった。

相馬の声が続く。

「T-LANCEを限定使用。中継巣の巣核反応は消失。航路は確保されました。ただし、副作用として、位相境界損傷、海底熱異常、火山性微動の微弱増加、外部領域接続反応の微増を確認。三沢監視網では白海損傷域として監視対象化しています」

燈子はしばらく黙っていた。

それから、康生を見る。

「使う前に、危険だと分かっていたんですか」

康生は頷いた。

「分かってました」

「それでも、使った」

「はい」

「使わないと帰れなかった?」

康生はすぐには答えられなかった。

代わりに、相馬が言う。

「当時の作戦判断では、他の選択肢は極めて危険でした。輸送機喪失、しらぬい損耗、取得情報喪失の可能性が高く、限定使用を決断しました。責任は私にあります」

燈子は相馬を見る。

「責任の話ではありません」

相馬は黙った。

燈子は康生へ視線を戻す。

「石田さんは、どう思っていますか」

康生は喉の奥が詰まるのを感じた。

どう思っているか。

怖かった。

助かりたかった。

消せると思った。

使えると思った。

使ってしまった。

白い海が綺麗だと思ってしまった。

そのことが、一番怖かった。

康生は正直に言った。

「使えるって思いました」

燈子は黙って聞いている。

「中継巣を見て、これなら消せるって思いました。実際、消えました。航路も開きました。でも、海に傷が残りました」

康生は息を吐く。

「右手は使ってません。でも、右手を使わなかったから良かった、って話じゃなかったです。危ないのは右手だけじゃない。兵器も、判断も、理由も危ない」

アオイが静かに記録している。

康生は続けた。

「使う理由はありました。帰るためとか、情報を持ち帰るためとか、しらぬいを守るためとか。たぶん、理由だけならいくらでも言えます」

「はい」

燈子が言った。

「でも、使ったら、次も使いたくなると思いました。一度越えた線は、次から低くなる。だから、再使用禁止にしました」

「使ったあとで」

「はい。使ったあとで」

康生は顔を上げた。

「遅かったです」

通信越しに、沈黙が落ちる。

燈子は責めるような顔をしていない。

許すような顔でもない。

ただ、見ていた。

その目が、康生には三沢の眼よりも重く感じられた。

燈子が言う。

「隠さず話してくれて、ありがとうございます」

康生は、また言葉に詰まった。

「礼を言われることじゃないです」

「それでも、です」

燈子は静かに続ける。

「東京地下は、何も知らされずに守られる場所ではありません。私たちは、いつも通りを守るために、知る必要があります」

康生は目を伏せる。

「怖い話ですよ」

「はい」

「白い海のことも、空の傷のことも」

「はい」

「神様が何とかする話じゃないです」

燈子は少しだけ笑った。

「では、なおさら知る必要があります」

康生は何も言えなかった。

神様が何とかするなら、人は知らなくていい。

祈っていればいい。

待っていればいい。

でも、そうではない。

見て、知って、怖がって、それでもいつも通りを守る。

東京地下がやっているのは、そういうことだった。

燈子は言う。

「石田さん」

「はい」

「戻ってきましたね」

「はい」

「人として」

康生は、その言葉に小さく息を止めた。

三沢へ向かう前、燈子は言った。

戻ってきてください。

人として。

康生は、戻ってきた。

だが、綺麗な成功だけを持って帰ったわけではない。

使ってしまった禁忌も、白い海も、後悔も、全部持って帰ってきた。

それでも。

いや、だからこそ。

「はい」

康生は答えた。

「人として、戻りました」

アオイが隣で小さく言う。

「記録しました」

「そこも記録するのか」

「重要です」

燈子が少しだけ笑った。

その笑いは弱かったが、確かにそこにあった。

医療班が通信時間を気にしている。

燈子はそれに頷き、最後に言った。

「次は、何を見るんですか」

アオイが表示を共有する。

三沢。

練馬。

奥飛騨。

海洋リン回収施設。

エリア51。

白海損傷域。

地球近傍外縁の空間位相傷。

点と線が繋がる。

アオイが答える。

「空間位相傷を再解析します。Sample-09、白海損傷域、T-LANCE使用時の副作用反応を統合し、質量反応候補の輪郭を絞ります」

燈子はその表示を見る。

「空の傷ですね」

「はい」

康生が答える。

「まだ、何か来てるかもしれません」

「止められるんですか」

康生は答えられなかった。

アオイが代わりに言う。

「現時点では不明です」

燈子は頷いた。

「分かりました。東京地下は、いつも通りを守ります」

「怖くないですか」

康生は思わず聞いていた。

燈子は少しだけ考える。

「怖いです」

その答えは、まっすぐだった。

「でも、知らないまま祈るよりは、知って怖がる方がいいです」

康生は、その言葉を胸の奥で受け止めた。

知って怖がる。

それは、三沢の言葉と似ている気がした。

見えないものを、見えないまま扱うな。

見えないものを、見えないまま信じるな。

見えないものを、見えないまま怖がるな。

見て、知って、怖がれ。

そして、それでも生きろ。

燈子との通信が切れる。

画面が暗くなる。

整備区画には、機械の音だけが残った。

森川が小さく息を吐く。

「厳しい報告でしたね」

「はい」

康生は答える。

「でも、隠さなくてよかった」

「はい」

相馬が端末を操作する。

「次に進みます。三沢監視網とエリア51取得情報、白海損傷域のデータを統合。空間位相傷の再解析を行います」

アオイが頷く。

「準備します」

千田が記録を整理する。

「帰還報告、保存。T-LANCE使用、白海損傷域、副作用、再使用禁止、東京地下共有、すべて記録済み」

「俺の恥ずかしい発言も?」

「重要な発言は記録しています」

「恥ずかしい」

「必要です」

麻生が穏やかに言う。

「恥じることを記録できるうちは、人でいられますな」

康生は少しだけ笑った。

「重いなあ」

「重く申し上げました」

「でしょうね」

整備区画の奥で、高高度輸送機の点検が始まっている。

練馬の技術班が機体の傷を確認し、補修箇所を記録していく。

七百年前の翼は、ようやく休めるらしい。

だが、人間たちはまだ休めない。

三沢の眼が見ている。

白海損傷域が残っている。

空の外側には、戻ってくる傷がある。

康生は中央表示を見た。

地球の模式図。

青い海。

灰色の陸。

白海損傷域。

空間位相傷。

見えるものが増えた。

その分、怖いものも増えた。

だが、もう隠さない。

アオイが言う。

「康生」

「はい」

「再解析を開始します」

康生は頷いた。

「使うためじゃなくて」

「使わないために」

「壊すためじゃなくて」

「逸らすために」

アオイは少しだけ間を置いてから、言った。

「その可能性を、これから探します」

中央表示が暗くなり、次の解析画面が開く。

三沢、エリア51、白い海。

三つの傷の記録が、空の傷へ重ねられていく。

帰還報告は終わった。

次は、空を見直す番だった。

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