143 絶望
目の前で勢いよく血飛沫が上がる。
里穂はその現実を直視できず、目を逸らす。
いや、見たくないのはみんな同じ。
方法は違えど、それぞれに違った方法で王様から目を逸らしていた。
1人を除いて。
「なるほど、素晴らしいですね。
父さんのことを、ここまで思ってくれている人がいるなんて。」
様子がおかしい……ウォーデン王は誰に向かって話してるんだ?
けれど、皆目を開けることはできない。
どのような光景が広がっているのか、恐ろしくて開けないのだ。
その時、里穂の横で「……ヒッ!」という小さな悲鳴が上がった。
里穂は、その声の主がマーレだということにすぐ気付いた。
恐る恐る彼女が目を開けると、口を手のひらで覆い、ポロポロと涙を流す姫君の姿があった。
「ショーン……」
震える唇から発せられた言葉は、王様の名前ではなく、幼なじみの名前。
戦場では、互いに背中を預けあった友であり、ずっと一緒に過ごし、成長し、憧れ、大好きになった男の名前を呟くマーレ。
里穂はその様子を見て何が起きたのかを悟った。
そして、恐る恐るそれを確かめるために前に目線を移す。
こんなに入っているのかと疑ってしまうくらいのおびただしい血液の量。
それでも尚、切られた背中からは血が噴き出し新たな血溜まりを作り出す。
王様の体は血によって真っ赤に染まっている。けれど、それは彼自身の血ではない。
ハイラスマーレ王を濡らしているのは、ショーンの血であった。
「ショーンさん!!」
里穂が叫ぶも反応がない。
大量の血液が流れ出たことにより、冷や汗を流し身体を小刻みに震わせているが、それでも倒れずに王様の上に覆いかぶさっている。
大切な人を守るために。
「ショーン……すまん………」
王様も想定外の出来事だったらしい。目を細めながら自分を守ってくれた男の顔に手を当てる。
「……謝らないで…ください……俺の役……割は、あなたを……守る……こと…だから……」
最後の方はほとんど言葉になっていない。けれど、自分の役割を果たせないくらいだったら、死んだ方がマシだというような、そんな強い意志を感じられる。
「そこまで言うなら、どこまで耐えられるか見てみようか。君が倒れない限りは、父さんには手を出さないことを約束しよう。
リース、やりなさい。」
「その……約束………絶対に破るんじゃ……ねぇぞ……。」
無表情のまま、リースの肩を叩くウォーデン王ハイル。
再び魔法剣が振り上げられ、そして、躊躇いもなく振り下ろされた。
ザクッ、ザクッ、ザンッ!
響き渡る斬撃音、飛び散る鮮血。
マーレが両腕で自分の体をギュッと抱き締める。そうしないと、どうにかなってしまいそうで……
ショーンは倒れなかった。どれだけ切り付けられても、声ひとつあげずに耐え続ける。
1回目の斬撃以降、急所をついていないということもあるけれど……それでも普通の人であれば間違いなく音をあげている。
ショーンの心の強さは尋常じゃなかった。
「驚いた。ここまでとは……でも、さすがにそろそろ終わりにしよう。私にはそもそも人を痛めつけるような趣味はないしね。」
ここまでしておいてどの口が言うかと、殺す勢いで睨みつけるフィミールとエリーン……こんなに怖い顔の先生は初めて見る。
それでも止めに入らないのは、王様の言いつけを守っているから。
ここで出ても無駄死にするだけ。
ショーンには申し訳ないが、この後のハイラスマーレ国のことを考えれば、これ以上人材を失うわけにはいかないのだ。
王様がいなくなってしまうだけでもハイラスマーレ国には想像を絶するほどの動揺が走るだろう。
それに加えて私達まで死んでしまったら……
だからこそ動けなかった。
でも、もう限界だった。自分の肉親と、自分の愛する人……どちらの命も尽きかけているこの状況……
頭がおかしくなりそう。
こんなに辛いのであれば、いっそのこと私も一緒に殺してほしい。
マーレはそんな破滅的な考えに陥っていた。
よろよろと一歩、二歩と前に出る。
パシッ。
それを止めたのは彼女の恩師であるエリーン。
「マーレ、気持ちは良くわかりますがねぇ。しかし、今は耐えるのです。
偉大なる王と最強の魔導師。2人の命が絶望的な今、姫であるあなたの命まで失われては、ハイラスマーレ国の行く末は絶望的なのですねぇ。」
「離してください先生。私は……もう耐えられません……」
死にたい。そう呟こうとしたのだが、その言葉は別の言葉によってかき消された。
厳密には、念話によって。
『マーレ、待ってくれ!
それと、この念話の存在は誰にも悟られないよう注意してくれ。里穂姉もいいな。』
この声……太陽!?
驚き、後ろを振り返りそうになるが、それだと気付かれてしまう。それは幼なじみも同様で……
マーレと里穂はギリギリのところで踏みとどまる。
『残念だけど、この念話は一方通行だ。魔力のない2人には、返答することはできない。だからよく聞いて、行動してくれ。』
なぜこの状況で魔法を使えるのか……そもそもいつから使えるのか。
魔法が使えるということは、若葉の身に何かあったということなのか……
2人の疑問は尽きない。けれど、これだけは分かる。
太陽は何かを考えている。逆襲の一手を。事態を好転させる何かを。
『そのまま聞いてくれ。ショーンさんのおかげで、王様を助けられる可能性が生まれたんだ。
今からその可能性に賭ける。詳しいことは時間がないから言えないけど、2人にやってほしいことがある。頼めるか?』
2人は迷わず了承した。ウォーデン王に気付かれないように小さく頷く。
この絶望的な状況……藁にもすがりたい状況ではもう太陽に任せるしかない。




