106 マーレの思い
ゴンドラは頂上をこえ、ゆっくりと下降を始めた。
「私は……」
はらり。
一筋の涙が、頬を伝う。
「海斗、私を1人の人間として……女性として見てくれたこと、本当に嬉しいです。
多分……こんなに嬉しいのは、生まれて初めて……」
そして笑顔を俺に向けてくれる。
でも、なぜだろう……
その笑顔は、今まで見たどの表情より美しく、どの表情より切ない……
「けれど……ごめんなさい。
私は……海斗の気持ちに応えることはできません……
ごめんなさい……」
「ショーンか?」
自然と言葉が出ていた。本当に、意図せず。
言うつもりはなかったのだ。
けれど、自然に、本当に自然に言葉がこぼれ落ちた。
対してマーレの回答は、俺の予想とは全く違うものだった。
「私……実は結婚しようと思っているのです。」
「……えっ?結婚?」
誰と?もしかしてショーンと既にそういう関係なのか?
様々な疑問が頭の中に浮かんでは消える。
「ちなみに、相手はショーンではありませんよ。そもそも誰と結婚するかも、今の段階では決まっていません。」
「全然話が見えてこないんだが……」
「そうですよね。」と小さく笑う。
そして、ゆっくり話し始めるマーレ。
「スカイキャッスルでの戦いで、私は私自身の死を……そして、お父様の死を身近に感じました。」
約1年前の戦いのことが思い出される。
自分で言うのもなんだが、確かにあの戦いは俺達がいなければ危なかっただろう。フィミールという切り札はあったものの、それでももしかしたら厳しかったかもしれない。
まぁ、その後俺はウォーデン王ハイルによって闇の魔力を暴走させられ、皆を危険な目に遭わせてしまったわけだが……
「幸いにも、海斗達が助けてくれたおかげで私達は……ハイラスマーレ国は守られました。
ただ、それから私は世継ぎのことを真剣に考えるようになりました。」
「でも、ハイラスマーレ王は結婚……世継ぎのことについてはマーレの好きにしていいって言ってたんじゃないのか?」
確か水族館ではそんなことを話していた気がするが……
マーレは静かに、でもはっきり頷く。
「その通りです。王は私に好きなようにしなさいといつも言います。
けれど……孫の顔が見たくないわけありません。自分の血縁に継がせたいという気持ちだって、少なからずあるはずです。
父は、私を男手一つで育ててくれました。王という立場があったので、いつも一緒というわけにはいきませんでしたが、それでも愛情をもって育ててくれました。」
黒褐色の瞳いっぱいに涙が溜まる。
「私は……そんな父に恩返しをしたいのです。まだ何も返せていないから……」
絶対そんなことない。王はマーレが生きていてくれるだけで幸せなはずだ。
親なんてそんなものだとうちの父親と母親も言っていた。
でも、きっとマーレはそれでは納得しないのだろう。
だから俺は何も言えなかった。
「本当は自分が好きな人と一緒になりたいです。でも、ショーンは私のことを絶対に受け入れないでしょう。彼は王へ忠誠を誓う身です。私のことは、ただの幼なじみであり、4賢者の1人としてしか見ていません。
なので、別の男性と結婚しようと思うのです。」
その言葉から、マーレがどれだけショーンのことを愛しているかが伝わってくる。
と同時に、それが叶わない願いだということも。
ずっと一緒にいたのだろう。俺達幼なじみのように。
だからこそ分かることもある。
きっとどうしようもできないことなのだろう。
でも…だったら……
「でも、海斗とは……一緒になることはできません。」
また、はらりと一筋の涙。
そして胸を締め付けられるような底なしの優しさを秘めた笑顔。
「だって、海斗……大切な人に、嘘をつきながら……一緒にはいたくないから。傷つけてしまうから。ショーンのことを思いながら、海斗と付き合うなんて、愛し合うなんて、そんな酷いこと……できません。」
「けど、それなら俺がショーンのことを忘れるくらい好きにさせてやる。心の底から俺と一緒にいたいって思わせてやる。だから……」
我ながら、何を言ってるんだって感じだ。
そんなこと、俺にできるかなんて分からないじゃないか。
でも……諦めたくないと思ってしまっている自分がいる。
若葉に言われるまでは諦めてたくせに、現金な奴めって感じだけど、それでも1%の可能性があるなら、それにすがりたかった。
女の子を、こんなに好きになったことなんて今までなかったから。
だから……
「海斗、実は、あなたと一緒になれない理由がもう一つあります。」
背筋がゾクっとする。
その先は言わないでほしい。
思わず立ち上がった俺に、マーレの言葉、優しさが容赦なく突き刺ささる。
「寿命です。」
あぁ、そうか。
俺はその時察したのであった。
マーレは俺とは絶対に付き合わないし愛し合わない。絶対に……だ。
「私はあなたよりずっと早くに死にます。残された人の辛さは私にもわかります。そんな辛さを、海斗に味わってほしくないです……」
大切だからこそ、傷つけたくない。
だから、一緒にはいられない。
こんなに優しくて……残酷なことがあるのだろうか。
そんなこと言われたら、どうしようもないではないか。
だったら嫌いと言われた方が、こんなに苦しくなかったかもしれない。
ゴンドラはもうすぐ地上に降り立つ。
どうしようもない絶望感と共に……




