43. 希望
カチャリ、カチャリとカップの音が不規則になるなか、ようやくユスティーナが口を開いた。
「ヨーセフ、ここまでの話、説明した方がいいですか?」
「いや、内容から大体わかるだろうから、そのまま続けてくれ」
「わかりました」
ユスティーナが正面を向く。
「まずは個人認証カードについて、エルメルの説明と一部重複するかもしれませんが、認識を共有しておきたいので最初から説明しますね。わからないことがあれば、都度聞いてください」
ノイとシオンを交互にみながら、ユスティーナは話し出した。
「個人認証カードは、今からちょうど十年前から始まりました。国民全員取得及び携帯が義務付けられ、その一年後から王都や貴族在住の町へ入る際、領地間を移動する際には必ず確認されるようになりました。また、それ以外でも提示を要求されれば、要求した人が誰であろうと基本的には見せなければいけないことになっています」
「提示要求は、よくあることなんですか?」
「ここの村のように比較的自由な場所ではほとんどないですが、大きな町では物を買う時や宿泊の時に、要求されることがありますね。逆に、怪しげな露店商などにはお客側から要求することもあります」
ノイの質問に、ユスティーナは優しく答える。
「個人認証カードは、一年に一回更新が義務付けられています。村や町ごとに更新日が決まっていて、領地を管理する貴族が村や町を訪れて更新します。また、貴族在住の町でいつでも更新できるので、冒険者など定住していないものはそこで更新します」
ユスティーナは紅茶を一口のみ、続ける。
「個人認証カードには、対になる台帳が存在します。台帳は貴族が管理しており、カード情報と肖像画が載っています。カード所有者の本人確認はその肖像画との比較で行われます」
「肖像画って?」
シオンの問いには、いつものようにノイが答える。
「顔の絵のことだよ」
「顔なんて、変っちまうんじゃねーの?」
ユスティーナはゆっくりと頷きながら続ける。
「肖像画は十五の倍数の年齢の年に更新することになっています。十五歳未満の台帳には、保護者の肖像画も記載されていて、更新には保護者の同伴が必要です。ちなみにカードの更新がない場合でも台帳は保管されていますが、肖像画が二回更新されなかった段階で破棄されます。カードについての説明は大体これで終わりですが、なにか質問はありますか」
ノイとシオンが首を横に振ったのを確認して、ユスティーナはまた一口紅茶を飲んだ。
「では次に、カードを所持していない場合についてです」
ノイもコーヒーを口に含む。シオンもコーヒーを一口飲んだが、苦かったのか眉間にシワを寄せてカップを置いた。
「単純に紛失した場合は、台帳を保管する貴族在住の町に行けば再発行が可能です。台帳は先ほどの説明の通り、少なくとも十五年以上は保管されているので、普通にしていれば問題が起こることはまずない、とされています」
一呼吸おいて、ユスティーナは再度口を開く。
「問題は、あなた方のようにご自身のお名前がわからなくなってしまった場合ですね。現状、名前以外で台帳を探すことはできません。場合によっては肖像画から探すこともあるそうなのですが、ここの領地は住民も多いですし、対応してもらえないでしょう。その場合、新規での発行となると思います。あなた方のお名前をご存じの方がいれば話は別ですが、リーティスは少々遠いので現実的ではないですね……他に、お心当たりはありますか」
ノイとシオンは首を横に振る。
「では、やはり新規での発行ですね。あなた方くらいの年齢では、一般的にかなり難しい、と言うよりも時間がかかります。そしてあなた方の場合は、多分別の問題も……」
「別の問題?」
ノイがそう聞き返してエルメルを見ると、眉間にシワを寄せて難しい顔をしていた。
「新生児以外の新規の発行は、できないわけではありません。様々な理由で生まれたときに申請されない場合もありますし、あなた方のように名前がわからなくなってしまう場合もあります。ただ、自分に不利なことが記録されたカード情報をリセットするために、その制度を利用する者もいるのです。なので、基本的に新規では、信用の確立がされないと発行できないようになっています」
「信用の確立?」
シオンが首をかしげる。
「貴族など、その権限がある人の管理下で、罪を犯すような人ではないと認められるまで生活しなければいけません。このような形での新規発行カードは、それとわかるようになっており、取得後に犯罪を犯すと、発行を認めた貴族が責任に問われます。そのため、貴族も受け入れを拒みますし、受け入れたとしても管理期間に犯罪はもちろん、多少のいざこざでも起こせば、すぐに領地から追放されてしまいます。管理期間は定められていないのですが、大体十年くらいを目安に考える貴族が多いようです」
「貴族が受け入れてくれない場合は、どうするんですか?」
「周辺の町や村で数年間実績を作ります。拒むところもありますが、それでも貴族よりは敷居が低いですし、なんだかんだ生活しているうちに、打ち解けることも多いようですね。公的なものではありませんが、村長や町長の紹介があれば、貴族も受け入れます」
ということは、やはり十年以上は必要なのかと、ノイはため息をつく。急ぐ旅ではないとは言え、十年以上足止めは辛い。
「さっき言ってた、別の問題ってなんだ?」
ノイはシオンの声にはっとしてそちらを見て、ユスティーナを見る。ユスティーナは、難しい顔でこちらを見ている。
「……あなた方は、妖獣を倒したのですよね」
「それがなんだ?」
「妖獣を倒すほどの戦闘力は、貴族にとって脅威ではありますが、喉から手が出るほど欲しいものでもあります」
あくまでも憶測ですが、とユスティーナは続ける。
「管理下の者の処遇は、貴族に全決定権があります。あなた方を貴族が管理するとなると、私兵として従事させ、それ以外の時はほぼ自由のない生活を強要する恐れがあります。また、管理期間も貴族に決定権がありますので……」
「一生、私兵として使い倒すってわけか」
エルメルが苦々しそうに呟き、ユスティーナはため息をつきながら小さく頷いく。
「大きな声では言えませんが……少なくとも、アリストクラティの貴族はその可能性が高いかと。噂を聞いた他の貴族から声がかかることも考えられますが、いずれにせよすぐに発行許可をする貴族はいないでしょう」
「その貴族とやらに、オレ達が倒したことを知られなければいいんじゃねーの?」
シオンの言葉にエルメルが首を振る。
「この後、ユスティーナは妖獣討伐の報告書を作成しなけれぱならない。当然、貴族も目を通すだろう」
「……ぼかして書くとか、他の人が倒したことにするとか……」
ダメ元でノイも聞いてみるが、エルメルはまた首をふる。
「公文書の偽造はユスティーナのリスクが高い。多少ぼかすとしても、倒した人物を偽造するのは……。それに、すでにここの冒険者の間で噂になっている。ごまかしたとしても、隠し通すのは無理だろうし、下手に嘘を突き通すと受け入れ事態を認められなくなる恐れもある」
「じゃあ……うまくいっても十年以上、下手すると一生、俺たちはこの領地からでられないってことですか……?」
ノイの呟きに答えるものはおらず、重苦しい沈黙が流れた。
「……それで、エルメルはユスティーナに相談したのだな」
ゆっくりと口を開いたヨーセフに、皆の視線が集中する。ヨーセフは、にっこりとしながら立ち上がり、ノイとシオンに向かって深々と礼をした。
「タイミングを逸してしまい、御礼が遅くなってしまったことをお許しください。この度は、村の民を救ってくれて、本当にありがとう」
エルメルも立ち上がり、同じように深々と頭を下げる。ヨーセフは一度頭を上げると、今度はユスティーナに向かって頭を下げた。
「ユスティーナ、そしてアルベルト、私からもお願いしたい。今言うのは酷かもしれぬが、君たちがこのまま、研究班としてやっていくのであれば、この若者達の力になってくれないだろうか。この通りだ。……もし、時間が必要であれば、その間彼らをこの村で受け入れよう」
「俺からも頼む。ユスティーナ、アルベルト」
エルメルは床に正座で座り込むと、頭を床につけてた。ノイとシオンはよくわからないまま、そしてなんと言っていいのかわからないまま、動けずにいた。
「……お二人とも、頭を上げて、お座りください」
ユスティーナが静かに言った。二人がソファに座り直すと、ユスティーナはアルベルトを見る。
「話しても、いいかしら」
アルベルトが小さく頷くと、ユスティーナは深く深呼吸をして、話し始めた。
「先ほど、貴族にカード発行許可の権限があると言いましたが、私にも、似たような権限があるのです」
ノイは驚いてユスティーナを見る。ユスティーナは、小さく肩をすくめる。
「一介の班長なので、かなり限定的というか、裏技的なのですが。現状、妖獣の撲滅が国軍の急務とされています。そのため、少しでも戦闘力を上げるために、妖獣対応を担当する全ての班の班長に、班員の勧誘及び任命の権限が与えられているのです。制限は一切ありません。戦闘力の証明さえできれば、その他は問われないのです」
「カードを持っていないとしても?」
ノイが期待をもって聞くと、ユスティーナはゆっくり頷いた。
「人外と揶揄されるような戦闘力の冒険者ほど、このような制度に疎い人も多いですからね。それに、多少罪人であったとしても、強い戦闘力があればいいのでしょう。何かあったときの責任は全て班長がとりますので、軍本部にはダメージがないですから」
ユスティーナはゆるく首を横に振る。
「それでも、やはりカードがないとなると、多少制限があります。班長に管理責任があるので、行動を共にしなければいけません。また、班長及び他の班員共々、軍の指令以外の移動が禁止になり、滞在する村や町も指定されます。他にも、細かい煩わしいものがいろいろと。それらを順守し、問題なく過ごした実績をつくり、班長が軍に申請すれば、個人認証カードが新規に発行されます。対外的にもすぐにとはいかないですが、二、三年もすれば、新規発行の許可がおりるはずです」
(もし班員にしてもらえたら、数年でノーズモルク大陸に行ける……ただ、ユスティーナ達の行動も制限されるのか……)
ノイは期待と不安に揺れるような表情をしていた。そんなノイの表情を読み取り、ユスティーナは優しくクスリと笑う。
「ただ、班に実力と実績、そして前例があれば話は別です。アルベルト」
ユスティーナに促され、アルベルトが懐からなにかを取り出してテーブルに置いた。銀色の金属で出来ているカードだ。十桁の数字と、アルベルト、国軍妖生物管理師団特別調査研究隊第二十六研究班員、不定、1500と書かれている。ユスティーナが文字を順に指差しながら説明する。
「こちらから、個人番号、名前、職業、住む町や村の名前、更新年の滅紫暦」
「滅紫暦?」
シオンが聞き返すが、ノイも聞いたことがなかった。
「このカードを作るようになってから、年にも番号がつくようになったのです。滅紫教が始まった年から何年、という要領で。今年は滅紫教が始まってからちょうど千五百年なので、滅紫暦1500年なんです」
(ヨシスケが死んだのは、確か滅紫教が始まってから、あと十数年で千五百年という年だったはず……と言うことは、今はあれから十数年後か?)
ひょんなことから、前世からあまり年月が経ってないことがわかり、ノイの心は踊った。十数年なら、皆に会える可能性が高い。
ふいにユスティーナが、くるりとカードを裏返したので見てみると、国軍妖生物管理師団特別調査研究隊第二十六研究班長 ユスティーナと直筆で彫られていた。
「あ? これ、アルベルトのじゃねーの? なんでユスティーナの名前が書いてんだよ」
シオンが聞くと、ユスティーナは文字を指差しながら答える。
「これは、新規発行許可の責任を取る者のサインです」
と言うことは、と、ノイとシオンは顔を見合わせてからアルベルトを見る。アルベルトは冷静に口を開いた。
「私も昔、気がついたらこの村の近くにいた。それ以前の記憶はない」




