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神の気まぐれ  作者: 伝説の男前


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9/14

Square Moon

世界暦一年一月七日。午前六時一分。個室十七番。


神は画面を見ていた。正確には、見ているふりをしていた。


天体管理ウィンドウが、画面中央に開いている。「月」の項目。ステータス欄の三点が点滅している。三秒周期。昨日から変わっていない。いや、変わったのかもしれない。覚えていない。測っていない。測定する手段もない。ただし今日は、見ている。見ているからわかっている。あるいは、見ているふりをしている。


「完了」の文字列が、ステータス欄の奥に薄く浮かんでいる。確認していない。確認してもよい。どちらでもよい。


タスクバーの時計が六時一分を示した。


画面の右下に、小さな通知バッジが点いた。一つだけ。神はそれを見た。一秒間。二秒目に視線を外した。昨日より一瞬短い。あるいは同じだったかもしれない。測っていない。


「……まあ、いいか」


呟いた。声は出ないほど小さい。蛍光灯が点滅した。一回だけ。二回目はまだ来ていない。三回目はもっと先だろう。四回目は来ない。これは仕様である。


緑茶のペットボトルを机に置いた。残量は底に残っているだけである。正確に何ミリリットルかは知らない。指で触ると冷たい。触らなくても冷たいのはわかっている。確認していないが、冷たい。


窓の外に目をやった。漫画喫茶の駐車場には、トラックが一台止まっている。ヘッドライトが消えている。誰もいない。昨日もいた。一昨日もいたかもしれない。明日も来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらでもよい。


マウスの左クリックを押さなかった。押すものがない。天体更新は完了している。「完了」を消すには右クリックだが、右クリックした瞬間に「プロパティ」が開き、月の内部構造(核・マントル・地殻・表面の傷)が半透明のウィンドウで表示される。見たくない。あるいは見たい。確認していない。どちらでもよい。


午前六時三分。ミドリ村。北斜面。


トーマスは畑に出ていた。菜種の種を蒔く前に、空を見た。


月は四角い。


彼は思った。「そうだ。昔からそうだったな」。


昨日は丸かった。一昨日も丸かった。三日前も丸かった。四日前も丸かった。五日分を数えれば、丸だったはずだ。ただし六日前は覚えていない。七日前も。八日前はもっと曖昧だ。おそらく、ずっと四角かったのだ。確認していない。測定する手段もない。ただし今日は、思っている。思っているから、そうなのだ。


「……まあ」


呟いた。声は小さい。風で麦の穂が揺れる音に上回るほどではないが、ほぼ同じ音量だ。彼は鍬を持ち直し、次の畝へ歩いた。足元の泥が一つ鳴る。二つ。三つ。四十三歳は歳のせいではないかもしれないが、そう思っている。昨日も思った。一昨日も思った。おそらく明日も思う。


菜種の種を掌に乗せた。指先で土を押し込む。押す。置く。四秒七。五。六。止まる。もう一度。四秒七。五。六。止まる。


地面が震えた。


小さい。足裏から上がる振動だ。零秒三。四。五。止んだ。トーマスは膝を屈したまま、二秒間動かなかった。三メートル先に小石が一つ浮き上がり、落ちた。コツ、と音がした。一回だけ。二度目はしなかった。


彼の掌に菜種の殻が一枚かかっている。払い除けた。地面に消えた。


「……まあ」


彼は立ち上がった。膝を伸ばす。背骨が一つ鳴る。四十三歳は歳のせいではないかもしれないが、そう思っている。鍬を肩にかける。柄に刻まれた「タ」の字が、朝の光で薄く光った。一瞬だけ。零秒二。そして消えた。トーマスは見ていない。見ているのは小屋の方角だ。朝食の匂いがそこにある。あるいは、まだない。


彼は振り返らなかった。


空をまた見た。月は四角い。四つの角が、正確に九十度である。確認していない。測る道具もない。ただし見ている。見ているから、そうなのだ。丸かった記憶と、四角い現実のあいだに、一日分の隙間がある。あるいは二日分。あるいはずっとそこにあったのだ。どちらでもよい。


「この辺りの月は、まあ」


呟いた。声は小さい。風で麦の穂が揺れる音にかき消されるほどではないが、ほぼ同じ音量だ。誰にも聞こえない。あるいは聞こえている。確認していない。どちらでもよい。


次の畝に菜種の種を押した。押す。置く。止まる。もう一度。押す。置く。止まる。月は四角い。彼の手は麦の殻を払っている。一片だけ落ちた。地面に消えた。


午前六時四分。ミドリ村。南端。海辺り。


メルは砂の上に座していた。九歳だ。あるいは十歳。確認していない。測定する手段もない。ただし今日は、数えている。指先で砂を押し込んでいる。押す。置く。四秒七。五。六。止まる。もう一度。四秒七。五。六。止まる。


一個。二個。三個。四個。五个。六个。七个。八个。九个。十个。


止まった。数え直した。一個。二個。三個。四個。五个。六个。七个。八个。九个。十个。


同じだ。確認していない。測定する手段もない。ただし今日は、同じだとわかっている。


空を見た。


月は四角い。昨日の月が丸かったことを、彼女は覚えている。覚えていないはずではない。昨日は丸かった。一昨日も丸かった。三日前も。四日前も。五日分を数えれば、丸だったことが確認できる。ただし六日前は覚えていない。七日前も。八日前はもっと曖昧だ。


海を見た。


海が、上がっている。


正確には、浮いている。海面が水平面から十五度傾き、先端が空へ向かっている。水が滴っている。あるいは、水滴が上がっている。確認できない。測定する手段もない。ただし見ている。見ているからわかっている。


魚が、空を泳いでいる。三匹。四匹。五匹。六匹。七匹。八匹で止まる。


メルは指先で砂を押したまま、それを数え直した。一匹。二匹。三匹。四匹。五匹。六匹。七匹。八匹。


同じだ。確認していない。測定する手段もない。ただし今日は、同じだとわかっている。


「昨日の月、四角だったよ」


メルが言った。声は小さい。誰にも聞こえない。あるいは聞こえている。確認していない。どちらでもよい。ただし、言っている。言わなければ、今日も丸かったと思っているかもしれない。言っておく。言っておけば、覚えている。覚えているから、違うことがわかる。わかるから、怖い。怖いから、言う。


砂の上に座ったまま、彼女は空を見ていた。魚が泳いでいる。月は四角い。海は上がっている。あるいは下がっている。確認できない。測定する手段もない。ただし見ている。見ているから、そうなのだ。


指先で砂を押した。押す。置く。止まる。もう一度。押す。置く。止まる。一個。二個。三個。四個。五个。六个。七个。八个。九个。十个。


同じだ。


午前六時七分。個室十七番。


神は画面を見ていた。正確には、見ているふりをしていた。


天体管理ウィンドウのステータス欄に、「完了」の文字列が浮かんでいる。確認した。あるいは確認していない。どちらでもよい。「表面形状:四角形(90°×4)」の文字列が、プロパティ欄の三行目に記されている。昨日は「円形」だった。確認していない。昨日のプロパティ欄を開いた記憶がない。開いていないのかもしれない。開いているのかもしれない。どちらでもよい。


タスクバーの時計が六時七分を示した。


画面の右下に、通知バッジが一つ点いている。先ほどから消えていない。押しても消えない。押さなくても消えない。どちらでもよい。


神はマウスを握った。絆創膏の端がめくれている。押し戻した。左クリックを押さなかった。押すものがない。「完了」は完了である。天体更新は完了している。月は四角い。トーマスは菜種を蒔いている。あるいは、まだ泥の中に膝を突いたままかもしれない。メルは砂を数えている。あるいは、もう帰ったのかもしれない。どちらでもよい。


「……まあ、いいか」


呟いた。声は出ないほど小さい。蛍光灯が点滅した。二回だけ。三回目は来ていない。四回目は来ない。


緑茶のペットボトルを机に置いた。残量は底に残っているだけである。正確に何ミリリットルかは知らない。指で触ると冷たい。触らなくても冷たいのはわかっている。確認していないが、冷たい。


窓の外に目をやった。漫画喫茶の駐車場には、トラックが一台止まっている。ヘッドライトが消えている。誰もいない。昨日もいた。一昨日もいたかもしれない。明日も来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらでもよい。


彼は緑茶をもう一口飲んだ。底に沈んでいる茶葉が、舌に触れた。苦い。あるいは苦くない。確認していない。どちらでもよい。


午前六時十分。ミドリ村。北斜面。


トーマスは七本目の畝に菜種の種を押していた。指先で土を押し込む。押す。置く。四秒七。五。六。止まる。もう一度。四秒七。五。六。止まる。


空を見た。月は四角い。


「……仕様ですな」


呟いた。声は小さい。風で麦の穂が揺れる音に上回るほどではないが、ほぼ同じ音量だ。誰にも聞こえない。あるいは聞こえている。確認していない。どちらでもよい。


次の畝へ歩いた。足元の泥が一つ鳴る。二つ。三つ。四つ。五つで止まる。六つ目は来ない。


小屋の方角を見た。朝食の匂いがそこにある。あるいは、まだない。振り返らなかった。


菜種の種を押した。押す。置く。止まる。月は四角い。手は麦の殻を払っている。一片だけ落ちた。地面に消えた。


明日も蒔く。あるいは、今日が明日である。確認していない。測定する手段もない。ただし今日は、思っている。思っているから、そうなのだ。


午前六時十一分。ミドリ村。南端。海辺り。


メルは砂の上に座っていた。指先で砂を押している。押す。置く。止まる。もう一度。押す。置く。止まる。一個。二個。三個。四個。五个。六个。七个。八个。九个。十个。


同じだ。確認していない。測定する手段もない。ただし今日は、同じだとわかっている。


海が、上がっている。あるいは下がっている。確認できない。魚が泳いでいる。八匹で止まる。九匹目は来ない。十匹目も来ない。十一匹目はもっと先だろう。十二匹目は来ない。これは仕様である。


「昨日の月、四角だったよ」


もう一度言った。声は小さい。誰にも聞こえない。あるいは聞こえている。確認していない。どちらでもよい。ただし、言っている。言わなければ、今日も丸かったと思っているかもしれない。言っておく。言っておけば、覚えている。覚えているから、違うことがわかる。わかるから、怖い。怖いから、言う。


砂の上に座ったまま、彼女は空を見ていた。月は四角い。海は上がっている。魚が泳いでいる。八匹で止まる。


指先で砂を押した。押す。置く。止まる。一個。二個。三個。四個。五个。六个。七个。八个。九个。十个。


同じだ。


操作ログ(抜粋) 日付:世界暦 1/7 05:48:22 / 天体管理・月 / 表面形状更新 / 円形→四角形(90°×4) / 対象:全観測地域 / 完了:未確認 06:01:03 / ステータス欄「完了」表示 / 持続:確認不能 / 原因:未判定 06:03:17 / 海水面傾角変化 / 対象:ミドリ村・南端海岸 / 角度:+15°(水平基準) / 原因:天体更新連動? / 備考:空白。 06:04:52 / 生物移動異常 / 対象:魚×8匹 / 経路:海面→大気層 / 高度:確認不能 / 帰還:未達 (備考欄:空白。備考が書かれていない。)


利用明細(抜粋) 日付:世界暦 1/7 項目:監視時間……6h08m 項目:操作回数……1(天体更新・完了確認) 項目:住民経過時間……7,042名 × 6.13h = 43,167h 合計料金:……………


(金額欄は空白。計算式が埋め込まれていない。)


月は四角い。海は上がっている。魚は泳いでいる。八匹で止まる。トーマスは菜種を蒔いている。メルは砂を数えている。一個から十个まで。同じだ。確認していない。測定する手段もない。ただし今日は、思っている。思っているから、そうなのだ。


明日も来る。あるいは来ない。どちらでもよい。


ただし、言っておく。言っておけば、覚えている。覚えているから、違うことがわかる。


昨日の月、四角だったよ。

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