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神の気まぐれ  作者: 伝説の男前


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11/14

北斜面。

午後五時四十一分。ミドリ村。北斜面。


トーマスは畝の端にしゃがんでいた。菜種の苗を一本、二本、三本と植えている。指先で土を押す。押す。置く。四秒七。五。六。止まる。もう一度。四秒七。五。六。止まる。


空を見た。


まだ夜ではない。夕方の光が斜めに差し込んで、麦の穂が金色に揺れている。雲は二つ。昨日より一つ少ない。あるいは同じだったかもしれない。測っていない。測定する手段もない。ただし今日は、数えている。二つだ。


月は見えない。昼間の月は見えない。見えないから四角いかどうかはわからない。わからないから、確認できない。確認できないから、どちらでもよい。


トーマスは苗を四本目に植えた。土が指の間に詰まる。払い除けた。地面に消えた。あるいは、まだ指についている。確認していない。どちらでもよい。


「……まあ」


呟いた。声は小さい。風で麦の穂が揺れる音に上回るほどではないが、ほぼ同じ音量だ。彼は次の畝へ歩いた。足元の泥が一つ鳴る。二つ。三つ。四十三歳は歳のせいではないかもしれないが、そう思っている。昨日も思った。一昨日も思った。おそらく明日も思う。


鍬を肩にかける。柄に刻まれた「タ」の字が、夕方の光で薄く光った。一瞬だけ。零秒二。そして消えた。トーマスは見ていない。見ているのは小屋の方角だ。夕食の匂いがまだない。あるいは、もうある。確認していない。


彼は振り返らなかった。


午後六時十二分。個室十七番。


神は画面を見ていた。正確には、見ているふりをしていた。


天体管理ウィンドウが三つ開いている。太陽。月。第三の衛星(名称未登録)。それぞれのステータス欄に「正常」が表示されている。ただし月の「正常」の意味が、五日前と異なる可能性がある。確認していない。測定する手段もない。ただし、プロパティを開けば表面の傷の数値が見えるはずだ。見たくない。あるいは見たい。確認していない。どちらでもよい。


タスクバーの時計が六時十三分を示した。


画面の右下に、小さな通知バッジが点いた。一つ。神はそれを見た。一秒間。二秒目に視線を外した。昨日より一瞬短い。あるいは同じだったかもしれない。測っていない。


「……まあ、いいか」


呟いた。声は出ないほど小さい。蛍光灯が点滅した。一回だけ。二回目はまだ来ていない。三回目はもっと先だろう。四回目は来ない。これは仕様である。


緑茶をもう一口飲んだ。底に沈んでいる茶葉が、舌に触れた。苦い。あるいは苦くない。確認していない。どちらでもよい。


窓の外に目をやった。漫画喫茶の駐車場には、トラックが一台止まっている。ヘッドライトが消えている。誰もいない。昨日もいた。一昨日もいたかもしれない。明日も来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらでもよい。


午後六時四十八分。ミドリ村。南端。海辺り。


メルは砂の上に座っていた。九歳だ。あるいは十歳。確認していない。測定する手段もない。ただし今日は、数えている。指先で砂を押し込んでいる。押す。置く。四秒七。五。六。止まる。もう一度。四秒七。五。六。止まる。


三十七個目で止めた。あるいは三十八個目だったかもしれない。確認していない。ただし、数えていることを知っている。数えていないと、別の何かが頭の中に溜まる。溜まると、砂を数えたい衝動が来る。来たら、数える。数えると、少しだけましになる。マシになったかどうかは、わからない。わからないから、どちらでもよい。


空を見た。


月は四角い。


正確には、丸くない。円じゃない。角がある。四つ。あるいは五つだったかもしれない。確認していない。測定する手段もない。ただし見ている。見ているからわかっている。丸くなかった。昨日も丸くなかった。一昨日も。三日前も。


五日間だ。


彼女は五日間を数えている。数えられるのは五日間だけ。六日前は覚えていない。七日前も。八日前はもっと曖昧だ。おそらく、ずっと四角かったのだ。確認していない。測定する手段もない。ただし今日は、思わない。思わないから、違うのだ。違うとわかっている。わかっているから、怖い。怖いから、数える。砂を。三十七個まで。あるいは三十八個まで。


海を見た。


海が、上がっている。


正確には、浮いている。海面が水平面から二十度傾き、先端が空へ向かっている。昨日は十五度だった。確認していない。測定する手段もない。ただし、昨日より高いと感じている。感じているから、違うのだ。


水が滴っている。あるいは、水滴が上がっている。確認できない。測定する手段もない。ただし見ている。見ているからわかっている。


魚が、空を泳いでいる。三匹。四匹。五匹。六匹。七匹。八匹で止まる。昨日は六匹だった。確認していない。測定する手段もなく。ただし今日は、二匹多いと感じている。感じているから、違うのだ。


メルは砂の上に座ったまま、空を見ていた。魚が泳いでいる。月は四角い。海は浮いている。三十七個の砂粒が彼女の指先に残っている。あるいは三十六個だったかもしれない。確認していない。


「昨日の月、四角だったよ」


言った。声は小さい。誰にも聞こえない。あるいは聞こえている。確認していない。どちらでもよい。ただし、言っている。言わなければ、今日も丸かったと思っているかもしれない。言っておく。言っておけば、覚えている。覚えているから、違うことがわかる。わかるから、怖い。怖いから、言う。


誰もいない。砂浜には彼女一人だ。あるいは一人ではない。確認していない。測定する手段もない。ただし、声の反響がない。反響がないから、海が遠い。海が遠いのは、浮いているからだ。浮いているから、遠い。遠いから、聞こえない。


メルは三十八個目の砂を数えた。あるいは三十六個目を再確認した。確認していない。どちらでもよい。


午後七時三分。ミドリ村。北斜面。小屋。


トーマスはパンを切っていた。麦の粉を混ぜたやつだ。ハナが焼いた。味はわからない。確認していない。ただし、食べている。食べれば、空腹が引く。引けば、よい。よいかどうかは、明日わかる。あるいはわからない。どちらでもよい。


窓の外を見た。


月は四角い。


彼は思った。「そうだ。昔からそうだったな」。


五日間だ。五日間、毎日、同じことを思っている。昨日も「昔からそうだったな」と思った。一昨日も。三日前も。しかし今日は、少しだけ違う。違うのは、窓の枠が歪んでいることだ。確認していない。測定する手段もない。ただし見ている。見ているからわかっている。枠が、丸くない。角がある。四つ。


あるいは、月がそう映って見えるのだ。月が四角いから、窓も四角く見える。窓は丸かったはずだ。確認できない。測定する手段もなく。ただし、五日前までは丸かったと思っている。思っているから、違うのだ。


「……まあ」


呟いた。パンをもう一片切った。指に粉がついている。払い除けた。机の上の粉に消えた。あるいは、まだ指についている。確認していない。どちらでもよい。


彼は窓を閉めなかった。閉める必要がない。月は四角い。窓は丸い。あるいは四角い。どちらでもよい。明日も開けるだろう。開ければ、月が見える。見れば、四角い。四角いとわかれば、よい。よいかどうかは、わからない。


午後七時十五分。個室十七番。


神はマウスを握っていた。絆創膏の端がめくれている。押し戻した。左クリックを押さなかった。押すものがない。月のプロパティを開いても、表面の傷の数値が増えているだけだ。確認しても変わらない。変わらないから、確認しない。しないから、わからない。わからないから、どちらでもよい。


タスクバーの時計が七時十六分を示した。


画面の右下に、通知バッジが点いた。一つ。神はそれを見た。一秒間。二秒目に視線を外した。昨日より一瞬短い。あるいは同じだったかもしれない。測っていない。


「……まあ、いいか」


呟いた。声は出ないほど小さい。蛍光灯が点滅した。二回だけ。三回目は来ていない。四回目は来ない。


彼は緑茶のペットボトルを机に置いた。残量は底に残っているだけである。正確に何ミリリットルかは知らない。指で触ると冷たい。触らなくても冷たいのはわかっている。確認していないが、冷たい。


窓の外に目をやった。トラックが一台。ヘッドライト消灯。誰もいない。昨日もいた。明日も来るかもしれない。来ないかもしれない。どちらでもよい。


月は四角い。海は浮いている。魚は空を泳いでいる。トーマスはパンを食べている。メルは砂を数えている。三十七個か、三十八個か。確認していない。測定する手段もなく。ただし、言っている。「昨日の月、四角だったよ」と。


神はそれを聞いていない。聞いていないから、わからない。わからないから、クリックしない。しないから、変わらない。変わらないから、明日も同じだ。同じでよい。あるいは、よくない。どちらでもよい。


蛍光灯が点滅した。二回だけ。三回目は来なかった。四回目は来ない。


これは仕様である。


操作ログ(抜粋) 日付:世界暦 1/11 06:48:00 / 天体管理・月 / ステータス:正常 / 表面傷数:+2(前日比) 17:03:00 / 地形管理・南端海域 / 海面傾角:20.3°(前日:15.1°)/ 推移:上昇中 17:03:00 / 生物管理・魚類 / 空中遊泳個体数:8(前日:6)/ 推移:増加中 19:15:02 / 住民データベース・メル / ステータス:砂粒計数中… / 経過時間:47min+ / 完了:未達 (備考欄:空白。備考が書かれていない。)


夜、まだ暗い。


ミドリ村の南端で、メルは寝ていた。あるいは寝ているふりをしていた。指先には砂粒が一つ残っている。三十七個目の、あるいは三十八個目の。確認していない。どちらでもよい。


窓の外で、月は四角い。海は浮いている。魚は泳いでいる。三匹か四匹か。確認できない。測定する手段もなく。ただし、見ている。見ているから、明日も見るだろう。見たら、言う。「昨日の月、四角だったよ」と。


言わなければ、丸かったと思っているかもしれない。言っておけば、覚えている。覚えているから、違うことがわかる。わかるから、怖い。怖いから、言う。


明日は三十九個目を数える。あるいは三十六個目を再確認する。確認していない。測定する手段もなく。ただし、砂はまだある。海が浮いている限り、砂はまだある。砂がある限り、数えられる。数えられる限り、覚えている。


覚えていることが、何に意味を持つのかは、わからない。わからないから、どちらでもよい。


ただし、言っている。言っておけば、消えない。消えないなら、それでいい。


明日が来る。


利用明細(抜粋) 日付:世界暦 1/11 項目:監視時間……24h 項目:操作回数……0 項目:天体異常……1件(月・形状) 項目:地形異常……1件(海域・傾角) 項目:住民経過時間……7,042名 × 8h = 56,336h 項目:砂粒計数……37個(または38個)× 1名 *合計料金:……………


(金額欄は空白。計算式が埋め込まれていない。)

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