地上の限界
アルドが持っていた加速の魔石を、後輪の安定化の魔石の横に固定する。
取り付けを終え、自転車を立てると、アルドが待ちきれない様子でハンドルを掴んだ。
私は口を開く。
「速度が出すぎると、ブレーキが効かないかもしれません」
アルドは片足をかけたまま、軽く笑う。
「おっけーおっけー。エルンスト、あっちに防護結界張っといてよ。止まらなかったら、ぶつかれば止まるでしょ」
走行先を指差す。
なんて乱暴な理屈だ。
エルンストが短く答える。
「わかった。自分の結界は自分で張れよ」
「へーい」
エルンストはこちらを見る。
「フィーネとルーカスは下がれ。何が起きるかわからん」
私とルーカスは頷き、距離を取った。
⸻
「じゃあ出発ー」
ペダルが踏み込まれる。
次の瞬間。
——アルドの姿が、ぶれる。
踏み込んだはずの場所から、もう数歩先にいる。
地面が蹴り飛ばされたように土埃が舞い上がる。
今まで見てきたどんな速さとも違う。
風を切るのではなく、空気を引き裂いて進むような速度。
横を通り過ぎた瞬間、遅れて風圧がきた。
さらに、加速する。
「うわっ」
アルドの足がペダルから離れる。
回転が速すぎる。もう人の脚が追いつく速さではない。
それでも、加速は止まらない。
防護結界が目前に迫る。
減速しない。
「アルドさん! ブレーキ!」
思わず前に出ようとした私の前に、ルーカスの腕が伸びる。
止まらない。
——ぶつかる。
私は無意識に、ルーカスの腕を強く掴んだ。
轟音。
衝撃が地面を震わせる。
自転車は、結界に弾かれ、止まった。
アルドは。
ぶつかった衝撃で、身体が跳ね上がった。
息をのむ。
しかし、彼は宙で一回転し、軽やかに着地する。
私は胸を撫で下ろした。
結界に弾かれた自転車は、地面に横倒しになっている。
アルドと自転車の方に駆け寄ろうとした、そのとき。
「来るな!」
エルンストの鋭い声。
次の瞬間、視界に色が差し込む。
——赤。
魔石が詰まり、暴走するときの色。
低い唸りが、鉄の奥から漏れる。
胸が大きく脈打つ。
エルンストが即座に自転車を囲むように防護結界を展開する。
ほぼ同時に、アルドの結界が重なる。
ルーカスが一瞬遅れて、私の前に結界を張る。
赤が、脈打つ。
ひび割れるような高い音。
そして——
閃光。
空気が内側から膨れ、爆ぜる。
爆音が結界を震わせる。
鉄片が内側で弾け飛び、火花が散る。
煙がゆっくりと晴れていく。
そこにあったのは、
もはや“自転車”の形を保っていない鉄の塊だった。
フレームは中央から折れ曲がり、
前輪は歪み、
後輪の魔石部は黒く焦げ、ひび割れている。
心臓の音だけが、やけに大きい。
やがて、3人が結界を解いた。
誰も、すぐには口を開かなかった。
静寂が落ちる。
焦げた鉄の匂いが、ゆっくりと漂う。
最初に動いたのは、アルドだった。
服についた煤を払って、歪んだ鉄の塊を見下ろす。
「……あちゃー。これはすごいことになった」
間延びした声。
「でも、めちゃくちゃ速かったね」
にっと笑う。
「トップスピード、たぶん空より速いよ。あれはもう、地面を借りてるだけだった」
その軽さに、肩の力が少し抜ける。
エルンストが低く言う。
「笑い事ではない。完全に制御不能だった」
私は、アルドの方に走り寄った。
「アルドさん、身体は大丈夫ですか?」
アルドは手をひらひら振って答える。
「問題なし。ちゃんと防護してたから」
「ブレーキ、効かなかったのか?」
ルーカスも近寄ってきた。
アルドは一瞬思い出すように首を捻る。
「あー、うん。効かなかった。でもこれ、ブレーキも魔石にしたら多分ちゃんと止まるよ」
そう言って、私の方を見た。
ブレーキも魔石。
魔石は、本当に便利なものだ。
だけど。
私は首を振った。
「事故の衝撃で爆発する魔石なんて、使えません」
きっと、死亡事故が多発する。
「この速さ、魔法使いは欲しがると思うけどなあ。俺は欲しい」
エルンストは焦げた魔石の破片を拾い上げる。
「欲しがるだろうな。だが、扱える者は限られる」
黒くひび割れた断面を一瞥する。
「そして、扱いを誤れば、こうなる」
それだけ言って、破片を地面に置いた。




