静かな決断(エルンスト)
中央監査庁の会議室で待っていると、呼び出した人物が入ってきた。
穏やかな笑みを浮かべた、白髪交じりの老人。
中央監査庁長官。
通称、たぬき爺。
柔和な笑みの中で、相変わらず目だけが鋭い。
私は一度立ち上がり、彼を迎える。
彼が椅子に座ったところで、私も対面に座った。
「今日は、昨日の少年は一緒じゃないのか」
「今日は休みです。あまり詰めても、潰れますから」
「なかなか見どころがありそうだった。引き込めるなら引き込みたいものだな」
軽くそう言ってから、こちらを見る。
「で、内密の話とは?」
「研究の成果についてご報告を。まずは見ていただくのが早いかと。こちらをご覧ください」
私は、フィーネが削った魔石を取り出す。
削られすぎて、もはや彫刻のような形をしている。
「……呪文はかかっていないな。ずいぶん削ったものだ」
たぬき爺は、魔石を見ても表情を崩さない。
もう一つ、呪文をかけた魔石を取り出し並べる。
沈石粉を、二つに振りかけた。
粉が、ゆっくりと動き出す。
そして——
全く同じ流れを、二つの線が描く。
「……」
一瞬、たぬき爺が息を呑んだような気配がした。
ほんのわずかに。
だが、すぐに表情を消し、ふっと笑った。
「これは、面白い。……ずいぶん器用な子がいたもんだな」
笑っている。
けれど、その目は笑っていない。
「……で?エルンスト。君は、これを、どうするつもりだ」
「現時点では外には出していません。外部への出し方は慎重にすべきかと。その判断も含め、ご相談に参りました」
少しだけ間を置く。
「これを作った者は、他の呪文の流れも再現可能です」
一拍。
「……それと」
少しだけ、言葉を選ぶ。
「出力は、呪文をかけた場合の三倍以上。さらに、衝撃を与えても、爆発しません」
たぬき爺が、動きを止めた。
沈黙。
彼は何も言わない。
ただ、魔石を見ている。
意味を理解し、計算しているのだろう。
やがて、小さく息を吐いた。
「なるほど。……これは厄介だな」
静かに手を組む。
「……これを作ったのは、誰だ」
「——それは、伏せさせてください」
一瞬の沈黙。
だが、すぐにたぬき爺が口を開く。
「研究メンバーは、アルド、昨日の少年——ルーカス。 そして、もう一人。フィーネ」
彼の視線がわずかに細まる。
「彼女だけ、一般人だったな」
こちらを見る。
「隠す、ということは——守りたい、ということか」
逃げ場はない。
「……はい」
短く、答える。
「ふむ」
たぬき爺は、顎に手を当てた。
「こんなものを作れる人材を、野に置いておくのは惜しい」
一拍。
「失われぬよう、手元に置くべきだな」
視線がこちらに向く。
「その娘には、中央監査庁の立場を与えろ。名目は何でも構わん」
少しだけ口元が緩む。
「少年——ルーカスと同時でいいだろう。目立たん」
淡々と続ける。
「それと」
わずかに間を置く。
「他の人間で再現できるか、試せ。できるなら技術だ」
視線が、削られた魔石に止まる。
「……できないなら、その娘個人の価値になる」
その言葉は、重い。
「どちらにせよ、外には出すな。少なくとも、今はな」
椅子に深く腰掛ける。
「外に出す時期は、こちらで決める」
たぬき爺は、もう一度手を組んだ。
「性能と安全性の確認が済み次第、まずは内密に運用する。王城の防護結界か、都市の大規模照明か。そのあたりが妥当だな」
どちらも、安定性と高出力が求められる。
だが、この魔石ならば。
——根本から、変わる。
「エルンスト」
ふいに、たぬき爺がこちらを向く。
「はい」
「出世する気はないか」
唐突な質問。
ほんの一瞬、考える。
現場で事故の原因を調べたい、その気持ちから、今までは断っていた。
だが。
「……必要であれば、受けます」
「ほう」
わずかに目を細める。
「ようやく、その気になったか」
「守るために必要ならば、立場もまた手段です」
「いい判断だ。手配しておこう」
一瞬、沈黙が落ちる。
張り詰めていた空気が、少し緩んだ。
たぬき爺が、ふと思い出したように言う。
「いっそ、君が妻にしてしまえば早いのだがな」
付け加えるように言う。
「私的にも、公的にも守れる」
「……そういう関係ではありません」
即答する。
けれど、ほんのわずかに、思考が引っかかる。
——あり得ない話では、ないのかもしれない。
すぐに、その考えを打ち消した。
「ほう」
面白そうに目を細める。
「悪くない案だと思ったんだがな」
揶揄うように笑う。
「二人に話をしてきます。中央監査庁への所属手続きの件も含めて」
それだけ告げて、立ち上がる。
私は深く一礼し、会議室を後にした。




