軫之章「陵光土埃に起ち、人間に憔徊を始む」 二話
直後、禺は頭を焼かれた。首から上が灰になり、胴は地に落ちた。
「これ位なら、できるか」
陵光は呟いた。己の手で掴んだ部分が、灰となったのである。精が弱まったとはいえ、まだ端下の怪が相手ならば灰燼にはできるらしい。
これを見れば逃げるか、と思った。禺は寧ろ怒った。
群れとなって陵光を狙ってくる。左右から攻め手を往なしながら、陵光は周りを確かめた。
──やっても良いが、できるか
陵光は不安を抱えながらも、己を試しに掛かった。
左腕に力を込め、精を鞘のようにする。
「よし」
陵光は精の鞘で薙いだ。禺が二匹、両断された。
手には赤熱した剣が在る。墜ちる前に練っていた雌雄剣と比べれば弱々しいが、今なら十分だった。
触れれば死ぬとは、禺も解っているだろうか。少し距離を取りながら、陵光を囲んでいる。六は居る。
背後から咆声である。すぐに斬った。隙を察たか更に二匹。返す剣で骸とした。
「来い、死ぬか」
陵光が吶喊を挙げれば三匹、分かれて来る。
上を斬り、横に躱してから払い、潜り込みに来た禺を、地面ごと突き刺した。勢いの余り、黒い路装まで貫き、周りからは火が熾きた。
もう牙を剥かれない。刺さった剣を精気へ戻した時、陵光が思ったことは
──やはり鈍っている
という一点である。墜ちる前には同じように、もっと力を抜いて、倍の数は斬れた。九匹を夷したとはいえ、たかが九匹というのが実感である。
熱が冷めた陵光は、向後のやり方を考えようとした。いっそここを離れた方が、己の為になるかもしれない。どこに向かうのが善なのか。やはり土地が判らなければ、何も決められないだろうか。
気落ちも隠し辛いほど大きい。棒立ちして遠望をしていると、後ろから女の声が聞こえた。
呼び掛けるような声だったが、直後に悲鳴に変わった。
陵光は振り向いた。さっきの嚢やら珥やらを置いていた女だった。横には官服らしき物を着ている男も一人、蹤いてきている。
「中へ」
陵光は女に、後ろを向かせた。禺の尸が苦手だったのだろうとは、想像し得る所であった。
蹤いてきた男も、陵光の言わんとしている事が判ったのか、女の肩を支えるように超市の中へ連れて行った。
刻が経って、落ち着いてきたらしい。周りの声が静かになってきて、やり取りができるようになった。
言葉は通じない。だが女から官服の男に話し掛けて、小さな板を取り出させていた。
よく磨かれた玻璃のようである。そこに何かの図が描かれていた。指でなぞると、その図が縦横に動いていく。
「これは?」
陵光の声に反応して、男は何かを言った。
「我想、大概就是这个吧──」
男は見ず知らずの陵光に、かなり親身であった。男は、陵光に向かって身を寄せながら、玻璃の板を確りと見せてくる。
線が多方に引かれ、己が居る所には広い空間に円が打たれていた。こうして覧ると、陵光の埋まっていた辺りが川の洲らしいことも、なんとなく解った。
男は指で、少し辺りも覧れるようにしている。だが陵光にはそれが、邪魔でもある。
手で動きを止めさせて、大きな円を手で作った。
男は指で、円を己を示す円を大きくするように、図を動かした。陵光は違う、という仕草をした。
男も解ったらしい。気が付けば女も、顔を近付けて様子を窺っていた。
周りに人が集まっているらしいが、陵光に気配りはできない。
もっとか、と男は示している。もっとだ、と陵光は肯いた。
次第に右下から薄い色が現れ、左は緑青が濃くなった。それが何を表しているのかは、なんとなくではあるが判別が付く。
──山と水ではないか
天にも一応在るものだから、分けたがるのも納得は行く。どちらが山かまでは解らない。
陵光は玻璃を熔かさないように、薄い色の側を指した。
「那边是海。你想去那里吗?」
男の言葉に、陵光が返し文句を戸惑っていると、手で波を作られた。もしかすれば水ではないか、と想像するのに時間は掛からなかった。
だとすれば、今の弱っている陵光には、余り宜しくない地である。火の神である陵光には、水辺に難がある。いまに禺の怪と戦ったのだから、同じような水怪が出てこないとも限らない。しかも表された水も、だいぶ瀰く察えた。
──逆の方角へ往くのが良さそうか
陵光はそう考えた。右が水なら、そうでない場所は陸である。陸を往くのなら、流水で足を取られない限りは何とかなる。
陵光は男のやったように、勝手に玻璃の板を操り始めた。己の居る場から左へと往ける路を辿っていく。
少し上へ向かい、左へと何度も動かすと、山中ばかりを通るとはいえ、いずれは大きな都へ着けそうでもある。そこまで判れば、共に墜ちた皆は何処に居るのかも探ってみなければならない。
だが今の己で、その意図を伝えられるだけの言語を使えるだろうか。
迷った陵光は身を離して、言葉少なく礼儀を示し、場を去ろうと決めた。ここに留まっていても限りがあるという、見切りでもある。
禺の尸は、己の火で塵にしてから立ち去った。女の反応をからすれば残すのはいけない、という判断であった。火を熾こす毎に衆が声を上げたが、あまり気にせず、手早く事を終えた。
幾らか歩いてみれば、この地はだいぶ大きい。幾条の道が走り、四輪車が数多く駆けている。そんなに高貴が多いのかとも、陵光は思った。多すぎて、胆が冷えてもいた。
左右には何丈か判らない楼閣が建つ。上から矢を射掛けたら良いなどと、天の大乱への擦れが抜けていないせいで思ったりもした。
歩けば歩くほど、己の所在が分からない。少しずつ理解していくしかない。
そんなこんなで、十里を往ったか。
陵光の前には紫微のような建物が聳えた。とはいっても、紫微よりは小さい。左右には幾つもの闕が整列して、奥まった辺りには山が在るのだ。
陵光も、他の目が気になってくる頃合いである。どうにも己の身に着けている物は、この辺りでは異様らしいと覚えた。
左右を眄る。誰も居ない。少し安堵した。
後ろには、先から四輪車が何台と駆けている。唸るような音だが、あまり不快では無いか。
それでも、あまりに強い音を発するものが在れば、それは不快だった。今も、近くに来ている。
──どうにも、五月蠅い
陵光が音の方を向いた。悍馬のような動きの四輪車がある。こちらに突っ込んできている。
すぐさま剣を練った。構えていると、やはり異常な動きだと判った。
陵光にも矜持が在る。他に害がありそうなら、容赦もできない。
狙いを定め一閃、縦に斬った。勢いのまま、後ろへ飛んでいく。斬った途端に爆ぜもしたが、陵光にはその程度の熱なら、問題にならなかった。
周りが灼けている。火の上から、先の禺のような怪が、跳んで来ていた。
「多いな」
思わず言った。先に話した者共の態度で、このような存在に慣れていないとは知れた。ならば何故、このように目立っているのか。
禺を斬りつつ、上を仰いだ。何も異常は無い。
目を下に戻すと禺の他にも、黒黄の猿が群れている。猿の体は禺の半分も無いが、五匹ばかりが固まっていた。
禺が詰めてきた。陵光は先と同じだと思って、頭から割った。その後ろから、猿が塊で襲ってくる。陵光の手足を抑えようとしてくる。それを陵光は、火を帯びることで焚いた。
二匹の猿が逃げていく。陵光は逃がすまいと思ったが
──消耗はできない
と考えて、逐うのを止めた。
陵光は火の中で、息を吐いた。多分これが、ずっと続くのである。周りに誰も居ないことだけ確かめて、瞼を閉じた。
息を大きく吸う。陵光の周りに拡がった火が全て、肺の腑へと収まっていった。
精気を少々、取り戻せたか。火が無くなって、陵光は開いた目を下に遣った。
足元に骸が落ちている。どうやら斬った四輪車に乗っていた者らしい。そればかりは陵光も、どうにもならなかった。




