──どのように動けば良い
などと考えられるほど、今の状況は好ましくない。
立ち竦む陵光らの前に数多の警察や、特殊な甲らしき装束を纏っている者が居る。
向こうは向こうなりに、本意として逐捕せんとしているのだ。それでも動かないのは、三柱が西方で大立ち回りをしたからかもしれない。
陵光は己の右を、眸だけ動かして眄た。
ほんの一瞬である。その一瞬では路面と、前面と同じように詰めている警察くらいしか判らなかった。
ただそれしか眄えなかったのなら、監兵らは後ろに控えているという事だろう。
陵光は丹田を使って、肺腑の息を吐き出した。
近くには怒号も有る。陵光らは動いていない。だが警察らから視れば、その限りの認識では無い。
執明は车の上で、加特林机を携えているのか。その姿も、相手を刺戟していないか。そう考えるのなら陵光が大桿刀を把しているのも、威嚇に比いのだろう。少なくともここまで大きな得物は、三柱以外持っていないのである。
陵光は掌を開いて、大桿刀の形を解いた。
そして少しずつ、警察へと近寄っていく。
歩く、という感じでも無かった。
陵光は背後に、少しく気が揺らいだのを感じ取っていた。たぶん監兵辺りが息を乱したのだ。
取り囲んでいる者共も同じらしい。陵光を異物として睨む目が、先よりも強くなっていた。
それで良いと思っている。捕まりたい訳では無いし、無用に警戒をさせないことが先決なのだ。その筋を違えない限りは、陵光だけでも対処しきれる。
陵光は腰を屈し、揖の型に手を執った。
「南方朱雀神君、陵光と申します。鳳凰の子にして天の祭禮を繙き顕し大壇を稱したるに天效地宜畢々均して鐘鼓笙笛塤磬匏琴瑟らを鳴らし──」
呪文の様に、己が天で事えている職務を次々に唱え始めた。
単純な自己紹介では無い。持ち得る知識を駆使して、相手の判断を鈍らせるのである。
騙すというのは普段の陵光にとって不愉快の内であった。だが文吏という括りとして謂うのならば、当然の如く身に着けている技能でもある。
千文万言を滔々と流し、言葉を返させない。次第に眼前の衆の手が下がっていった。
──このまま行けば
そう考えた陵光は次に、顔に柔らかい笑みを表した。思考が鈍った所へ今度は恭しくして、信頼の情を植え付ける。そして己らの言葉や思惑を通り易くするのだ。
陵光と話し掛けている警察との間には、数丈の間が在る。
一対一、閉じた空間ならば近付いて手を取るのも良かった。だが開けていて、尚且つ多数に囲まれているのなら、背を直して鐘の様な声で堂々と演説すべきであった。なるべく多くの者に、陵光の声を聞かせておくのである。
周りは陵光の声を、注意深く聞いているらしい。陵光が言葉に韻を踏んだ時に、微かに体を揺らす者も出てきていた。
陵光は言葉を選ぶ事も得意である。祝詞をいう役目は多い。声を発し俯瞰しつつ
──余計な事はするな
と、後ろに居る監兵や執明に念じていた。
騒々しさは潰えている。
今なら平気だろうか。鑑みた陵光は、二足ばかり歩を前に進めた。
少し止まった。また数足進んだ。間近にまで進んだ時であった。
大きな声があった。
陵光は、声の方から何者かが駆けてくるとは判っていた。ここまで場を為しておきながら今更崩す訳にもいかないと、無抵抗を選んでいた。
「やめろ!」
監兵が、駆け寄ってきた者を叱りながら跳ね飛ばした。陵光が図った通りにはならなかったのだ。
抱えていたものが崩れたと知って、陵光はすぐさま踵を返した。
「監兵来い!」
陵光は號声を上げた。
監兵はすぐさま、その場に固まった。大桿刀を顕しながら、陵光は監兵の仕草を睨んだ。
何を以て突き飛ばしたのか。体か脚か、鉤爪を使っていたなら、たぶん駆け寄ってきた者は寸断されていたはずだ。突き飛ばされた体に、斬られた痕は無い。
観察する内に幾らか弾を撃ち込まれたが、陵光は大桿刀を水車に回して避けている。
後ろに下がったから、執明とは少しやり取りができるようになっていた。
「監兵は徒手でしたか!」
それぞれの位置から謂って、最も俯瞰できていたのは執明であった。監兵は鉤爪を顕したままではなかったか、と陵光は訊いたつもりである。
「他よ」
執明は静観しているらしい。加特林机は包囲へ向けているだけである。監兵は囲まれているが、陵光の声もあってか周りへと手を出してはいない。
少しずつ囲みが小さくなっている。監兵に手が届きかけていた。
「行って参る」
陵光は短く執明に告げた。執明は何も言わなかったが、構わずに陵光は監兵を囲みから脱せんとする為に向かった。
大桿刀の長い柄を使って、周りの者共を往なしていく。剣ではできなかった芸当であった。運が良かったとも思っていた。
「監兵!」
陵光は監兵の手を掴んだ。強引に引き寄せて腰を抱えると、執明の近くに飛び退いた。
監兵の手。虎頭の装飾を拵えた、丁字状の棍が握られている。あの時は、これで押し飛ばしていたのだろう。
「好」
陵光の口から思わず漏れた。周りの様相を今いちど窺って、そんなことを言っていられないと自省した。
陵光はそのまま顧みた。
──山に逃げるか
その様に図っている。
西宁の時が如く、火焔を壁の様に放って囮にする。その前に丁淩を外に出さねばならない。
陵光は舌打ちをした。
執明も牽制程度ならしているが、直接相手に中てないよう気を払っている。監兵もあまり、戦いに投じられる気配では無い。陵光が己でやらねばならないらしいのだ。
意気を決めたばかりであった。
兵の喚く声が聞こえる。声の方角へ気を逸らすと、青々とした蔓が包囲を吞んでいる様子が見えた。
真実か、と陵光には思えた。明らかに人のやる事では無かったし、陵光の頭の中で何かが繋がっている。
蔓の元である。
隆々たる一丈二尺、碧緑の毛髪鬚髯。高く、角の付いた頭飾り。それが猛烈に、こちらへ駆けていた。
間合いを詰め終わった時、警察らが乗ってきた车に片手を掛ける。
「おらあ!」
巨躯は軽々と车を投げ飛ばした。五丈ばかりを滞空し、誰も居ない場所へと落下する。
投げ飛ばした勢いままに、逆側の腕で地が撾り付けられた。そこから新たに蔓や樹木が茂々と生え盛った。
「おい!」
「判った!」
陵光は己に掛けられた聞き慣れ有る声に応えて、半ば腰を抜かしている丁淩を车の中から引き摺り出した。
乱暴ではあったが、気遣いをする状況でも無い。
執明にも目を使って、山に入ると伝えた。肯かれ、足並みを揃えた。
陵光は巨躯に向け、己の知っている呼称に合わせて言葉を変えた。
「孟章! 後ろは頼む!」
「おし義兄弟、任せろ! とっとと行け!」
陵光は抱えていた監兵を降ろし、代わりに丁淩を背負った。このまま孟章に後ろを任せて、山中へと匿われに向かうのだ。
後ろから步枪の音が響いてくるが、孟章が生じた草木に阻まれているらしい。
陵光らは駆け、一里もしない内に孟章が歩幅を合わせてきた。
「その男を貸せや」
孟章は、陵光へと頤を向けている。陵光はすぐに足を止めて、孟章へと丁淩を引き渡した。
「人々は無事か」
陵光は丁淩の肩を渡す時に、同じくして孟章へと訊いた。
「気にすんな。派手にしただけだ」
「车も投げていただろう」
「誰も居ねえのを選んでんだよ。投げる場所も選んだ」
そう言いながら孟章は、双肩に丁淩の体を垂れ掛けさせた。
そののち陵光と孟章は、互いに歩幅を見合いながら、先に進んでいた執明と監兵へと蹤いていった。
六里ばかり走って、路の敷かれていないような山林の中、四柱は足を止めた。
やっと、皆が顔を見合わせる隙ができた。丁淩を支え、地に腰下ろさせた孟章は開口一番
「てめえら、何やったんだ」
と、落とした口調で問い掛けてきた。