慄いたか、怒気に身を冷たくしたか。
陵光が襲い来た怪の四肢を刎ねた瞬間、珍物を取り囲んでいた怪共は顔を陵光へと向けた。
好い、と陵光は思っている。女の求めていた珍物から目が背かれることは、そのまま守護する珍物の十全に繋がるのだ。
ならば猶更、陵光はもっと目を惹き付けられるように試すのが好い。
威嚇し脅かすより、場の怪を殄滅したい。残党が居れば、また街を襲うかもしれなかった。
陵光は下手に火焔を熾さず、無慮に立ってみた。剣の先も地に向けている。
弱そうな敵、というのは怪が最も闘いたがる。本能である。そして陵光が今までに蒐め識っていた怪の姿である。
様態を甚だしくする為にも、陵光は周囲への気配りを目だけでしている。動きの疾いもの、そして仲間意識の強いもの。それらがまずは突進して来るのだ。
羽の有る怪と、禺の形をした怪がそうであった。
羽怪は然程大きくなかった。鼠のような丈で十、二十と群れてくる。
陵光は足を動かさないままに剣で払いつつ、禺怪の動きも追っていた。禺怪の身は文が多く、派手ですらいた。叫声は呵々と笑う様である。臥せて背を低くし、屹と見開いて陵光の隙を窺っているらしい。
剣を大きく振り回す。
脇腹が空く。できた陵光の隙に、禺怪が飛び込んできた。
──然なり
陵光は開いた脇腹を閉じるように上体を落とし、その動きに剣の刃を従えさせた。
今まで加減に終始したせいか。力が籠り、禺怪のみを斬ろうとしたのに剣が地にめり込んだ。
自然か、禺怪は竹らしく割れた。
陵光は息を抜きながら、下がった視界を上げた。瞰てみれば、怪はまだ衆を為している。
怪の衆へと寄るのに、陵光は走らなかった。来るものから来るように仕向けた。禺怪の類は狡さを発揮して避けようとしているが、獰猛さの察える怪はそうでも無い。
宙に浮く麋の怪は、その一端であった。
尾が鞭の様である。それを振り回し、或いは何かに巻き付けて、上から陵光を襲おうとした。
靱やかではあるが、断ち斬れないものでも無さそうである。陵光は向かってきた尾から身を屈め、尾の通る所へ刃を置いた。
尾が断たれ、麋怪は甲高く鳴きながら地に落ちる。陵光は一瞥もせずに、落ちた麋怪の頸を打った。
珍物は無事か。陵光は目配せをして、平気そうだと認めた。そしてその時に丸い手が在ったから、幼子らしいとも知った。
火は使わない。無駄に熱を纏えば、巻き込む。
──そんな者に、これだけ付き纏うか
陵光は少しく怪を蔑む気分にすらなった。それでも今は、徐々に忌を摘んでいけば良いとも考えている。
それからは禺怪、麋怪、そして端々に現れる羽怪。これらを着実に夷らげていった。
幼子へと近付いていく。あと一歩(約一四〇センチメートル)という距離まで来て、また禺怪が一匹、陵光に飛び掛かってきた。
何度も陵光が斬ってきた相手である。辛くも無く、鼻面から横に割った。
襲ってくる怪の姿が、瞰える処には無くなっている。陵光は剣を解き、両手を空けた。
地に伏せていた幼子の身を抱き上げる。陵光の腕の中に顔が有る。
「泣くな」
最初、そう言葉を掛けた。幼子を診てみると、額に掠り傷が付いている。意識は明然として、双眸はそのまま陵光の目を捉えていた。
どう還ろうか、経路を陵光は考えた。そして、このまま幼子を抱えて山を下り、下りきった処で自由にすれば間違い無いと思えた。
それで行こう。陵光が決めた時である。
山の繫みが俄かに揺れ始めている。葉や枝が触れ合う音の他に、鈍い跫音らしきものも聞こえて来ていないか。気が揺れているのである。少なくとも透き抜けているとは思えない。
幼子は降ろそうかとも思った。降ろして不条理を増やすのもいけないから止めた。
音が一層大きくなる。枝の折れる音が、固くなっていた。
斫音。近い処で一発、共に嘶く様な呼吸。
陵光は身を転がした。胸と腹で幼子を包み、背を地に当てた。
土が少しかかったが、拙い動きはしていない。
身を起こした。目は、何事かが起こった方角へと既に向けていた。
大きな影。周りに同じように、それより少し小さな影がある。全てが四足である。
大きな影は牛の様であり、小さな影は馬の様であった。
計るに十五餘。
牛が如き怪は裸(人)の顔、赤い毛。馬の如き怪は体に文があり、水の気配がする。特に牛の怪の方が、力を持つように思えた。
牛怪が鳴く。赤子の喤々のようである。
陵光は救け出べき幼子を抱えたまま、左手へと剣を再び顕した。
牛怪の目が伝えて来るのは、目的は陵光というより幼子であるということである。
垂涎もしている。察るに犯す相手であると定めているらしい。ならば陵光も、幼子を離す訳にいかない。
牛怪が昂奮のまま、真っ直ぐ角を向けてくる。
陵光は宙に避けた。すぐに仕留めんとも思ったが、周りの馬怪も囲んできている。
このまま落ちていくのも危ない。陵光は真下に立ち過ぎぬよう少し抑えて、周りへと火焔を放った。
壁にもなるまい。馬怪に感じた水の気が本当ならば、構わずに闖入してくるはずである。陵光は備えた。
果たして地に降りた時、その通りとなった。
牛怪は躊躇しているが、馬怪は跳び越えてくる。
陵光は剣を振った。刃の中程が馬怪の膚へと触れた。しかし撓むように弾かれた。
火が水に、揺らぎ押されるようにである。
──こうなるか
陵光は下手に剣を扱わず、幼子を懐の内に丸めさせ、上に剣を翳して馬怪の蹄から身を守るに徹した。
上を馬怪が過ぎる度、重みが圧し掛かる。陵光は耐えながら牛怪の貌を窺った。
睹視されている。地を足で掻いてもいる。ならば意気は軒昂であろう。
逃げるか、とも考えかけた。確固な考えとなる前に街への害を慮って、頭を冷やした。
ここで耐えるのも辛さがある。今の所、打開の端緒が無い。
だが幼子だけは、なんとかしようと思った。幸い馬怪の方は幼子に興味が無いらしい。
陵光は腕から、幼子を放した。同時に円に火焔を熾した。一端を除いてである。
少しだけ、馬怪の流れが途切れた。
「走!」
陵光は射つように大呼した。
幼子の背を推し、火焔の途切れた一端から飛び出させる。己は違えて、火焔を飛び抜けて牛怪へと突っ込んだ。
牛怪は反応している。陵光にである。これなら狙い通りであった。
陵光は地を駆けない。土に擦れんばかりの高さで空を踏み、矢の如く牛怪の間近に立つと剣を振り上げた。
牛怪の左目を捉えた。縦に斬れ、牛怪は悶え跳ねている。
暴れ方が烈しくなる前に、陵光は脚の腱を断とうとも思い立った。目で牛怪のその辺りを追ってもいた。
だがそれが、警戒を怠らせていたらしい。
見えぬ所から硬い物が肩口にぶつかる。
牛怪の角ではないか。そう陵光は感じた。だから一度、剣で摧きに掛かった。
すると目が逸れて牛怪の、きっと腰であろう所に衝かれた。
陵光にとって不利とは謂えなくとも、牛怪は大力である。その大力に対して少し侮り過ぎていた。
飛ばされる体。次には横から、遠ざけていた馬怪の群団が陵光を轢いた。
十餘匹の水気の怪に踏まれる。陵光にとって痛手であった。
丁度、鳩尾に入ったのも幾らか有る。地に打ち付けられて、藻掻くしかできなかった。
数度咳込んで、肩から頭を持ち上げる。
次に瞥たのは至近に在る、牛怪に付いた裸の顔であった。
また衝撃があって、陵光の身は飛んだ。
完全に弱った、と謂うまでには無い。それでも一度の油断で大いに窮まっているとは判る。
身を捻った。幼子の姿は無かった。だから力を入れても良い。
陵光は上、怪共は下、されども真正面に見据えるように対した。
赤熱した剣を振りかぶる。決めるなら必中だった。
捉えようという時。どこかから牛怪へ、弾雨が降り注いだ。