柳之章「三柱を疑わ可から使むに、人人出師す」 五話
西宁の西は、人々の住まう建屋が集っている。陰が多いが、人の目も多い。
陵光と監兵は、なるべく隙を縫うように進んだ。方角まで確認しなくても良い。横を窺い湟水が在れば、凡そ向きは合っている。
丁淩と執明が乗っている车は、湟水の北側を通っていた。
そちらの方が南よりも、街が整然としていない。だからこそ身を隠しやすい。戦慣れをしている執明が、路を指示しているのかもしれない。
陵光らは追いながら、時に屋宇の上から、時に降りて近くから動向を追った。
「戦い方は?」
と、監兵が言う。
陵光は背を向けたまま応えた。
「先にも言った。一丈を超えて離れなければ良い」
「加減する」
「そうだ」
監兵の相槌は明瞭である。だが果たして、本当に事が起こってから形を為すかと謂えば、そうとは限らない。監兵が戦に得意だからこそ悩みも深かった。
「まあ良い」
陵光は聞かれようと思わずに私語した。
「なにが?」
監兵に聞かれていたが、陵光は特に深い意味は無かったのだと、適当な形ではぐらかした。
西宁の中央に近付く程、どこか騒々しくなっている。人が繁華しているのもあろうが、そういう晴れやかな騒めきでは無かった。雰囲気が鈍重なのだ。
監兵には後ろも少し顧みておけと伝えた。湟源から来る兵が居るかもしれない。他方、陵光は前へと目を配った。
大きな街路が通っている。その脇には多くの、識別に容易い车が停まっていた。その隣には決まって、官服らしき衣を着た者が立っている。
兵ではない。きっと警察というものだろうと陵光は察した。
もしも指揮が包括され一となっているのであれば、実は追跡の版図が拡がっている事になる。
山豁に沿って在る市街とはいえ、もう五十里は進んでいた。まだ西宁の半ばであるが、慎重であったせいで一刻半は過ぎている。
「先に回るぞ」
このままでは遅々たりすぎると感じた陵光は言った。そして
「監兵、意図は判るか」
と、付け加えた。監兵の貌が目に入った時、少し不安そうだと思ったのである。
「え? ──ひつ。みたいな?」
監兵は答えたが、口を開けきっていなかった。
その通りであると言い難いが、即座の認識としては上々である、と陵光は思った。
「ああ。蹕(さきばらい)の為だ。兵が居れば、殆うい」
そういうなりで行こう、と監兵へ言い含めた。
監兵も、そうすべきだと言いたがっていた貌である。ならばと二柱で共立って、车の向かう先へと先回りした。
陵光の推測は思った通りであった。
路行く车や人に不思議な動きが増えている。きっと何処かで掣肘されているのだと、すぐに判った。
陵光は、わざと陰から身を出そうとした。
監兵が腕を掴んでくる。
「兄々、みつかっちゃダメでしょ」
声を絞りながらも、まま叱責をする声である。陵光が何をしたいのか、理解まではしていない。
「見付かりに行く」
「わかんないよ」
陵光は声を近くする為、監兵に顔を寄せた。
「わざとだ。私たちが目立てば、自然と丁淩殿や執明殿から目が逸れる」
そうすれば西宁を抜け易い、とまでは言わなくて良いだろう。監兵が自ら図れる領分である。
「どう行くの?」
監兵が訊き返している。
陵光は理解したのだと受け取って、手に武具は顕しておけと伝えた。気を惹く為なら、逃げるのみでは済まない。
陵光は左手に剣を、監兵は両手に鉤爪を顕した。そしてそのまま、街路の一番目立つ処へと身を乗り出した。
周りの目。
最初は危な気な事をするな、という奇異の目が主だった。次第に質が変わっていく。
陵光は観察と、肌に触れる気の流れとに官能を移した。
「ひとつ」
「む」
「一丈より離れるな」
「ほい」
二柱が言葉を交わす内、周りが動き始めている。何かが異常なのであると、僅かながらにも知られているらしい。
──これならば
陵光は考えた。
いちばん付近の、官服を着た警察に陵光は駆け寄った。そして姿勢を取られないまでに、襟の辺りを縦に一回斬った。腕を横に出し、監兵が手を出せないようにしながらである。
そして斜めに居るもう一人も、肌に達しないようにしながら斬り付けた。衣の焦げる臭いが、仄かに漂った。
陵光は無言である。監兵にも何も言わせず、すぐに駆け出す。
少し監兵が離れた。
「一丈!」
陵光が声を一発すると、監兵はすぐに気が付いた。
ここから逃げる。ただ逃げるだけで無く、通りすがった警察や兵の衣をしばしば斬ってから去った。
蹤いてくる監兵も同じようにしているが、幾らか血を滲ませてしまっている。
少しだけ、路を逸れた。
「監兵──」
陵光は監兵に向き合った後、少し眸を動かした。
「お前は殺さなければ良い」
「うん」
「つまりは胴の正中を薄く斬れ。どうだ」
「承!」
そしてまた、二柱は走り出した。今度は前に屯うよりも、後ろや横から駆けてくる者の方が衆くなったと思えた。それが正しいのなら、陵光の発した行動は上手くいっている。
走って、瞼を上げる。
陵光らは北に向いていた。東西挟むように山が聳えている。丁淩と執明は離れていくだろう。今度は陵光らが、どのように兵共を撒くかだった。
三十里。北へ走った距離である。山には禿げているものが多い。
──姿を隠せるのか
陵光には一抹の不安があった。
「兄々!」
監兵が呼ぶ。
「なんだ!」
陵光は足を緩めた。
「橋を落とせば」
「橋──」
横に水が在るのは認めている。所々に橋が架かっているのだ。監兵は、架かった橋を落とすことで追手の足を緩めろ、と言っているのである。
陵光には肯んじかねた。
「なんで」
陵光の表情の曇りに、監兵がすぐ反応した。
「後の禍根が大きすぎる」
兵も向かってきているのだ。直になら抵抗されると当然考えているだろう。そこまでは小競り合いだが、橋を落とすまですれば競り合いというより戦に近くなっていく。
「でも橋がいい!」
監兵は強弁した。
駄々を捏ねている訳では無いのだ。戦の勘とは、監兵が他を凌駕している部分だった。陵光には無視できない。
「なら、使う」
「よし!」
「ただ。落さないぞ、隘として押し留める」
「それじゃ──」
「動きを鈍らせるというのなら、そうなる」
これでも折衷した、と陵光は思っていた。監兵からは眉を枉げられたが、ここで言葉を退くのも望ましくない。
「じゃあ、わかった」
「頼む」
言った瞬間、陵光の目が泳いだ。己でも少し言葉が変になっていないか、という疑念が胸裡を翳めている。
今は思索する場とは違うと、陵光は体を入れ替えて最も近い橋へ向かった。
人ばかりの橋である。その中程で陵光と監兵は留まっていた。
二柱が来た方角から、少しずつ车が集い始めている。
向こう側では何かが構えられていた。透けた大盾で塞いでいる者も居るらしい。
「監兵、どう来る」
「弓弩の陣に近いかも」
なら、構えられている物は飛び道具か。そう陵光は考えた。
監兵を前に出さないようにしたい。万一、傷を負ってしまえば気を荒らす。
どれくらいの数が集ったのかだけ、息を鎮めつつ確かめた。
呼び掛ける声が向こうに在る。名乗りとか、警蹕の言に当たりそうだった。陵光らは言葉に乗って、武具を解こうとはしなかった。
警蹕を無視し続けた。兵共はあまり近付いて来なかった。
暫く。向こう、爆ぜるような音が二、三。粒が飛んできて、陵光の腹に中たった。
「兄々──」
起きた事を知って、監兵は心配そうにしている。陵光は中てられた箇所を気にしつつ、手で宥めた。
「弩の類だろう」
「痛い?」
「撃たれたのは金だ、私はどうとも無い」
陵光の言った通り、中たったはずの粒は熔けて下に落ちていた。そして頭では
──たぶん監兵にも効かぬ
という推測すら立っている。ならば遠慮もいらない。
陵光は剣に火焔を纏わせた。横に薙いで、大きな炎の壁を立てた。
鳴る音、喧噪、それらを次の瞬間、陵光と監兵は下に置いていた。炎を目眩ましとした内に、陵光が監兵を抱えて跳んだのである。
そのまま陵光は空を踏み、東側の山へと飛んだ。
山に入っても南行すれば、じきに丁淩や執明と合流できようと算段しながらであった。




