監兵と、その父たる白虎と云う将軍は、觜宿の営所に屯していた。
兵を聚め、馬を肥やし、左程に遠くない出撃に向けて、着々とした準備を進めている。
周りには鎧士が集い、皆が整然と並んで食事を摂っていた。
遠く、彼方に在る紫微垣の方角を睹て、白虎は腕組みをし、そして鼻息を荒くしている。
彼の姿は、これから起こるであろう戦場の風を先んじて感じ血を沸騰させている、ということに他ならない。
白虎は政治が苦手である。
宮の中で行われる起議だとか、それ以降に起こり得る議論だとか、或いは議論の前提条件として必要になる配慮とか慇懃さとか、そんなものは此の男神には備わっていない。
無理にしようとでも試みれば、いよいよ以て閉口して、山の様に動かなくなる。
しかし、戦がひとたび起これば誰よりも雄弁になる。
それは多弁になるわけでなく、謀略に精を出すというわけでも無い。
ただ己の手に矛を持って馬に乗り、そして駆け、数多の悪辣な者どもを斬り伏せて、寸刻の内に鎮圧する。
白虎が一度戦場に姿を現せば、天界の者どもを励ましたり、祐けたり、或いは恐懼に陥れたりする。
時に天官の一柱が白虎に災禍の端を見出して、天帝に
「除くべし」
と讒言をしたことがあった。
天帝は、讒言を聞き容れなかった。
武は安寧を乱すことはあるが、安寧は武が無ければ脆い。
その事を断乎として天帝は説き、そして、むしろ讒言をした天官の方を笞打ちに処した。
ただ本心はといえば、天帝が此の男神に他ならぬ純粋な、云々とすれば学に裏打ちされた者が頭脳を駆使して権謀術数を顕すのとは真逆の、心の清らかさを睹た為であった。
監兵は、白虎という父の血を引き継ぎ、且つ巨大な背中を見ながら育ってきた。
父の驍勇ぶりは悉く知っている。
だからこそ、監兵という神格の目指すべき所は自ずと決まっている。父の跡を継ぎ、そして天界に名を馳せるような勇将になることこそが、其れに他ならない。
「出る」
白虎は朴訥とした性格である。
言葉数はいつも、会話を成り立たせるには余りに少ない。
紫微垣の方角に背を向けた白虎は、己の乗るべき天馬の手綱を掴むと、武神らしい甲冑を躍らせながら背に跨った。
監兵もまた、後ろに駙けられた天馬の背へと跳び乗った。
白虎の指揮する軍は、錐のように敵を穿つ。
幾ら陣を積層させて、山の如くに聳えさせたとしても、豁を割り通すほどの力が、白虎以下の兵にはある。
ことごと戦の度に皆が皆して哥を謳い、甲高い声を宇宙に響かせ、各々が蛮勇を発揮し、一挙敵軍を撃砕する。白虎らの流儀であった。
此度も、その通りである。
高い声が響き轟く中、軍と群れが衝突した。
敵たる怪は、ねちっこい知識を要するものどもでは無い。反面、あまりの数の多さは、戦に戦を重ねて身を立ててきた白虎ですら、体感しなかったものであった。
そのぶん力と力、己が如何に匹夫となり切れるかこそが、此の戦の勝敗の分かれ目である。
白虎は断じていた。
戦になると誰よりも雄弁闊達になる男神は、武に勝る者こそが勝つ、そういう場所こそ己の本性を発揮するのに相応しいと、矛を八千に振り回し、怪の躯体を千々に吹き飛ばした。
白虎の軍に於いて、統帥たる彼が一の槍を他に譲ったことは無い。どれだけの劣勢に在ろうとも、どれだけの強者が己の麾下に居ようとも、常に錐の寸毫の先には、白虎が居る。
そして、その後ろには常に子の監兵が付き従い、二の槍として豪勇ぶりを振るう。
兵は他の武勇に感化されて、更に勇気を奮うように教化されている。それが己らの主であれば、ある種の崇拝精神も合わさって猶更であった。
白虎自身もまた、喚呼の為に先陣を切っている。武事に必要な狂気じみた勇気を、己の体内で循環強化する仕組みが、確かに出来上がっていた。
監兵も追い付けないながら、他の武神を圧倒できうる程に軽勁であり、流石は白虎の子である、と謂うべきであった。
白虎が余りの速さで駆け抜けるせいで、後ろに取り溢される敵がいる。それらを余さずに討ち取るのが、監兵に渡された権限である。
目は明るく、光線を発するかのように輝いて、敵を見逃さないようにできている。
武勇を発揮するうえで必要になる野蛮さという面では、白虎よりも監兵の方が明らかであった。戦い方を見れば、白虎があくまで武神らしく在る一方、監兵は遊戯と譬えても良い放縦ぶりを見せたりもする。
こうして白虎と監兵を轂とした三輪駆動の軍勢は、果たして数以外は無能の怪どもを敵とはしなかった。
幾里にも亘って続く群れの中を、削りに削って突き進んだ。その幾里を進んだのに半刻も要さなかった程、彼らが齎した戦闘次第とは烈しい。吞まれた怪に屍とならぬものは居なかった。
白虎は背後を瞰て、これだけの殄滅行為を目の前にしながらも、なお己らの迹を蹤けようとする怪の姿を認めながら
「行くぞ」
と一言だけを発して、紫微垣への道を再び進み始めた。
觜宿から七百五十里を進んだ頃である。
白虎らの軍は営を張ると、残り千里の道程を進む為に、馬と兵を休ませ始めた。
周りに怪の気配は無い。
煩雑とした天界の状況をもってすれば、この辺りは最も静謐だと謂っても良かった。
監兵は父の横で、次の行軍に備えて横になっている。
風が颯と吹いた。
監兵はすぐさま体を起こした。己が感じたことの無い臭いを、その風に感じたのだ。
横で矛を研いでいた白虎も、感覚を同様にしていたらしい。親子は示し合わせ、すぐに馬に跨った。
風の吹いてきた方向へと向かって、己らの感じた不穏の原因を探ろうとした。
辺りは開けている。背の低い木が疎らに生え、腰の丈ほどの草に覆われている、そういう地である。
原因はすぐに見つかるだろうと思われたが、そうだと断定できるような物体とか現象は、親子の目には見えなかった。
これでは還るしかない。二柱が営に戻ろうとした時、頭上から大きな啼声が聞こえた。
咄嗟であった。これは危機だと判断した親子は、馬を奔らせた。
空から、巨大な羽が降ってきた。
尾の端から嘴の先まで、十丈もあるような羽は、喉笛から男が縊れる時に発するような声を出しつつ、監兵を目だけで睹た。
途端、鉤の付いた丸太のような脚で、監兵を蹴りつけた。
馬と共に監兵は吹き飛ばされて、呻き、瞬時に立ち上がれなくなった。
羽はそのまま、監兵の方に向かって嘴を差してくる。蚯蚓を啄むような格好であった。
子の危機に、白虎は発奮した。
目を瞋らせ、馬に鞭を打って、矛をもって一突き、羽の死角から攻め手を加えた。
羽の魔物は、あんがい機敏であった。
監兵への気前をすぐに切り替えて、今度は白虎の方に首を向けた。
「先に行け」
白虎は吼えた。
聞いた監兵は、すぐさま父が身を賭して、己を守ろうとしていることに気が付いた。そして
「紫微垣で待て」
という次の言葉で、必ずや勝つという自信と、己が居なければおまえが軍を率いろ、という命令とを受け取って、監兵は白虎に場を任せ、営にいる軍を紫微垣に率き連れるべく、遁げた。