張之章「成都に巫の名を求め、二柱は衢を縦横す」 五話
陵光らは宿駅の府から離れた。陵光が前で、監兵が後である。西に行き、また池が在って、その滸で腰を下ろした。
──府に留まるべきなのか
陵光は考えもしたが、結局は周りに怪が居ないと確かめて、すぐに離れた。
目に触れたくないというより、留まってはいけないと考えた。離れ際に目の端で、巨大な火を見た。何度か見た鉄の翼が、火中に在った。
「監兵、傷は負ったか」
休む最中に陵光は訊いた。
監兵は手を回し、肩胛を触れている。
「ちょっと、よそ見した」
聴いた陵光は監兵の後ろに立って、肩に掛けさせた夹克を脱がし、触れている辺りを注視した。
「何があった」
「後ろから物を投げられた」
「それだけか」
監兵は肯いている。陵光は手を当て、少し圧した。嫌がる様子は無かった。
「なら、良いだろう」
陵光はまた、監兵に夹克を被せた。そして宿駅の在る方角に、目を遣った。
赤い光が暈けている。
件は、これ程に大きいのだ。
「もう少し、留まる」
「なんで?」
「怪が多すぎる。私達が少し、抑えねばならない」
「ああ──」
監兵も、陵光の目の先に気付いているらしい。
「兄々ね」
「何か有るか」
「人は死んだら戻らないって、婆言ってたよ」
「そうなのか」
「あたしたちには、わかんないけどねぇ」
陵光は少しだけ拱黙した。
責が重いと伝えたいのか、後腐れをするなと言いたいのか。少なくとも人という存在が希薄過ぎないとは、瞰てきた内に理解している。
或いは、どちらでもあるのか。監兵が語彙を持たないから、なりに言っただけなのか。
「明朝、また行ってみよう。どうなるかは判らん」
陵光が静かに言うと、監兵は口角を上げて諾していた。
それから何日もを、成都の邏巡に充てた。
宿駅の折より数日は怪も鳴りを潜めたが、それから後はまた見掛けるようになった。度毎に二柱で怪を屠り、周りを巻き込まぬように奔走した。
怪は盡きなかったが、原因はたぶん成都の、特に西方が山水に恵まれている為であろうと思えた。その暗がりが湧元になっているのだ。
因縁が重なりに重なって、気が付けば一月近くを成都で過ごしている。周りでは
──红发勇士
なる言葉も、噂として吹聴され始めた。
しくじったという気も、無いとは謂えない。
「おぉ、兄々」
監兵が盗み見た写し画が、遠くからの陵光らを捉えている。
「いい、早くしろ」
陵光は監兵を牽いて、人の気の無い場所を縫って進んだ。
今は他の居る処に赴こうとも、他に寄って来させてはいけない。もしも寄られれば、怪が現れた時に殆うくなるのだ。
監兵が見た画というのも、路上に棄てられていた物である。それだけ目立った、ということでもある。
陵光は迂闊であった。こうも騒ぎ立てられると、成都からの出奔も難しくなる。既に己の元々やりたいこと、つまり雨瓔を探すという目的と矛盾してはいまいか。
歩きながら呻いた。
衫が焚けたせいで、陵光も監兵も、甲のままで動くようになっている。人の服飾を着たから解る。この甲は煌々としすぎている。
もう行動と隠匿の両立は厳しい。
「兄々」
「よし、どうした」
「また臭いがするの」
監兵もなんとなく、大人しくなってきたか。陵光の苦悩が、伝播し始めたか。
「またか」
「また。羽だよ」
陵光は髪を搔いた。羽が相手であれば、監兵を前に出し過ぎてはいけない。早めに剣を、手に顕した。
監兵の嗅覚に従って、街の中へと踏み入れる。周りの目はもう良い。それは肚を括った。
眼前、楼閣の根本、確かに羽怪が渦を巻いている。
「監兵は周りを行け。人を匿え」
「ぬん!」
監兵は離れていく。
誰も居なくなったと確信してから、陵光は渦へと飛び込んだ。
円を描くのなら、その流路で剣を振るえば良い。大きく振るうよりも小さく数を振って、散らすよりも削っていくのだ。
たぶん数百ではないかと、陵光は察ている。
渦中に人は襲われているか。いや、襲われていない。ならば余り過敏にならぬで良い。陵光は、ただ前に神経を遣った。
監兵はどうしているのか。少なくとも近くには居ない、居ては困る。遠くで聞こえる衆声、勘付けばきっと、そこに向かっている。
──少し強めるか
陵光は剣身を翳した。纏わせる火焔を盛らせた。
また振るう。どうにも多い。渦だけでは無いのか。
他方、渦の隙間から空に帯が見える。あれも羽なのだ。
少し窮まった、と思った。ここまで煩雑していると、羽怪だけでは無い気もする。
予感は遠くの、咆哮で成った。
「ええい──」
腹から息を吐く。剣を円盤に振る。火焔の軌跡が潰えない内から、駆け寄ってきた獣怪を目に据えた。往なすしかない。後ろは羽搏く音が消えない。
重庆の蛇怪の個の悍さとは違う、数の圧である。
咆哮から駆けてきた、斑猫を叩く。羽怪を躱す。一度にやった。斬りながら考えよ。
ふと今までの成都の地勢を憶った。そういえば近くに水も流れている。
まさか、と悟った。
「兄々! 横!」
監兵の声、何も考えず体を前に跳ばした。
受け身を取って、向き直る。介が見えた。そのまさかだった。
「監兵! 人は逃がしたか!」
「みえるのは!」
飛び掛かってきた羆熊を、陵光は一太刀した。
「私の後ろに来い!」
監兵は素早く、陵光の背に付く。流石に弄ぶ所では無いと感じているらしい。
陵光は飛んできた羽怪を、監兵へ害せぬように扞いだ。
だが羽怪が廻り、もしも囲まれたら余りに悪い。
「大なる方が良いか」
「やらせて」
「行け。私は羽を遏める」
監兵は言うなり、斑猫や羆熊の群れを屠りに行った。その動きが羽怪の目を惹いた。
解けた渦を、陵光は端から灼いていく。
足元から介怪が這っている。
介とは水。弱ければ対しても良いが、数にて床ができていた。多すぎるのだ。群羊の声が、介怪で作られた床から鳴り響いている。
夷すか否か、散らすかではなくて、どこまで耐えられるかであろう。逃げ方を探さねばならない。
──何故こんなに
そういう疑いもある。
音からするに、監兵はまだ余裕がある。
陵光は火焔を都度に熾して、足元の介怪を遠ざけ続けた。熱される毎に路面が溶けゆく。
これでは苦しいから、そろそろ機を察るか。
「──ん」
陵光の耳に聞こえてきた。车の音、鼓のようでもある。寄って来たと判ると、余程の頓狂か、馭もできないかの何方かであると判じた。ならばいっそ、その车を使ってみるか。
甲高い音。擦れたのだ。
僅かに経った。
「蹲!」
陵光は声に身を屈めた。頭を掠めるように弾が飛ぶ。
十餘、羽怪が墜ちた。陵光は地に火焔の壁を為して、後ろへ飛び退いた。
飛ぶ陵光の脇をすり抜けて、また幾らもの弾が放たれた。
水気を感じた。
「執明殿!」
「雨瓔!」
思わず執明の名を挙げた陵光に、女の声が応えた。声も執明である。
なぜ居るのかと訊きたかったが、する暇は無い。
ならばと陵光は、監兵を瞥た。
「監兵、代われ!」
「いや!」
「違う! 毛は私がやる、介を頼む!」
「羽!」
「気付かないのか!」
監兵が瞬時止まった。それからは何も言わなくて良かった。
入れ代わる。陵光が獣怪を斬る、監兵が介怪を裂く、水弾が羽怪を貫く。
混乱が少し、均衡を取り始めた。闕が見えてきている。これならば押し切れる。
「蹲!」
今度は、監兵へと向けられたのだ。決まって執明が射撃する時に掛ける音声である。
獣怪が散らばっていくのを察た陵光は、執明であろう声へ顧みた。
黒い袖無しの衫、濃灰色の牛仔裤。手には識らぬ砲が取られている。
砲の先端が回り、数多の弾が放たれた。羽怪が盡く胴を鑿たれていく。
羽怪を浴びつつ監兵も、介怪を地ごと抉った。
──他に居ないか
陵光は気を静めていく。気配は殆ど無い。
吐息。やっと剣を解けた。
「大変だったわね──」
雨瓔と応えた女が、停まった车へと戻ろうとしている。
「待たれよ」
「何かしら?」
女は少し、にやにやとしているか。
陵光は監兵も手で示して、このままにするのか、と無言で詰めた。
雨瓔、もとい執明は、当然だろうという貌で陵光らに、车を指した。




