だいぶ、暗くなった。
──何処だ
陵光は待っている。だが待ち続けても、監兵が帰って来ない。動こうかとも思ったが、遅れているだけなのかもしれない。
陵光は膝を揺するまではしなかった。だが、腰掛けたまま腕を組み、口を真一文字にはしている。
落ち着かず、いつの間にか目を閉じていた。
どれだけ過ごしたか。遠くから跫音が聞こえた。不届き者か、否か。
目を開けた。双眸が夜陰中、瑠璃色に光っている。
「監兵──」
陵光は静かに言った。声には明らかな憤りがある。
「に、兄々──」
監兵が固まる。精気に照らされた陵光の髪が逆立っていた。
「何処に」
「あっち、かわいい女の子がいて」
「何故」
「ひ、暇だったから」
「何をしていた」
「違うよ」
「何を、していたのだ?」
「パイダンシーピン──」
「は?」
「うんとね──」
監兵が言い淀んでいると察るや、陵光はゆっくりと立ち上がる。
「何処に、儔は居る」
「えっと、少し先で別れたの」
「案内しろ」
「なんで?」
「悪意があればいけない、監兵も責を知れ。パイダンシーピンというものが何かも、知ってから判ずる」
陵光は頤を擦りながら、監兵の赴いた場を目指そうとしている。
監兵は、なおさら焦っていた。
「兄々、それはちょっと──」
「問題があるか」
「うん。女の子ばっかだよ? 兄々いいの?」
「──理を以て説く。善者なら通じ、悪者なら私は憚られるだろう」
「でもいやだ」
「好悪ではいかんのだ、私は」
陵光は既に、嚢を背負っている。気を満々としているから、どう見ても無理に止められない姿貌になっていた。
「うん」
そう発しただけで監兵は、陵光の先導を始めた。
成都は明るい。玻璃の楼閣は各々四方、白い光を放っている。
星が消えるほどの灯りの中を、二柱は縫っていく。少し狭まった街路を辿り、いつの間にか人の気配が濃い通りへと入り込んだ。
簡素な飲食の場に数十、若者が屯している。大きな会話と笑声が、雑多に存在した。
「それで?」
陵光は再び、監兵に問うた。
「んとね、向こう側で女の子たちと会ったの」
「幾つだ」
「四」
「見た目は」
「うーん ──派手」
「そうか」
胡乱な問答。監兵の記憶だけが頼りになった。言葉は拙くとも、目が悪いわけではない。むしろ、こういう感覚は頗る強い。
通りを進むほど、人はごった返していった。眠らぬというのが成都の常識なのか。
半里も行かぬぐらいで、監兵の首が止まった。陵光の顔色を窺いながら、指を差している。
「あれあれ」
指の先を睹視する。
黄色の髪が二人、赤い髪が一人、黒い長髪が一人。皆が女で、監兵が言っていた通り派手さはある。
陵光は監兵を先に立たせて、その女衆の元へと近寄った。
先に気が付いたのは女衆、その内の黒髪であった。
「怎么啦?」
放たれた言葉と同時に、女衆が一挙に振り向く。
「鈴鈴~!」
黄色髪の片方が、監兵に駆け寄った。目の前に立つや否や、監兵に抱き着いている。
他の三人も小趨りしてきて、続々と監兵を抱いていた。
一頻り終わると、女衆全員の目が陵光へ向いた。
すぐに懐から、玻璃の板を取り出し始めた。そういえばこれを手机と云ったか。そう思う間も少なく、急に女衆は喋りだす。
「来来来、看这边! 路边抓到一个帅哥哈!」
「哎呀──」
「小哥哥、看镜头~!」
手机の眼が陵光へと向けられている。陵光は
──品が無い
と思った節に髪を掻いたが、それが逆に女衆を沸かせた。若干、気圧された。
女衆同士、少しやり取りをしてから手早く手机は仕舞われた。
急に、落ち着きが取り戻された。余りの変貌に、今までの行為が怪しく思える。
「然后呢? 咋啦?」
女衆は監兵に視線を落として、何かを問い掛けているらしい。監兵は言葉がよく解ってはいないが、語気や表情から少しずつ、察しているようだった。
「他、我哥!」
「你哥吗?!」
「うん!」
「真的假的?」
「离谱」
「俩颜值也太高了吧──」
「养眼、养眼──」
監兵の言葉から、また騒がしくなった。陵光は何をするべきかも分からないまま、ひとまず、また手机を取り出そうとした赤髪の腕を、手で抑えた。
「呀──」
聞こえた瞬間、陵光は
──またやったか
と、吐息した。
四人の女衆は燥ぎつつ、監兵の手を牽きながら路を進んでいく。
陵光も逸れる訳にはいかないから、後ろに蹤いていった。
奶茶、と書かれている。女衆は着いた先で、杯に入った、泡や果実の盛られた飲み物を二杯頼むと、それを監兵と陵光に押し付けてきた。
「いいの?」
「没事啦、已经够意思了~」
「这波赚了!」
それぞれ、ひとつずつ。茶が淹れてあるだけにしては、かなり大きい。
「喝吧!」
勧められた。監兵は遠慮も無く飲んでいる。
気が進まなかったが、陵光には飲食に矜持がある。無駄にしないように口を付けた。
赤髪が、懲りずに手机を翳し始めた。
「んふふ、兄々。おいしいね」
監兵が陵光に話しかけた。陵光はひと口を飲んだ後、微動だにせず立ち竦んでいる。
「兄々?」
「──ん、ああ」
「そっか!」
女衆は、陵光の反応に強張ったらしいが、監兵が取りなしていた。頭を下げて、陵光に代わって
「謝謝!」
と言った監兵に、女衆はまた、甲高い声を上げている。
陵光は気を戻した。
──そういえば
なぜ監兵に、ここまで連れてきてもらったのか。気風に呑まれて忘れかけていた理由を、改めて思い出す。
赤髪に近付いて、手に持たれた手机の表を覗き込んだ。
叫ばれたが、気にする所では無い。
並ぶ画。殆どが眼前にいる女衆を写しているが、たびたび違う者も居る。もしや、これがパイダンシーピンという奴ではないか。
「想知道啊?」
赤髪が言っている。
たぶん画について訊かれたのだと思い、陵光は応えた。
「パイダンシーピン?」
「パイダン──拍短视频? 啊、对呀」
どうやら、合っている。ここまで明け透けに答えられるのなら、疚しいものでも無いらしい。
「你赚到了啊!」
黄色髪の片方が煽てた。
赤髪は優越した笑みを浮かべている。浴びせられた言葉をいなしながら、手机を操っていた。
女衆の使っている言葉が普通と違いすぎて、話す内容は端も判らない。だから縋る物も少なすぎた。
しかし種々雑多、静動入り混じって画が取り込まれているから、文字では無い形で過去を記録しているらしいとは理解できる。
ちょうど最後には、陵光の疎んだ顔が映った。
いま見せられたパイダンシーピンは情報源になりそうだが、あいにく使うための手机を持っていない。ただ人へ尋ねるときに、手机とかパイダンシーピンとは、言ってみても良いか。
陵光は了承して、赤髪に揖をした。それがまた、女衆の関心を生んだ。
嫉妬か自慢か、陵光へと順々に手机を見せてくるようになった。
──喧しい
しかし機でもある。陵光は少しだけ我慢した。
「奕梅」
黄色髪の、先に煽てていた方とは別の女が、黒髪に話しかけている。
黒髪は手机を弄っていた。
「干嘛呀?」
「你也给人家看看嘛!」
「啥?」
「快快」
そのまま背中を押されている。陵光の近くに来た黒髪は、目を背けがちであった。
陵光が手を差し出してみると、顔を隠したまま、手机の表を示した。
一番上、同じような黒髪をした女が幾つと無く並んでいる。
「誰?」
陵光は尋ねた。
「雨瓔、羡慕她──」
黒髪は溜息交じりだった。
覗き込む赤髪が、少しちょっかいを出した。
「奕梅是想变成她那样、才染回黑发的」
傍ら、女同士じゃれ合っている。しかし陵光の目は、手机の表に釘付けになっていた。
「哦、你也喜欢啊?」
黒髪は言いつつ、嬉しそうに顔を上げている。
陵光にとっては違う。一番の驚きだったのは、手机に映し出された雨瓔という女の画が、あまりにも
──これは執明ではないか
と思わせるような、酷似をしていたことであった。