成都へ入ってからというもの、監兵はうろうろしている。
「あまり余所見をするな。不審だ」
「気になるから仕方がないの」
陵光が注意を促しても、監兵は肯んじてくれない。
確かに、監兵が言う通りかもしれなかった。重庆も十分に大きな城街だったが、この成都は輪を掛けて巨大である。
楼閣が違う。石造りに近い物から、全面が玻璃で張られたようになっている。
路も違う。重庆にも橋梁に支えられた路が在ったが、成都のそれは窮屈では無い。
こういった物達を窮屈にしないことが、どれだけ難しいか。
玻璃張りの楼閣に見惚れていた監兵の腕を、陵光は牽いた。
監兵は光物が好きだと前から解ってはいるが、他の神を探すこと、そして天へ還る方法を探すことが、今は最も重要なのだ。
「もうちょっと──」
「行くぞ」
陵光には早く、この成都での報せの集め方を探る必要があった。
二柱は取り敢えず、長い間を旅している客だと装った。住む所が違うのだと伝えれば、相手も言葉が通じないとか、土地に不便しているということは察してくれる。そして素直に
「我不知道」
などと記せば、ある程度のことは教えてくれまいか。
陵光が道中、頭を捻って思いついた策であった。
そしてなんとか、この策は通った。紙に予め書いておいた我不知道を見せると、大抵は
「去看看吧?」
という文を、一筆記してくれる。指を差しながら言われることも多いから、恐らくは
──あっちに行ってみろ
に当たる意味ではないか。
言われるがままに進んでみると、大抵その先には网吧とか网咖というものが在る。
二柱は試しに、入ってみようとした。
「走开」
网吧を見張っているらしき男が、二柱を拒んでいる。
後ろでは監兵が、网吧の中を楽しそうに眺めている中、陵光は疑問を露わにした。
「何故ですか」
男はあまり機嫌を良くしないまま、指を陵光の背後へ向けている。
──監兵がどうかしたのか
そう思っていると、やや説明口調の言葉が聞こえてきた。
「未满十八岁不能进」
男は指を、張り書きへ移した。そこには
「未满18岁者禁止入内」
と、掲げてある。
陵光はまた、監兵を視た。確かに他に比べると、行動も姿貌も稚すぎるか。
「是」
二柱は一端、网吧の外に出た。
陵光は監兵へ向き合い、今の所の理解を伝えていった。
「えっ」
監兵の相槌は、そのくらいである。
「故に、外で待っていろ」
「いやだ」
「どうしても、やらねばならんのだ。あの男も、完全に拒みたければ監兵を指差さない」
「見たいの」
「他でも見れる。待て」
監兵が拗ね始めたら拙い。陵光は天の頃の暴れ方を知っているから、この地でそれをして欲しくない。
人は神より弱いのだ。必ず混乱が起こる。
「早く戻ってくる。戻ってきたら、少し自由になる。戦が機に拠るのなら、平時に於いてもそのはずだ」
わかったか、と陵光が念を押して、ようやく監兵は慍としながらも
「うん」
と、応えた。
「行ってくる。どうなるかはわからんが、良い報せは持ってくる」
陵光は監兵を少し静かな辺りに留めて、独りで网吧へと再訪した。
先の男がいる。案に寄りかかり、態度はそっけない。
「你又来了?」
舌打ちすらも混ぜられた。やはり歓迎されていないのだろうか。しかし苛立ちよりも、呆れに比いとは察える。
陵光は背負った嚢を見せ、さらに言葉が解らないと態度で示しもした。
──納得するだろうか
品定めをするような目を、向けられている。
男は寄りかかる姿勢を止めた。陵光の前にまで来て、ひとつ問いかけてきた。
「你有钱吗?」
単純であるから聴き取れる。銭は有るのか、と尋ねられたのだ。
陵光にはそれほど、持ち合わせは無い。否と示すと、男は溜息を吐いた。
「手机呢?」
さらに問われた。手机とは何か、陵光は聞いたことは有っても、あまり識らない。
また否と示して、男を項垂れさせた。
「你遇上大麻烦了──」
仕方がない、と思っているのだろう。男は陵光に付いて来いと手を振り、数々の鏡が置いてある案の前に立った。
鏡の前に、筋を彫った盤面がある。見たことのない記号も刻まれていた。
男は一つを選び、設えられた椅子に座って、盤面を指で弾いている。
こういった物を使うにも、どうせ不自由するだろうと思われているらしい。陵光からしても、その通りである。
「你想知道啥?」
男は言っている。
この場で、このように問われたのなら、手助けはしてくれるらしい。陵光はすぐさま、懐の紙を一枚、取り出した。
紙にはあの時、共に異形に対した神の名を記してある。
執明と、孟章と、孚應である。
顔を顰められたが、陵光も男に頼るしかない。
男は盤面を使って、渋々とそれぞれの名を表していった。
鏡面の中に幾つかの帳面を披き、独立させているらしい。
表されたのは文章ばかりだったが、男は脇にあった鼠形の物を使い、画のみに変えた。少し体を逸らして、その鼠形を陵光に渡す。
陵光は立ったままで手に取り、男のしたように動かしてみた。前に埋まった車輪らしき物を回せば、帳面は巻き取られていった。
一番上に执明と記され、画が列挙される。執明自身の絵は少なく、全く別の男の顔が、大半を占めているようだった。
──ここでは手掛かりは無いか
陵光は悩んだ。考えてみれば監兵と再会した時も、仮の名を使っている所を見ていた。どれだけ馴染んでいても名を変えられては、文献から追うことは難しい。
孟章。これもまた、彫像を写し取った物が多い。手掛かりは殆ど無いと謂って良かった。
孚應。孚应と記された下の画。文章が多かった。詩文や令、問候書などが多くて、これでは掴み所もあるまい。
或いは字形の相違が障害なのか。この辺りは文官である陵光にとって、幾つも思い当たる節がある。
総覧を終えた陵光は、男に視線を送った。
──何も解らないか
という気分を、滲まされている。
後に望みが在るかも分からぬと、文章ばかりの帳面も検めていった。字のみで大概を掴んでいったが、作り話も多く、読まなくても良い物だった。
落胆した陵光は、腕を組んだ。
手掛かりを無理にでも掴もうとは思わない。成都にて次にできることを、探っているのだ。
「好了吗?」
男が椅子に凭れて、陵光に話しかけている。
陵光は頷くのに少しだけ、間が開いた。
──なら、もう行け
そういう仕草をされた。素気が無いが、今までの行動で陵光が誰かを、しかも三者も探しているという事を、察してはくれたらしい。
男は別れ際、玻璃の板を持っていない陵光を慮ってか単純な地図を描き、目印を打って渡した。
目印の近くに、警察と書かれている。こういう事物は公に頼れば宜しいと謂うのだろう。この辺りは天にも比いか。
陵光は高く付いたと思った。何も持つ物が無い以上、務めでの返礼を考えていたが、男から
「你在这里只会碍事、回去吧」
と言い放たれて、ついに追い出されてしまった。
陵光は嚢を背負って网吧から去った。調べ事に熱が入りすぎて、ややも日が傾いている。
陵光は立ち止った。そして焦った。
──監兵は留まっているか
己が監兵を待たせた場所へ、急いで向かった。しばしば座れる処もあったから、そこに座してはいまいか。
各々の長椅子を、巡っていった。
居ない。なお焦った。これは突飛な事になっていないか。
「いや、俟て」
陵光は気を静めた。場所は解っているはずなのだ。己が動かなければ、少なくとも暗くなる前には戻るかもしれない。まさか今更、監兵が陵光に逆らって離れる理屈も無いだろう。
監兵と別れた場の近く。
嚢を脇に置き、長椅子へ腰して、夜までは俟つことにした。