翼之章「陵光は監兵と会い、重慶の市に誠を站む」 五話
「兄々、きつい」
「監兵が怠けていたのだろう」
「いっぱい、はたらいたもん」
陵光と監兵は、双方とも甲を着けて山行していた。
陵光の装束はいつもの通りである。監兵は久しぶりに着けたらしい。
虎躯を模した盔、虎頭の肩当。胴甲、手甲、外套。そして幅広の袴褶と短い沓。その殆どが白金と白布で拵えられている。
「双刀は」
「ううん」
「出せないのか」
「うん」
陵光はそういえばと、重庆に着いたばかりの頃、監兵が獣怪を、腕で組み伏せていたように思い出した。つまり陵光と同じように、天から墜ちる前の得物には不自由しているのだ。
「なら今は、どうしている」
「これ」
監兵は言いながら、両手に鈎爪を出した。
二尺ほどの刃渡り。出した途端に刃の先が木を掠めて、滑らかに切断した。
「気を付けろ」
「ほい」
監兵はつくづく、陵光との距離が近くなった。
近すぎて、陵光は不安になっている。陵光という師を助けたのだ、という意識が、監兵を優越に浸らせているのか。そうも考えたが
──そんなに灰汁どくも、殊勝でも無い
として、一度に雑念を振り払った。
暗くなって、二柱は森林で宿をした。火を陵光が熾し、監兵はできた燎に当たっている。
「もう少し?」
「この山の先に川が在る。以前は、その向こう側に居た」
監兵は鼻で声を吹いた。陵光の眺める先へ、振り向いている。
「──どんなもん?」
この言葉は、監兵の意気が戻ってきている証だろう。
「胴回りだけで車駕の路ができる。そういう蛇だ」
「蛟っぽい?」
「蛟に比いが、蛇だ」
「ん」
監兵は横臥した。そのまま、目を閉じて眠ってしまったようである。
──ずっと、この様だったな
陵光も、監兵を燎の向こうにして休んだ。
明朝。
山の嶺を越え、川を渡れる所を探して、前に陵光が敗けた辺りに入った。前に訪れた時と同じように、何本もの轍が地に廻っている。
監兵が立ち止まって、鼻を使っていた。
「うんうん、うん」
「何か判るか」
「水だねぇ」
そうか、とも陵光は言えなかった。やはり分が悪い相手だった。あの時、無謀を働いたのだ。
「でもねぇ、あたしは平気だと思うよぉ」
臭いを嗅ぎながら話しているせいで、間延びした話し方になっている。それでも、こういう時の監兵は頼りになるとも、陵光は知っている。
「あっち」
監兵が走り出した。陵光よりも機敏に。逸れまいと、陵光は空を飛んで蹤いていった。
数里を行くと、少し山が禿げている。帯のように土が見えていた。
陵光はすぐに、あの蛇怪であろうと確信した。
「監兵、気を付けろ」
「んなあ!」
監兵は更に足を疾めた。
こうなれば、無理に止めることはできない。陵光も下手に前へは出なかった。監兵の路を塞がず、後ろで不意を突かれないように鳥瞰するのだ。
飛ぶ。山の向こう、岩の影。少しだけ、あの翼が出ている。
「監兵、酉戌!」
陵光が大呼した。監兵は解りきったように、その方角へと足を飛ばす。
少し右から、尾が見えた。そちらは陵光が庇うのが良いか。監兵には頭に取り付いてもらうのだ。
「そのまま行け!」
陵光は蛇怪の翼を視界に収めながら、尾の在る処へと分かれた。監兵も万全であるなら、単純には敗けない。
蛇怪も気が付いたらしい。鎌首を擡げ、辺りを瞰て、二つの影を捉えている。声は出さないが、鋭く息を吐いていた。
「しゃおらあ!」
監兵の喝が聞こえた。もう仕掛けているのだ。陵光は他に邪魔をさせないように、掩護を始めた。
前には蛇怪から、他の怪は逃げていた。ならば小物に煩わされることは無いだろう。逆に、敗けるとすれば不意に現わされた小賢しさではないか。
陵光は尾を視た。尾だけでやるのか。
歩を踏みかえ、胴に向かう。
監兵が主鋒、陵光は次鋒。以前に仕掛けられた小賢しさを、今度は蛇怪にやり返すのだ。
細い脚。役に立たないと思っていたが、どうにも踏ん張りを利かせるのに使っているらしい。
斜面に横している。ならば下の脚を斬るか。
──いや、上だ
蛇怪が転がり落ちれば、監兵を巻き込みかねない。
陵光は斜面の上側の脚を、ひとつ斬った。脚の先が落ちて、蛇怪は動揺している。
監兵の動き。遊んでいる。すぐに斬れば良いものを、わざわざ顎へ蹴りを入れていた。蛇怪の頭が跳ね上がった。
陵光は各々の動きを捉えつつ、三対の脚の片側を全て斬り落とした。もともと足元が不安定なのだ。これで向きは変えられまい。
「監兵!」
「まだ!」
戦神としての勘が有るのか。まだ大きな一撃を出していない。
木の折れる音、後ろ、尾の在る側。
──前と同じか
陵光は目を向けた。確かに尾を起ち上げていた。先が監兵を向いている。
跳んだ。尾が監兵を撃とうとする。縦の動き、陵光は剣に精気を強めた。動きの真正面から、逆らうように通す。
陵光は力を籠めた。蛇怪の尾が裂けていく。二つに割れた尾の先は、監兵への勢いを無くした。
戦う音はまだ聞こえる。止めを刺しにはいかないが、蛇怪は弱り切っていた。
でなかった声を、蛇怪は出した。背についた二対の翼が、大きくなった。
「逃がすな!」
陵光は声を上げた。監兵には届いているのか。
翼が広がりきって、蛇怪の体が浮かんでいく。旱を呼ぶ存在を、逃がしてはならない。またかと、陵光は焦った。
空。
もう飛ぶ姿勢は整っている。陵光も跳んだ。空を踏んで、蛇怪の翼を斬りに行く。
蛇怪の頭の上、監兵。
金切り声。監兵の声だった。
蛇怪は力を失って、地へと落ちていく。轟音があって、山肌に胴が転がった。
陵光は、監兵の様子を探した。
斃れた蛇怪の頭の横、鈎爪に付いたものを、擦り合わせつつ払っている。
蛇怪の眉間の辺りが抉れていた。
「──時間が掛かったな」
「まあね」
冷たい声を、監兵は出している。
「一撃では無理か」
「うん。逃げ場をなくして、弱らせて、おわり。最初から夷すわけないじゃん」
陵光はもう一度、蛇怪の眉間を瞥た。止めの刺し方は、素直では無い。
「まあ良い」
陵光は言ちた。
監兵はその間に、鈎爪を解いている。
「兄々、これどうすんの」
いつの間にか言葉も表情も、元の監兵に戻っていた。
「水と言っていたな。ならばここに残す」
「なんで」
「木は水を求む。ちょうど禿げてしまった山には、この骸は善を齎す」
肯いた監兵に、陵光は、重庆に戻ろうと告げた。また山中を、西へ突っ切っていくのだ。
それから少しして、二月、らしい。
陵光と監兵は、ひたすらに西へ向かっていた。
重庆から離れる折である。厨の老女への義理を果たそうとした時、陵光は
──雑多の動向が識りやすい所はないか
と尋ねた。
そうすると老女から、成都が良いのではないか、と言われたのだ。
北には西安が在るが遠い。それであれば成都の方が色々発達もしているのだから、目指しやすかろうということだった。
その返礼として、陵光は己の調理の内容を、事細かに筆記して納めた。
ただ、この時期である。冬であるから、少し厳しい中を進んだ。
監兵も甲を持ってきている。そのせいか途中、声を何度か掛けられたが、その度に断った。
少し変わったこともある。
「兄々も目立たなくなったね」
「目立つだろう。こんなに大きな嚢を背負っているのだ」
「衣服がだよ」
在地の人々らしい衣に変えたのだ。そして甲は、背負う嚢に入れて持ってきた。
監兵は元々、この地の衣服を持っている。陵光は持っていないから、老女に言われて監兵に選ばれた。
赤のT恤という衫、硬い布の牛仔裤という袴、皮らしき材の夹克という襖。靴も揃えた。
監兵も同じように、黄色い衫と牛仔裤の短すぎる物を着て、膝上までくる袜子を穿いている。
「寒気に腹を出すな」
「いいの」
「良くない」
二柱は度々、そういう会話をした。
互いに言い合いながら、凡そ十日。急がずに辿り着いた、成都を眼下に収めた時
「おっきいね」
と、監兵が言った。




