252.迷いの森
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学院に入ってから三年と少し経てば、私も多少は敷地内の配置が頭に入っている。いつも詩苑に連れられるばかりの森の中の四阿だって、一人で行ったことくらいある。
だから辿り着けないなんてことは、無いはずだった。
「ここ……どこだ……?」
考え事をしながら歩いていたとはいえ、今更全く知らない場所に来てしまうなんて、いくら何でもどうかしている。
雨芽ちゃんから聞いた話は、その場では軽く流したものの、不快感が拭えない。
私一人で無い知恵を働かせたって、詩苑の悪い印象を覆すなんて出来っこない。縹さんに報告してどうにかしてもらうのが懸命だ。けれどきっと、既に縹さんの耳にだって、そんな噂は入っているのだ。
ただいつもいつも詩苑に役割ばかりを求めて本人のことを知ろうともしない、その風潮に腹が立って仕方がない。これまで、ずっとそうだ。
怒りを呼吸とともに吐き出して、その場にしゃがみ込んだ。
「帰れるかな……」
死ぬようなことはないだろうが、詩苑が学院に居るのか居ないのかよく分からない今の状況で、他に誰かが見つけてくれるとも思えない。
久しぶりにやってしまったなあとぼんやり考えつつ、辺りを見回した。
当たり前に目印になるような建物も、分かりやすい木もない。
しかし何もせずに手を拱いているなど時間の無駄だ。取り敢えず人の居るところに出られさえすれば、道を教えてくれるだろう。
そう思って目を瞑り、周囲の気配と魔力を探る。以前、森の中で騎士クラスの魔力を感じたことがあった。だから今回もその気配を辿ってみようと思う。それと逆方向に進むか、そちらの方向に進むかは、大変悩ましいところだ。
──ああ、遠くに詩苑の魔力を感じる。今日も騎士クラスで訓練をしているんだ。
その慣れ親しんだ感覚に浸ろうとしたとき、ふと違和感を覚えた。
──詩苑の魔力しか、感じない……?
騎士クラスが訓練をしていて、それに詩苑が付き合っているのだとすれば、詩苑が遠くまで伝わるほどの魔力を出しているとは考えにくい。
むしろ他の騎士たちが詩苑をどうにかしようと、あの手この手で攻撃をしかけるのではないだろうか。
実際にその状況になっていたのが、一昨年の闘技大会だ。
騎士クラスの訓練の内容なんて私が知る由もないが、詩苑だけが魔力を放出する訓練とはどんなものなのだろうか。
それはあまりに凶暴で、危険性を孕んではいないだろうか。
どうしよう……このまま詩苑の魔力に引き寄せられて騎士クラスだと思われる方角に近づくか、それとも真逆に歩いて森の出口を目指すか。
再び学院の敷地図を思い浮かべる。正門から入って右に芸術クラスと学術研究クラスがあり、左に騎士クラスがある。その間に広がっているのがこの森であるが、騎士クラスは訓練場の兼ね合いで、こちら側より領域が広い。
下手に歩いて夜が明けるより、来た道を引き返した方が懸命、だろうな。
この期に及んで詩苑がどうにかなるようなことはないだろうと結論付けて、その場は引き返す選択をした。
どちらにせよ明日は王城に行かなければならない。外注した咲良様のドレスの色々が納品されたのと、本番の会場の下見をする。
そこには詩苑も参加する予定だ。行きは別になっても向こうで落ち合えるのだから、そのときに訊けばいい。
私もこんなところでゆっくりしている場合じゃない。日が落ちる前に、人のいるところに戻れるよう祈った。
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時間については横に置いて、しかしながら無事に知っている景色に辿り着き、明けた本日は眠たい目を擦りながら学院に迎えに来た馬車に乗る。
登城後、被服室では咲良様と合流した。ここから一緒に移動し、更に馬車に乗って王城敷地内の会場を目指すそうだ。
「萌稀ちゃん……あなた、己織に何を吹き込んだのかしら」
咲良様はいつも通り微笑を湛えて言った。あれ以来、二人きりになると相性で呼ばれる。
「アルノ様に、ですか?」
ここ最近は被服室に顔を出してもアルノ卿を見かけてすらいない。私がいないときに的確な指示は出してくれているようで、ドレス制作は順調に進んでいるのだが。
「ええ。ここ数日、様子がおかしいの」
『ロンバルディア公爵令嬢、昨夜は何時にご就寝されましたか』
『今朝は何を召し上がられました?』
『靴は右足から?左足から?』
「……って、それはそれは差し迫った様子で」
ほんの一瞬、咲良様から表情がなくなった。あのアルノ卿にそんなことを訊かれるところを想像すると、ちょっと怖いかもしれない。
「直接はお会いしていませんが……被服室の先輩方とは発想に詰まったときの話をした覚えはあります」
「具体的には?」
「ええと……対象物をよく観察する、とか」
「それだわ……」
あの話をアルノ卿はどこかで聞いていたのか、はたまた先輩たちが話したか。それにしたって行動が唐突すぎる……と一瞬思ったものの、場合によったら自分もやりかねないかもと思い直した。私はきちんと自分を省みることが出来る女だ。
「棋柄に訊いたのよ、芸術家には必要なことなのかって。そうしたら──」
『私のような凡人には分かりかねます』
「──って!」
「んん」
マッシモ卿は残念ながらこちらの人ではなかったらしい。しかしそのあっさりとした回答は予想外で少し笑ってしまった。
「アルノ卿は、宣誓式のドレスの意匠設計ですか?」
私を見て散々自分を卑下していても、アルノ卿は王城被服室の専属意匠設計家だ。重要な意匠設計を任されているからこそ、そこまで思い詰めているのだろう。
「宣誓式は決まったものがあるのよ。それとは別のことをお願いしているのだけれど……」
咲良様は眉尻を下げて溜め息を吐いた。
「何かお力になれることはありますか?」
あまりない咲良様のその反応に、訊ねた。
「そうね……私は己織の質問に答えるべきなのかしら」
「……そうですね、何を任されていらっしゃるか分からない状態で、無責任なことは言えませんが……何が思い付きに繋がるかは本人も知り得ないと言いましょうか」
これをすれば必ず良い案が浮かぶという必勝法はない。思い付く限りのことをして、悩むしかない。
「そう……やってもらわねば困るから、協力はしないといけないかしら……」
「参考になるものを提示するという方法もありますが、アルノ様は何かに固執されているような印象があります」
自分の何かを押し通さないと呪われてしまうのではないかというくらい、たまに鬼気迫った目をしている。発想に悩むのは意匠設計家としてはよくあることでも、本人が生み出そうと努力していることに周りが寄り添うというのは、案外難しいことだ。
アルノ卿の対応に余程苦心しているのか、咲良様はそれきり考え込んでいる様子で黙り込んだ。
気まずさに口の中が乾きそうになった頃、馬車の動きが止まり、叩扉の音のあと御者が扉を開けた。貴人より先に降りようと思って扉に近づくと、手を差し出した男の姿が目に入った。
「お疲れ様」
もしかしたら今日も会えないのではと思っていたその人がちゃんとそこにいて、思いの外ほっとした自分に気付いた。
「詩苑、久しぶり」
予定通り下見に参加するらしい詩苑は、私の手を取ると自然にエスコートする。
「珍しい格好をしているのね」
まじまじと観察すると、見慣れない服を着ている。普段と少しでも違うことがあれば胸がざわりと騒ぎ出す。
「これ?これは近衛の団服」
「今日はこちらの訓練に参加していたの?」
「まあね」
少しだけ言いづらそうにしたのは、授業に顔を出せていないからだろうか。どことなく顔がやつれているような気がしなくもない。様子が気になって顔を覗き込むと、ほんの僅か、瞳の色に青が混ざっている気がして両頬を掴んだ。
「もへひ?」
「詩苑、歌っている?」
逃げられないように顔を固定して、じっと瞳を観察する。この感じは力を暴走させて森で静かに耐えていたときの、あの色だと思う。
何度か瞬きしたあと緩やかに両手を握られ、詩苑は苦笑した。
「練習に参加出来なくてごめん」
「違う、そうじゃないでしょう。制御のために──」
「取り込み中悪いが、案内しても良いか?」
私が問い詰めようとしたところで、王太子殿下が言葉を差し込んだ。




