表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白色灯  作者: gojo
第二部
11/11

第二部(5)


 おはよう。

 おはよう。



 いってきます。

 いってらっしゃい。



 ただいま。

 おかえり。



 おやすみなさい。

 おやすみなさい。





 車窓から眺める景色のように、当たり前に毎日が過ぎていく。

 気を失った時でさえ、目を覚ますと、ごく普通の日常が始まった。


 あれから数日が経っていた。けれど、同じ日々の繰り返しで、もはや正確な日付さえ分からない。

 淳一は何事もなかったかのように、相も変わらず美しく柔らかな笑顔を絶やさずにいる。針のむしろに座らされている気分だ。否、針のむしろではない。ここは、牢獄だ。眩しい光の牢獄。


 夕食を終えると、いつものように休息時間という名の拷問が訪れた。

 ベッドの上で膝を抱えてうずくまる睦子を横目に、淳一は、椅子に座って本を読んでいる。何を読んでいるのか知らないが、その表情でさえ優しい。


 睦子は思い立ち、自身の荷物をまとめることにした。


「どうしたんだい?」


 淳一が優しく声を掛けてくる。

 睦子はそれを無視し、黙って作業を続けた。


「まだ体調は万全ではないんだ。こんな時間に片付けをしなくても良いだろ?」


 重ねての問い掛けに対し、囁くように答える。


「家に帰る」


 彼は綺麗に微笑んだ。


「もう遅い時間だよ」

「それでも帰る」

「どうして急にそんなことを」


 荷物をまとめる手の上に雫が落ちる。


「ごめん、しばらく離れて暮らそう」


 そう言っても彼は食い下がった。


「好きにすれば良い。でも、理由を聞くくらいの詮索は許してくれるよね?」


 睦子は淳一のことを睨んだ。


「本当は、わたしと離れて暮らしたいって思ってるんでしょ」

「そんなことないよ。君と一緒にいたい。愛している」


 淳一が優しく微笑み続けている。

 睦子は耐え切れずに叫んだ。


「じゃあ、どうしてそんな顔で笑うの!」


 そこにあるのは嘘の仮面だった。どうしてずっと気が付かなかったのだろう。初対面の時でさえ作りものと察せられたというのに、いつから淳一が綺麗に微笑み始めたのか思い出すことも出来ない。


 しばらくして、淳一は笑顔のまま口を開いた。


「君が望んだからだ」


 息が苦しくなる。今すぐ笑うのをやめて欲しいと願う。


「わたしは嘘なんて望んでいない」

「それでも君が笑うことを望んだんだ」

「嘘の笑顔ならいらない」

「望むものを与えたいという気持ちは優しさだ。もはや嘘ではなくなる」


 綺麗な笑顔のフィルターを通して発せられる言葉の数々は、どこまでが本心なのか判別することが出来ない。だが、たとえ彼の言うことが真実だったとしても、そんな夢か幻のような優しさなど欲しいとは思わない。

 睦子は切実に訴えた。


「違う。本当に欲しいのは……」

「欲しいのは?」


 目に溜まった涙が照明の灯りを屈折させ、視界が煌めく。眩しい。それは鋭利な刃物に反射した光のようにキラキラとしている。


「欲しいのは、光」

「輝く未来?」

「違う」


 誰もが求める安穏とした生活に興味などない。人々は規範に則ってそれを欲しているだけで、そこに価値はないのだから。


「それなら何が光なんだい?」

「分からない。分からないから教えて」

「難問だ」

「でも教えて。淳一の答えがわたしの答え。淳一はわたしの鏡なの」

「じゃあ、君が分からないなら僕にも分からないよ」

「淳一なら分かるでしょ? この真白な光の下なら何でもお見通しなんだから」


 そう言い切った時、淳一の表情に影が差した。


「分からないんだ。いつの間にか、この光を眩しく感じるようになってしまった。あまりに眩しくて、目の前のものも見えない」


 その顔は、寂しげだった。口元は未だ綺麗に微笑みを形作ってはいるものの、どことなく、幼い少年を思わせる。


「眩しいの?」

「とても、とても眩しいんだ。目が痛むほど。あれほど欲した光なのに」


 淳一は立ち上がって天井を見つめ、更に言葉を紡いだ。


「僕は……何が欲しかったんだろう……」


 彼は眩い光を遮ろうとするかのように、両腕を上げ、手を広げた。


 その手の影は、まるで蝶のようだった。


 二匹の蝶は何かを求め、光の中を彷徨い、はためき、やがて、睦子の首にとまった。

 喉が締め上げられていく。

 僅かに漏れる呼気を頼りに睦子は呟いた。


「まるで、蝶がとまったみたい」


 淳一は目を細め、冷たく微笑んだ。


「詩的だね」


「ねえ、これは幸せ?」


「分からない。君は?」


「苦しい」


「違う。幸せかどうか聞いたんだよ」


「わたしは……」


 幸せだ。


 見つめることさえ叶わない何もかもを照らす陽射しではなく、影に灯る小さな輝きとして、小さな手に抱かれる。これほどの幸せが他にあるだろうか。

 どんなに艶やかに身体を染めようと、白に白を落とすように、黒に黒を落とすように、流れゆく景色の中ではマダラ色に溶けて消えてしまう。その諦めに似た恐怖を、小さな手は、絞め殺してくれている。

 自分は選ばれたのだ。自分は選ばれたのだ。ありきたりではない、たった一つの特別なドラマの主人公になれたのだ。幸福だ。


 それを祝福するかのように真白な光が降り注いでいる。


 真白な光が、広がっていく。




 + + + + +




 ええ。確かに、幸せ、と言っていました。


 彼女が何を思ってそんなことを言ったのか、僕には分かりません。

 あの部屋で、冷たくなった身体と長いこと一緒に過ごしましたが、知りたいという欲求を満たしてくれるものは、何も、得られませんでした。

 見定めようとしても、彼女は、もう、動かなかった。

 

 彼女は死んでいた。そうです。僕が殺したのです。


 なぜ殺したのか、ですか?

 なぜ……


 それは、白色灯が眩し過ぎたからです。




 白色灯 【了】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ