03. 夜のお預け
夜の使用人宿舎の階段は静まり返り、ところどころの壁に置かれたランプだけが、仄暗い石畳を淡く照らしていました。
冷えた夜風の中で、二人の足音が重なり、繋いだ手だけがじんわりと温まっていきます。
私の部屋がある、見慣れた階に辿り着き、私たちは自然と足を止めました。
私たちの部屋は階が違うため、夜の別れはいつもここです。
繋がれていた手を引かれ、吸い寄せられるようにキウイさんの胸元へ抱きとめられました。
メイド服越しに伝わる体温。
包みこまれた瞬間に広がる、キウイさん特有の甘いインクと古い本の匂い。
「では……チェリーさん、今日もお疲れ様でした」
「はい、おやすみなさい……キウイさん」
ここまで、いつも通りの愛しいお別れの儀式です。
そしてこのあとに、今日を締めくくる甘い口づけを交わして、名残惜しさに後ろ髪を引かれながらそれぞれの部屋へ戻るのです。
キウイさんの細い指が、私の輪郭をなぞるように滑り、そっと私の顎を掬い上げてきます。
(あっ……)
朝からずっと、焦がれてやまなかった感触。
普段なら朝の挨拶から始まって、一桁では足りないほど私の唇を奪っていくはずの人が、今日は一度だってキスしてくれていません。
私はそっと瞼を閉じ、待ちに待った口づけを待ち構えました。
顔が近づき、甘いインクの香りが濃くなります。
唇と唇が触れ合うか触れ合わないか——ほんのわずかな隙間に、キウイさんの熱い吐息が触れました。
とくん、と胸が跳ね上がります。思わず身構えて、わずかに唇を開きかけました。
けれど、その瞬間。
ふっと顔のすぐそこにあった体温が、嘘みたいに離れていきました。
「……また明日、チェリーさん」
耳元でそっと囁かれた吐息の感触を残して、キウイさんの手が私の肌から滑り落ちていき、私の全身を包みこんでいた体温が解けていきます。
「えっ……!? キウイ、さん……?」
慌てて目を開けると、そこにはもう、背を向けて軽やかな足取りで階段を登り始めているキウイさんの姿がありました。
顔だけ振り向くと、悪戯っぽく頬を緩ませて、肩を揺らしました。
「……ふふ。キスは『特別』ですものね」
薄闇の中に消えていくキウイさんの姿を見送りながら、私はその場に立ち尽くしました。
(あ、あの表情……! 絶対に、わざと、楽しんでます……っ!)
去っていったキウイさんの熱だけが残る階段で、私は火照った頬を持て余すように、胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、独り身悶えするしかありませんでした。
弄ばれた唇の熱が、寂しくて、むず痒くて——けれど、私にはどうすることもできないのです。




