02. 昼下がりのお預け
お掃除のためにお部屋のカーテンを開けると、午後のぽかぽかとした風が部屋を吹き抜け、庭先の爽やかな草木の匂いで満たしていきました。
「チェリーさん、はたきをどうぞ」
「ありがとうございます」
差し出されたはたきを受け取りながら、触れ合った指先に思わず胸がどきりと跳ねます。
キウイさんは今朝の約束を守って、ちゃんとキスをお預けにしていました。
いつもなら、朝の挨拶に始まって、すれ違いざまや作業の合間に、もう三回はキスされているはずです。
けれど、今日はまだ一度も、あの柔らかい体温を感じていません。
(いけません。集中、集中……)
これが普通なのです。
お仕事中に唇を重ねるなんて、おかしいのですから。
はたきで本棚のほこりを絡め取りながら、自分に言い聞かせます。
埃が舞わないように、あくまで慎重に、静かに撫でつける。
いつも通りの動きを繰り返しているうちに、頭の中が少しだけ落ち着いていきました。
ふと、棚の上段にある本が一冊だけ、わずかに飛び出していることに気がつきました。
ここは、この国の姫であるサクラ様のお部屋です。
こういったほんの少しの乱れであっても、許されません。
(背伸びをすれば、届きそうですね)
踏み台を持ってくるのももどかしく、ぐっと手を伸ばしてつま先立ちになります。
「ん〜……っ!」
ぷるぷると震える指先を必死に伸ばし、なんとか本を押し込むことに成功しました。
「ふぅ……」
直せた安心感で、ふっと足元の緊張を緩めた瞬間——。
「きゃっ……!?」
ぐらり、と視界が大きく傾きました。
バランスを崩し、本棚の縁を掴もうとした手は空を切ります。
転んでしまう——そう思ってぎゅっと目を瞑った瞬間、背中と腰に衝撃が走りました。
痛みはありません。
傾いた私の身体を、頼もしい腕が、しっかりと抱きとめてくれたのです。
「あ……」
恐る恐る目を開けると、すぐ前にキウイさんの綺麗な顔がありました。
メイド服越しに伝わる体温。腰を支える、細いながら頼もしい腕。
そして視線の先には、吐息が触れそうなほど近くにある、キウイさんの薄紅色の唇——。
(あ……キス、されちゃう……っ)
とくんと心臓が跳ね、私は無意識に、ゆっくりと瞼を閉じかけました。
けれど——。
「チェリーさん、お気をつけて。高いところは無理せず、踏み台を使いましょうね」
耳に届いたのは、どこまでも冷静で優しい声でした。
「あ……」
支えを失って、思わず喉から切なげな声が漏れます。
「お怪我はありませんか?」
「い、いえ! ありがとう、ございます」
「チェリーさんがご無事でよかったです」
細められたキウイさんの緑色の瞳は、どこまでも優しく。
ただ、それだけなのです。
悪戯っぽさも、熱も、何も含んでいません。
「き、キウイさん……っ」
「はい、なんでしょう?」
「……な、なんでも、ないです……っ!」
「……そうですか」
キウイさんは穏やかに微笑むと、何事もなかったかのように自分のお仕事へと戻っていきました。
残された私は、ぽつんと独り、手の中のはたきをぎゅっと握りしめます。
(私、今……何を期待して……!?)
助けてもらった感謝より先に、唇の寂しさを感じてしまった自分に気がつき、一気に頬が火照っていきました。
残された腰元の熱と、焦れる唇。
私は雑念を払うように首を振って、お掃除を再開したのでした。




