21.文子は語る
どうしましょう。これは大問題です。だってあたしたちの雇い主である晴臣様と紅子様が、このところろくに口もきいていないんですよ。
以前は和やかにお喋りをしながら食事をとっていたのに、今ではどちらもほぼ無言。しかも食べ終えたら、すぐにその場を立ち去ってしまうんです。晴臣様は仕事部屋へ、紅子様は離れの自室へ。
おかしいのは、それだけではありません。
紅子様がこのお屋敷にやってきたその日から、毎晩おふたりは、離れの縁側でゆったりと語り合っていたんです。
何を話しているかまでは分かりませんが、なんだか楽しそうな笑い声がしょっちゅう聞こえてました。
……あたしを含む住み込みのメイドたちが、こっそりと裏庭の生垣の外から聞き耳を立てていたのは、絶対の絶対に内緒です。ばれたら矢野のおっちゃんの雷が落ちます。雷では済まない気もします。想像しただけで恐ろしい。
でもここ数日、裏庭は静かなまんまなんです。話し声も、笑い声も聞こえない。紅子様が来られる前はずっとこうだったのに、今ではそのことがおかしいと思えてしまうんです。それに、とっても寂しくてたまりません。
そんなふうに感じているのはあたしだけではなくて、他のメイドたちもでした。みんな、いつになくしょんぼりしているんです。メイドだけでなく執事も、下男も、料理人も、庭師も、みんなみんな。
以前の橘花家は、晴臣様を中心にまとまった、いい家だったんです。あの方が治めてくれていれば、あたしたちは大丈夫だって、素直にそう思えていました。
でもいつの間にか、この家の中心は『晴臣様と紅子様』になっていたんです。あたしたちみんなでおふたりを支えていくんだって、そう思ってました。
そりゃあまあ、突然やってきた紅子様にちょっと驚いたといえば驚きましたけど、でも違和感なんてあっという間に吹き飛んでいました。
それくらい、紅子様は素敵な方でしたし、おふたりはとっても仲睦まじくて、互いを思いやっていることが一目瞭然でしたから。
ああ、それなのに……。
「ねえおっちゃん、晴臣様と紅子様、大丈夫かな……」
「大丈夫かなあ……心配だなあ……」
そんなある日、あたしはお屋敷に本を借りに来たミヨちゃんと、庭の片隅でこっそりため息をついていました。ふたり並んで、かがみ込んで。目の前をぞろぞろと歩いている蟻の列を眺めながら。
あたしたちの隣に立ったおっちゃんは、落ち着き払った声で答えてきます。
「文子さん、このようなときに周囲が騒ぎ立てるのは逆効果ですよ」
「でも、心配で心配で……おっちゃんは、そわそわしませんか? 何でもいいからできることを探したくなりませんか?」
あたしの言葉に、ミヨちゃんも顔を上げました。
「私も心配ですけど……父さんは心配じゃないの?」
「それはもう、もちろん心配していますよ。おふたりが、急にぎこちなくなってしまわれたのですから」
ミヨちゃんの問いに、おっちゃんは迷うことなく答えました。
「せめておふたりがああなってしまった原因だけでも分かれば、それとなく助け舟を出すこともできるのでしょうが……」
よかった、おっちゃんもあたしたちと同じ気持ちでした。やっぱりこのままじゃ駄目だって、そう思ってくれてる。
「だったらみんなで……」
みんなでその原因を探しましょうよ、という言葉を言い終わるより先に、おっちゃんは真剣な声で続けました。
「ただあのおふたりの間には、強い絆があるように思えるのです。それがどのようなものなのかは分かりませんが、私たちには想像もつかないような強いものだと、そう感じるのですよ」
あたしとミヨちゃんが、同時に顔を見合わせます。突然こんなことを言い出すなんて、またおっちゃんの考えが分からなくなりました。
「だからこそ、晴臣様は必死になって紅子様を探しておられたのでしょう」
その言葉に、あたしとミヨちゃんは同時に、あ、と声を上げました。そうです、そうなんでした。
晴臣様はずっと、何かを探しておられました。見ているこちらの胸まで苦しくなるくらい必死に、懸命に。
そうして紅子様がやってきて、あの探しものは紅子様だったのだと、あたしたちはすんなりと理解しました。それがおふたりの絆のおかげ……と言われれば、そうなのかもしれません。よく分かりませんが、そんな気がしないでもないです。
「……そういえば、どうして晴臣様が紅子様を探されていたのか、その理由って不明なままですよね、父さん?」
「あ、ほんとだ。おふたりがあまりにも仲がいいから、忘れてた」
ミヨちゃんの指摘に、ふと気づかされます。あたしより六つも年下とは思えないくらいに、ミヨちゃんは賢いのです。
「言われてみれば、そっちも気になるなあ……もしかしたら、今回のことと関係があるかもしれないし……おっちゃん、晴臣様にそれとなく尋ねてみたりは……」
そろそろと尋ねてみたら、おっちゃんの眉間にぐぐっとしわが寄りました。わっ、いけない、雷が落ちる!
「使用人たるもの、主の事情にみだりに口を挟むものではありません。ミヨも覚えておきなさい。そして文子さん、貴女は改めて、頭に叩き込んでおきなさい」
……落ちませんでした。ミヨちゃんがいるからでしょうか。けれどおっちゃんの声はとんでもなく低く、恐ろしげです。これなら、普通にお説教されたほうがましだったかもしれません。
「分かりました、父さん。ほら、文子さんも」
しかしミヨちゃんは少しも動じることなく、明るくこたえていました。さすがおっちゃんの娘というか、肝が据わっています。
「は、はいっ、気をつけます!」
勢いよく立ち上がってぴんと背筋を伸ばし、はきはきと答えると、おっちゃんはようやく納得したようにうなずきました。
「今は、そっとしておきましょう。きっと時間が、解決してくれるでしょうから」
そんなあたしたちに、おっちゃんはこの上なく優しい声で言いました。
その少しあと、あたしは離れにある紅子様の部屋を訪ねていました。
「あのお、紅子様……」
周囲に誰もいないことを確認してから、部屋の中の紅子様に呼びかけます。すぐに、返事がありました。ふすまを開けて、そそくさと中に入り、ほっとひと息つきました。
「どうしたのですか、文子さん?」
障子を開けて裏庭を見ていたらしい紅子様が、不思議そうに首をかしげてあたしに向き直ってきます。
「ええと、ですね……」
にっこり笑って、頭の中を整理しなおしました。
おっちゃんはああ言っていましたが、やっぱりあたしにはこの状況を見て見ぬふりなんてできません。
晴臣様は恐ろしいくらいに落ち着き払っていて声のかけようがないのですが、紅子様はちょっとしょんぼりしています。年も近いあたしになら、もしかしたら悩みを打ち明けてくれるかもしれません。
そうして紅子様の悩みを聞き出し、鮮やかに解決! できれば最高ですよね。まあ、そう簡単じゃないことくらい分かってますけど、やってみなくちゃ始まらない。
そう覚悟を決めて、にっこりと笑いました。




