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22.答えはとても単純で

紅子べにこ様、気晴らししませんか?」


 突然わたしの部屋を訪ねてきた文子さんは、やけに晴れやかな笑顔でそう言った。


「気晴らし……ですか?」


「はい。このところ紅子様は、ずっとふさぎこんでおられるようですから、ちょっと気晴らしもいいかなって」


「ああ、みなさんにも心配をかけていたのですね」


「そうなんですよう。晴臣はるおみ様と紅子様が変によそよそしい、どうかしたのだろうかってみんな心配していて。あたしたち、もう気が気じゃなくって」


 申し訳なさを感じながら会釈したとたん、文子さんはぺらぺらと話し始めた。いつものことながら、口が軽い。もっとも、その飾らないところが、今は特に心地よく感じられたけれど。


「矢野のおっちゃんは、使用人がうかつに首を突っ込むものではないとかなんとか、そんな感じのことを言ってましたけど……でもやっぱり心配で」


 確かに矢野さんなら、そんなことを言いそうだ。


「で、考えました。首を突っ込まないにしても、気晴らしを提案するくらいは許されるんじゃないかって」


「ありがとう。でも、そんな気分では……」


「あたし、いい場所を知ってるんです。紅子様、ここのお庭、好きですよね?」


「え、ええ……」


 有無を言わさぬ文子さんの勢いに圧倒されていたら、彼女はからりと明るい笑顔を見せた。


「でしたらきっと、あたしの秘密の場所も、気に入りますよ!」




 意気揚々と歩く彼女に連れられて、屋敷の外に出る。やがて、緑の多い庭園のような場所に出た。屋敷より北のほうにあるここは、あちこちから集められた様々な草木が植えられた、植物園と呼ばれる場所らしい。


 たくさんの建物がひしめいている帝都にしては珍しく、ここは緑が多くて静かだ。木々の間を抜けてくる風は涼しく、さわやかな香りをはらんでいる。


 花壇の間の道を歩きながら、文子さんが肩越しに振り返ってきた。


「紅子様、ここまでちょっと歩かせちゃいましたけど、大丈夫でした?」


「ええ、大丈夫よ。……橘花たちばなの屋敷に来る前も、あちこちをふらふらと歩いていたから」


 言ってしまってから、あ、と口を押さえる。けれど文子さんはくるりと振り返って、悲しそうに目を潤ませてわたしを見つめてきた。


「紅子様、東藤とうどうの家ではずっと肩身の狭い思いをされてきたんですよね……屋敷にいづらいと感じてしまうくらいに」


 橘花の使用人のみんなには、わたしの事情を大まかにではあるけれど明かしてある。後妻と腹違いの妹とそりが合わなくて、肩身が狭い思いをしていた、とだけ。


 しかしみんなは、やっぱり詳細が気になってしまったのだろう。こそこそと東藤の屋敷の周辺に出向くと、あれこれと噂を集めてきた。それらをつなぎ合わせて、こんな推測をしてしまったのだ。


『性格の悪い後妻と義理の妹にいじめ抜かれた紅子様は、毎日屋敷を追い出され、夕暮れになるまで帰ることができなかった』


 まるきり間違ってはいないけれど、さすがに脚色が過ぎる。


 何かが違う、どうしてこうなったのだろうとぼやいていたら、その場に居合わせたミヨちゃんが「人間って、そういう感情を揺さぶられるような物語に弱いんですよ」と真面目そのものの顔で教えてくれた。彼女は読書家だけあって、そういったところの分析もお手の物のようだ。


 あのとき、近くで話を聞いていた晴臣は、きりりと顔を引き締めたまま肩を震わせていた。あれは間違いなく、笑いをこらえていた。


 ほんの少し前には当たり前だったそんな時間が、どうしようもなくかけがえのないもののように思えた。


 晴臣が言うように、水虎のことも前世のことも全て忘れて、あの温かな時間に浸っていられたら、どれほど幸せだろう。


 でも、自分がその道を選べないことも、よく分かっていた。胸の内にうずまく不安から目をそむけたまま、幸せをつかむことはできない。不器用だけれど、わたしはそういう人間だ。


 わたしが押し黙ってしまったからか、文子さんはさらに悲しそうな顔になってしまう。やがて彼女はわたしから視線をそらすと、静かにつぶやいた。


「……あたし、仕事が辛いなってときとか、矢野のおっちゃんに雷を落とされたあととか、よくここに来るんです。ここってあんまり人がいないんで、ひとりになりたいときはちょうどいいんです」


 彼女にしてはひどく小さな、力ない声で、彼女はぼそぼそと語り続けている。


「その、ここの風景を眺めていると、心のささくれが治っていくような、そんな気分になりませんか」


「ええ、そうですね。ここはとてもゆったりとした時間が流れていて、落ち着くわ」


 穏やかな笑顔で、嘘をつく。この植物園自体は、確かに素敵なところだ。


 でも緑に囲まれているうちに、また記憶が少し戻ってきた。帝都の中にしてはとびきり緑の多いここは、前世のわたしが最期を迎えたあの森に少しだけ似ていた。


 狐は、涙を流せない。そのはずなのに、あのときの山吹やまぶきはわたしの手をしっかりと握って、ぼろぼろと涙を流していた。


 その涙を指で拭ってやりたかったのに、もう手が動かなかった。悔しくて、苦しくて……思い出しただけで、泣きそうになってしまう。


 晴臣と出会うまでは、前世のことなんて全部忘れていた。


 けれど晴臣と出会って、彼と過ごして……どんどん、前世の記憶が戻っていった。このぶんだといずれ、わたしは全てを思い出す。そんな気もしていた。


 それは、わたしが望んだこと。わたしが前世と同じ赤い目を持って生まれた、そのことには意味があるのだと、そう自分を納得させたかった。意味もなく両親を苦しめたのではないと、自分を安心させたかった。


 ……でもその願いが、ほかならぬ晴臣を傷つけた。わたしは、どうしたらいいのだろう。


「あの、それでですね、紅子様」


 考え込んでいたら、文子さんの声がした。


「あたし、礼儀とかなってないし、ちょっとおせっかいだって言われるし……でも、おふたりのことは、とっても大切に思ってるんです。それだけは、間違いないです」


 彼女はためらいつつも、やはり遠慮なく切り込んでくる。


「だから、思い切って聞いちゃいます」


 何を、聞かれるのだろう。身構えたわたしに、彼女は予想外の言葉をぶつけてくる。


「紅子様は、晴臣様のことを、どう思っておられるんですか?」


「……え?」


「おふたりが仲直りするにあたって、結局一番大切なのって、お互いのことをどう思っているかだと思うんです」


 さっきまでの深刻な様子とは打って変わって、文子さんは自信たっぷりに言い張る。


「晴臣様がどう思っているかはまる分かりなので、この際置いておきます。でも紅子様は、まだ自分の気持ちが整理できていないんじゃないですか?」


 まる分かりなのか。わたしはまだ、彼がわたしのことをどう思っているのか、つかみ切れていない。憧れ、恋慕……けれど彼のまなざしには、それ以外の思いもまぎれこんでいるように感じられるのだ。


 ともかく、文子さんの問いについて考えてみよう。


「……晴臣様は、わたしを助けてくれた、頼れる方で……わたしのことを、一番理解してくれる方で……そして……」


 考え考え、言葉を探す。晴臣の様々な表情が、次から次へと浮かんでは消えていく。


「……わたしのことを、いつも大切に思ってくれる方、でしょうか」


「だったらその思い、素直にそのままぶつけちゃってもいいと思います!」


 わたしが言い終えたとたん、文子さんは元気よく言い切った。


「きっと大丈夫ですよ! 根拠はありませんけど!」


 明るく笑う彼女の笑顔に、なんだか本当にうまくいきそうな気がし始めていた。

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