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第7話 初めての提供


 オーブンからクッキーの甘い匂いが漂い始める頃には、キッチンはピカピカになっていた。


「洗わなくていいと言いましたよね」

「すみません、緊張で……つい」

「まぁいいんですけれど」


 クッキーの焼き上がり前に食器を選び、紅茶の準備もする。クリスティンは俺の動きをじっと見ているようでなんとも落ち着かない。

 オーブンを開き、中からだしたクッキーたちは見事に焼き上がっている。分厚めのチョコレートチップクッキー、バター・チョコ・小麦の香り。完璧だ。


「食べ……ます?」


 クリスティンに声をかけてみると、彼女は一瞬惹かれたようだが「いいえ」と答えた。


「そうですか」


 俺は最後の味見として一枚を手に取ってかぶりついた。サクッとした食感のあとねっちょりもったりとした中身はびっくりするくらい甘い。大きめのチョコレートはとろとろで、致死量の甘みが口内を襲う。けれど飲み込んでしまうとさっと後に残らないので不思議と次の一口を食べたくなる。

 我ながら良い出来だ。甘い物が好きな人にとってはたまらないだろう。


「あの、たべ……ます?」


 もう一度声をかけたのは、クリスティンがこちらをじっと見つめているからだ。穴が開くんじゃないと言うくらいじーっと俺の手元のクッキーを眺めていた。


「いえ、私がいただくわけには」

「多めに焼いていますし……そうですね。毒味という形でいかがですか」

「毒味、それなら」


 彼女はいい口実を得たとばかりに寄ってくると、俺の食いかけを奪うように取って頬張った。まるで猫が好物を食べている時みたいに目を爛々とさせて、一口、二口、そして一枚食べ切ってしまった。


「どうです?」

「とても美味です。さすがは、パティシエ。お嬢様もきっとお好みなるでしょう」

「よかったです。盛り付けをするので少しお待ちを」


 クッキーの粗熱をさまし、高級そうなお皿の上にクッキーを乗せて生クリームを絞る。クッキーをつけながら食べるとこれまた美味しい。甘党にはたまらない組み合わせである。


「クリスティンさん、お願いします」


 盛り付けが終わると彼女は皿をトレーに乗せてキッチンを出て行った。俺はエプロンを脱ぎ、待機室に戻って着替えた。



***



 しばらくゆっくりしているとクリスティンがノックのあとに部屋に入ってきた。


「カイノ様、お嬢様がお話になりたいと」

「あ、わかりました」

「報酬はお嬢様とのお話が終わったらお渡しします」


 まさか、呼ばれるとは思っていなかった。あれだ、高級なレストランでたまにシェフを呼んで料理についてのあれこれを聞く人がいる。もしかして、あのフィーリア嬢から感想をもらえる……のか。

 彼女のことを考えると胸が高鳴った。もう一度、あの美しい姿を見られるだけで幸せだとすら思えた。


「お嬢様は食堂にいらっしゃいます」

「感触はどうでしょう? お口にあっているといいんですが」

「それはご自身でお確かめください」


 クリスティンはあくまで仕事人。感情はあまりないみたいだ。クッキーはあんなに美味しそうに食べていたからきっと普通の女の子なんだろうと思うけれど。

 食堂の中には大きな長机、王族が食事するのか? と言うような大きな食堂、燭台は金ピカで蝋燭の火が揺れている。やっぱり、ここも花や植物が活けられていない。だから、妙に寂しい感じがする。

 長机の真ん中にフィーリアは座っていた。


「失礼します」


 フィーリアはクッキー3枚のうち1枚半を既に平らげていた。彼女は、頬につけたクッキーの屑をぱっとナプキンで拭うと恥ずかしそうに目を伏せた。


「お嬢様、パティシエをお連れしました」

「ありがとう、クリスティン。えっと、その……カイノ、このクッキーすごく美味しいわ」


——美味しい


 彼女は言葉と共にとても可愛らしい笑顔を浮かべた。少し遠慮がちに、でも俺の目を見ながら彼女は幸せそうに微笑んだ。思わず俺が目を逸らし、誤魔化すように頭を下げた。


「お褒めいただけ光栄です」


 彼女を直視できない、なんだよ可愛すぎるだろ!肩も腕も全部華奢で真っ白で細い。自分と同じ人間だと思えないくらいだ。


「初めて……食べたの。大きなクッキー」

「そ、そうでしたか。お口に合ったようで何よりです。冷めてしまったものもミルクに浸けて食べると美味しいです。あぁ、すみません、庶民的な食べ方ですが」


 彼女はクッキーを小さくちぎると手に取って、グラスの中のミルクにちょんと浸してからそっと口に入れた。そして、びっくりしたように見開いた綺麗な瞳と視線がぶつかる。


「美味しい……庶民の方はこんなに美味しいクッキーの食べ方を知っているのね」


 彼女はまた目を伏せて微笑んだ。この時点で俺の心は完全に占領されてしまった。とにかくもっと彼女を喜ばせたい。美味しいものをたくさん食べてほしい、笑顔を見せてほしい。

 頭の中にぐるぐる色んなレシピが駆け巡る。あれもこれも、この人を喜ばせるために最大限の努力をして作りたいと思った。


「あの、あの……」


 フィーリアは何かを言いたげにこちらをチラチラ、すかさずクリスティンが口を開いた。


「お嬢様は、また来てほしいと申しております」


 ぶわっと真っ赤になったフィーリアは手で顔を隠した。どうやらクリスティンの言っていることは本当らしい。


「是非、またスイーツを作りに来たいです。専属パティシエとしてよろしくお願いします!」


「うん、よろしくね。カイノ」


 小鳥が鳴くような、花が揺れるような可愛らしい声。身分の差で絶対に結ばれることはないとわかっていても彼女の魅力に夢中になってしまったのだ。


「カイノ様、それでは報酬をお渡ししますので待機室でお待ちください」


 俺は2人に別れの挨拶をして、食堂を出た。



 

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