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第5話 フィーリアお嬢様


 馬車から降りて、目に入ったのは美しいが質素な庭園だった。異質に感じるのは石像や噴水はあるのに植物が全くない。花の一輪なければ芝生もない。石畳の整えられ庭園だ。


「こちらへ」


 庭園を抜けて、すでに見えているお屋敷は白を基調した宮殿風の豪華で大きな建物だ。チョコレート色の大きなドアには宝石が埋め込まれていたであろうヘコみがいくつもある。先代が作った豪勢なドアを今の当主が質素に作り替えたんだろう。ドアのヘコみの大きさを数をみると結構趣味の悪い豪華さだったのだろうなと想像がつく。


「失礼します」


 宮殿のような見た目の建物だったが、中も豪華なものだ。ロビーにはシャンデリア、レッドカーペットが敷かれている。


——花が……ない


 広くて美しいロビー、絵画やアンティークの陶器が飾ってあるのに花瓶がない。そのせいかどこか無機質な感じがするのだ。


「カイノ様、こちらでございます。奥にキッチンがありますがその横にカイノ様専用のお部屋がございます。今後はここで過ごしていただいて問題ございません」


 ロビーを抜けて、大階段の横の廊下を真っ直ぐ進み食堂やキッチンを通り過ぎると、一つの部屋がある。チョコレート色のドアに「カイノ」と書かれたプレートが下がっていた。クリスティンはそのドアの前で足を止めると小さくお辞儀をする。


「こちら、専用の待機室でございます。不足ございましたらお申し付けくださいませ」


 部屋の中は思った以上に……というか、びっくりするくらい広かった。入ってすぐに目に入るのは偉い人が使うような豪華なデスクセット、幾つもある本棚には菓子関連の本がずらっと並んでいる。奥には小さなミニキッチンがあり、さらに進んでいくとバストイレがある。その上、別のドアの奥は広い寝室になっていてキングサイズのベッドとシャワールームが完備。

 この専用待機室だけで俺の今住んでいる実家よりも広いし設備もいい。さすがは公爵家……。


「寝室にクローゼットがございますのでそちらでお着替えください」

「はい、失礼します」


クローゼットらしきものを開けると中にあった、おしゃれな白いコック服に着替えて、寝室を出た。


「他に必要なものがありますか?」

「特にすぐに必要なものはないです」

「そうですか、それではフィーリアお嬢様とご挨拶を」

「はい」


 俺はクリスティンについて部屋を出ると、今度はロビーに戻って大階段を上がる。上がった先にはたくさんの部屋が並ぶ長い廊下があり、「応接室」と書かれたプレートのドアの中に入った。

 応接室は美しいアンティーク陶器が並んでおり、チョコレート色を基調にした棚が並んでいる。中には公爵が得た盾やトロフィーが並んでいた。やはりこの部屋にも花はない。


「今しばらくお待ちくださいませ」


 クリスティンが部屋を出ると俺はソファーに座ってその時を待つ。経歴を読み、新聞社にある限りの情報を探したが、全くと言っていいほど彼女のことはわからなかった。


 フィーリア・ルギャルー公爵令嬢


 女学園で首席だった過去を見ると、とても賢い人のはず。その上、倹約家かつ評判の高い公爵の娘さんので差別的だったりそういう変な趣味があるような人ではないと思うのだが……。やはり、不安である。

 貴族が庶民にオファーを出す場合、そこに「人権が存在しない」ことがある。最近では庶民の人権というのは認めれているものの、やはり完全に昔のやり方をやめられない貴族というのも存在するのだ。

 大昔、庶民は貴族にとって道具であり命を持つものではなかった。庶民の命を貴族の快楽のために使うようなことが平然とまかり通っていた時代があったということだ。


 やっぱり、どうして何の経験もない俺が選ばれたのか。その理由がわからないままなのでこういう不安が残ってしまうんだろう。

 ダメだ。今はとにかく失礼のないように挨拶をしないと。

 


——コンコン


 ノックのあと、ドアが開く。クリスティンのあとに続いて入ってきたのは……とても綺麗な女性だった。

 時が止まったかと思うくらい、というか実際にスローモーションのように感じた。薄い金色のさらさらでふわふわなロングヘア、上品に毛先がカールしてふわりと揺れる。

 まるで絵画、いや彫刻か? 美しいの権化みたいな美人。なのに上品な顔立ち、長いまつ毛の奥には宝石のような青い瞳。


「フィーリアお嬢様、こちら専属パティシエのオファーを受けてくださったカイノ・バーシェ様でございます」

「カイノ・バーシェと申します」


 俺は寄宿学校で習った最敬礼をした。緊張でぎこちなかったが、失敗はしなかった。


「フィーリア・ルギャルーと申します」


 フィーリアの声は、ハープの細い弦を優しく弾いたような……心地よい可愛らしい声。上品な大人っぽい美人からは想像できないような少し幼い声。俺は真っ直ぐに彼女の顔を見られない、これ以上見てしまうと死んでしまうかもしれない。

 ただ失礼になってはいけないので勇気をもって顔を上げると、フィーリアはクリスティンの後ろに隠れて俺をちらちらと眺めていた。

 まずい、何か怖がらせるようなことをしてしまっただろうか。困惑しているとクリスティンは全く動揺する様子もなく口を開いた。


「お嬢様は甘いものが食べたいと申しております」

「えっ」

「ですから、お嬢様はスイーツをご所望です」


 無表情で淡々と話すクリスティン。戸惑う俺を彼女の瞳がじっと見据える。


「はい、わかりました。すぐに作ります」

「それでは、隣にあるキッチンをご利用ください、私はお嬢様をお送りした後戻ります」


 クリスティンとフィーリアが部屋を出ていくと、俺は緊張が解けて一旦ソファーに座り込んだ。


「可愛い……すぎるだろ」


 心臓がばっくんばっくんとなり、手が震える。鮮明に思い出せるフィーリアの姿が写真でも撮るみたいに一瞬一瞬を思い出しては胸が苦しくなった。

 今まで出会ったことがないタイプの女性で……いやよく考えよう。彼女は公爵令嬢だ。俺とは何があっても相容れない存在の人。


 あれ、でも……


『フィーリアが望む場合、一緒に過ごして欲しい』


 ルギャルー公爵が手書きで書いたあの言葉。

 それが俺を混乱させているのだ。


「可愛い……すぎる」




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