第9章 発射台Jと一億ドル
『宇宙の解体屋さん』
第9章 発射台Jと一億ドル
南太平洋の島国で発射台Jの建設が始まったとき、真壁は最初にロケットメーカーへ条件を出しました。
「日本で使っているロケットを、できるだけそのまま持って来られるようにして」
メーカーの担当者は、種子島の大型ロケット発射場の系統図を開きました。
「発射台Jには、あちらの設備と互換性を持たせます。現行の機種が使う接続系、電力供給、推進剤の供給系、点検用の設備は対応できます。整備の余裕も増やします」
「上位互換だな」
「そう考えていただいて結構です。機体の形式に応じた試験と射場側の設定変更は必要です」
「それでいい。ロケットはどうせ船で運ぶんだろう」
「種子島へも船で運んでいますからね。ただ、航路と荷役設備は確認させてください」
海からの輸送を受け入れる岸壁、機体を運ぶための道路、組立棟、推進剤設備、電力、発射管制、追跡局。発射台だけ造っても商売になりません。
ペトル・ノヴァークはメーカー側の構造図を見ていました。
「沿岸の塩害は考えてありますね」
「防食と排水は最初から入れます。高潮の想定も必要です」
「島そのものが海面上昇に苦しんでいた国です。地上設備を昔と同じ高さへ置くわけにはいきません」
建物の基礎や重要機器の床は、浸水予測を見て高さを決めました。燃料設備や危険物倉庫は、居住区から離します。島の周囲には船も漁業もあります。打ち上げのたびに落下予測区域を示し、港と海上交通、航空機への通知を出す運用を組み込みました。
料金表も作りました。
施設使用料、保管、燃料の供給、管制支援、延期時の費用。あらかじめ契約で決まる項目と、実費が増える項目を分けます。
「ここを曖昧にして、あとで金の話になるのは嫌だな」
真壁が言いました。
「使用日を押さえたら、この条件で払う。悪天候で延期する場合の扱いも、先に決める。うちも空の発射台をいつまでも無料で空けておけない」
発射台Jが完成すると、早速、外国の宇宙機関やメーカーから照会が来ました。
◇ ◇ ◇
日本から来た担当者は、発射台Jの利用料金表と軌道条件を並べていました。
「日本国内の射場で打ち上げる計画と、こちらへ持ち込む計画の両方を作ります」
「それが普通でしょう」
真壁は予定表を見ました。
「日本は昔、打ち上げられる時期が決まってたよな」
担当者がうなずきました。
種子島宇宙センターと内之浦宇宙空間観測所では、かつて漁業との調整によって、年間190日が打ち上げ対象期間でした。通常期は7月22日から9月30日までと1月1日から2月28日までの合計130日。特別期は5月・6月、11月・12月の一部を合わせた60日でした。
2010年7月29日、JAXAと関係する漁業団体などが制度の見直しに合意しました。2011年4月から通常期と特別期の区別を廃止し、通年での打ち上げが可能になりました。
ただし当時の合意では、打ち上げ機数は年間17機以内とされ、毎年度の打ち上げ計画と漁業対策についての事前協議も続けられました。関係していたのは鹿児島、宮崎、大分、高知、愛媛の五県の漁業者です。
「190日が通年になった。それで全部片付いたなら、もっと早く楽になっていたでしょうね」
真壁が言いました。
「今も案件ごとに、調整することはあります。国内で打ち上げる意義もありますし、こちらを使う意義もあります」
機体の世代交代にも事情がありました。H-IIAは2001年に初号機が飛び、2025年6月29日の50号機を最後に運用を終えています。長い運用実績を持つ型式でも、製造と発射設備の運用が終われば、次の計画で自由に選べるとは限りません。新型機の試験を兼ねる計画なら、その機種を飛ばして運用実績を積む必要もあります。
「予定表に余裕がない時ほど、選択肢が少ないと困りますね」
日本側の担当者はそう言い、国内と海外の発射場を比較する表に戻りました。
「うちの条件は契約書に書いてある。日取りを押さえるなら、惑星の位置を先に見てくれ」
真壁はアルンへ画面を渡しました。
地球を回る通信衛星と、惑星や小惑星へ向かう探査機では、日程の意味が違います。惑星間探査では地球と目的天体の位置関係が決まり、必要な出発速度と到着までの飛行時間が変わります。都合のよい打ち上げ窓を逃せば、次の機会まで長く待つか、別の航路を計算しなければなりません。
「発射の一週間前に地上の都合で止まったら、困るだろ」
アルンが言いました。
「打ち上げ窓と、予備日を使える範囲は先に計算します。安全条件が悪ければ延期しますが、施設の運用日は年間を通じて確保できます」
低緯度であることも売りでした。
地球の自転による東向きの地表速度は、赤道でおよそ465m/sです。種子島の北緯約30.4度では約401m/s。赤道付近から東へ打ち上げるなら、同じロケットでも自転速度をより多く利用できます。
「差はざっと毎秒60m以上か」
真壁が数字を見ました。
「目標の軌道によります。低傾斜軌道や静止トランスファ軌道なら、ペイロードや衛星側の推進剤に利点が出ます。極軌道では同じ比較にはなりません」
アルンが補足しました。
そして、日本から来た担当者が最も長く見ていたのは、発射台の図面でも料金表でもなく、別の契約条項でした。
「打ち上げ後の救援支援、これはどこまで含みますか」
「打ち上げるロケットと衛星の資料を、必要な範囲で先にもらいます」
真壁が答えました。
「質量、構造、接続部、推進剤、電力、通信、飛行計画。事故が起きたら、どこへ近づいてよくて、どこへ触ったら危ないかが分かるようにする。そのうえで、軌道上の救援を頼まれたら別契約で動く」
「救援料金は?」
「基本一億ドルから。状態と作業内容で決める」
「安くはないですね」
「衛星を一個救うために、作業船と乗員を運んで、危険物のそばで作業するんだからね」
真壁たちは、軌道投入に失敗した貨物を小型艇で拾うことから商売を始めています。故障した太陽電池やアンテナ、衛星の姿勢、切り離せない構造物。宇宙空間で現物を調べて、直すか、運ぶか、解体するかを決めてきました。
軌道へ到達した物で、手が届く軌道にあり、故障箇所が船外作業で対処できる場合、これまでほとんどの案件を解決していました。上昇中に失われた機体や、破壊されたペイロードは救援の対象外です。
発射台Jから出る機体には、事前に資料が来ます。国の宇宙船団がどの資料を受領済みか、機密区分と救援時の開示条件まで決めておけます。
日本の宇宙機関も、少しずつ発射台Jの利用を増やしていきました。
◇ ◇ ◇
それでも、日本国内から打ち上げる案件は残りました。
国内での打ち上げを重視する政治的な事情もありました。長い時間を掛けて内之浦には大型機に対応する新しい発射設備が整えられ、H3のヘビー型を扱う計画が進められていました。
真壁の国にも、その打ち上げの話は伝わっていました。
「発射台Jの予約は入りませんでしたね」
地上の担当者が言いました。
「国内から上げるんだろ。だったら、うちの仕事じゃない」
「今回は静止軌道へ衛星を送る計画です」
「うまく行けばいいな」
打ち上げの日、船団でも公開中継を見ていました。
大型のH3ヘビー型が内之浦から上がり、第一段の飛行を終えて第二段へ移ります。映像上では、衛星を運ぶための計画が続いていました。
やがて第二段の燃焼が予定より早く停止しました。
「停止した」
アルンが表示を見ました。
「予定時刻より早いですね」
真壁は中継を止めずに聞きました。
「衛星は?」
「公開データでは分離していません。第二段に付いたままです」
「アポジモーターは?」
「まだ使われていません」
数値が追加されました。
遠地点高度、約三万km。
近地点高度、約二百km。
静止軌道の高度は約三万五千七百八十六kmです。衛星はそこへ届かず、第二段と結合したまま長い楕円軌道を回っていました。
「まだ宇宙にいるな」
真壁が言いました。
「います。ただし、近地点が低い。二百kmでは大気抵抗が効きます」
アルンは楕円軌道を表示しました。近地点の通過時には速度が大きく、希薄な大気でも抗力が働きます。第二段と衛星の姿勢、横断面積、太陽活動による上層大気密度で減速量が変わり、次の周回の軌道に影響します。
「うちの船を行かせられる?」
「相対軌道を組むことはできます。低い近地点だけで待つ方式は危険です。接近の時刻と場所、燃料と退避余裕を詰めます」
「機体の資料は?」
ペトルが地上の連絡先を調べました。
「発射台Jを使っていません。第二段の構造図も衛星との接続図も、こちらにはほとんど来ていません」
アデオラも付け加えました。
「第二段のバッテリーと電源系統、衛星側の電力供給の状態が分かりません。分離装置を動かすなら、どちらの回路が生きているか確認が要ります」
真壁は通信窓口を開きました。
「相手が連絡してきたら、受けよう。資料が揃えば救援できるか検討する」
◇ ◇ ◇
連絡はJAXAの現場から来ました。
「救援の可能性を調べていただけますか」
担当者の後ろには、打ち上げ管制とは別の会議室が映っていました。
「今の軌道と、分かっている状態を送ってください」
真壁が答えました。
「衛星は第二段から未分離です。アポジモーターは使用していません。最新の追跡値をお送りします」
「それは見ました。欲しいのは、もっと中身の資料です」
ペトルが項目を読み上げました。
「第二段と衛星の現在質量、重心、慣性モーメント、ドッキングもしくは分離用の接続部、周辺構造、機体への接近禁止範囲、加圧容器と推進剤タンクの位置です」
アデオラが続けました。
「電力系統、通信、分離信号回路、バッテリー残量、可能なら故障直前からのテレメトリーもお願いします」
「集めます。衛星メーカーとロケットメーカーにも照会します」
「契約の窓口は?」
「省庁間の確認を進めています」
「分かりました。うちは基本一億ドルからです。未知の構造に触る必要があれば追加の調査費を見積もります。正式な依頼と作業許可をいただいてから船を向けます」
担当者はその金額を聞いても驚きませんでした。救難船を動かす仕事の相場がどういうものか、調べてあったのでしょう。
「できれば、早くお願いしたいんです」
「こちらも早い方が作業しやすい。許可と資料をお願いします」
やがて費用の話が政治の会合に持ち込まれました。
ある議員が、公の場で真壁の会社を批判しました。
「宇宙の廃品を拾って商売している会社が、救援の基本料金を一億ドルとするとは、ずいぶん高いものですね。日本の事業に協力するという姿勢はないのでしょうか」
質問を受けた担当者は、救援船の出動と軌道上での作業を含む金額であること、資料の不足によって追加調査が必要であることを説明しました。
「一億ドル払えば必ず助かるのですか」
「現物を確認しなければ成功を保証できません。ただし、分離装置と衛星が健全で、救援船が安全に作業できるなら、ミッションを回復できる可能性があります」
「保証もしないで、一億ドルですか」
議員の言葉がニュースに取り上げられました。
真壁はそれを見ながら、出動計画を確認していました。
「保証できないから、現物を調べるんだよ」
「発射台Jから上げていれば、分離部も電源系も資料が揃っていましたね」
ペトルが言いました。
「そうだな。今回は何を触っていいかさえ確認できていない」
中国で古い宇宙ステーションを買った頃から、真壁は現物と契約書の両方を見て仕事をしてきました。登録国の権利がある物体を、料金交渉の最中に勝手に引っ張ってくるわけにもいきません。
JAXAの担当者からは、追加のデータが少しずつ届きました。追跡値は更新されます。しかし機体構造と分離装置の詳しい資料には、メーカーと関係機関の手続きが残っていました。
出動契約も、いつまでも成立しませんでした。
◇ ◇ ◇
アルンは、追跡値が届くたびに軌道を更新しました。
「近地点通過のたびに減速しています。遠地点も下がってきました」
「衛星の姿勢は?」
「正確には分かりません。公表される光学観測とレーダー観測では、姿勢による抗力変化まで確定できません」
真壁はJAXAの窓口へ確認しました。
「資料はどうなった?」
「現場では救援をお願いする方向で進めています。ですが、費用の決裁がまだです」
「うちも船を遊ばせているわけじゃない。出動日と作業内容を決めてくれれば動ける」
「分かっています。こちらも急ぎたいのですが……」
通信の向こうで担当者が黙りました。
その後も、救援費が高い、まず追加説明を求める、見積もりの根拠を再提出させる、といった話が繰り返されました。
しかし、打ち上げに失敗した機体の軌道は、政治家の会議に合わせて止まってくれません。
何度も近地点を通過し、大気抵抗によって軌道エネルギーを失ううち、遠地点は下がり、やがて低い方の高度にも余裕がなくなってきました。
「近地点の予測高度が、もう七十km程度です」
アルンが最新の追跡結果を出しました。
「そこまで来たか」
「次の大気圏通過で、機体を維持できないと見ています。破砕までの予測に幅はありますが、作業艇を近づける段階は過ぎています」
真壁は、日本から届いていた未決裁の依頼文を閉じました。
「じゃあ、終わりだな」
JAXAの担当者へ伝える文面には、短く、救援可能な期間が過ぎたことと、出動計画を取り下げることだけを記しました。
次の追跡では、長楕円軌道を回っていた第二段と衛星の反射が急激に変化しました。やがて大気圏への再突入が確認され、衛星は第二段とともに失われました。
アポジモーターは一度も使われず、衛星の分離も行われませんでした。
アルンが軌道図を閉じました。
「最初に二百kmで残った時点なら、まだ計画を立てられました」
「そうだな」
「現場は助けてほしかったようです」
「分かってる。だから返事は全部した」
真壁は窓の外に浮かぶ小型船母艦を見ました。
「でも、うちが持っていない図面は作れないし、成立していない契約では他国の衛星を勝手に扱えない。今回は間に合わなかった」
しばらくして、発射台Jの予約窓口に日本から新しい照会が入りました。
今度の担当者は、料金表と発射可能日、それに救援時の資料提供条項を、最初から一緒に送ってきました。
「次は何を上げるんだ?」
真壁が聞くと、地上担当者は予約申請の表紙を開きました。
「まだ計画段階です。今回は、発射台を先に押さえたいそうです」
「それがいい。宇宙まで来た荷物を、会議室で落としたくないからな」




