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第8章 国を一つ買いました

『宇宙の解体屋さん』


第8章 国を一つ買いました



 ISS3の再突入処分を終えたあと、真壁はようやく長距離航海の出発予定表を開きました。


「今度こそ行くんですね」


 アルン・ナイルが、目的地候補の軌道図を並べました。


「そういうつもりだ。次の通信が入る前に日付を決めよう」


 真壁が言い終わる前に、別の端末が鳴りました。


「社長、地上の買付担当からです」


「何が売りに出た?」


「国です」


 真壁は画面を見直しました。


「国?」


「南太平洋の島国です。政府が存続のための資金と、住民全員の移住先を探しています」


 送られてきた資料には、島の地図と海面上昇の予測、港の浸水記録、住宅の写真、財政資料がありました。


 海岸に近い家屋は、満潮と高潮が重なるたびに被害を受けています。井戸の塩水化も進んでいました。堤防を高くする計画は何度も作られましたが、施工費と維持費の見積もりが増えるばかりです。


「買えるの?」


「国土の売買契約だけで国の主権が移る仕組みではないそうです。政府の権限を引き継ぐための手続きが必要です」


「面倒だな」


「住民の移住先の方が、もっと面倒です」


 真壁は資料を最後まで読みました。


「じゃあ、そっちから片付けよう。国民を海に沈めてまで国を買っても、後味が悪い」


 アルンが航海予定表を閉じました。


「また延期ですね」


「まだ契約が成立したわけじゃない」


「そう言って、だいたい成立させるでしょう」


          ◇ ◇ ◇


 最初の交渉は、島国の元首と閣僚、それに移住先の候補国を交えた通信会議になりました。


 元首は真壁の提示した資金計画を見て、最初にこう聞きました。


「島を買い取ったあと、私たちの国民はどうなりますか」


「全員、住みたい人が安全に暮らせる場所へ移ってもらいます。住居と仕事と、受入国の国籍が先です」


「住宅を建てるだけでは困ります。子どもは学校へ通い、年寄りは医療を受けなければなりません」


「学校と病院の費用も計算してください。移住後の生活が始まってから請求が来ても、うちで払えるようにしておきます」


「島に戻りたい人が出たら?」


「出入りはできます。国籍が変わったからといって、故郷の墓や親戚の土地を取り上げる話にはしたくない」


 交渉は何度も続きました。


 移住先の政府が受け入れを認めてからも仕事は続きました。住居の位置、家族単位での移動、学校の学年、資格の承認、年金、通院、地元の仕事を一つずつ確認します。


 島国側では、政府の引き継ぎを国民に説明し、必要な承認手続きを進めました。外国から金を受け取って元首だけが決める方式では、あとから誰も納得しません。


 真壁は財政表の別の行を指しました。


「港の借金は?」


「残っています」


「国を引き継ぐなら、その借金も一緒に来るんでしょう。隠されるより先に値段を聞きたい」


 元首は少し笑いました。


「普通、国家の交渉でそこから聞きますか」


「中古の工場を買うときも、設備より抵当権の確認が先です」


 財務担当者が契約関係を整理しました。住民の私有財産、政府が所有する港湾・土地・施設、対外債務、公共事業の契約を分けます。真壁が必要とするのは、国家の継続と、港と発射場として使える土地でした。


 元首があらためて聞きました。


「本当に、この島が必要なのですか」


「赤道に近い。東側に海が開けている。港がある。しかも国連加盟国だ。うちには全部使い道があります」


「国連加盟国であることまで、使い道と言われたのは初めてです」


「会社でも法人格を残して事業を引き継ぐことがあるでしょう。あれの国家版をやりたい」


 元首はしばらく考えてから、住民の移住を先行させる条件で交渉を続けると答えました。


          ◇ ◇ ◇


 真壁たちの船団には、すでに宇宙で生まれた子どもがいました。


 最初は仕事のために上がった従業員ばかりでした。今は家族が暮らしています。居住船の半径200mの回転リングには、受精前からほぼ1Gの重力で生活できる区画があります。妊娠と出産については、マリア・コスタの管理で、重力、放射線、空気、水、栄養、温度を記録してきました。


 ほぼ1Gの回転リングは、居住船に設けられた特別な区画です。工作船や倉庫船、小型艇での普段の仕事は微小重力が基本で、そこで暮らす人も多くいます。


「社長、国を手に入れる理由は分かりました」


 マリアが居住船からの通信で言いました。


「子どもの身分関係を整理できます。出生、親子関係、婚姻、医療記録を同じ制度で扱えるのは助かります」


「会社の人事台帳だけじゃ、そろそろ足りなくなった」


「もっと前から足りていません」


「そうか」


 ペトル・ノヴァークが会議室の壁に映した巡洋艦の図面を見ました。


「今度はこの船が軍艦になるんですか」


「国の常備宇宙軍だ。船団の宇宙での活動を守る部署にする」


「名前だけ軍艦になっても、整備は今までどおりですよ」


「そこは変えない。役所の机を作るために工作船を止める気もない」


 船団の居住者は、新しい国籍を選ぶための手続きを始めました。従来の国籍をどう整理するかは各人の事情と出身国の法律に合わせます。家族ごとに別の国籍にならないよう、子どもの手続きも先に用意しました。


 軍の所属となる艦艇、輸送と工業を担当する民間船、居住施設は登録を分けました。巡洋艦と作業艇のうち指定されたものが常備宇宙軍に入り、食堂や医療、工場の職員まで一律に軍人にする話にはしません。


 宇宙空間そのものを国土だと宣言する案も採りませんでした。領土は南太平洋の島です。軌道上の船舶と施設は、各国との調整を経て新しい船籍・登録と管轄の下へ移していきます。


「登録国が違う古い部品、山ほどありますけど」


 アルンが言いました。


「国籍が変わっても、昔の所有者の権利は消えません」


「返せと言われたやつは返してきたよ」


「返し方が問題になったこともありました」


「それは今さらだな」


 中国の周立成には、手続きが固まる前に事情を知らせました。ロシアや西側の関係機関にも、過去に取引した設備の登録と、新しい国家の名義になる船の区別を伝えます。


 常任理事国には昔からいろいろ迷惑を掛け、こちらもいろいろ仕事を引き受けてきました。国の名前を変えて条約から逃げるより、元の国家の条約上の立場を維持したまま、必要な登録と協定を作り直した方が話は早かったのです。


          ◇ ◇ ◇


 島から最後の家族が出発する日、港に見送りに来たのは元首本人でした。


 子どもたちは船に乗り、年寄りは移住先の病院の予約を確認しました。送り出す側の政府には、転居した全員が受入国の国籍を得た記録が届いています。


 その時点で、元首だけが旧島国の国籍を持って残りました。


 人口一人の国家です。


 元首は通信会議で手続きの完了を告げ、事前に承認されていた新しい制度に従って、真壁への元首交代と国籍の切り替えを実施しました。交代後、前元首自身も受入国へ移住し、新しい国民になりました。


 国の名前と領土、対外債務、国際条約上の地位は引き継がれます。元の住民は安全な国で新しい生活を始め、空いた国籍には宇宙船団の住民が加わりました。


 真壁の端末に、元首の任命と国家登録の書類が届きました。


「社長、元首になりましたよ」


 アルンが言いました。


「会社の社長は続ける」


「国の代表が会社の社長も兼ねるんですね」


「こっちの商売をやめたら、国の食い扶持がなくなる」


 新しい国家は宇宙船団を常備宇宙軍に編入しました。もともとの回収船、修理船、小型艇の能力を生かし、必要な区画と装備を追加します。真壁は、艦隊のために一から新品の軍艦を造るより、今ある船を働かせ続けるつもりでした。


 以前、真壁が「まだ仕事船だ」と言っていた小型船母艦も、国家の常備艦艇に登録されました。


「巡洋艦ですね」


 ペトルが言いました。


「ずっと巡洋艦のつもりで造ってきただろ」


「社長が最後まで仕事船と言っていたんですよ」


「今は国ができたからな」


          ◇ ◇ ◇


 島には、さっそく新しい人たちが住み始めました。


 最初に来たのは、物資運搬ロケットの整備担当、地上の買付担当、港で荷物を扱う人たちです。それから社員寮の調理係、警備員、清掃担当、設備保全の職員が続きました。


 真壁は社員寮の食堂から届いた映像を見ていました。


「魚がうまそうだな」


「朝、水揚げされたものです」


 食堂の担当者が答えました。


「果物も地元から届きます。野菜の仕入れ先も増えました」


 その後ろを、警備担当の男性が雨合羽を持って通り過ぎました。


「外は?」


「スコールです。朝は暑くて、昼から大雨。倉庫の戸締まりと排水の点検が増えました」


 清掃担当者も画面に顔を出しました。


「廊下に砂が入りますし、湿気でカビが出ます。外の掃除は雨が止んでからやり直しですよ」


 宇宙船団なら気温と湿度は管理されています。普段は微小重力で作業し、雨も潮風もありません。地上では人も道具も常に重く、炎天下で歩くだけでも体力を使います。


 マリアは宇宙勤務者を地上へ移す場合の検査と訓練を整理しました。


「長く無重量で過ごした人は、筋力と骨量、循環系を調べます。帰還した日にそのまま炎天下で警備勤務という配置は困ります」


「重力区画で訓練できる?」


「段階を踏んで、できます。ただ、地上の暑さと雨は訓練室だけでは分かりません」


 地上と宇宙の異動希望は、両方向から出ました。


 地上の調理師が宇宙の厨房へ行きたがり、宇宙の清掃担当者が新鮮な魚と果物のある島を希望します。警備や倉庫管理でも入れ替えの候補が見つかりました。


「希望を取って、組み合わせよう」


 真壁が言いました。


「人間用のロケットは高いですよ」


 アルンが人員輸送の表を開きました。


 無人物資ロケットは、成功率80~90%を前提に安く作っています。軌道投入が多少ずれても、ビーコンさえ動けば小型船で回収できます。人間を乗せるロケットは成功率99%を目指した別の設計で、生命維持、冗長化、品質管理、試験、帰還設備まで費用が掛かり、真壁たちの貨物ロケットの百倍以上になります。


 往路も復路も高価です。希望者一人が出るたびに臨時便を仕立てる方式は採れません。


「だから入れ替えだ。船団へ行きたい人と、地上へ来たい人を同じ交代計画に入れる」


「乗員枠と帰還機の予定を合わせます」


「地上の食堂の席が埋まるなら、それでいい」


 入れ替えても高価な有人輸送費はそのままです。それでも互いの仕事を引き継げるよう時期を合わせ、必要な便に乗せることで、希望を少しずつ実現することになりました。


          ◇ ◇ ◇


 島国が始めたもう一つの商売は、便宜置籍船でした。


「登録船には、どんな税金を掛けます?」


 地上の担当者が聞きました。


「基本、税金は取らない」


「それだと船を登録するだけになりますよ」


「代わりに荷物を運んでもらう」


 真壁は、島の港と倉庫、発射施設の在庫表を開きました。


 船籍は商船会社に広く開放します。船員の国籍や国内独自の配置基準は柔軟に運用し、船会社が使いやすい制度にします。ただし国際的な安全設備、資格、船員の保護に関する義務まで消すことはできません。海難事故が起きれば、旗を貸した国にも責任が生じます。


「一隻で年に海上コンテナ二個分くらい。小型船は半個分でもいい。船の大きさで調整して」


「各船が毎年この島へ来るんですか」


「船会社がまとめて運べばいい。同じ会社で十隻登録してたら、負担分を合計して都合のいい船で運んで」


「何を納めさせます?」


「うちが買った物を、頼んだ時に持ってきてもらう。食料でも機械でも薬でも、こちらが指定する。不要な物を勝手に積んで来られても困る」


「今年、運んでほしい物がなかったら?」


「免税」


 地上担当者の手が止まりました。


「納税義務が消えるんですか」


「運ぶ仕事がなければ、税金もなし。金で代わりを払わせる必要もない」


 現物輸送の義務は登録船一隻ごとに算定し、船会社が取りまとめます。国が指定した荷物を必要な年だけ島へ運び、国の発注が少なければ実際に必要な量にとどめます。国が頼む貨物がなければ、その年の負担はありません。


 真壁は品目の欄に、半導体部品、シール材、食料、医薬品、潤滑剤、工作機械用の工具を並べました。


「現金を取って、これを別の船で買い付けて運ぶと手間が二度掛かる」


「なるほど。荷物の代金はこっちが払って、運搬の手間を船籍の対価にするわけですね」


「そう。海の上には船が山ほどある。うちは欲しい物がちゃんと届けばいい」


 国の歳入は、港湾と発射場、宇宙での解体・修理・輸送事業から得る計画です。便宜置籍船は、現金を徴収するより、地上と宇宙の補給線を支える仕組みになりました。


 島の倉庫には、世界各地から届く物資が集まりました。港から陸上の倉庫へ、倉庫から発射施設へ、発射施設から軌道上の船団へ。地上の調理係が選んだ食材も、工場船で必要な高価な電気部品も、その中にありました。


 真壁は三つの発射拠点を並べた表を見ました。


 東南アジア。南米。そして、新しい自国の島。


 無人貨物ロケットは、この三か所から上げられます。


 島には、もう一つ大きな用地が残っていました。


「こっちは?」


「外国向けの発射施設です」


「貸せるのか」


「ロケットメーカーから図面が来ています。種子島の設備の上位互換にするそうです」


 真壁はその見積書の表紙をめくりました。


 発射台の名称欄には、大きな文字が一つだけありました。


 J

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