第3章 巡洋艦まであとわずか
第3章 巡洋艦まであとわずか
従業員が増えると、仕事場だけでは足りなくなった。
最初の旧ステーションでは、寝る場所も食事場所も工作区画も、全部が近すぎた。
さらに問題があった。
「男女比は、ほぼ半々です」
船団医師のマリア・コスタが言った。
「だからといって、子どもを作っていい理由にはなりません」
「分かってる」
真壁は答えた。
「地上へ戻って作れ、というのも無理になってきました」
「だから重力区画を作るんです」
宇宙での妊娠は、船団ができた当初から禁止されていた。
危険視されたのは、受精、初期胚、着床、胎盤形成、器官形成までの発生初期だった。そのどこまでが重力を必要とし、微小重力がどの程度影響するか、人間について確かな実績がなかった。
動物実験の資料はあった。船団は、人間の発生初期を微小重力に置く試みを避けた。
「妊娠が分かってから重力区画へ入るのでは遅いと考えます」
マリアは会議で言った。
「いちばん分からないのが発生初期です。妊娠を希望する女性は、受精前から重力区画へ移る。妊娠中は原則としてそこから出ない。出産後も母子の状態が安定するまで重力区画で生活する。それを条件にしましょう」
「何Gにする?」
ペトルが聞いた。
「地球に近い値。比較対象を増やさない方がいい」
人工重力は、回転で作った。
半径200mの居住リングをゆっくり回す。角速度を毎秒約0.22rad、毎分約2.1回転にすれば、外周ではほぼ1Gになる。
式は単純だった。
向心加速度は、角速度の2乗に半径を掛ける。
半径を大きくすれば、同じ重力をより低い回転数で作れる。回転数を下げれば、頭を動かしたときのコリオリ感覚も小さくできる。
問題は200mの構造物をどう作るかだった。
「新品を打ち上げる?」
真壁が聞くと、全員が首を振った。
「廃棄タンクを梁に使います」
「静止衛星の構体も」
「ロケット上段の円筒を切って、接続部を作れる」
「回転部の軸受けは?」
「磁気支持とローラの併用。完全非接触にこだわると、また新品だらけになります」
「それでいこう」
数年掛かった。
居住リングが回り始めた日、床ができた。
工具を置けば、その場に落ちる。
コップの水が下へたまる。
人間が横になれば、体重がある。
船団の誰も、そんなことに感動するとは思っていなかった。
「妊娠許可を出します」
マリアが言った。
「希望者は?」
真壁が聞いた。
「もういます」
「早いな」
「待たせたのは社長たちです」
最初の妊娠では、本人が受精前から重力区画へ移り、そのまま出産まで生活する臨床運用を採った。
医師と技術者が、重力、放射線量、空気、水、栄養、温度、騒音を記録した。
出産まで重力区画で生活した。
子どもが生まれた。
人類で初めて、地球から離れた宇宙居住系の中で受精から出産までを成立させた子どもだった。
それから、船団の意味が変わった。
出稼ぎ先から、故郷になった。
居住船と並行して、小型船の母艦も大きくなった。
「これ、最初に社長が言ってた宇宙巡洋艦じゃないですか」
アルンが言った。
真壁は窓の外にある母艦を見た。
細長くもない。
左右対称でもない。
回収用小型船の格納部、燃料タンク、交換部品庫、作業アーム、放熱器、アンテナ、太陽電池の支持構造が、増築の順番そのままに付いている。
「シュッとしてない」
「宇宙巡洋艦の性能表に、シュッとしている、は入りませんよ」
海上のクルーザーのような船型へ寄せる理由もなかった。宇宙には水面がなく、造波抵抗を考える必要がない。大気圏外で使う限り、空気抵抗のために船首を細くする必要もない。
しかも、主推進はイオンエンジンだった。後で計算するように、船全体へ掛かる加速度はごく小さい。ロケットのように数Gへ耐える一本の太い胴体を作るより、長いトラスへタンク、格納部、放熱器、アンテナ、太陽電池を必要な場所ごとに取り付けた方が軽かった。小型船が接舷する場所、格納部、回転する居住区画の支持部など、局所的に大きな荷重が掛かるところだけを強くした。
武装も積まれていた。
東南アジア側と南米側から買ったのは、まず小口径の実体弾兵器だった。安価な物資運搬用ロケットで軌道へ上げる以上、砲身、機関部、砲架、弾薬まで重くなる大口径砲は候補から外れた。
ロハスが地上から送ってきた貨物目録を見ながら、真壁が聞いた。
「もっと大きい口径は?」
「上げるだけで高くなります」
「じゃあ小さいのでいい」
宇宙空間では、発射された弾丸は空気抵抗で減速しない。もちろん地球や月、太陽の重力は受けるし、直線を永遠に飛ぶわけでもない。だが相手が回避運動をしないなら、目標の位置と速度を測り、弾丸の軌道と相手の未来位置が同じ時刻に交わるよう計算すればよい。
「未来位置を外したら?」
「当たりません」
「当たり前だな」
「逆に、未来位置が合っていて相手が避けなければ、空気で弾が失速することはありません」
問題は、撃った側も動くことだった。
小口径でも反動はゼロにならない。弾丸へ与えた運動量の分だけ、母艦や小型船の速度ベクトルも反対側へ変わる。姿勢制御系が吸収する分を含めても、射撃後には自船の状態ベクトルを取り直し、次の射撃解と軌道を再計算した。
「一発撃つたびに軌道計算ですか」
「宇宙で仕事してるんだから、今さらだろ」
既存の機銃なら何でも使えるわけでもなかった。周囲の空気を圧力源として使う機構、外気をダンパーとして使う機構、連射時の冷却を周囲の空気へ大きく依存する物は候補から外れた。真空では対流冷却が使えない。発射熱は銃身や機関部から支持構造へ伝え、最後は放射で捨てるしかない。潤滑材や樹脂部品も真空と温度条件を見直す必要があり、地上用の一覧から残った機種は思ったより少なかった。
軽量ミサイルも使った。地上の携帯型対空ミサイル級の大きさなら、貨物ロケットへ混載できる。だが真空では翼や尾翼へ空気が当たらないため、空力操舵はできない。産廃屋側は宇宙用に手を入れ、燃焼中は可動ノズルや排気流の中へ置いた動翼で推力方向を変える方式を使った。
「地上用より遠くまで飛びますか」
「空気抵抗で速度を失わない分、到達距離は伸びる。ただし、どこまで戦えるかは誘導とセンサーと相対軌道で決まる」
「弾頭は大きくなくていい?」
「相手も軽合金と薄い外板でできた宇宙機です。大きな弾頭を運ぶ重量があるなら、推進剤か予備部品を積みます」
積極的に相手を止めるための武装は、小型船母艦と、その母艦から出る小型船へ集中させた。居住船、工場船、倉庫船にも自衛用の武器は載せたが、それらを戦闘の前へ出すつもりはなかった。
もっと古くから使っていた武器もあった。
「銛、まだ積むんですか」
「最初からこれで食ってきただろ」
ロープ付きの銛発射銃だった。もともとは回収物へ打ち込み、係留し、回転する残骸を引き寄せるための作業道具だった。改良型はロープの巻取り系と射撃管制を更新し、回収、緊急係留、近距離での接近阻止に使った。
宇宙船は、攻撃するつもりの集団を近くまで寄せてから守れる構造ではない。太陽電池、放熱器、アンテナ、外部配管、タンク。壊されたくない物ほど外へ出ている。
「攻撃されてから反撃、では遅いですね」
アルンが言った。
「明確に攻撃するつもりで近づいてくるなら、先に止める」
真壁が答えた。
「先手必勝ですか」
「宇宙船同士で殴り合いなんか始めたら、勝った方も修理代で泣く」
小型船母艦のほかに、工場船ができた。
工場船には旋盤、フライス盤、溶接装置、切断装置、真空炉、鋳造設備、熱処理設備が集められた。新品の宇宙工場というより、何十社もの工場から中古機械を集めた工業団地に近かった。
倉庫船もできた。
そこには、部品番号で管理できる物と、「たぶん何かに使える」で管理される物が同居した。
船団を動かす推進は、電気推進が中心になった。
イオンエンジンは、化学ロケットのような大推力を一気に出さない。
キセノンなどをイオン化し、電場で高速に加速して噴射する。推力は小さい。その代わり排気速度が高く、比推力が大きい。
かつてNASAのDeep Space 1で使われた30cm級NSTARイオンエンジンは、2.3kW程度で最大約92mN、比推力は約3200秒だった。紙1枚を手に載せた程度の力しか出さない代わりに、何千時間、何万時間と噴射を続けて速度を積み上げる思想だった。
産廃屋の大型船も同じだった。
「Deep Space 1の数字をそのまま割ると、92mNで2.3kWくらい。ざっくり1Nあたり25kWです」
アルンが若い操縦員へ説明した。
「推力を100Nまで並べれば、電力はメガワット級になる。仮に船が1万tなら、100Nでも加速度は1×10⁻⁵m/s²。丸1日押して速度が約0.86m/s増える。派手さはありませんが、100日なら80m/sを超える。長く押せば積み上がります」
「今日、火星へ向けて発進。明日にはものすごい速度」
真壁が言った。
「そういう船じゃない」
「何週間、何か月も押し続けます」
アルンが続けた。
「加速度は小さい。でも推進剤の使い方はいい。急ぐ必要のない資材船や工場船には向いています」
電力は寄せ集めだった。
ロシアの旧レーダー衛星から回収した原子炉系。
放射性同位体の崩壊熱を使う電源。
そして、増築を繰り返して巨大化した太陽電池パネル。
アデオラは、新人に必ず言い直させた。
「『崩壊熱リアクター』って呼ぶ人がいますが、RTGは放射性同位体が自然に壊れて出す熱を使う電源です。原子炉は連鎖反応を制御して熱を取り出します。仕組みが別です」
「燃料は?」
「宇宙用なら代表はプルトニウム238。半減期は約87.7年。主にアルファ崩壊で熱を出す。VoyagerやCassiniのような探査機で使われた。CassiniのGPHS-RTGは熱電対で電気へ変換して、初期効率は6%台だった」
「効率悪いですね」
「だから熱源としても使える。何十年も勝手に暖かい。しかも動く部品がほぼない。必要なのは、効率だけじゃなく信頼性です」
「ロシアの炉とは違う?」
「まったく違う。BES-5はウラン235の核分裂を維持する原子炉。Pu-238のRTGは崩壊熱。混ぜて呼ぶと、ここの技術屋に嫌われます」
原子力系は、常時必要な基礎電力と非常時の電源を支えた。BES-5を元の熱電変換器のまま使うと1基あたり1kW台なので、船団では定常熱源として扱い、使える変換器を組み替えながら基礎負荷へ回した。主推進用の大電力は太陽電池側が受け持った。RTGはさらに小電力だが、停止操作を要しないため、非常電源や保温に向いていた。
大電力が要るとき、特に多数の電気推進器を長時間回すときは、太陽電池が主力になった。
古い衛星のパネルを足す。
壊れたセル列を切り離す。
別の規格のパネルには変換器を挟む。
新しい高効率セルが手に入れば、部分的に張り替える。
その繰り返しで、太陽電池の総面積は、最初の宇宙ステーションから想像できないほど大きくなった。
「5万m²を超えました」
アデオラが集計を出した。
「1AU付近なら、太陽光は1m²あたり約1.36kW。新品セルで3割取れれば、5万m²で20MW級です。うちのパネルは年代も劣化もばらばらなので実出力はもっと落ちますが、それでも推進器を束で回せます」
「肉眼で見えるか」
「条件が良ければ。肉眼では、かなり明るい点として見えます。太陽との角度次第です」
地上から見れば構造の形までは分からない。
だが太陽との位置が合えば、反射と発電面の散乱光で、船団は肉眼でも追える明るい点になった。
「これ、何のモーターです?」
「月から拾ってきたやつ」
「月?」
「そろそろ説明してなかったな」
月面用の小型船ができたのは、母艦より後だった。
月の表面重力は約1.62m/s²、地球の約6分の1。脱出速度も約2.38km/sで、地球から巨大船を上げるのとは条件がまるで違う。
母艦は月周回側に残した。小型船だけが月面へ降り、回収物を積み、再び母艦へ戻る。
月面には、人類が何十年も前に置いてきた機械が大量にあった。
「大型モーター、減速機、車輪駆動部、アンテナ駆動部。真空と温度差に耐えるよう作った物は、地球の中古モーターとは価値が違います」
ペトルが言った。
「だから拾う」
「所有権は?」
「返せと言われたら……」
「社長、それはもうやめてください」
月面回収で、真壁たちは一度だけ本気でアメリカを怒らせた。
静かの海に残るアポロ11号の月着陸船下降段を、回収候補に入れたときだった。
「金属としても部品としても、状態を調べる価値があります」
若い技術者が言った。
「50年以上、月面に置かれたアルミ構造材、断熱材、配線、接着剤。材料試験としても面白い」
「じゃあ持って帰ろう」
その会話が地上へ伝わった。
アメリカ側からの返事は早かった。
「触るな」
真壁は言った。
「まだ触ってません」
「近づくな」
「回収して調べた方が、材料データは取れますよ」
「人類最初の有人月面着陸地点です」
「分かっています」
「分かっている人間が、どうして下降段を持って帰ろうとするんです」
「使われていないから」
そこで交渉は止まった。
真壁たちは諦めた。
しかも、諦め方が産廃屋だった。
「ロープ持ってこい」
「月面でロープですか」
「立入禁止って分かるようにする」
古いNASAの保存勧告では、アポロ11号の下降段から75mほどを移動体の立入除外範囲として扱う考え方が示されていた。
真壁たちは、その数字を使った。
下降段を中心に、足跡や残置機器へ触れないよう位置を取り、目印の杭とロープで境界を示した。
「月面に工事現場みたいな物を作りましたね」
「分かりやすいだろ」
「歴史遺産です」
「だから立入禁止にした」
アポロ11号は、それ以後、船団の中でも特別扱いになった。
回収は12号以降の残置物や、ソ連の月面機へ移った。ルノホートのような月面車は、駆動系も構造も技術者には魅力的だった。ただし、レーザー測距用の反射器など、今なお地上から使える機器は回収対象から外した。
「使っている物は産廃じゃない」
真壁は言った。
「それを最初から言ってくれれば、各国も安心するんですが」
アルンが答えた。
「昔の映像に出てくる巡洋艦は、もっと格好よかった」
「地上からそのまま飛び立つやつですか」
「見栄えだけならな。うちが作る方法じゃない」
完成した巨大宇宙船を地上からそのまま離陸させる方式は、最初から候補に入っていなかった。
物理は見栄えを考えてくれない。
「仮に、ものすごいエンジンを作ったとします」
アデオラが若い従業員へ説明していた。
「出力の99.999%を推進へ変換できる夢みたいな装置でも、残り0.001%は損失です。必要出力そのものが天文学的なら、その0.001%だけで巨大な熱になります。熱は消えません。宇宙なら放射で捨てる。大気中なら周囲の気体も加熱する。機体はその熱流束に耐えなきゃいけない」
「効率が99.999%でも、熱問題は残る?」
「総出力との掛け算です」
真壁が横から言った。
「だから、完成した巡洋艦を地上から飛ばす案は最初からない」
「じゃあ、部品を全部軌道へ上げて組み立てたんですか」
「それもやってない」
「じゃあ、どうやって?」
「拾った」
地上で巨大船を100個、1000個の部品に分け、数十回、数百回もロケットで運ぶ方法もある。
だが、打上げには失敗がある。
100回すべてが成功しなければ完成しない設計にすると、1回の失敗で必要部品が欠ける。再打上げすれば金と時間が増える。順番に依存する部品なら、後工程まで止まる。
真壁たちは、最初から完全な部品表を作らなかった。
拾った物を分類した。
使える物を使った。
足りない物だけを作った。
直せる物は直した。
同じ機能の別部品があれば、設計側を変えた。
その方法なら、ロケット1機が失敗しても船全体は完成不能にならない。
完成日は決めず、毎年どこかを更新した。
「社長」
アルンが、小型船母艦を見上げた。
「これ、巡洋艦に必要な能力は、もう全部ありますよね」
真壁も見上げた。
小型船を何隻も収容できる。
何か月も人を住まわせられる。
修理設備がある。
燃料と予備部品を積める。
低推力でも長時間加速できる。
発電設備がある。
そして、必要なら自分と小型船を守り、相手を遠ざける武装もある。
「船として足りない物は?」
アルンが聞いた。
「ほとんどない」
「じゃあ、もう巡洋艦でしょう」
真壁は少し考えた。
「まだ仕事船だ」
「違いは?」
「使い方」
真壁たちは、これまで仕事がある場所へ移動してきた。低軌道の回収物へ行く。静止軌道の衛星へ行く。月へ行く。修理を頼まれれば依頼先へ行く。目的はいつも仕事だった。
クルーザーとして航海するなら、今度は自分たちで行き先を決め、長期間の航海そのものへ出ることになる。
「何が足りないんです?」
「旅支度」
「食料と水?」
「薬、予備部品、推進剤、航路の計算、留守中の仕事の引継ぎ。それと」
「それと?」
「行くと決めること」
アルンは、しばらく小型船母艦を見ていた。
居住船。
小型船母艦。
工場船。
倉庫船。
それぞれ別の時期に必要へ応じて増築され、別々の履歴を持っていた。国家予算で一度に建造した船団でも、完成図どおりに組み上げた船団でもない。
捨てられた宇宙ステーションから始まり、使われなくなった衛星、ロケット上段、月面の残置機、古い原子炉、太陽電池、別の衛星から外した通信機器を、1つずつ足してきた。
巨大船は地上から飛ばさなかった。部品一式を地上でそろえてから運ぶ方式も採らなかった。
宇宙にすでにある物を拾い、直し、交換し、加工し、足りない物だけを地上から上げた。
失敗した打上げが1回あっても、計画全体は止まらない。
10年掛かっても、20年掛かっても、その間ずっと仕事をしながら船が育った。
巡洋艦に必要な物は、もうほとんど揃っていた。
あとは旅支度をして、航海へ出ると決める。
巡洋艦まで、あとわずかだった。




