第2章 返せと言うから返しました
第2章 返せと言うから返しました
中国から買った2世代前の旧型ステーションは、最初のステーションと連結せず、少し離した軌道で第2の作業拠点になった。真壁たちは、古い機材を順番に置き換えながら使う技術をすでに身につけていた。
宇宙で拾える物は増えた。
食料、水、薬、衣類、樹脂、潤滑剤、電子部品は地上からの供給が要った。
「地上から上げる金が、いちばん高い」
真壁が会議机を叩いた。
「だから安く上げる」
東南アジア某国の科学技術省で宇宙技術を担当するラーマン次官補は、真壁の数字を見て首を振った。
「この価格で成功率まで求めないでください」
「何割飛びます?」
「最近の実績なら8割台です。条件が良ければ9割に近い」
「十分です」
「有人では使えませんよ」
「人は乗せません。食料と水と交換部品だけです」
「軌道投入精度も、商用ロケットほど出ません」
「低軌道へ入ってビーコンが鳴れば、こっちで取りに行きます」
南米の小さな航空機メーカーを経営するエステバン・ロハスは、さらにひどかった。
「エンジンは古い」
「聞いてます」
「1970年代末から1980年代初頭くらいの世代です。SALT IIの頃の設計思想ですよ。出所は、退役した試験用、予備、保管品、部品、余剰品です。完成した戦略ミサイルそのものは仕入れ対象から外しています」
「値段は?」
「地金に近い」
「いいですね」
「良くない。バルブもポンプも、何十年寝ていたか分からない物があります」
「再生した?」
「再生と呼べるほどのことはしていません」
「試験は?」
ロハスは少し考えてから答えた。
「使ったら動きました」
真壁は満足そうにうなずいた。
「それでいい」
支払いは、回収した貴金属を使う準物々交換だった。
真壁たちは、回収した電子機器や接点、触媒、特殊合金から金、銀、白金族などを分離し、地上側へ渡した。東南アジア側と南米側は、その価値で食料、水、薬、樹脂、機械部品、打上げを手配する。
「今回渡した貴金属の評価額と、貨物と打上げの費用が合いません」
アデオラが帳簿を見た。
ラーマンは静かに答えた。
「地上には、いろいろ経費があります」
「差額が大きい」
「貨物は届いていますか」
「届いてます」
「では、取引は成立しています」
実費を引いた残りの貴金属価値は、地上側の役人、仲介業者、企業幹部によって業務上横領され、それぞれの取り分へ流れていた。真壁は、貨物が予定どおり軌道へ上がる限り、その業務上横領を承知のうえで黙認していた。
真壁が帳簿を閉じた。
「うちは地上の監査法人じゃない。食料と水と薬が上がればいい」
ロハスが笑った。
「あなたとは長く商売ができそうです」
ラーマンが頭を抱えた。
「科学技術省の会議で、その言い方はやめてください」
打上げ設備は、古い移動式発射機と簡単な整備・燃料設備を中心に組んだ。
旧ソ連・ロシア系の中距離弾道ミサイル用に作られた移動式発射機を改造し、簡単な整備設備と燃料設備を付ける。新しく作るのは、古い工作機械で製造できる配管、架台、継手、フェアリングなどだった。
発射地点は赤道に近い地域を選び、地球の自転速度を使える東向き発射を基本にした。目的は低軌道への貨物投入だけで、静止軌道投入用の上段も有人用の安全系も積まない。軌道が多少ずれても、真壁たちが小型船で取りに行った。
誘導装置にも最新の高価な宇宙用コンピュータは使わない。
機械式・電気式のジャイロ、アナログ演算回路、リレー、積分器、油圧や空気圧のフィードバック。荷物を低軌道へ入れるだけの精度に絞り、人命を預ける有人用の高精度系を省いた。
失敗すれば、その便はなくなる。
1回に全部を積まない。
食料も水も薬も、分散して上げる。
軌道投入後の貨物機にはビーコンだけ持たせた。自動ドッキング機構を省き、産廃屋の小型船が追いついて回収した。
さらに、貨物を渡した上段そのものが産廃になった。
「2段目、まだタンクがきれいです」
アデオラが映像を見ながら言った。
「回収」
「エンジンも?」
「回収」
「配管も?」
「使えそうなら全部」
アルンが笑った。
「地上から補給を受けるたびに、宇宙の材料在庫まで増えますね」
「だから上段を海に落とすのが、昔からもったいないと思ってたんだ」
この循環ができてから、船団の工作能力は急速に上がった。
ある定例会で、軌道上と地上の社員を回線でつないでいたとき、ペトルが作業予定とは関係のない図を画面へ出した。
「社長。いつか、こういうのを作りたいですよね」
細長い軍艦らしい絵ではなかった。小型船を何隻も収容できる母艦に、居住区、工作区画、燃料と部品の倉庫を継ぎ足した案だった。
「宇宙巡洋艦か」
「名前だけなら」
アデオラが笑った。
「どうせなら、自分たちで直しながら何年でも動ける船がいいです」
「小型船を積めること」
アルンが続けた。
「長時間加速できること。途中で壊れても、船内の部品で直せること」
地上回線からも声が重なった。
「いいですね」
「作りましょう」
「いつになるか分かりませんけど」
反対する者はいなかった。
その日から、宇宙巡洋艦は真壁個人の冗談ではなく、会社全体の夢になった。急いで完成させる計画ではない。回収した物の中から使える部品を残し、足りない物を少しずつ集め、いつか形にする。産廃屋らしい作り方でよかった。
その後、ロシアから連絡が来た。
画面に現れたセルゲイ・ヴォルコフは、最初から機嫌が悪かった。
「あなた方が回収した原子炉について話があります」
「どれです?」
「どれ、と聞くほど持っているんですか」
「発電用ならいくつか」
「旧ソ連の海洋偵察衛星に搭載された炉です」
真壁がアデオラを見た。
「レーダー衛星のやつ?」
「US-A、いわゆるRORSAT系です。BES-5、Buk」
アデオラが答えた。
旧ソ連のUS-A海洋偵察衛星は、海上の艦艇をレーダーで捜すため大きな電力を必要とした。レーダーの距離を詰めるため、運用軌道は高度250km前後と低かった。大きな太陽電池を広げれば希薄大気の抗力が増える。そこで小型原子炉を積んだ機体があった。BES-5は高速中性子炉で、ウラン・モリブデン合金の燃料を30~40kgほど使い、ウラン235の濃縮度は90%を超える。NaK、ナトリウムとカリウムの液体金属を冷却材に使い、電磁ポンプで循環させる。炉を遮蔽まで含めれば400kg近くあり、熱出力はおよそ100kW級、それを熱電変換して得られる電力は1.3kW前後だった。
「100kWの熱で、電気は1.3kW前後。効率だけ見れば笑いたくなります」
アデオラが言った。
「宇宙で長期間動く装置です。熱電変換なら動く部分が少ない。効率だけで設計を笑うものじゃありません」
ヴォルコフが返した。
「私も笑ってません。うちでは熱が欲しいところもあります」
「炉心を解体したと聞いています」
「部品取りです」
「ウラン235の半減期を知っていますか」
「約7億400万年。ですが、半減期を見て『まだ燃える』と考える話じゃないでしょう。原子炉は連鎖反応、燃焼度、制御材、炉心形状、運転履歴の方を見る。運転済み炉なら核分裂生成物の放射能も残る。セシウム137は半減期約30年、ストロンチウム90は約28.8年。数十年たっても遠隔作業と遮蔽を省ける相手じゃない」
ヴォルコフが少し黙った。
「そこまで理解していて、なぜ解体するんです」
「産廃屋だからです」
BES-5系は、低い運用軌道で任務を終えたあと、炉心をおよそ900~1000km級の高い廃棄軌道へ移す方式が使われた。過去にはコスモス954が制御不能となって1978年にカナダへ再突入し、放射性物質を広い範囲へ散らした。その事故の記憶が、ロシア側の担当者をさらに神経質にしていた。
「登録国の所有権は、軌道上に長く置いても消えません。宇宙空間条約第8条にも明記されています」
「それで?」
「返還してください」
真壁はしばらく黙った。
「モスクワの正式な通知ですか」
「正式です」
「返せ、と」
「返せ、と」
「分かりました」
ヴォルコフは、そこで安心した顔をした。
アデオラは、通信が切れてから言った。
「社長、その顔はやめた方がいいです」
「何の顔?」
「何か思いついた顔です」
真壁は小惑星サンプルリターン機から外した再突入体を指した。
「返す方法がある」
ペトルが絶句した。
「それを使うんですか」
「返還先は地上だろ」
「普通は輸送業者を使います」
「うちは輸送業者でもある」
「いつから」
「今から」
再突入カプセルの試料容器や内部機器を外し、代わりに返還対象となった炉の熱源部を収めた。質量が変わる。重心位置も変わる。元の姿勢制御条件をそのまま使うわけにはいかない。
アルンは、軌道離脱噴射から再突入まで計算をやり直した。
「大気に入る角度を浅くしすぎれば、跳ねる。深すぎれば加熱と減速度が増える。基本は弾道再突入で、翼による大きな横方向の誘導量は持てません」
「バイコヌールへ落とせる?」
「バイコヌール周辺へは持っていけます。ですが、狙った一点へ落とすほどの精度は出ません」
「それでいい。向こうも『バイコヌールへ返せ』と言ってる」
「言ってません。返還しろと言っただけです」
「受け取りやすいところへ返した方が親切だろ」
アルンはため息をつき、計算を続けた。
再突入体は、大気密度のばらつき、姿勢誤差、抗力係数、風、軌道離脱噴射の誤差を全部受ける。地上に近づくほど、真空中の軌道計算だけでは決まらない要素が増える。
真壁たちは、バイコヌール周辺の安全な回収区域へ落ちるように条件を設定した。
そこから先は、物語にするなら出来すぎた偶然だった。
再突入体は予定よりわずかに長く飛び、横風を受け、降下中の姿勢と速度の誤差が重なった。回収楕円の中にあった、すでに使われていない旧発射台へ向かった。
バイコヌール側の責任者、アイダル・サディコフは、追跡画面を見ていた。
「これ、どこへ落ちる」
「予測中心が動いています」
「どっちへ」
「旧発射区画です」
「何番だ」
番号を聞いたサディコフは椅子から立った。
「そこには落とすな」
「こちらで操縦している機体ではありません」
「産廃屋へ言え」
数十秒後、地上カメラの一つが激しく揺れた。
再突入体は旧発射台の構造物へ衝突した。
耐熱殻は大気圏再突入の熱には耐えた。コンクリートと鋼材へ当たる横方向の物理衝撃までは、今回の搭載状態で保証されていなかった。
外殻が割れた。
内部の返還品が散った。
サディコフは長い間、何も言わなかった。
その後、モスクワのヴォルコフへ電話した。
「私は言いましたよね」
「何をです」
「あの連中に『返せ』と言うなら、返し方まで指定しろと」
「こちらは通常の返還を想定していました」
「通常という言葉が通じる相手に見えましたか」
現場では回収と除染が始まった。
真壁側にも連絡が来た。
「なぜ発射台へ落とした」
「狙っていません」
「本当ですか」
「うちの再突入制御に、そこまでの精度があると思います?」
この一言が、かえって疑いを残した。
本当に制御精度が低かったのか。
旧発射台への直撃まで計算していたのか。
外から見れば、どちらとも判断できなかった。
分かったのは一つだけだった。
産廃屋へ返還を要求すると、あの連中は本当に返してくる。
それ以後、使われなくなった衛星や放置部品について、所有者が積極的に「返せ」と言うことが減った。
所有権は形式上そのまま残った。
返還を求める利益が薄くなった。
返還要求が減ったあとも、真壁たちは宇宙巡洋艦にどうしても必要な部品だけは、所有権が明確でもこっそり持っていった。
「巡洋艦の電源制御器、これが欲しい」
ペトルが部品番号を示した。
「同じ物、在庫には?」
「古いロットならあります。新しいロットはこれだけです」
「そのまま外したらバレる」
「当然です。部品が欠落すれば点検で分かるし、質量も変わります。衛星は重心がずれると、姿勢制御やスラスター噴射のモーメントまで変わる」
「同型の古いロットと交換するか」
アデオラが真壁を見た。
「それ、普通に盗みです」
「知ってる」
空いた場所には、同じ型式、同じ規格の古いロットを戻した。外から見れば部品は付いている。質量と重心も大きく変わらない。古いロットの劣化が表面化するのは、実際に使われるときだった。
その空気の中で、真壁たちの回収範囲は静止軌道へ広がった。
「高度、35,786km」
アルンが軌道画面を示した。
「地球中心からなら約42,164km。赤道面上の円軌道で、周期を恒星日に合わせる。23時間56分4秒ほど。軌道傾斜角をほぼゼロにして経度を保てば、地上から同じ場所に止まって見える」
「通信衛星の棚だな」
「通信、放送、気象、データ中継、軍事通信、早期警戒。静止軌道は高価な機械の博物館です」
運用終了した静止衛星は、現役帯を空けるため上側の墓場軌道へ移されることが多い。目安は静止軌道より数百キロ高い領域で、国際的なデブリ低減指針では、機体の面積質量比と太陽輻射圧を考慮した補正を加えながら、少なくとも235km程度以上高い近円軌道が基準になる。
「墓場って呼び方が悪い」
真壁が言った。
「うちには倉庫だ」
静止衛星1機には、低軌道の小型衛星とは比較にならない量の部品が入っていた。
大型アンテナ。導波管。高周波増幅器。電源変換器。太陽電池パネル。バッテリー。リアクションホイール。スラスター。推進剤タンク。圧力容器。放熱器。配線。構体。
しかも、回収技術はすでに低軌道で磨いていた。
静止軌道へ届いた瞬間から、部品と素材の増加速度が変わった。
静止軌道での回収が軌道に乗り始めたころ、最初の大口修理依頼が来た。
通信衛星の太陽電池パネルが展開途中で止まったという。
「地上から何回やったんです?」
真壁が聞いた。
「展開シーケンスの再実行、ヒータによる温度変更、姿勢変更、振動を与えるためのスラスター噴射。全部です」
「衛星は生きてる?」
「生きています。片翼の発電だけでセーフモードです」
「直したら?」
「成功報酬で1億ドル」
真壁は画面を見たまま、少し黙った。
「1億?」
「衛星を失えば、それ以上の損失です」
アルンが通信を切ったあとで言った。
「受けましょう」
「まだ何が壊れたか分からないぞ」
「1億ドルなら、分からないまま見に行く価値があります」
小型作業艇で接近した。
衛星との相対速度を落とし、姿勢を合わせ、アームで把持する。ランデブーの計算自体は、もう日常作業だった。アルンは相対軌道を見ながら噴射量を読み、真壁は船外カメラを見ていた。
「展開ヒンジは壊れてない」
船外へ出たペトルの声が届いた。
「ラッチも外れてる。ケーブルも切れてない」
「じゃあ何だ」
「引っかかってるだけに見える」
「引っかかってる?」
「はい」
「どうする」
「引っ張ります」
ペトルがパネルの指定把持部に手を掛け、ゆっくり力を掛けた。
途中で止まっていたパネルが動いた。
「動きました」
「そのまま」
「展開角、90。120。150。ロック入りました」
地上から、数秒遅れて歓声が聞こえた。
真壁は聞いた。
「終わり?」
「終わりです」
「1億ドル?」
「1億ドルです」
ペトルが船外で笑った。
「社長、これからは修理屋も名乗りましょう」
1億ドルの一件を境に、修理事業は本業の一つになった。
バッテリー交換。故障した電源変換器の交換。姿勢制御用スラスターのユニット交換。推進剤の補給。アンテナ駆動部の交換。通信機器の更新。
衛星を打ち上げた会社にとって、軌道上の機械は、それまで基本的に触れない機械だった。真壁たちにとっては、手が届く機械だった。
古い通信衛星へ推進剤を補給する。
劣化したバッテリーを交換する。
通信中継器を新しい周波数帯や変調方式へ対応したユニットに入れ替える。
姿勢制御装置を更新する。
そして、以前すり替えた古いロットが、実際に使われたときに故障した。
「診断が早いですね」
顧客が感心した。
「よく見る故障です」
アデオラは通信を切るまで笑わなかった。
「社長」
「何だ」
「完全なマッチポンプです」
「修理代は値引きしただろ」
「そこじゃありません」
「もう衛星の寿命って、打上げから何年という言い方が意味なくなってきましたね」
アデオラが言った。
「構体は40年前。電源は12年前。通信機器は3年前。バッテリーは去年。スラスターは別の退役機から取った15年前の物」
「B-52みたいだな」
真壁が言った。
「F-15もTu-95も、中身を更新しながら長く使います」
「じゃあ衛星もそれでいい」
衛星事業者にも利点があった。
高価な大型アンテナや構体が健全なら、通信規格が古くなっても通信機器だけ更新できる。推進剤不足も補給案件に変わった。
真壁たちは、使われなくなった衛星を相変わらず勝手に回収していた。
ある事業者から問い合わせが来た。
「17年前に退役させた同型機が、軌道上に見当たりません」
「そうですか」
「あなた方、知りませんか」
「静止軌道には物が多いですからね」
「ところで、先月交換してもらったうちの衛星の電力制御器ですが」
「はい」
「交換品を地上から上げた記録がない」
「在庫がありました」
「どこの在庫です?」
「倉庫です」
「その倉庫に、どうして同型品があるんでしょう」
「宇宙は広いですから」
相手はしばらく黙ってから言った。
「次はバッテリーもお願いします」
「在庫を見ておきます」
地上側も事情を察していた。
旧衛星が消える。
その後、地上から補修部品を打ち上げていないのに、同型機や後継機が直る。
地上側も分かっていた。
処分費が掛からず、現役機は安く直る。
わざわざ問題にしない方が得だった。




