第1章 燃やすくらいなら売ってください
第1章 燃やすくらいなら売ってください
真壁は、解体予定の工場を買うときと同じ顔で、宇宙ステーションの売買契約書を読んでいた。
「本当に落とす予定なんですね」
画面の向こうの担当者が、少し疲れた声で答えた。
「軌道維持費が掛かります。姿勢制御用の推進剤も残りが少ない。気密区画の保守も必要です。新しい設備へ人員を移した以上、残す理由がありません」
「それなら、燃やすより私に売った方が安いでしょう」
「購入価格だけなら、そうなります。ただし、買った瞬間から維持費はあなた持ちです」
「産廃というのは、そこから商売が始まるんです」
真壁の会社は、地上では産業廃棄物、廃機械、中古設備、スクラップを扱っていた。所有者の分からない設備を買い、出所を深く聞かずに銅線を買うような灰色の取引も重ねてきた。その商売でかなりの現金を積み上げていたからこそ、誰も欲しがらない宇宙ステーションを買えた。
宇宙ステーションは安かった。
安い理由もはっきりしていた。
地球へ落として大気圏で処分するにも金が掛かる。残しておけば、もっと金が掛かる。真壁が払ったのは、巨大な宇宙構造物の建造費に比べれば端金だった。
購入価格は安かったが、軌道維持、電力、気密、補給、改修には金が掛かった。
「社長」
軌道計算を担当するアルン・ナイルが言った。
「買ったのはいいですが、どうやって行くんです?」
「そこなんだよな」
「行けない宇宙ステーションを買ったんですか」
「買ってから考えた方が、話が早いこともある」
チェコ出身の機械屋、ペトル・ノヴァークが笑った。
「地上の工場なら、トラックを手配すれば終わりです。これは高度400km前後ですよ」
「だから資料を持って中国へ行く」
「何の資料です?」
「中に残っている物の一覧」
真壁は、旧ステーションの部品表、配管図、電源系統図、写真、部品番号をまとめていた。彼にとっては中古設備の棚卸しだった。
中国側の宇宙技術者、周立成は、最初の10数ページを普通の顔で見ていた。
「姿勢制御装置、予備バルブ、熱交換器。かなり古いですね」
「古いから安かったんです」
「この電源変換器も残っていますか」
「たぶん」
隣にいた情報部の陳維が、ページを戻した。
「ここです」
「それもありますよ」
真壁は軽く答えた。
陳は黙った。
周も、今度は画面から目を離さなかった。
「実物を確認できますか」
「私を上まで連れていってくれれば」
「現物を中国側へ移せますか」
「外せる物なら」
「この図面は、どこから?」
「売買契約の付属資料です。所有権と一緒に来ました」
陳が周に中国語で短く何かを言った。真壁には分からなかったが、声の調子だけで、値段が上がったことは分かった。
「何席ほしいですか」
「1席では足りません。人も資材も上げたい。数回に分けてください」
「その代わり、指定する部品を引き渡す」
「外せたら、です。壊したら中古価格で勘弁してください」
陳が初めて笑った。
「中古価格で済む物なら、こちらもこんな話はしません」
真壁はそこで初めて、自分が持ち込んだ一覧の中に、中国側だけが価値を理解している物が混じっていたと知った。
数か月後、最初の便で真壁とアルンが上がった。次の便でペトルと電力担当のアデオラ・オコエが来た。その後も数席ずつ確保し、工具、気密部品、食品、水、薬品、小型工作機械を運び込んだ。
購入した、大気圏への落下処分を免れた宇宙ステーションには、あちこちに不具合が残っていた。
「二酸化炭素吸収系、流量が落ちています」
「フィルタ?」
「それだけじゃない。ファンの軸受けが鳴っています」
アデオラがパネルを開けた。
「予備は?」
「部品表では2個」
ペトルが保管区画から箱を持ってきた。
「1個は使える。1個はグリースが死んでる」
「宇宙用の新品を注文する?」
真壁が聞くと、3人が同時に首を振った。
「高い」
「遅い」
「その前にこっちが死にます」
「じゃあ直そう」
それが最初だった。
新品を待たない。ある物を使う。合わなければ削る。穴位置が違えば治具を作る。シール材は在庫から探す。電圧が違えば変換器を挟む。
やがて真壁たちは、ステーション周辺を漂う物にも目を向けた。
「社長、あれ、まだ圧力容器として使えますよ」
「誰の?」
「登録上は昔の打上げ上段です」
「返せと言われてる?」
「誰からも言われていませんが?」
「じゃあ、拾っておこう」
アルンが眉を上げた。
「宇宙条約第8条では、宇宙物体や構成部品の所有権は宇宙空間にあっても維持されますよ」
「知ってる。だから、返せと言われたら考える」
「順番が逆です」
「産廃屋はだいたいそうだ」
切断機が増えた。旋盤が増えた。小型フライス盤が増えた。溶接設備が増えた。
ただし、無重量区画で地上と同じ使い方はできない。切断機、旋盤、フライス盤は加工部を囲い、工具の近くから空気を吸って切削くずを捕集するようにした。導電性の切粉を船内へ漂わせれば、コネクタや電源装置、冷却ファンへ入り込む。工具を止めたあとも、カバーの中の切粉を回収してからワークを外した。
回収したアルミ合金やステンレスは、そのまま部材として使うだけでなく、小型の溶融炉で溶かした。無重量でも溶融金属そのものは表面張力と濡れで保持できる。地上のように重力だけを頼りに湯を流す鋳造はできないため、再成形するときは閉じた容器や型の中へ圧力差などを使って金属を移した。
地上で精密部品を一から製造する工場とは違う。
使える物を選び、寸法を測り、加工して別の用途へ回す。
宇宙にジャンクヤードができた。
周立成が再びステーションを訪れたとき、最初の頃にはなかった機械が壁じゅうに増えていた。
「これは何です?」
「中古の工作機械」
「これは?」
「溶解炉」
「これは?」
「部品箱」
「宇宙ステーションの中に、地上の町工場を作りましたね」
「町工場の方がきれいですよ」
周は笑ってから、本題に入った。
「中国側に、古いステーションがあります」
「どれくらい古い?」
「現行から2世代前です」
「落とす?」
「維持費を考えると、その方向です」
真壁は椅子に座り直した。
「燃やすくらいなら、売ってください」
周がため息をついた。
「最初に会ったときと、同じことを言いますね」
中国から2世代前のステーションを買う話がまとまるころには、真壁たちは再突入体の実物も手に入れていた。
その頃、1機の小惑星サンプルリターン機が地球圏へ戻りながら、最終工程に失敗した。
小惑星から採取した試料を地球へ届けるため、耐熱材を持つ再突入カプセルを備えた探査機だった。しかし再突入カプセルの分離と軌道離脱のシーケンスが成立せず、機体は地球周回軌道に残った。
真壁たちは、それを回収した。
「この外殻、捨てるなよ」
真壁が言った。
「当然です」
ペトルはカプセルの耐熱材を見ていた。
「アブレータの積層、断熱層、背面構造、分離ボルト、姿勢制御、小型スラスター。中身より、こっちの方がうちには貴重です」
「サンプル容器と探査機本体は?」
「打ち上げ国に売りつけます。こっちが欲しいのは帰ってくる方です」
「いくらで?」
「まず2億ドルから交渉します」
ペトルが目を丸くした。
「高くないですか」
「新しい惑星間探査機を造って、打ち上げて、ここまで取りに来るよりずっと安い。向こうにも試料と実機を取り戻す価値がある」
産廃屋は再突入体を確保し、残った探査機と試料容器まで商品にした。
軌道計算と小型スラスターは、低軌道で何年も続けたランデブーと回収ですでに使いこなしていた。相対軌道、位相合わせ、姿勢制御、微小噴射による軌道変更は、日常の仕事道具になっていた。
新しく手に入ったのは、熱圏から大気へ入り、加熱を受け、速度を捨て、地表へ戻るための実物だった。




