第49話:戦場より怖い? 久しぶりの再会は修羅場の味
「……日本だぁぁ! 帰ってきたぞー!!」
俺は難波の港に降り立つなり、地面に膝をついた。
あんな地獄のような海を越えて、生きて戻れるなんて。泥だらけの顔で空を仰いでいると、聞き慣れた、でも今は一番聞きたかった声が響いた。
「――海斗様!」
「車持娘!」
駆け寄ってきた彼女は、俺の姿を見るなり大粒の涙をこぼした。
「……良かった。本当に、本当に無事で……! 毎日、神様に貴様の無事を祈っていたんですから!」
「ごめん、心配させたな。でも、もう大丈夫だから……」
(……これだよ、これ! これのために俺は、唐の火攻めからも生き延びたんだ!)
俺は鼻の下を伸ばしながら、彼女の肩を抱こうとした――その時。
「……車持娘様。ご心配をおかけしました。私も、なんとかこの通りです」
俺のすぐ後ろで、ボロボロになった記録用の木簡を抱えた不比等が、静かに、だが深い安堵を込めて声をかけた。
車持娘はハッとして顔を上げ、今度は不比等に向かって駆け寄った。
「不比等様! 貴様も……! ああ、そんなに煤だらけになって。海斗様をお支えして、あのような過酷な戦地を共に生き抜いてくださったのですね」
「……ええ。死線を越えるたび、貴様の顔が……いえ、日本に残した仕事のことが浮かびました。戻れたのは海斗様の奇策のおかげです」
不比等がふっと表情を和らげ、車持娘がその汚れにまみれた袖を、労わるようにそっと手で払う。二人の間には、同じ時代を生き、家同士の繋がりも深い者特有の、幼馴染のような信頼関係が流れていた。目に見えない男女の繋がりさえ感じさせる。
(待て待て、二人とも俺がここにいないみたいな空気で通じ合ってないか!? 俺もいるんだけど!)
俺は慌てて二人の間に割って入った。
「不比等! お前、プリンスが呼んでるぞ! 報告とかあるだろ! 車持娘は俺が守るから!」
「……皇子は先ほどあちらへ行かれましたよ。海斗様、そんなに慌ててどうされたのですか?」
不比等は不思議そうに首を傾げる。
「そうですわ、海斗様。不比等様は、貴様を命がけで支えてくださったんですもの。不比等様にもちゃんとお礼をしたいんです。……ねぇ、不比等様?」
車持娘が不比等に優しく微笑みかける。
(ヤバい! 確かに不比等、戦場でもクールでカッコよかったもんな……。このままじゃ、二人がくっつく流れに拍車がかかっちまう!)
俺が情けなく拳を握りしめたその瞬間、街の奥から鐘の音がけたたましく響き渡った。
「――非常事態だ! 唐の船が対馬まで迫っているとの知らせだぞ!」
「防衛線を張れ! 早く、早くしろ!」
港にいた人々が、一瞬にしてパニックに陥り、逃げ惑い始める。
甘い空気は一瞬で吹き飛んだ。
恋のドタバタなんて言っている場合じゃない。本当の「国難」は、まだ始まったばかりだったんだ。
【今回の学習ポイント】
・敗戦の衝撃:白村江での負けっぷりは、今の日本で言えば「国家存亡の危機」。誰もが「次は自分たちが占領される」という恐怖に震えていたんだ。
・不比等と車持娘の繋がり:不比等の正室とされる車持娘の一族は、当時の政権を支える有力な実務官僚。中大兄皇子の息子である不比等と車持娘は政権を支える上でも近しい関係になるのは当然だったんだね。
・対外危機の到来:このパニックの中で「今の都(難波)は海に近すぎて危ない!」という意見が出始めるんだよ。




