第四十四話
十五年前の真田など路傍の石程度の認識であった。
いくら自分の城で戦うからといって、戦力は一対十、我等が圧倒的に有利であった。
赤子の手をひねる様に簡単に勝てると思っていた。
ところが、こてんぱんな目に合わされた。
順調に徳川の跡取りとしての座を形成していた筈が、この敗戦によって無能な跡取りとの評価が定着した。
なまじ父親が優秀である為に、名誉挽回の機会すら訪れない。
五千日辛抱してようやく訪れた大坂攻めでも、汚名を雪ぐ事は出来なかった。
将軍として出陣している限り、勝つのは当然であり、敗ける事を避けねばならない。戦功を挙げるのは、徳川に忠誠を示す必要のある外様大名の役割である。
いつになったら、汚名挽回の機会は訪れるのか。悶々とした気分は、十五年晴れる事は無かった。
だが、降ってわいた様に機会が訪れた。『真田が彦根を狙う為に、関ヶ原に向けて出陣する』という知らせが入った。側近達は皆、これは大坂方の罠だから無視すべきだと提言されたが却下した。罠だからどうしたと言うのだ。こちらは圧倒的に多数なのだ。最後は兵の数で勝てば良い。それに相手は真田昌之ではなく、息子の信繁だ。偉大な父の名前で自分を挑発する息子を懲らしめてやる、という気分であった。
「関ヶ原か、久し振りだな」
関ヶ原にいい思い出など無い。
前回は上田で真田に翻弄された為に、関ヶ原に到着した時には、既に戦は終わっていた。
父親に叱責され、白い目で見られる事は何とか許容出来た。しかし、今回初めて徳川についた大名達に白い目で見られるのは、耐えがたかった。彼等の馬鹿にした様な目は、今も夢に出る程鮮明に覚えている。
戦で受けた恥辱は戦で返すのだ。
今、この十五年前の屈辱を晴らす相手は眼前にいた。
小高い丘の上に、簡素な柵を設けて、六文銭の幟を立てている。
また『真田丸』かよ、進歩が無いな。大坂冬の陣での真田丸の有効性はわかっている。しかし、真田丸は背後に難攻不落の大阪城あってこその、出城である。何もない丘の上に設営したところで役に立たないであろう。
斥候を出し、真田丸を調べさせる。
真田丸の内側に約千五百と軍馬が千頭がいるそうだ。これが今回の敵であり、これを倒す為にわざわざ関ヶ原くんだりまで寄り道したのである。
千五百か、せめて一万は欲しかったが、仕方が無い。あんまり小規模だとわざわざ来た甲斐が無い。この規模なら地方豪族といった規模なので、井伊に任せればよかった。真田と聞いて関ヶ原と知って復讐心を抑える事が出来なかったのだ。
急速に戦への興味を失いつつあった。さっさと終わらせて、大坂へ向かおう。
「全周包囲し、同時に登坂して包囲陣を狭めていけ」
将軍が簡単に支持を出すと、全軍がその命令に従って移動を始める。
一刻かかったが、真田丸を包囲する新たな布陣が完成した。
それでは、真田狩りを開始するとするか。
「全軍、前進!」
自分の指示で五万人が動く事に、ある種の快感を覚えていた。
しかし、五万という軍勢の為に、彼は失念していた。何故、真田は圧倒的に少数にも関わらず、平然と構えているのか?何か策を弄しているのではないか、この砦自身が罠では無いのか?そこへ考えが至らなかった。
先頭は丘の中腹まで進んでいる。後一刻もあれば、憎き真田信繁の首を取れるのではないか。
秀忠は上機嫌で遠眼鏡を使って戦況を見ていた。
その時、轟音と共に土煙が巻き上がった。
何が起きたのか、瞬時にはわからなかった。土煙が時間と共におさまって来ると、多くの兵が倒れていた。ようやく気付いた。真田信繁が斜面に火薬を仕掛け、一斉に爆発させたのだ。
秀忠の目に戦場での惨状が飛び込んでくる。後ろ向きに倒れた兵が起点となってあちらこちらで将棋倒しとなっている。斜面に足を掛けようとした兵達も、前方に広がる惨事に思わず足が竦む。しかし、事情を知らない後方の兵達は前へ前へと進もうとする。密集状態が生まれ、後方からの力によって倒れる者、密集により圧死する者、酸欠状態で気を喪う者が続出した。
「兵を止めろ、今すぐに」
指示を出したが、それは明らかに遅く、軍の大半が機能不全に陥っていた。
丘の上で鬨の声が上がり、騎馬兵が一斉に斜面を駆け降りてくる。真田信繁以下一千五百の兵だ。
真田信繁は倒れている徳川兵は眼中にも無い様子で、徳川兵の背中を頭を踏み抜いて進む。あちらこちらに徳川兵だった者の眼球や脳漿が飛び散っていた。
「あいつは人ではない、鬼か何かの化身だ」
真田勢を避ける様に、負傷した徳川兵は這う這うの体で逃げる。
左右に別れ、一本の道が出来上がる。
真田勢は徳川兵が見守る中を駆け抜け、砦の対面にあった山の中へ消えて行った。
鏖の筈が、五万の包囲網をやすやすと突破された。
あの時、俺は真田昌之に負けたと思い、息子の事をを何も考えていなかった。その慢心がこの結果を読んだのか。しかし、このままではとても大阪には行けぬな。せめて真田信繁の首を取らねば、申し訳が立たぬではないか。それでも父親からの叱責は免れる事は出来ないだろうが・・・。
真田が消えた山の至る所に六文銭の幟が現れた。どうやら、こちらが真田の本陣らしかった。つまり我々は最初から騙されていたのか。わざわざ目立つ位置に砦を作り、包囲されても何の反応も示さない。この時点で罠だと気づくべきだったのだ。
「大砲を出せ。あの幟の場所に向かって撃つ準備を整えろ」
部下に指示を出した時、轟音が響いた。
その日、最大の爆発が、先程まで真田が陣を構えていた場所で起こった。
そこには、斜面崩壊により傷を負った徳川兵達が数多く休息していた。更なる被害者の発生に、秀忠の怒りは頂点に達した。
「真田信繁、絶対に、絶対に殺す!」




