第二十八話
徳川秀忠は不機嫌であった。
何故、自分が皇室に申し開きをせねばならぬのだ。
自分は征夷大将軍である。日本を武力で統べる者である。その自分が何故やってもいない事で、ぺこぺこと謝る必要があるのだ?
本多正純の話によると、今回の件は真田の企みであるらしい。
上田城の件と言い、真田丸と言い、どうしてあいつ等は儂の邪魔ばかりするのだ?
しかも、京に広まっている噂によると、将軍の罷免まで画策しているらしい。
そんな事は許さない。殺す。必ず殺す。
真田だけは豊臣と共に必ず滅ぼす、と決意したのであった。
参内し、御簾の前で申し開きしている際に、侍従が誰かと何やら密談している。
その姿を秀忠は苦々しく思った。この儂がこんなに苦労しているのに、何で御前はのほほんと話なんかしているんだ。後でとっちめてやろう。
まさかこの男から朗報が届くとは、将軍も思ってもみなかった。
御所を出る為に駕籠に乗ろうとした時に先程の男から耳打ちされた。
「京で流れている噂については将軍様も御存知とは思いますが、心ある公家達も苦々しく思っております、という事です。征夷大将軍を罷免するなどと、百姓あがりが画策するなどとおぞましい。豊臣を追い落とす策がございますので、今晩お会いできませんか、との事です」
「確かな筋からの誘いなのか?罠の可能性は?」
「内裏に勤める公家に一人からもたらされたものですので、信憑性はあるかと」
「疑うのも、不敬という事か?」
「はい。それでどう致しましょうか?」
「今晩の予定はどうなっている?下らん大名との会見とか入ってないのか?」
「ええ、今夜は何も入っておりません」
「ふうん。何故何も入ってないんだ?やっぱり、この件は罠じゃないのか?・・・まあいい、ところでお江の今晩の予定はどうなっているんだ?」
「お江の方様は今晩お初の方様にお会いになられます」
「姉妹水入らずって訳か。今夜は嫁がいないのか・・・おい」
「はい、なんでしょう」
「一人準備しろ。とびっきりの別嬪をな。そうすりゃ、公家だろうか誰だろうが会ってやるよ」
その夜、将軍はとある公家の邸宅を訪れた。
本人は誰かに会いに出かけた、という認識はない。あくまでも部下の言うままに行事の一件をこなしているだけである。京で流れている噂も、信じている訳でもないし、事実だとしても公家風情が豊臣の目論見を防げるとも思っていない。今宵の座席が豊臣方の罠であっても構わない。最後に武力で叩き潰せばよい、と思っているだけであった。
駕籠から下りて、邸宅に上がる。
将軍のあとから二人の男が続く。毒見役と警護役として江戸から離れずついてきた男達である。
大広間には何人もの男が座り、主役の登場を待っていた。秀忠は会場に入ると、上座に座った。警護役は将軍のすぐそばに座り、毒見役は別室に控える。
酒席が始まっても、将軍は不機嫌なままだった。
公家の話す内容があまりにもありきたりなのだ。
『我等は徳川殿を信じている』『豊臣の金があれば何でも出来る様な態度は許さない』→それは御前達の気持ちだろ。それで何をするんだ?
『一部の者に金を配る等言語道断』→それは御前等内部の問題だろ。自分達で解決しろ。
それで御前等は豊臣に何をするのだ?
彼等から出たのは、京での噂はもみ消して、帝まで届かぬ様にしてやるから、将軍として豊臣を滅ぼせ、というものであった。
退席したかったが、ぐっとこらえた。後はお待ちかねの・・・が控えているからだった。
しばらくすると、ようやく女性陣が到着した。
共に来た男達が演奏して、芸妓達が歌舞伎踊りを披露する。
将軍は一人の女性に釘付けとなった。そして、将軍の視線の動きを警護役の男はじっと観察していた。
彼は最初は手だけを演奏に合わせて動かし、やがてその場に立って同じ様に踊り始めた。そして踊りながら徐々に近づき、芸妓達の列にまじって踊り出した。しかし、素人の哀しさ、振りが合わない為、隣の芸妓に手が触れる事がしばしばあった。彼女も接触した瞬間は怪訝な表情になったが、すぐに笑顔に戻った。ひとしきり踊った後、男は踊りながら元の場所に戻っていった。
元の場所に戻った男に、将軍が小声で言った。
「・・・おい、今のは何の意味があったのだ」
「豊臣方の忍びの恐れがありましたので、確かめようと思いました」
「・・・それでどうだったんだ?」
「・・・わかりません」
「わかりません、とはどういう事だ?」
「はい。あの女はこちらからの仕掛けに全く反応しませんでした。只の女でこちらの仕掛けに気付かなかったのか、忍びでこちらの仕掛けを敢えて無視したのか・・・判断が難しいです」
「ふん。・・・随分と役に立つ男だな。もういい、他の者と代われ」
男は無言で一礼すると退室した。代わりに別の男が入室し、同じ場所に座った。
歌舞伎踊りが終わり、次のお座敷遊びが始まった。
扇子を投げて、的に当てるという他愛も無い遊びである。
芸妓と公家が一対一の対戦で興じている。
将軍の出番となった。対戦相手は小柄な好みではない女であった。この遊びに興味を持てなかった秀忠は、適当に扇子を投げた。当然ながら、扇子は的を大きく外れた。
「あらあら」
芸妓は、体を密着させながら、扇子を投げる際の構えや、投げる動作について手取り足取り教えていた。
天井裏より将軍の警護に当たっていた忍びは、目を丸くして驚いた。間違いない。あの女は敵の忍びだ。今も酔っている将軍を相手に、関節を極め、水月に肘を入れ、人中を指で触れ、と好き放題にしている。あの女はこの姿を見せつけているんだ。どうする?あの女を攻撃するか?・・・駄目だ。将軍を人質にされた今、迂闊に攻撃出来ない。あいつは躊躇なく将軍を盾にするだろう。忍びは祈りながら見守るより他なかった。
芸妓は一連の扇子の投げ方についての指導を終えると、将軍を解放した。将軍が二投目を無事命中させると、芸妓は将軍の手を取って大いに喜んでいた。
芸妓の喜び方に戸惑いを覚えながらも、将軍は女の耳元で二言三言囁いた。
こうして宴は、将軍家にとって何の成果も無く終わった。
宿舎に戻る将軍の駕籠の後ろを従う一挺の駕籠があった。




