第8話 禊
「さっきの女二人はどこへ消えた!?」
「術師! 探知術の準備はまだか!」
「二人が最後に姿を見せた場所を中心に捜せ!」
「見つけ次第、殺せ。顔と右手だけは損なうな。全員に伝えろ」
「はっ!」
馬小屋の干し草に埋もれたまま、外の怒号を聞いていた。
作戦は、もう始まっている。
最初に動いたのはマーヤーちゃん。
ほんの数秒で何人も殺し、ルフィーナのそばにいた十数人の兵士をおびき出した。
そのまま夜闇に紛れ、使われなくなった炊事場へ戻った。
そこでは浮世さんが詠唱を続け、セシリーが支援術を維持していた。
「はっ……はっ……」
手には、死んだ兵士から拾った剣。
刃についた血は、まだ乾いていない。
心臓がばくばくうるさい。
全然落ち着けない。
いつ見つかってもおかしくない。
足元には、支援術の陣。
どれだけ深く干し草に潜っても、陣の光は隠せない。
見知らぬ人間の気配が気になるのか、そばの馬たちも落ち着かなそうにしていた。
出なきゃ。
浮世さんの儀式が終わるまで、少しでも時間を稼ぐ。
膝から力が抜けていく。
動かなきゃいけないのに。
このままずっと、干し草に埋もれていたい。
ルフィーナも、マーヤーちゃんも、どうしてあんなふうに動けるんだろう。
だめ。
探知術がどんなものかはわからない。
発動すれば、居場所まで割れるかもしれない。
その前に出て、術師の邪魔をしなきゃ。
「馬小屋は調べたか?」
「今すぐ調べろ!」
声が近い。
動け。
あたしは十六。
「……」
干し草から一歩、踏み出した。
身をかがめ、馬や柵、積まれた干し草の陰を縫って、足音を殺して進んだ。
けれど、すぐに気づかれた。
「あ? もう誰か、馬小屋を調べてるのか?」
「敵じゃないのか?」
「馬鹿か。あれはどう見ても帝国式の支援術式だ」
「おい、中のやつ。何か見つけたか?」
馬小屋のすぐ外に、何人もいる。
光だけじゃない。
足元の陣まで、丸見えだった。
でも、使える。
「さっきの二人は見つけた! 術師に探知術を止めさせろ!」
声をできるだけ低くして、怒鳴り返した。
「ん? お前、どこの隊の者だ?」
「残りの二人はどうした! まだ全員見つかってもいないのに、止められるか!」
「誰だ! 姿を見せろ!」
もっと何か言わなきゃ。
「エドガー様の命令だ! 探知術を使っている術師はどこだ!」
「エドガー様には、前哨地の指揮権はないぞ」
「お前……本当に帝国兵か?」
だめだ。
一人が柵のすぐ向こうまで来ていた。
隙間から、その兵士の足元に広がる陣が見えた。
たぶん、あれも支援術。
支援術や治癒術は、治癒士の担当らしい。
なら、探知術の術師にも支援役がついているかもしれない。
そこに賭けるしかない。
「こっちまで来い。近くで確認しろ」
迷うな。
あたしなら、できる。
「……俺か? お前が出てこい」
「今、こいつら二人を押さえてる。手が離せない」
「それにしちゃ、物音ひとつしないな」
「見に来ればわかる」
「なら先に、武器を柵の下から投げてよこせ」
剣を地面へ落とし、柵の下から外へ蹴り出した。
「よし」
兵士が一歩、柵へ近づいた。
剣を拾おうと腰をかがめた瞬間、馬の陰から飛び出し、肩から柵へ突っ込んだ。
ばきんっ、と柵がへし折れた。
その勢いのまま兵士へ体当たりしたが、相手はとっさに後ろへ跳んでかわした。
「なっ……!? お前は――!」
兵士が剣を抜いた。
周囲の兵士も身構えた。
転がった剣を拾い、ざっと辺りを見回した。
井戸のそばに、女の人がひとり。目を閉じ、祈るように手を組んでいる。
治癒士。
探知術の術師は見当たらない。
「殺せ!」
さっきの兵士が地を蹴った。
光を帯びた剣を振りかぶり、宙へ跳んだ。
瞬きする間に、もう真上にいた。
怖くて腰が抜け、その場に尻もちをついた。
逃げなきゃ。
間に合わない。
刃はもう、頭上まで迫っている。
また、諦めるの?
前みたいに?
――絶対に嫌だ。
「あ、あああああ――っ!」
必死に剣を持ち上げ、前へ突き出した。
勢いを殺せないまま飛び込んできた兵士の喉に、あたしの切っ先が突き刺さった。
血が顔に噴きかかる。
熱い。
温かいとさえ思った。
力の抜けた身体が、あたしの上へ倒れ込んできた。
一度だけ、びくりと痙攣した。
喉の奥で、ごぼり、と濁った音がした。
死んだ。
あたしが、殺した?
この人には、顔があった。
まつ毛があった。
唇はまだ、何かを言おうとするみたいに動いていた。
「このアマ!」
「ドミニクを殺しやがった!」
「楽には死なせるな!」
兵士たちが一斉に襲いかかってくる。
止まるな。
十六。
十六。
十六。
早く、動け。
上にのしかかった死体を押しのけ、馬小屋へ逃げ戻った。
追っ手もなだれ込み、立て続けに剣を振り下ろしてくる。
あたしを狙った一撃が外れ、馬の胴を真っ二つにした。
馬は甲高くいなないて崩れ落ち、ほかの馬も一斉に暴れだした。
今しかない。
手近な一頭へ飛び乗った。
飛び乗ってから気づいた。馬に乗れない。
どうやって向きを変えるのかもわからない。
馬はそのまま勝手に駆け出した。
いくらも進まないうちに、転がり落ちるように馬を降り、小さな工房へ走った。
そこは、マーヤーちゃんと一緒に最後に姿を見せた場所だ。
兵士たちは、最後に姿を見せた場所を中心に捜せと言っていた。
なら、術師は近い。
追っ手が背中に迫っていた。支援術の光を身にまとい、さっきよりも速く距離を詰めてくる。
どんどん近づく。
もう追いつかれる。
工房の前まで来た。
そこにも、大勢の兵士がいた。
術師の姿はない。
「囚人だ! 斬り捨てろ!」
前も後ろも塞がれた。
剣を振り上げた兵士たちが殺到してくる。
そのとき、工房の戸口から漏れる光が目に入った。
地面を転がって斬撃をかわし、兵士の股下を滑り抜け、工房へ飛び込んだ。
やっぱり、いた。
奥では、杖を掲げた男が術式を組んでいた。
剣を振り上げ、斬りかかった。
刃が届く寸前で、見えない壁に弾かれ、大きく跳ね返った。
「っ……!」
防御術……?
入口には、もう追っ手が殺到していた。
殺意に歪んだ顔。
振り下ろされる剣、突き出される長槍。
離れたところには、今にも放たれそうな光の矢。
ちょうどいい。
「マーヤー――!」
ありったけの声で叫び、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
陣が消えた。
あたしにかかっていた支援術が、解かれた。
ひゅっ。
夜気を切り裂き、稲妻みたいな黒い影が飛び込んできた。
両手に、一本ずつ剣。
銀色の長髪が月光を弾く。
支援術の陣がまばゆく輝いていた。
「止まれ! 誰か――」
「あああっ!」
「てめえ――ごふっ」
「どこだ!?」
「術師を守れ――ぐあっ!」
一人、また一人と倒れた。
声が途切れ、工房は静かになった。
残ったのは、何かが噴き出しつづける湿った音だけだった。
「あ……あ……」
術師は術を止め、杖を握ったまま凍りついた。
目の前の地獄を、ただ見つめていた。
マーヤーちゃんの剣は、術師に届く寸前で弾かれた。
一撃では破れない。
障壁を一瞥したかと思うと、目で追えない速さで、同じ一点に斬撃を浴びせた。
ぱきん、と澄んだ音がした。
次の瞬間には、術師も倒れていた。
ひゅっ。
マーヤーちゃんは闇の中へ消えた。
入れ替わるように、足元へ支援術の陣が再び浮かび上がった。
「はぁ……っ」
工房を出た。
そのあとも三度、ルフィーナのそばへ戻っては兵士を引きつけた。
二度目。
矢が左肩すれすれを抜けた。
ちゃんと避けた。
三度目は、逃げる途中で転んだ。
起き上がるのがあと少し遅ければ、いくつもの火球をまともに食らっていた。
脚にはもう、ろくに力が入らなかった。
四度目。
結界みたいな術に閉じ込められた。
慌ててマーヤーちゃんを呼ばなければ、取り囲まれて殺されていた。
あたしの剣で、人が死んだ。
一人。もしかしたら、二人。
もう、わからない。
出入りを繰り返すうち、ついに炊事場まで見つかった。
こちらから敵を引きつけに出るのはやめ、炊事場の前で迎え撃つしかなくなった。
マーヤーちゃんと交代で外へ出た。
それでも、死ぬほどきつい。
セシリーも計画どおり、支援術と防御術を切り替えてくれた。
避けきれない攻撃が来るたび、セシリーは支援術を切り、そのぶんの術力を浮世さんの防御に回した。
けれど、マーヤーちゃんが外で動ける時間は、どんどん短くなった。
残された戦闘時間も、もうほとんどないはずだ。
「……鈴の音をもちて、名の結びを解き、垂れたる布をもちて、御面の影を隠し……」
まだ?
十五分って、こんなに長かったっけ。
どれだけ持ちこたえればいいの?
儀式を始める前、浮世さんはひとことだけ言っていた。
「わたくしめの名をお聞きになれば、すぐにおわかりになりますよ〜」
名前、ないんじゃなかったっけ?
そう考えかけたとき、マーヤーちゃんが戻ってきた。
今度は、二秒も外にいられなかった気がする。
また、あたしの番。
もう無理。
全身の筋肉が、焼けるみたいに痛い。指はこわばり、剣を握り直すのも難しい。
脚は鉛の塊みたいに重い。息が上がりすぎて、まともに呼吸もできない。
気づけば、敵は全員、あたしたちの目の前に集まっていた。
遠くでは、ルフィーナが何本もの剣に身体を貫かれ、地面に縫い止められていた。
それでも、背中の炎の翼は燃えていた。
「火球術、用意!」
「雷撃術、用意!」
「光の矢、用意!」
正面からは、大勢の兵士が突っ込んでくる。
その先頭に、エドガー。
白い雷が長槍に集まり、全身にもばちばちとまとわりつき、周囲には土煙が巻き上がっていた。
「ま、まおりさん! これでは絶対に防ぎきれません! 私も、もう術力が……!」
セシリーが叫んだ。
わかってる。
「……マーヤーは撤退します」
わかってる。
もう立てない。
甘かった。
ただの女子高生だ。
違う。
こんな言い訳、いつまで使うつもり?
いつまで「普通の人間だから」って逃げるつもり?
「防御術を解除して」
剣を杖代わりにして、震える膝を無理やり伸ばした。
どうにか、立った。
「えっ!?」
「残った術力、全部あたしへの支援に回して」
防いでも、もうもたない。
攻める以外、何も思いつかない。
「で、できるだけ……!」
足元で陣が光った。
それでも、一歩踏み出すのさえやっとだった。
諦められない。
ここで諦めたら、みんな死ぬ。
「はあああああ――っ!」
剣を振り上げ、前へ倒れ込むようにして駆け出した。
そのとき、聞こえた。
名前らしきものが。
「恐み恐みも白さく、御前に侍るこの垢穢」
「その名は、浮世禊」




