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第6話 生水

 窓を塞がれた古びた小部屋で、老人が手術を受けていた。


 ベッドは、部屋の真ん中にひとつだけ。


 唯一の窓は、厚いカーテンで隙間なく塞がれている。

 明かりは、天井の小さな吊りランプだけだった。


 ベッドを囲むのは、医師と助手、それから看護師たち。

 かろうじて、手術室と呼べる形にはなっていた。


 そこへ、華やかな和服をまとった小さな女の子が、何の前触れもなく現れた。


「誰だ!?」


「神だ。雑魚人類」


 医療スタッフには目もくれず、執刀医だけを見た。


「幸(さき)、そこの器械トレー、予洗いしておいて」


 執刀医は一度だけ横目を向け、すぐ視線を手元へ戻した。


 幸御禍津(さきみまがつ)は、こくりとうなずいた。

 器械トレーを持ち上げ、奥の流しへ運んでいく。


「藤原(ふじわら)先生! もしその子が『外』から来たなら、私たちは全員――」


「皆さん、先に部屋を出てください」


 藤原は静かに言った。

 手を止めないまま、淡々と縫合を続けている。


 部屋は静まった。

 けれど、誰も動かない。


 ただ、スタッフたちの目の奥には、それぞれ違うものが宿っていた。

 火のようなもの。

 潮の満ち引きのようなもの。

 ゆっくりと噛み合う歯車のようなもの。


「ほれ。洗ったぞ」


 幸御禍津が戻ってきて、器械トレーを藤原の前へ差し出した。

 血はまだ落ちきっていなかった。


「うん。これは駄目だね。水でざっと流しただけじゃ、洗ったことにはならない」


「何が問題だ」


「血が残っているだろう。前処理を甘く見ると、あとで取り返しが――」


「あの老人は今夜、死ぬ。汝も知っておろう」


 声が、少し低くなった。


 藤原は黙って、最後の一針を終えた。

 穏やかな視線が、幸御禍津へ向いた。


「それが、あの星を諦める理由かい。幸御禍津命(のみこと)」


「……」


「僕たちは神じゃない。誰かの選択を裁く権利まではない」


「余も汝等(なんじら)も神だ! 神でなくて何だと言うのだ!」


 そのとき、生体モニターが短く、鋭く鳴った。


 助手が、老人の頬をそっと撫でる。

 澄んだ光が手から流れ出し、老人の身体を包んだ。


 電子音が、規則正しく鳴っていた。

 傷は、そのまま残っていた。


「『神』になることも、ただの選択のひとつだよ。祝福も呪いも見届けると決めたのは、幸だろう」


 藤原の言葉に、周囲から声が続いた。


「頑張って、禍津(まがつ)ちゃん」


「信じてるよ」


「うるさいうるさい! 汝等のうち、滅びが定められた文明を背負っておる者がいるのか!? 地球に転生して、ままごとをしておる余裕があるくせに!」


 床を踏み鳴らした。


 誰も言い返さない。


「私だ」


 看護師が窓辺へ歩き、しゃっ、とカーテンを開けた。


 窓枠の隙間には、絶縁テープが何重にも貼り重ねられていた。

 外の空気を、ひとかけらも入れまいとしているみたいに。


 外は、廃墟だった。

 倒れたビルと、ひび割れた道路。

 打ち捨てられた車と、黒く焼けた残骸。


 ひとつだけ、看板がまっすぐ立っていた。

 「ようこそ京都へ」。


「まあ、もう滅びたあとだけどね。地上に残った人間も、死の灰で長くはもたない」


「余の星は、灰さえ残らぬのだぞ、地球の神!」


「どんな結末も、最初から決まっているとは限らない」


 藤原は、かすかに笑った。


「そんなことが――」


「幸」


 視線は、ベッドの老人へ戻っていた。


「彼が今夜を越せたら、あの星も生かすんだ」



   ◇◇◇



 太陽に焼かれながら、何時間も歩かされた。


 ルフィーナの身体は、馬の背に縛りつけられていた。

 あたしのブレザーがかけられていて、陽の下でも灰にならずに済んでいた。

 馬が一歩進むたび、力の抜けた体が揺れる。


 途中、杖の男がブレザーまで取り上げようとした。

 必死で止めたら、一発、思いきり殴られた。

 目元には、青あざと鈍い痛みだけが残っていた。


 ……そこまでして守る意味が、まだあるのかどうか。


 日が沈むころ、ようやく前哨地(ぜんしょうち)らしき場所に着く。

 兵士が、ざっと百人はいた。


 倉庫へ放り込まれたのは、あたしと浮世さん、そして意識のないマーヤーちゃんだけだった。

 後ろ手に縛られたまま、一本の木柱にまとめてくくりつけられる。


 ルフィーナは、別の場所へ引きずられていった。


 倉庫の隅には、さっき祈るような格好をしていた女の子がいた。

 木桶に腰かけて、こちらをうかがっている。

 たぶん、内側の見張り役。

 扉の外にも、兵士がひとり。


 傷の手当てはなし。

 水もなし。

 喉が渇いて、気が遠くなりそうだった。


 最悪だった。


「わたくしたちは……この世界をお救いするために参りました。空の黒い点は、ご覧になりませんでしたか?」


 浮世さんが、青白い顔でその子に語りかけていた。


「あ、あの……黒い点、ですか? 私には、何も……」


 小さく首を振った。


「見えないからといって、存在しないとは限りません。あれは三年後、この世界を滅ぼします。わたくしたちだけが、この世界を救えます」


「で、でも……手の甲に黒い文字のある異世界人たちが、かつて大陸全土に栄えていた文明を滅ぼしたって……聞いています」


「……以前にもこの世界へ渡ってきた異世界人がいたとしても、わたくしたちは違います。決して同じ過ちは犯しません」


「わかりません。私、本当は……皆さまとお話ししてはいけないんです。エドガー様が、不機嫌になりますから……」


 うつむいた。


「……はぁ」


 浮世さんが、かすかに吐息を漏らした。


 肩に、ふっと重みがかかった。

 浮世さんの頭だった。


「まおちゃん……お姉さん、少し疲れてしまいました。肩をお借りしますね……」


 まおちゃん。

 その呼び方だけが、耳に残った。


 炎天下を、あれだけ歩かされた。

 足には傷まである。

 ここまでもったのが、不思議なくらいだ。


 失血に、熱中症。

 重なれば、ルフィーナと同じだ。


「……あなたも、大変だったよね」


 その子を見た。


「昼間、あんなに歩かされて。護送する側だって、楽じゃなかったでしょ」


「……」


「ねえ――」


「し、静かに……!」


 腰から短剣を抜き、切っ先をこちらへ向けた。


 声だけは低く抑えていた。


 外に聞かれることを、あたしより怖がっているみたいだった。


「でないと……手荒なことをします」


「その短剣で、何をするつもりなの?」


「……」


「あたしを傷つけたい? それとも……エドガー様がルフィーナにしたみたいに?」


「……」


「ただ、話したいだけ」


「皆さまとお話しすることはありません」


 短剣をしまい、また膝のあたりに目を落とした。


「そんなこと言わないでよ。あたしたちの世界には、面白いものがたくさんあるんだ」


「……」


 顔を上げて、こちらを見た。


「馬なしで走る車があるの。この距離なら、三十分もかからないと思う」


「……馬なしで、走るのですか?」


「うん、走るよ。それに、金属の竜みたいなのに乗って、空を飛ぶことだってできるの。いつか見せてあげられたらいいのにな。あの……」


「……セシリー」


「じゃあ、セシリーちゃんだね。セシリーちゃんの世界のこと、もうちょっと聞いてもいい?」


「ほかの国には行ったことがないので……詳しくは、あまり」


「そうなんだ。あたしも外国には行ったことないなあ。修学旅行も国内だったし。沖縄とかね」


「修学旅行……ですか?」


「学校のみんなで、遠くまで泊まりに行く行事。何百人も一緒に行く、大きなピクニックみたいなものかな」


「へえ……ピクニックって、遊びなのですか? 仕方なく外で食べることだと思っていました」


「家族とか友だちと、外でごはん食べるのって、楽しくない?」


「家族は、いません」


 またうつむいた。


「……そっか。ごめんね」


 あたしも、つられるように目を落とした。


「実は、あたしも家族はいないんだ」


「え」


「家族がいるふりをしても、自分だけ浮いてる感じって、消えないよね。胸の空っぽなところも、ずっとそのままで」


「……私もです」


「こういうとき、あたしがどうするか知ってる?」


「どうするのですか」


「同じように空っぽな人と、親友になるの」


「でも……皆さまは明日、帝国へ送られて審問を受けると」


 やっぱり。


「一日だけでいい。そのお願い、叶えてくれないかな」


「囚人の方と親友になるなんて、変です……」


「死ぬ前の、小さなお願いなの。あたしたち四……三人は、親友だから」


 セシリーは、長いことためらった。


「だめ……かな」


「……わかりました」


 ようやく、小さくうなずいた。


 最低だ。

 わかってる。

 それでも、演じるしかない。


 浮世さんの呼吸は浅くなっていく。

 唇は、さっきより白い。

 白いというより、色がなかった。


「このまま水を飲めなかったら、浮世さんは死んじゃうかもしれない。セシリーちゃんの、親友が」


「……」


「ひと口だけでいい。飲ませてもらえないかな。お願い」


「皆さまを助けたら……本当に、私を親友だと思ってくれますか?」


 セシリーは胸の前で、ぎゅっと指を握りしめた。


「もちろん」


「……わかりました」


 腰の水袋に手をかけ、革紐を外した。


 その隙に、肩を揺らして浮世さんを起こす。


「う……ん……」


 かすれた声が漏れた。


 耳元へ口を寄せる。


「最後のひと口だけ飲み込まずに吐いて」


 息だけで囁いた。


 セシリーが水袋を持って、そばへ来た。


「口を開けてください。私が飲ませますので……」


 あたしは言われた通り、口を開けた。

 水が口に入る。

 いくらか飲み込んで、残りを口の中に溜めた。


 次は、浮世さん。


 聞こえていないみたいに、口を閉ざしたままだった。

 セシリーは手慣れた動きで浮世さんの顎を持ち上げ、水袋の口を唇に当てた。


 視線が外れた瞬間、下唇を思いきり噛んだ。

 痛い。思ったより、ずっと。


 何口か飲んだところで、浮世さんは激しくむせた。

 水を吐いた。


 それに合わせて、あたしも水を吐いた。

 血の混じった水を。


「だ、大丈夫ですか、お二人とも!?」


「げほ……この水、どこから……?」


「ぜ、前哨地の井戸から……」


「……あたしたちの体、この世界の生水をそのまま飲めないみたい……ごめんなさい。先に言えばよかった……」


「そ、そんな……! ひ、人を呼んできます!」


「どう説明するの? 帝国へ送るはずの囚人に勝手に水を飲ませて、死なせました、って」


「そ、そんな……ど、どうすれば……!?」


「なかったことにするしかないよね」


「で、でも……」


「大丈夫。まだ、セシリーちゃんのせいじゃない」


「だけど!」


「一緒に考えよう」


「……え?」


「支援術が使えるなら、簡単な治癒(ちゆ)くらいはできるんじゃない?」


「そ、それは……エドガー様が……」


「あたしたち、親友だよね?」


「う……」


「審問の前に死なせたって知ったら、エドガー様はどう思うかな。不機嫌にさせたい?」


「っ……わ、わかりました」


 セシリーは胸の前で指を組み、祈るみたいに目を閉じた。

 服の内側から、光の紋様がこぼれ出る。

 それは空中を漂い、あたしたちの足元へ降りていく。

 幾重にも重なり、魔法陣を形作る。


 温かい光が倉庫に広がり、肌を撫でた。


 噛み破った唇。

 目元の青あざ。

 腰の傷。


 ひとつずつ熱が宿り、痛みが遠のいていく。

 少なくとも、体は動くようになった。


 浮世さんの顔にも、血の気が戻っていた。

 まだ、目は覚まさない。


 気のせいかもしれない。

 マーヤーちゃんが、身じろぎしたようだった。


「セシリーちゃん、もう一回!」


 ――ばんっ!


 扉が乱暴に開いた。

 外にいた兵士が飛び込んでくる。


「術を使ったのは誰だ!?」


「あ……」


 セシリーは、口を開けたまま声を失っていた。


「お前か、セシリー・ラーク。並の鞭では、もう規律も叩き込めんらしいな」


「わ、私……」


 まずい。

 助けなきゃ。


「兵士さん、待ってください。術なんて、誰も使ってません」


 言いながら、上体を起こす。


 柱に背中を押しつける。

 後ろ手の指先が届くように、腰をひねってスカートのポケットを探る。

 右腰のあたりに、まだあるはずだった。


「なら、今の光は何だ」


 兵士が剣を抜いた。


 近づいてくる。


「気のせいかもしれません」


 食い込んだ縄の下で、指先だけを動かす。

 人差し指と中指を、ポケットへ伸ばした。


 まだある。


 硬い、角ばった感触。

 ポケットの奥に引っかかっている。


 伸ばすたび、粗い麻縄が手首を削る。

 縄の下が、熱くぬるついた。

 痛くて、息が勝手に速くなる。


「戯言(たわごと)を。術を使って逃げる気か」


 剣先が喉に触れた。

 冷たい。


「エドガー様から命じられている。逃亡を企てた者は、即刻斬り捨てろとな」


 そのまま、ぐい、と顎を押し上げられる。

 首が反り、息が詰まった。


 あと少し。


 指先さえ、引っかかれば――


「死ね」

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