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第5話 生気はなかった

 ドリル状の枝が、頭上から落ちてくる――


「下がれ!」


 ルフィーナの声が飛んだ。


「わかった!」


 反射的に後ろへ跳んだ。


 ドリルがさっきまで立っていた場所へ突き刺さり、草地に底の見えない穴を穿った。

 一瞬でも遅れていたら、貫かれていたのは地面じゃない。

 あたしの肝臓だ。


 木陰を飛び出し、駆け寄る。

 浮世さんは動かない。

 立ったまま、じっと何かを唱えている。


「逃げてってば、浮世さん!」


「……この息は、人の胸の内より流れ出でし息なり……」


 まるで聞こえていない。

 その場で詠唱に沈んでいる。


 くそ。

 浮世さんの左腕を抱え込み、無理やり引きずった。


 枝が追ってくる。

 速い。

 まだ伸びる。


 一本が腰をかすめた。


「っ――!」


 焼けるみたいな痛みが走る。


 歯を食いしばって、傷口を押さえた。


 傷は浅い。

 でも、血が多い。

 めちゃくちゃ痛い。


 別の一本が、浮世さんの後頭部すれすれまで迫っていた。

 あと少し伸びたら、頭を貫かれる。


 浮世さんごと、横へ跳んだ。

 枝が、半秒前までいた場所を次々と穿った。


 ぎりぎりだった。

 少しだけ距離を取れた。


 そう思った瞬間、浮世さんは足首に枝を巻きつけられ、前のめりに倒れた。

 枝の先が、ふくらはぎに食い込んでいた。あたしの傷より、ずっと深い。血が筋を引いている。


 本体のほうへ引きずられていくのに、暴れもしない。

 痛みも、周りで起きていることも、自分の身体のことさえ。

 どうでもいいみたいだった。


「……名と成り、身と成り、面(おもて)と成り、人といふ垢穢(くえ)と成りにけり……」


 詠唱が、さっきよりずっと速い。


 地面に刺さっていたドリルが、一本、また一本と抜け始めた。

 慌てて近くの石をつかみ、浮世さんの足首に絡んだ枝を力任せに殴る。


 駄目。

 もう一度殴っても、駄目だった。

 ただの枝のくせに、樹皮一枚、剥がれない。


 石を投げ捨てて、思いきり踏みつけた。


「……っ!?」


 その途端、あたしの足首にも枝が巻きついた。


 引かれる。

 浮世さんもろとも、すごい勢いで引き戻される。

 頭上では、もう錐(きり)のような枝が待っていた。


 刺さる。

 そう覚悟したところへ。


 目の前に、マーヤーちゃんの身体が差し込まれていた。


 閉じた目。

 破れたパジャマ。

 電源は、落ちたまま。


 ルフィーナが飛び込んできて、ひと蹴りでドリルを砕いた。

 もう片方の足で、二人の足首に絡んでいた枝を踏み砕く。

 落ちかけたマーヤーちゃんの襟元を無造作につかみ、片手で肩へ放り戻す。


 そうか。

 ロボットと呼んで、頭まで叩いていた。ルフィーナにとって、マーヤーちゃんは最初から道具だったんだ。


「生きてるか」


 ルフィーナが手を伸ばし、あたしと浮世さんを引き起こす。


「大丈夫。あの樹、倒せる?」


 ルフィーナは血に濡れた制服をちらりと見て、まだ低く唱え続ける浮世さんへ視線を移した。


「今は無理。思ったより強い」


 砕け残った枝が、ぎちぎちと組み直される。

 束になり、ねじれ、巨大なドリルになった。


 風を裂いて、もう一度、突っ込んでくる。


「……」


 ルフィーナは半歩だけ下がり、拳を握った。


 届く寸前、ルフィーナの拳が正面から叩き込まれた。

 拳圧だけで、あたしの髪がぐしゃぐしゃに吹き乱れた。

 巨大なドリルが砕け、歪み、後ろへ弾き飛ばされる。


「っつ……」


 ルフィーナが手をブレザーの内側へ引っ込めた。


 日差しを浴びた皮膚が、黒くひび割れていた。

 ひびの端から灰になって、ぼろぼろ崩れていく。


 治る気配もない。


「逃げよう」


 あの樹の枝にも、届く範囲はある。

 二度も砕かれた。向こうだって無傷じゃない。


「お前らが逃げろ」


「なんで? 倒せないんでしょ?」


「王は、進む」


 ルフィーナは、マーヤーちゃんを無造作に放し、まっすぐ飛び出していった。


 ……死んだら、王冠をかぶった死体でしかない。


 浮世さんは足をやられている。

 マーヤーちゃんは意識がない。

 あたしひとりじゃ、二人を抱えて逃げるのは無理だ。


 ルフィーナは木陰へ飛び込んだ。

 たぶん、日差しを避けるためだ。


「赤毛のおばさん! もう疲れちゃったのぉ?」


「黙れ」


 乗らなかった。


 力任せじゃなかった。

 砕いた枝は、目に投げ込む即席の武器。

 迫る螺旋の枝は、本体へ近づくための橋。

 着地は、次に跳ねるための踏み込み。


 敵の攻撃まで、ルフィーナの感覚の延長みたいだった。


 それでも、押されていた。

 傷も少しずつ増えていく。


 樹は、弱点に気づいたらしい。

 攻撃が、木陰の外へ外へとルフィーナを押し出していく。


 木陰が途切れた瞬間、太い枝が横殴りに振り抜かれた。

 ルフィーナが、丸ごと弾き飛ばされた。


「ルフィーナ!」


 走った。

 受け止めるつもりだった。


 無理だった。


 二人まとめて地面へ転がり、勢いのまま引きずられた。

 草と土が、視界の端でぐちゃぐちゃに流れた。


 傷口、また開いた。

 痛い。


 ドリル状の枝が一本ずつほどけ、絡まり合う。

 車ほどもある槌(つち)になった。


 空が、槌で埋まっていた。


 ああ。

 まだ、あった。

 黒い点。


 せめて死ぬ前くらい、ほんのわずかでいいから。

 あれを見ないでいたかった。


「ライネル!」


「承知」


 ――ひゅんっ!


 光の矢が、あたしと浮世さんのあいだを抜けた。


 風圧で顔ごと持っていかれそうになる。

 とっさに腕で顔をかばった。


 矢は巨大な槌を貫き、一直線に本体へ飛んだ。

 樹が慌てて、枝を何重にも重ね、矢を止めようとする。


 それでも、一層、また一層と、枝の壁を突き抜けていく。


「ああああああ――っ!!」


 悲鳴が上がった。

 次の攻撃は、もう来ていた。


 槍を握った騎士が、馬を駆って突っ込んでくる。

 あたしの知っている馬の速さじゃない。

 馬蹄の下に、光る魔法陣があった。


 振り返る。

 少し離れた場所に、人影が三つ。


 弓を構えた男、木の杖を持つ男。

 それから、目を閉じて祈るように両手を組む女の子。


 女の子の足元にも、同じ魔法陣がある。

 祈りに合わせて、馬蹄の下の魔法陣が強く光った。


 杖を持った男は、樹の上空をじっと見据えている。

 杖に刻まれた紋様が、ひとつずつ光る。

 その光が上空へ写し取られていく。重なって魔法陣になる。


 騎士は、もう樹の目前まで迫っていた。

 馬が地面を蹴る。

 騎士も馬も、まとめて宙へ跳ね上がった。


「――はっ!」


 騎士が長槍を投げた。

 槍には、白い雷がまとわりついていた。

 白く弾ける電流を引きずりながら、樹冠を貫き、地面へ突き刺さる。


 轟音が弾けた。

 樹の上半分が、ほとんど吹き飛んだ。

 残った葉が数枚、頼りなく揺れている。


「マティアス!」


 騎士は着地と同時に長槍を引き抜き、叫んだ。


 その声とほとんど同時に、杖の男の魔法陣が完成した。

 さっきまで晴れきっていた空が、その周りだけ黒く濁る。

 雲が巻き、膨れ上がる。黒雲の中で、雷鳴がうなった。


 とん。

 マティアスが、杖で地面を叩く。


 ドン!!!

 巨大な雷が落ちた。


 幹が中心から爆ぜ、焦げた木片が四方へ飛び散った。

 そこに残ったのは、炭のようになった幹だけだった。


 騎士が馬から飛び降り、こちらへ歩いてきた。

 ほかの三人も、あとを追って駆け寄ってきた。


「……そろそろ放せ、女子高生」


 ルフィーナが、ぼそっと言った。


 その視線を追って、下を見る。

 ……はぁ!?

 まだ思いきり抱きついたままだった。


「君たち……いちゃついているのか?」


 騎士は呆れた顔で、あたしたち二人を見た。


「違うから! それは――」


「こいつは腐れ月(くされづき)。趣味は男の娘と百合とハッピーセット」


 ルフィーナが、あたしの顔を指さした。


「そのネタはもういいから!!」


「……まったく意味が分からんな」


 騎士が深く息を吐いた。


「君たちがどこの者であれ、ひとまず身柄を拘束する」


「拘束!?」


 思わず声が裏返った。


「当たり前だろうが! お前たちを助けるために、こっちは帝国の財産を破壊する羽目になったんだぞ!」


 杖の男が、荒っぽく言った。


 あのおっさん木が!?


「ち、違うんです! あの木がいきなりセクハラしてきて、肝臓を貫くとか言い出したんです!」


 必死に弁解した。


 四人は黙って目配せを交わした。


「そもそも、魔物はしゃべらない。鉱樹(こうじゅ)も例外ではない」


 弓使いが、静かに口を開いた。


「しゃべった」


 ルフィーナは、きっぱりと言い切った。


「あ、あの……あなた方の手の甲にあるルーンと、関係があるのでは……?」


 女の子がおずおずと、あたしの手を指さした。


 右手を持ち上げると、甲に読めない黒い文字があった。


 ルフィーナにも。

 マーヤーちゃんにも。


「失礼します」


 浮世さんの右手を、そっと取った。


「……響きある者を、声なき処(ところ)へ帰し給へ……」


 手の甲にも、やっぱり黒い文字がある。


 しかも、全員違う。

 いつの間に、こんなものが出た?


 弓使いは黙ったまま、あたしたちの顔と、手の甲の文字を見比べていた。

 やがて羊皮紙を四枚取り出し、騎士へ差し出した。


「エドガー様」


「ん?」


 騎士は受け取ると、一枚ずつ目を通し始めた。

 紙面とあたしたちを、何度も見比べる。


「いい加減、その詠唱をやめろ。うるせえんだよ!」


 杖の男が、浮世さんを怒鳴りつけた。


「……鈴の音をもちて、名の結びを解き……」


「この――!」


 手が、浮世さんの頬へ振り下ろされかけた。


「待て」


 エドガーが、杖の男の手首をつかんでいた。


「……!」


 浮世さんの詠唱が、初めて止まった。


「あと少しで、皆さま全――部、『あの方』のもとへお還しできましたのに」


 ……全部?


「何を言ってやがる、このイカれた女が!」


「そこまでだ」


 エドガーが鋭く言った。


「……」


 杖の男は、忌々しげに手を引いた。

 あたしたちを睨みつけてくる。


「お嬢さん方、仲間の非礼は俺が詫びる」


 エドガーは長槍を傍らに立てた。

 礼儀正しく、頭を下げる。


「俺はエドガー・ヴァンス。名を聞かせてもらえるか」


「白石真織です。そこに倒れているのは、マーヤーです」


「ルフィーナ」


「……」


 浮世さんは、何も言わなかった。


「ひとつ尋ねたい。妙な問いだが、気を悪くしないでほしい」


「……何を、ですか?」


「あなた方は、別の世界から来たのか?」


「違います」


 絶対、あの羊皮紙だ。


「そうだ。何か?」


 ルフィーナには隠す気なんて欠片もない。


「そうか」


 長槍は、もうルフィーナの胸を貫いていた。


 あがく間も声を上げる間もなく、ルフィーナは自分の血だまりに倒れた。


 砕けた焦げ木と同じように。

 生気はなかった。

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